崩れる境界
ユウカが喰われたのは、昼過ぎだった。
巡回・食料調達・物資回収の任務は中途半端だったが、陽が傾きかけ、これ以上の続行は危険だと判断し、村へ帰還を始めていた。
——あの瞬間は、脳の奥底にこびりついたままだった。
——心臓の鼓動が耳の奥に響く。
——ユウカの叫びと、肉が裂けた音が、その鼓動と交じり合う。
村は森を抜けた小高い丘にあった。
古の時代に使われていたという物資運搬路のトンネル、石造りのアーチと奥へ続く大通路。その中に、彼らの村は築かれている。
洞窟を繋げ、トンネルの上へと続く多層構造の拠点。
外敵を拒むため、侵入しづらく幾重にも枝分かれした通路。
トンネル外部から内部へ執念と言えるほどの防衛設備も築き上げ、外から隠された避難経路も整備されていた。
“難攻不落の村”——そう呼ばれていた。
しかし、ライグ隊が麓にたどり着いた時、トンネル内部にまで異形の群れが侵入しているのが見えた。
「くそ……なんだあの規模は……!」
奥へ進むごとに、空気が変わる。
生温く、血と汗が混じったような異臭が鼻腔を突いた。
獣たちは、百を超えていた。
これまでにも、五十体を超える襲撃はあった。だが、今回の群れは桁が違った。
突進を繰り返し牙で貫く猪型。異常な跳躍力で翻弄し爪で切り裂く猿型。異常な程の硬度を持つ甲殻と、桁外れの咬合力を持つ亀型。それらが混成した群れだった。
総合脅威度は、恐らくSに届く。
防衛設備の落とし穴は既に機能を停止していた。
本来、斥候部隊がトンネル外部に掘られた落とし穴へ誘導し、穴の中へ仕掛けられた杭で串刺しにする。
だが、今回はあまりに数が多く、穴を埋め尽くしてしまった。
通行用の安全ルートも関係なく、獣の進行が加速している。
トンネル内部から、銃声と獣の咆哮がこだましていた。
「ライグ、こっちだ! 援護する! 全力で駆け抜けてこい!」
獣を背後から強襲している最中、声に導かれ内部に視線を向ける。
本隊の隊員が、石積みの遮蔽壁で応戦していた。
味方の援護を信じ、すれ違う獣を切り捨て、銃撃により牽制しながら合流する。
斥候隊は五人編成。二部隊がトンネル内部へ展開し、本隊の援護をしていた。
主戦力である本隊は十人編成。トンネル入口へ展開し、獣共の苛烈な攻勢を押し止めていた。
現状保有する、すべての戦力の展開。これは“最悪の戦い”を意味していた。
「格子門が突破された! 左の通路から回り込まれるぞ!」
怒号が飛ぶ。
トンネル入り口に設置された侵入阻止用の鉄格子は、獣の力で歪み突破されていた。
「火を使うな! 避難路に煙が回るぞ!」
炎幕罠も、追い詰められた今となっては使えない。
避難通路を煙で充満させるわけにはいかなかった。
本隊へ合流し、手早く情報交換を済ませる。
「落石は!」
「一度使った! もう溜めが間に合わねぇ!」
「ユウカは……ユウカはどうした!?」
背中合わせになった本隊のリーダーが問う。
ライグは答えず、目の前の亀型の眉間を太刀でかち割る。
太刀を振るい間合いを制し、跳躍してきた猿型を半歩で回避、バランスを崩したところへ頭部を踏みつけ首へ突き刺す。
「ユウカは……喰われた。」
短く答えた。
その一言で、誰も何も言わなくなった。
音を失ったのは会話だけで、周囲はなおもうるさかった。
咆哮、衝突音、血の匂い。火薬の炸裂音。
この村で誰かを失うことは、“世界がひとつ減る”ようなことだ。
だからこそ、守ってきた。
なのに、こうして、守れなかった。
ライグは太刀を右手へ、リロードを終えた銃を左手に構えた。
両手に武器を携えるその姿は、村で彼一人だけだった。
飛び込んでくる猪型を右に捌き、横っ腹へ銃弾を叩き込む。
流れるように体を右回転させ、猿型の顎を太刀で切り裂く。
「11時方向、2体来るぞッ!」
斥候隊員の声。
ライグが滑り込むように隊員の横に出て、銃で援護射撃。
すぐに太刀を逆手に持ち替え、突っ込んできた二体目の猪型を斬り伏せた。
「ライグ、戻れ! 無茶すぎる!」
「下がったら、後ろの奴らが喰われる!」
喰われた瞬間のユウカの顔。
仲間を庇って、倒れていった戦士たちの姿。
太刀を振るたび、銃を撃つたび、その想いが全身を焼いた。
(喰われたままじゃ終われねぇ。俺が……全部、喰らってやる)
気づけば、身体が熱を帯びていた。
目が、鋭くなっていた。
——境界は、音もなく、崩れ始めていた。