19、事件
わたくし、甘えることにしました。人間関係をうまく築いていくコツとして、なんでも抱え込まないというのがあります。肩を貸すと言われたら、遠慮なく借りていいのですよ。
ノエルや使用人たちと仲良くできたのだから、ローランは幼い子たちの良き兄になってくれるはず。そう思い、子守りを任せることにしました。
初めのうち、幼児と接した経験のないローランは、こわごわ双子に近づきました。うちの子たち、動くお人形さんですから。クルクルの茶色い巻き毛に長いまつ毛、繊細な赤い唇が動くのですよ。しかも双子で、かわいさも元気も倍増です。
おチビちゃんたちは、今まで構ってくれなかったお兄さんが来たので大はしゃぎしました。さっそく、ローランの両手をそれぞれ引っ張って困らせます。
さあ、キャッキャッと笑い声をたてる双子は、猛烈な勢いでおしゃべりを始めましたよ。四歳はまだはっきり発音できません。聞き慣れている大人ならともかく、子供を知らぬ人には聞き取りづらいでしょう。
ローランは完全に圧倒されていました。マイアは外で縄跳びがしたいといい、エレクトラは人形を押しつけてきます。この二人、見た目は同じなのに性格が全然ちがうのですよ。マイアは男の子みたいに活発で、エレクトラは女の子らしいおしゃまさんなのです。
先にマイアがお願いしたので縄跳びをしてから、お人形遊びをすることで事なきを得ました。
おっと、胸をなで下ろしている場合じゃありません。わたくしは、ノエルに勉強を教えないと……
数日後には、ローランは双子のお気に入りになっていました。「ローアン、ローアン」と舌っ足らずに呼ぶ声が、毎日聞こえてきます。一つ困った点は、マイアとエレクトラでローランの争奪戦が始まってしまうことです。異性の奪い合いの激しさは子供だろうが大人だろうが、関係ありません。口舌荒々しいエレクトラに対し、マイアは手が出ます。叩いたり、髪の毛を引っ張る有り様になって、乳母が止めに入るのです。
ちなみに、実兄のノエルは妹たちにここまで執心されていません。ノエルは自分も子供ですから、妹たちの遊びに数分も持たないのですよ。
ローランは精神年齢が高いです。彼女たちの言葉を聞き、褒めてやり、楽しませることができます。自分本位ではなく、相手の要望を優先できるのです。
なぜもっと早く、子守りをお願いしなかったのかと、わたくしは後悔しました。
ローラン自身も役割を与えられることで、負い目が軽減されるようでした。妹という存在も新鮮だったと思われます。面倒な仕事を押しつけられたというより、楽しんで目一杯かわいがってくれました。兄弟特有の嫉妬や確執などもありません。
よそから来た特別なお兄さんという立ち位置なのでしょう。双子も多少遠慮しますし、ローランも一線を引くことができます。ちょうどいい具合に距離を保てるため、衝突しないのです。
ノエルもこれぐらい妹たちと仲良くしてくれれば……とは、思わないことにしましょう。
ローランのすごいのは、精神的な成長にとどまらないところでした。チェスはメキメキ上達し、ノエルでは遊び相手にすらならなくなりました。レオンも、もう勝てないんじゃないかしら? 先日、わたくしも負けてしまいました。手加減はいっさい、しておりません。
屋敷内でまともに戦えるのはわたくしの他は執事くらいしかいないので、実家のサロンに顔を出させるようになりました。あそこなら、そこそこ強豪が揃いますのでね。
祖父としての威厳を保ちたいのか、レオンは理由をつけてローランとの対戦を拒むのですよ。案外、子供っぽい人なのです。そんなところも、かわいいんですけどね。
ローランをチェスの大会に出したらどうかという両親の提案にはわたくし、悩みました。たしかに、全国7位のわたくしに勝てるぐらいの実力ですから、上位10位に入る可能性は高いです。
ただ、複雑な家庭事情があるので、あまり目立つ場所に連れて行くのは気が引けるのですよ。大会にはノヴォジャーナル(瓦版)の記者も来ますし、“侯爵家の私生児、チェス道に邁進す”とか、“隠し子、チェス界にて頭角を現す”なんて、書かれてはたまりません。
ローラン本人も公の戦いにそこまで興味がないため、積極的に勧めたりはしませんでした。そこら辺は九歳児らしく、正式な対局というものにピンとこないのでしょう。
今年はわたくしもレオンも、忙しくて大会には出場しませんでした。次年度の地区予選は冬に行われます。その時までにローランが興味を持ったら、考えることにしました。
しかし、そうこうしているうちに、社交シーズンは終わり、領地へ帰る時期が来てしまいました。
引っ越しの準備でバタバタして、それどころではありません。しばらく、チェスのことは忘れておりました。
乳母も自分の子の養育があるので、ローランにお願いすることがあります。子守りは結局増やさなかったのですよ。
手の空いた時は自分のできることをしようと思ったのでしょう。ローランは進んで双子の面倒を見てくれました。わたくしもローランを信用しきっておりましたから、完全に任せきりだったのです。
その日、馬車は邸内に二台止まっておりました。一台は引っ越しの荷物を運ぶもの、もう一台はたまたま訪れていた行商人の荷馬車です。お茶の時間に乳母と共に、ローランを呼びに行ったわたくしは、身体中の血が凍る思いをしました。
二台の馬車もろとも、ローランの姿が消えていたのです。
あとに残された双子の片割れ、エレクトラが泣きじゃくっていました。わたくしは駆け寄り、エレクトラを抱き上げました。
「あのね、マイアとローアンとあそんでいたの……ばしゃがおっきいね、すごいねーって……そしたら、ばしゃがうごいて……」
つたない言葉で説明するエレクトラは、けなげです。わたくし、愛らしい子を抱きしめ、乳母に預けました。
馬車の中で遊んでいるマイアをローランが連れ戻そうとしたところ、動き出してしまったのでしょう。大丈夫、子供を乗せていることに気づいたら、すぐに馬車は引き返すはずです。うちの馬車であれば、御者は子供たちを知っていますし、行商人も何度か屋敷に出入りしています。子供が荷台に乗っている異常事態を、放置するわけがないのです――
わたくしが気持ちを落ち着かせようとしていると、ふたたび目を疑う光景に襲われました。行商人が屋敷の玄関から出てきたのです。彼は執事か家政婦、はたまた料理長と話していたのでしょう。
蝋人形のごとく目を見開き、馬車のあったところを凝視する行商人を見て、わたくしは足元から崩れ落ちてしまいました。
「マイアが……ローランが……馬車に……」
うわ言のように、つぶやきます。無人の馬車がローランとマイアを乗せて、屋敷を出たのです。
「奥様! しっかりなすってくだせぇ! まだ、そんなに遠くへは行ってねぇはずです!」
わたくしは日焼けした行商人にもたれかかり、その声を聞きました。エレクトラを乳母に渡していてよかったです。ダメな母でごめんなさい。
馬をつなぐポールのところに千切れたロープが巻き付いていました。切り口はギザギザで、刃で断ったのではないとわかります。一見、動物の仕業に見えますが、昼間に動物がいたずらをするなど、田舎でも考えづらいことです。さらに、ここは王都。野生動物が現れる確率はかなり低いです。
理由はともかく、わたくしは動くことを選びました。
「馬を出すわ。すぐに追いましょう!」
子供を失った時、絶望してはいられないのです。我が身がどうなろうと、なりふり構わず、連れ戻そうとする、それが母親です。