人として
生きている。
その事実が、ライグに圧し掛かる。
第二拠点が燃え落ちた夜、獣の咆哮と血飛沫に塗れながら、ただ生き延びた。
意識の底で、水音のようなざわめきが響いていた。
まぶたの裏が熱い。全身が重い。思考は深い泥の中に沈み、抜け出せない。
「……っ……ああ……。」
誰かを呼ぼうとするが、名前が出てこない。喉は焼けるように渇き、息を吸うたび肺が軋んだ。
やがて、ぼんやりと僅かな光が差し込む。重たい瞼を押し上げると、そこには、木々のざわめきと、濁った空があった。
見覚えのない場所。けれど、どこかで見たような色。
ライグは、第2拠点の外に仰向けに倒れていた。
腹部の裂傷からは血が滲み、防具のあちこちが裂け、罅が入っている。右手に握ったままだった太刀は刃の大半が欠けてしまい、鞘を失っていた。
(……生きてる……?)
呆然とする脳裏に、仲間たちの叫び声と、血に濡れた第二拠点の光景が過った。
誰もいない。生存者はいない。
ライグはひとりだった。
ふらつく身体を起こし、灰まみれの大地を見下ろす。空に、細く赤い月が浮かんでいる。地面には、第二拠点で逃げ込んだ仲間たちの痕跡――乾きかけの血溜まり、砕けた武具、引き裂かれた衣服だけが残されていた。
ライグは、何も言わなかった。泣きも叫びもしなかった。ただ、膝をつき、目を伏せ、静かに震えていた。
何度も口の中で名前を呼んだ。だが、誰の名を呼んでも、返事はない。
彼は「死に場所」を探すように歩き始めた。
魔物の気配がする森へ、ふらふらと足を踏み入れる。
水も食料もない。疲労も回復していない。
ただ、獣に出会い、喰われて、すべて終わらせたかった。
唸り声。木が軋む音。獣の気配が、すぐそこに迫っていた。
だが、不思議なことに、戦闘になると――ライグの身体は、意志に先んじて動いていた。
太刀を逆手に構え、左膝を軸に半身で転がる。地を蹴り、迫る猪型の突進を半歩で回避。太刀を振るった。
反射だった。
構えも狙いもない、ただの振り下ろし。それでも、刃は獣の横腹を裂いた。
叫び声を上げた獣に追撃を入れようとした瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
(駄目だ、足が……。)
斬り返すべき筋肉に力が入らない。それでも、肩を入れて強引に体勢を持ち直し、再び太刀を振るう。
避ける、斬る、引く、受け流す――その繰り返し。呼吸が荒くなり、酸素が足りない。
それでも、まだこの身体は、“生きよう”としていた。
(……なんで、俺は、生きてる。)
その問いに答える者は、もういなかった。
森の奥。焚き火すらない暗闇の中、ライグは枯れた木に背を預け、目を閉じた。
服はもう原型を留めていなかった。傷に貼りついた血が乾いて剥がれかけ、背中の弾帯には、もう銃も弾も残っていない。
寒さが骨に染みる。唇がひび割れ、傷口は化膿し始めていた。
疲労、痛み、無力感。寝ることなどできなかった。
時折、瞼の裏に“あの光景”が浮かぶ。
第二拠点の崩壊。斥候たちの最期。泣き叫ぶ少年の声。
そして――知性を持つ獣の、あの目。
喰らった者を踏みにじり、あざ笑うように響かせる声。
「やめろ……やめてくれ……。」
叫んでも、誰も答えない。音は闇に吸われるだけだった。
その時だった。
記憶の奥――ユウカが出陣前に声をかけてくれた。
『大丈夫。ライグが強いのは知ってる。』
ルードが戦闘中に発破をかけてくれた。
『ライグ!お前ならできる!未来を繋ぐぞ!』
逃避行の最中、少年から感謝の言葉を受け取った。
『絶対に、守ってくれるって……知ってた。』
皆の言葉が、ふいに浮かんできた。
その瞬間、胸の奥が熱くなった。
焼けつくような苦しみではない。
生きたいと、叫ぶような、確かな鼓動だった。
ライグは、ゆっくりと震える手で砕けかけの太刀を掴んだ。
目に力が戻る。
誰も守れなかった。
だが、まだ、誰かを守れるかもしれない。
(俺は……まだ、生きてる)
(終われねぇ。喰われたままじゃ、終われねぇ……!)
膝をついたまま、拳を地面に叩きつける。
その刹那。
視界の端、森の中から赤い光が――にじむように、こちらへ迫ってきていた。
――敵だ。
匂いでわかる。あれは、“喰うもの”だ。
だが、不思議と恐怖はなかった。
「来いよ……次は、俺が……喰ってやる。」
太刀を構える。
まだ、死ねない。
まだ、“喰い返して”ない。
ようやく、ライグの最強への道が開けました。
最期まで、どうぞよろしくお願いします!