エピローグ 彼女の門出
朝 目覚めた
ふわりと 笑った
疲れた体を起こした
息を吸った
窓から光が射した
『ファション専門学校 入学式』
墨で書かれた看板が、門の横に立てかけて置いてある。その向こう側には、立派な桜の樹が校舎に立っている。
玄関から新入生たちが溢れるように出てきて、看板の横には、既にスーツやら派手な恰好のデザインの服に、色とりどりの髪を染め上げた新入生たちが並んで、親と写真を撮っている。
「せめて、入学式ぐらい来てくれてもよかったのに」
マリは、黒色の髪を高く結い上げてポニーテールにして、黒の着物を着ている。死人ほど白いファンデーションを塗り、口紅は赤く引き、アイラインで目はくっきりしているせいか、死神のような美しい装いになっている。桜の木の下で、そんな風にぼやいた。
「マリ!?」
知人がいるはずがないと、驚いて振り返った。
「何その恰好、葬式にでも出てきたの?」
大学生になって、さらにあか抜けて、美人になった愛梨が腹を抱えて笑っている。
「好きな恰好だから、別にいいじゃん。それより、愛梨、なんでここに?」
頑かたくなに入学式に来なかった母親の代わりになぜか、別の大学に入った愛梨が来ている。
「だって、親友でしょ?」
愛梨が悪戯っぽく笑うと、周りの男子学生がこちらに視線を向けているのが、わかった。
「ほんとに、それだけ?」
「新しい彼氏探し☆」
愛梨が可愛らしく舌を出すと、様になるのが腹立たしい。そういえば、2年生の秋には、山下先輩と付き合っていなかったか。
「山下先輩とは別れたの?」
「遠距離になるから、別れようだってさ」
愛梨が不服げに呟くも、少し涙目になっている。マリは見て見ぬふりをする。
「学校にいい人、いたら、声かけるよ」
人に寄り添うことが苦手なマリはそっと、声をかけた。愛梨は、濡れた声で、うんと、愛梨の背中をポンと叩く。
そのとき、一際、目立つ青年が愛梨の横を歩いていく。黒いハットに、白いシャツの上に長い黒のアウター、黒のズボンなど、ダークファッションを着こなしている。男が歩くと、愛梨に負けず劣らず、視線を独占する端正な甘いハーフの顔立ちだった。
「ほら、あそこに」
マリが早速示すと、珍しく愛梨は苦虫を噛んだような表情でまぁという。
「どしたの?」
「マリ、ああいうタイプと付き合うと、苦労するよ」
やっぱり、男は自分で探すと、カラリと笑う愛梨をマリは、切り替えが早いなぁと笑う。けれど、恋愛に敏い愛梨のことだから、マリは頭の片隅に置いておこうと思った。
再び桜の樹をみると、あっとマリは声を挙げた。一瞬だけ、ホウレンソウがウサギに乗って、桜の樹の根っこに飛び込む影を見つけた。
「なに、どしたの」
愛梨はマリの見た方向に目を凝らすも、別段変わったところはない。
マリは、声を出して笑って言う。
「ウサギに乗ったホウレンソウを見つけた」
愛梨にそのあとのなんとも言えない顔といったら、見ものだった。
マリは、ルナから目を覚ました日のことを思い出した。
ギルバートに生者の世界から送られて、光の中から目を覚ますと、暗い自室のベッドで寝ていた。
毛布を掛けられ、ウサギの目覚まし時計をみると、4時だった。
床に落ちていたスマホを拾うと、画面はバキバキに割れている。電源を入れると、日付は変わっていなかった。
「夢……?」
マリは慌てて、ヤモンから貰ったネックレス、そして朝美から貰ったスケッチブックを探した。
胸元に硬い感触……。
シャツの下から、掻きだすように、それを取り出した。
「あった……」
マリがそれを目の前にかざすと、緑色の石がキラリと光った。
あの出来事は、夢ではなかった。
マリは電気を付けて、もう一つのスケッチブックも探す。どこを探してもない。
「無い……」
大きな落胆と託してくれた麻美に対しての罪悪感が込み上げる。朝美の最後の願いはなんだったのだろうか。やはり、マリは諦めきれず、再び、隅々まで探し出す。
やはり無かった。
それから、数日経ったある日、マリの全く思いもよらないところから、発見した。
マリが気分転換に、スケッチブックを取り出した。
服を描き出そうとした瞬間に、違和感を感じる。一番後ろに、黄の傷んだ紙が挟んであった。
マリは気になって、それをそっと、取り出した。粗っぽく扱えば、破けてしまいそうなほど、脆い。
それを見た瞬間に、マリははっとして、食い入るように見つめた。
黒色の和柄のほっそりしたドレスだった。
柄は、左には亀が描かれ、そこから銀色の筋が右肩から左腰にかけて走っている。その周りには、銀木犀が星のように、散っている。
シンプルな柄だが、大胆に肩を出し、気高い。
素材が細かく指定され、注意書きが英語で走り書きしてあった。
その左下に小さく文字が書かれ、マリは目を凝らす。
『DEAR Yukiko』
ただ、宛名が書いてあるだけ…。
「二人とも、不器用だったのね」
マリは苦笑いした。
それから数ヶ月、マリは服作りに没頭した。中でも、シルクの生地と糸は高級で、バイトをしながら、資金を集めて、なんとか、母の誕生日までに完成させた。
あのときの母の顔ときたら、見物だった。怒ったような、悲しそうな、嬉しそうな、そんな複雑な表情…。
次の日、選んだデザイン専門学校の契約書にサインがあった。
愛梨は目の前で、マリが何を見たのかと、ギャアギャア騒いでいる。
マリはそれを無視して、校舎の時計を見ようとしたとき、なぜか、校舎の影が気になった。レンガが敷き詰めれ、整然としている。その端っこの隙間には、綿毛を蓄えたタンポポが生えている。その横で、カマキリが蟻を襲っていた。マリに無視された愛梨がぶつくさ文句をいい始めると、明るい声の男子が愛梨に声をかけた。愛梨はその気になって、明るい声の男子と話し始める。
マリが視線を逸らし、空を見あげる。目線を下に落とすと、6階建ての校舎には、無機質なデジタル時計が佇んでいる。
校舎の窓には、誰もいないと思ったが、4階にの窓に女子っぽい在学生らしき影が見えた。
カールした桃色の長い髪には大きな桜のモチーフの真っ白なカチューシャを被った女子が空を見上げている。胸もとが少し開きつつも、上品な白のシルクの襟がつき、薄い生地の下にはどうやって作られたのか、大きめの桜の花がキラキラと銀色に美しく光っている。下半身は見えないが、おそらくワンピースだろう。
「……」
遠目でも、存在感を放つその衣装に目が釘付けになった。
「ここにきて、よかった」
心の底からそう思った。こんなにも実力を持った学生と学べるなんて、最高だ。
「ゴーン」
時計の音に目を向けた。
長針が1分動き、4時を示した。
ピンク色の薄い布がなびいている。
視線を向けると、4階の窓枠に女性が立って、ドレスの裾をなびかせている。
女子が着ていたのは、ワンピースではなくて、ドレスだったという、どうでもいい思考が一瞬かすめる。
「あっぶ」
叫ぶも間なく、女性が窓から地面に向かって、飛び込むのが見えた。
その瞬間、1秒間が10秒間になったように、時間が重みを増した。
フリルが翼のように広がり、やがて一筋になって、女性の重力に従い、どんどん地面に近づく。
「ぁ……」
墜落する直前、息を飲み、縫い付けられたように、目をそらすことができなかった。
「マリ! 大丈夫!?」
いつの間にか、明るい声の男の子は消えて、愛梨が心配そうにこちらをみている。
「今……」
震える指で示すと、校舎下のレンガには誰も倒れていない。ドレスが落ちていない。4階を見たが、窓は開いてすらいない。
「……なんでもない」
一息ついた。全身の震えを押し殺すように、唇を噛み締め、手が震えている。
「唇、紫になってるよ」
愛梨が尋ねたげにこちらを見るも、マリの手を握りしめた。
空が赤く染まり始め、カラスが飛んでいる。着物を着ていても少し肌寒い。
レンガの脇に生えたタンポポの綿毛が風に吹かれ、1つも残っていない。その近くで全身を噛まれたカマキリは蟻の穴に引きずり込まれているのがぼんやり見えた。
「カフェ、行こっ」
愛梨の有無を言わさない口調で、手を引っ張られて、門を出る。
「はぁ」
やっと喉に空気が通ったかのように、息がしやすくなった。
振り返ると、桜の樹の影に、黒っぽい影が蠢めいている。
ゆっくりと街は赤く染まり始めた。




