ラブリー!
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(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)
1.辻井智彦
辻井智彦は、平日の動物園の象のようにゆっくりと歩いていた。すれ違う制服姿の群れを横目に、その群れとは逆の方向へのんびりと歩いて行く。天気がいいので学校へ行く気が失せ、途中でくるりと向きを変えたのだ。
くあ、と大口を開けてあくびをした瞬間、ものすごい勢いでぶつかってきた人物がいた。
いてーな、とか、どこ見て歩いてんだ、などと半ば定型文化した文句を発しようとしたのだが、目の前で倒れているのは、ショートヘアの女子生徒だった。膝までめくれ上がったセーラー服の長めのスカートの紺色から覗く白い脚が眩しい。自分とは明らかに違う生き物だ。女子には優しくしないとなあ、と智彦は思う。
「大丈夫かよ」
智彦は、スケベ心を押し隠しながら、なるべくそっけない声を出す。しかし、返事がないので心配になり、仰向けに倒れたままの女子生徒の顔を覗き込んだ。
「おい。もしかして頭打ったか?」
好みだ。気遣う言葉を口にしながら、智彦はそんなことを思う。ボーイッシュな美人。きりりとした眉は濃く、睫毛も濃い。堅そうな表情は少しキツめだが、そこがいい。思わず見惚れていると、智彦の顔を見上げる女子生徒の目の奥に、微かに怯えのようなものが見えた気がした。無理もない。人相の悪い金髪坊主、左耳に大きな金属のピアスを装備している自分の容貌に安心感を覚える女子など少数派だということを、智彦は自覚している。
しかし、「とりあえず立てよ」そう言って差し出した智彦の手に、女子生徒は驚くほど素直につかまってくれた。こんな俺の手を握ってくれた、頼ってくれた。これはイケるかもしれない。自分の思考に、あるわけねー、と少し笑いながら、結構ごつい手してんな、と握ったその手をまじまじと見てしまう。女子の手というのは、もっと小さくて頼りなくてやわらかいものだと思っていたのだ。そんで、と智彦は頭の中で女子生徒の容貌を品定めする。立ち上がってみると身長もまあまあでかい。智彦の身長は一般的にも高いほうなので、その智彦よりは小さいのだが、この女子生徒も女子にしては高身長だ。
「どうも、すみませんでした」
おずおずと智彦の手をほどき、意外と低めの声でそう言って、女子生徒はぺこりと頭を下げた。
「いや、別に」
智彦はそっけなく言う。自分は謝らない。そして、そのままくるりと向きを変え先ほどとは逆方向へ歩き出した女子生徒の後姿を眺めながら、しばらく逡巡した後、
「おい」
その姿勢のいい後ろ姿に向かって声をかけた。
「学校は?」
女子生徒は立ち止まって振り返り、智彦を見る。
「行かねーの?」
首だけを動かして、こっくりと頷いたその姿は、
「もう、どうせ遅刻なんで」
少々キツそうな外見とは異なり、なんだか儚げに見えた。かわいいな、と思う。智彦の胸の奥が、じんわりと熱を持つ。
それなら公園かどこかのベンチで少しおしゃべりでもしようじゃないか、とダメもとで誘ってみると、女子生徒はおとなしく智彦の後ろをくっついてきた。
これは、もしかしたら夢なのかもしれない。智彦は思う。ありえないことが起こっている。本来なら、自分のような男の誘いを受けてくれる女子なんて、いるわけがないのだ。しかも、こんな美人。
「辻井智彦、都市デザイン科の二年だ」
智彦が自己紹介をすると、
「たかおかゆうたです。機械科一年です」
公園のベンチ、智彦の右隣に静かに腰を下ろした女子生徒が言った。大人っぽく見えたが後輩らしい。しかし、女子で機械科というのもいなくはないが珍しい。
「ゆうた? って、どういう字書くの?」
女にしては珍しい名前だ。智彦は頭の中で漢字を次々に当てはめてみる。優多、友多、有多。なんか、「た」の部分に無理が生じるな。
「オスメスの雄に太いって字で、雄太です」
雄太か、字面も男らしい。そう思った時点で、さすがに気付いた。
「おまっ、おまえ、男か!?」
「あ、はい」
高岡雄太は、こっくりと頷いた。
騙された! 智彦は思う。完全に騙された。しかし、女だと思って優しくしました、下心ありまくりでした、なんて、格好悪すぎてとても言えない。そうとは気付かれないように、
「なんでそんなカッコしてんだよ」
智彦は気にしていないふうを装って冷静に尋ねた。
「辻井先輩は?」
「は?」
反対に聞き返され、智彦は重ねて聞き返す。
「辻井先輩は、どうしてそんな格好してるんですか」
雄太は、智彦の髪の色やピアスのことを言っているのだろう。智彦はそう判断し、「他人と話すのが得意じゃないんだよな」と答える。雄太が不思議そうな顔をするので、説明する。
「こういう格好してると、まず他人が寄って来ないだろ」
雄太は、こっくりと頷く。
「それでも寄って来るようなやつは、俺のことが気に入らないやつだけだ。インネンつけられたら殴っときゃいいんだから、簡単だ」
「なるほど」
感心したように雄太は言った。
「みんな、いろいろあるんだなあ」
しみじみとした雄太の口調に、実はさっきのは冗談で本当はこの人相の悪さからの誤解が重なりいつの間にかこんなふうになってしまっていただけだとは、とても言えなくなってしまった。
「セーラー服は、僕にとっての防御服なんです」
雄太は言った。
「僕、端的に言うと、いじめられてるんですけど」
「え、なんで。機械科だったら男ばっかだからモテるだろ。しかも、おまえみたいに美……」
言いかけて、智彦は口をつぐむ。そういや、こいつは男だった。いくら美人だからと言ってモテるわけがない。むしろ、男ばかりの空間では、この外見は充分にいじめの対象に成りうる気がする。
「見てのとおりの外見ですから、僕、女の子にモテるんです」
雄太はきっぱりと言った。智彦は呆気にとられて、雄太の顔を凝視する。
「クラスメイトの好きな子が僕のことを好きだったりとか結構あって。みんな、そういうのが気にくわないらしくて。だけど、どうしようもないじゃないですか、女の子のほうから勝手に好いてくるんだから。僕が悪いわけじゃない」
「いや、おまえな。それ、そのまま相手に言ったのか?」
雄太は憤然とした表情で、やはり首だけでこっくりと頷く。
「そうしたら、嫌がらせをされるようになって」
「ああ、まあ、そうだろうなあ」
智彦は、雄太をいじめているやつの気持ちがなんとなくわかってしまう。俺はどっちかって言ったら、あっち側の人間だからなあ、と智彦は思う。嫌がらせを実行するかしないかは、また別の話ではあるのだけれども。
「一度、女装をさせられたんです。もちろんいじめの一環です」
智彦は、黙って雄太の話に耳を傾ける。
「そしたら、みんなの僕を見る目つきが変わりました。男ばかりの空間に、突如、女の代替品が現れたんです。しかも美人。掃き溜めに鶴です」
「いや、美人とか掃き溜めに鶴とか、自分で言っちゃうんだ……」
智彦は力なく呟く。そういうとこだぞ、と言おうとして、やめた。今は雄太の話を聞こう。
「それでもやっぱり、この姿をおもしろがるやつはいます。いじめがなくなったわけではありません。だけど、この姿で」
智彦はセーラー服のスカートの裾をつまみ上げる。
「この姿で僕が涙の一滴でも流して見せると、そいつらの動きに一瞬迷いが生じます」
そう言う雄太の表情は、どこか誇らしげでもある。
「どうも、女の子をいじめているみたいで気分が良くないみたいです」
病んでるなあ、機械科。智彦は思わず空を見上げてしまう。だけど、こいつはたくましい。いささか発想が突飛ではあるが、自分で自分の身を守ろうとする心意気は素晴らしいと思う。
「それに、この格好で学校へ行くようになってから、女子にはめっきりモテなくなりました。いじめも、きっと……いずれ収まると思います」
願うように、祈るように言った雄太の横顔は、先ほどの気の強い発言からは想像できないくらい、弱々しく見えた。
智彦は、右手を伸ばす。そして、雄太の頭を自分のほうへ引き寄せ、犬にするみたいにわしわしと撫でた。
「おまえ、毎日がんばってんだなあ」
智彦が言うと、雄太は一瞬フリーズしたのち、破裂するようにわっと声を上げて泣き出してしまった。
「えっ、ちょ、なんで泣くんだよ」
予想外のことに慌てていると、目の前に制服姿の警官が立っていた。
「女の子が不良に絡まれてるっていうから来てみたら、辻井くんか」
智彦の顔見知りの警官だ。
「きみは、こういうことだけはしない子だと思っていたのにな」
警官は、雄太の肩に手を置き、もう大丈夫だからね、と優しく声をかけている。
「ちげーよ! 絡んでねーし! 女じゃねーし!」
慌ててそう主張する智彦の肩にがっつりとしがみついて、いやいやをするように首を振り離れようとしない雄太を見て、
「あらら、ひょっとして邪魔しちゃった? 痴話喧嘩だったのかな?」
警官は心底意外そうな表情で言う。
「それもちげーし! てか、意外そうな顔すんな」
「きみは辻井くんといっしょにいたいの?」
警官は雄太に確認し、雄太は泣きながら頷いている。
「わかった。ちゃんと仲直りして、彼女が泣き止んだら、ふたりで学校行くんだよ」
警官は言い、遠巻きに見ていた奥様方に、なにやら説明しに行ったようだった。きっと何かフォローを入れてくれているのだろう、と智彦は心の中で一応感謝する。
「泣くなよー」
智彦は、雄太の頭をわしわしと撫でる。
「先輩が、辻井先輩が優しくなんかするからいけないんだ」
雄太はそう主張する。
「今まで悪意と敵意しか向けられてこなかったのに、いきなり優しくされたら、そりゃこうなります」
「はいはい、ごめんなさいね」
みんな、いろいろあるんだなあ。少し前の、雄太の言葉を思い出す。こいつも、いろいろ溜め込んでいたんだろう。そう思った智彦は、雄太が泣き止むまで、その頭をわしわしと撫で続けた。
自分にしがみついて泣きじゃくる雄太を見て、智彦は思う。なんだよ、かわいいじゃん。
2.高岡雄太
「おーい、雄太。ちょっと来い」
昼休憩が終わる少し前だ。教室後方の入口で、目付きの悪い金髪坊主が手招きをしている。来いと言われたので高岡雄太は席を立ち、素直に入口へ向かう。教室のざわつきが少し気になったが、努めてなんでもないように振る舞う。
「なあ、今日いっしょに帰ろうぜ」
金髪坊主が言った。
「いいですけど、なんで?」
「ちょっとした頼みごとがあってよ」
この、先日知り合ったばかりの辻井智彦という男は、見た目は極悪人だが、実際はそう悪い男ではない。雄太はそう思っている。
先日、学校に遅刻しそうだった雄太はライオンに追いかけられるシマウマのように走っていた。遅刻などという悪目立ちすることは極力避けて通りたい、と雄太は思っていた。こんな格好をしていること自体がすでに悪目立ちしているのだから、それ以上の悪目立ちはいじめを増長させるだけだ。クラスメイトたちの醜悪な顔を思い出し、ぎしぎしと歯をくい縛る。十字路をぎゅんと右に曲がったところで、顔面、そして胸板が何かにぶつかった。跳ね返されるような激しい衝撃を感じ、気付いた時には視界全体に眩しい青空を捕えていた。一瞬、なにが起こったのか解らず瞬きをチカチカと数回繰り返す。遅れて、アスファルトにべったりとついた背中と尻にじんわりと鈍い痛みを感じ、雄太は自分が仰向けに倒れているのだと気付いた。
「大丈夫かよ」
上から降ってきた声には、その言葉の内容ほど心配した様子はなく、ただ単に儀礼的で面倒くさそうな響きだけがあるようだった。
「おい。もしかして頭打ったか?」
続けて雄太の顔を覗き込んだのは、目つきの鋭い坊主頭。しかも金髪。その左耳には大きなシルバーのピアスが重そうに揺れている。一目で、この人とは関わり合いになりたくない、と雄太の脳は判断する。しかし、その人物の表情や声音に、クラスメイトたちのような嘲りを含んだ醜さは感じられなかったので、「とりあえず立てよ」と差し出された手に、思わず素直につかまった。それ以来、始まるはずのなかった交流が始まったのだ。
「頼みごとって……やばいことなら嫌ですよ」
「全然やばくない。やばいことならおまえに頼まない」
先日のこともそうだが、この人は不良だけど妙に優しいんだよなあ、と雄太は思う。
「言いにくいんだけどさ、雄太にしか頼めないことなんだよ」
智彦の調子のいい言葉に、雄太の胸はうっかりときめいてしまい、頼みごとの内容も聞かないうちに、「わかりました」と頷いてしまっていた。いつもの自分なら考えられない。
放課後、雄太が智彦に連れて行かれたのは、繁華街のファミレスだった。
「やっぱ、ひとりじゃちょっとなー」
向かいの席に座った智彦が言った。メニューを広げてデザートの写真を眺めている。本当にやばいことじゃなくてよかった。安心しつつ、雄太はうれしそうな智彦の姿を眺める。
「雄太もなんか食べたいの注文しろよ。俺のおごりだ」
「辻井先輩、甘いもの好きなんですか?」
「実はそう。だけど、この外見だからな、あんま表立って食えねんだ」
おまえは甘いもの似合うよな、と細い目をさらに細めた智彦に雄太の胸はやはりときめく。智彦の言動にときめく胸を、雄太は自分でどう解釈したらいいのか迷っていた。
「見た目とか気にせず、好きなもの食べたらいいのに」
「イメージがあんだよ、イメージが」
「イメージかあ……」
見るからに不良の智彦と、見た目は美少女の雄太の組み合わせは、周囲からはどう見えているのだろう。雄太の性別が女であれば、このシチュエーションは普通にデートだ。
「クリームソーダにする。本当はパフェを食いたいが、今日のところはクリームソーダだ」
言いながら、智彦はメニューを閉じて、雄太に差し出す。
「どうして? パフェが食べたいならパフェを頼めばいいのに」
それを受け取りながら言う雄太に、
「馬ッ鹿、いきなりパフェとかハードル高いだろうが。少しずつ慣らしてくんだよ」
智彦は謎理論を展開する。
「わけがわからない」
わけがわからないが、少しかわいい。雄太は智彦のことをそんなふうに思う。
「クリームソーダは予行演習なんですか」
「うん」
「じゃあ、僕がパフェを頼んで先輩に少しあげますよ」
「あーそれ、女子がよくやるやつ!」
「いや、女子のことはよく知りませんけど」
「え、なんで、おま……」
言いかけてやめ、気まずそうに雄太から視線をそらした智彦を見て、雄太は複雑な感情を抱いた。この人は、無意識に雄太のことを女子だと思ってしまっている瞬間が度々ある。頭では雄太のことを男だと理解しているのだろうが、実際にセーラー服姿の美人を目の前にしていると、それの性別が男だということを脳が忘れてしまうのではないか。とはいえ、こういう格好をしている自分が紛らわしい存在だということに間違いはないので、
「僕は美人ですからね。仕方ないですよ」
フォローのつもりでそう言った雄太に、
「悪かったよ。自分で言うなって」
呆れたように返して、智彦は笑った。
程なくして、クリームソーダとチョコレートパフェが運ばれてくる。智彦は幸せそうな表情で緑色のソーダに浮かぶアイスクリームをスプーンでつついている。その姿を見て、胸がきゅっとせつなくなった。この人、笑ってると年相応にかわいいんだよなあ、と雄太は思う。
「はい、先輩。あーん」
チョコレートアイスクリームと生クリームを同時にスプーンですくい、雄太はそれを智彦に向ける。
「冗談やめろよ。自分で食えるって」
虚を突かれたように智彦が言う。
「冗談のつもりはないです」
「冗談じゃないならなんなんだよ」
智彦の言葉に、雄太は一瞬考える。まるでデートのようなシチュエーションだったので、デートのようなことをしてみたくなったのだ。しかし、雄太はデートというものをしたことがなかったので、このようにベタな行動に出てしまった。そう思い至ると途端に恥ずかしくなって、雄太の頬は熱くなる。
「い、嫌ならいいですよう」
弱々しく言って、スプーンを引っ込めようとした雄太の手首を掴み、智彦はそのままスプーンを自分の口に持って行く。
「うまい」
智彦は言って、雄太の手首を離す。
「辻井先輩の人たらし」
雄太は真っ赤になって言う。
「なんだそれ。そんなん初めて言われたわ」
智彦は意に介した様子もなくへらへらと笑っている。
「雄太、もう一口ちょうだい」
本当に人たらしだ。そう思いながら、雄太は再びパフェをスプーンですくう。
「はい、あーん」
「なあ。その、あーんていうの、どうしても言わなきゃなんないの?」
おかしそうに言って、智彦は口を開ける。
「こういう時は、あーんて言う決まりなんです」
「はいはい、そうですか」
軽く流すように言って、智彦は雄太の差し出したスプーンを咥える。
本当に、周囲からはどう見えているのだろう。カップルがいちゃついているように見えているかもしれない。そうだといいな、と雄太は思う。そして、その瞬間に、自分が智彦に好意を抱いていることを真正面から自覚した。
「今度はドーナツ、いっしょに食べに行ってくれよ」
支払いを済ませ、ファミレスを出たところで智彦が言った。
「よろこんで」
脊髄反射でそう返事をした雄太に、
「なんだよ、雄太も甘いもん好きなんじゃん。よかったー」
智彦が言った。甘いものが好きだというよりも、智彦と過ごす時間が好きだ、と雄太は思った。
3.辻井智彦
かわいいな、と智彦は思う。放課後のドーナツショップのテーブル席。目の前で大口を開けてドーナツを頬張る高岡雄太を眺める。こんなにかわいいのに、こいつなんで男なんだろ。世の中うまくいかないものだ。そんなことを思いながら、智彦は自分の皿のドーナツにかぶりつく。
前払いだったため、テーブルに着くまでに支払いで一悶着あった。
「この前はごちそうしてもらったので、今日は僕が出します」
「いいって。こっちが付き合ってもらってんだから」
それに、雄太に出させるのは、なんだか女子に払わせているようで微妙な気持ちになる。そして、そんな気持ちになることも、なんとなく雄太に申し訳ないと思ってしまう。
「確かに僕は後輩ですけど、そんなにごちそうになってばかりも悪いです」
雄太は頑なだ。
「わかった。それなら、お互い自分のぶんだけ払おうぜ」
智彦の折衷案に雄太は頷いた。
雄太が男だということは理解しているつもりだが、時々女子として見てしまっている自分もいる。好きでセーラー服を着ているわけではない雄太に、そんな感情を抱いてしまうことに対し、智彦は罪悪感のようなものを覚える。
雄太は近所のスーパーマーケットの裏に、夜になるとキツネが出るという話を、興奮気味にしている。
「自分で話しといてなんですけど、こんな話おもしろいですか?」
ふいに雄太が言った。
「おもしろいっつーか、楽しいな」
智彦は素直に答える。
「楽しい?」
「好きなもん食いながら、雄太の話を聞くのは楽しい」
そう言うと、雄太はとろけそうな笑顔を見せる。よろこんでいるということがまるわかりで、智彦もうれしくなる。ずっと見ていたい、と智彦は思う。美人は三日で飽きると言うが、雄太は見ていて飽きるということがない。
「気になってたんだけど、おまえのその制服って、どうしたの? 買ったの?」
制服は安いものではないので、自分のことではないがなんとなく気になってはいた。
「僕、姉がいるんです。姉も卒業生なんで、姉のお下がりをもらいました」
「そうなんだ」
金銭が発生していないことに安心した智彦だが、新たに気になることが出てきた。
「姉さんや家族は、おまえのその格好なんも言わねーの?」
「みんな、似合うって言ってくれます」
「そうか。まあ、似合うけどさ」
雄太の返答に、智彦は笑う。その流れで、いちばん気になっていたことを尋ねる。
「そういえば、最近いじめのほうはどうなんだ」
「陰口とかはなくなりませんけど、目立った嫌がらせはありません」
雄太の返事に、ひとまず安心する。
「僕が辻井先輩と仲良くしているせいか、手が出せないみたい」
そう言って雄太はちょっと悪そうにニヤリと笑った。そういう表情もいい、と智彦は思う。かわいいじゃん。
「虎の威を借る狐みたいで、ちょっと情けないですけど、実際助かってます」
「俺みたいなのでも、なんかの役に立つことがあるんだなあ」
思わず智彦は言った。自分が雄太の役に立てたのなら、それはうれしいことだった。
「役に立つとか立たないとかは関係なしに、僕は先輩のこと好きですよ」
「ふ」
不意打ちで言われた言葉に、吐息のような声が出た。
「初めて言われた」
智彦は言った。そして思う。雄太が男でなにが悪いのか。男でも、別にいいじゃないか。目の前の雄太は、照れくさそうな表情で微笑んでいる。
ドーナツショップを出て、少し歩く。今度は雄太とどこへ行こう。そんなことを考えながら智彦はすたすたと歩く。雄太の意見も聞こうと、
「なあ、雄太」
横を見ると、ついて来ていると思っていた雄太の姿がいつの間にか消えている。後ろを振り返ると、代わりに気弱そうな眼鏡の男が立っていた。智彦と同じ高校の学生服を着ているので、駄目もとで雄太がどこに行ったのか尋ねようと口を開きかけた時、
「葉根高の向坂という人から伝言です……」
男子生徒が弱々しく震える声で言った。
「伝言?」
葉根高の向坂なら知っている。以前、同じ高校の男子生徒に絡んでいるところをぶん殴ってやったら、それ以来、なにかとこちらに絡んでくるようになったのだ。
「女を返してほしかったら、ひばりが丘公園の展望台にひとりで来い、とのことです」
おそらく、なにもわからないまま見ず知らずの不良に脅されて伝言だけを言い遣ったらしい男子生徒に、「わかった」と短く返事をし、智彦は歩き出す。
腹の底のほうから、怒りがふつふつと湧いてくる。雄太に手を出した向坂に対してもだが、自分に対しても、智彦は腹を立てていた。自分といっしょにいる雄太を見て、それが智彦の弱点だと思わないほうがおかしい。そんなことにも気付かず、雄太を危険な目に遭わせてしまった。
4.高岡雄太
智彦とドーナツショップを出て歩き始めたところで、智彦との間に学生服姿の男が割り込んできた。他校の制服だ。顔を上げると男の肩越しに智彦の後姿が見える。男を避けて智彦を追いかけようと身体を動かすと同時に後ろから羽交い絞めされるようにして引っ張られ、気付いたら軽ワゴン車の後部座席に押し込まれていた。なにが起こったのかわからず、雄太は眼球だけをくるりと動かす。タオルを持った手で口を押さえられていて、声を上げることができない。試しに声を出してみたが、くぐもってうまく響かない。上半身は羽交い絞めにされているため、勢いよく足をバタつかせると、
「おとなしくしてろよ。大丈夫だから」
そう言われ、両足首を粘着テープでぐるぐる巻きにされてしまった。こんな状態で大丈夫だからと言われても、信じられるわけがない。そもそも、なにが大丈夫なのか全くわからない。
「ちょっと、やめてよ。女の子拉致るなんて聞いてないよ。犯罪だよ、これ」
運転席の男が情けない声を出した。
「向坂ちゃんがみんなで展望台に遊びに行こうって言うから、おれ車出したのに」
「ごちゃごちゃうっせーな、誰だよこいつ誘ったの」
「いや、向坂くんだって。こいつしか免許持ってねーから、騙してでも連れて来いって」
「逆になんでこいつは持ってんの?」
「ダブってるからだよ。言わせないでよ」
「だっさ。車もだせーし」
「おい、車の悪口は言うな。じいちゃんに借りたんだよ。じいちゃんだって、車をこんなことに使うなんて思ってないよ。おれ、じいちゃんを悲しませるようなことしたくないよ」
「うっさい、もう。いいからさっさと車出せって」
男たちが三人でごちゃごちゃ言い合った後、軽ワゴンは発進した。口のタオルは外され、息を吸い込んで声を上げたが、
「騒ぐなって。大丈夫だから」
今度は粘着テープを貼られてしまった。感触が不快だ。ふすふすと鼻で息をしながら、タオルのほうがマシだった、と雄太は思う。腕も後ろ手に回され、粘着テープで足首同様ぐるぐるとやられてしまう。自分はどうなってしまうのだろう。おそらく彼らは自分のことを女子高生だと勘違いして拉致したと思われる。三人とも高校生のようで、主犯は先ほど名前が出た向坂という人物なのだろう。そこまで状況を把握して、やっと恐怖が押し寄せてきた。乱暴目的だろうか。自分が男だとわかったら、彼らはどうするのだろう。智彦は、自分がいなくなったことにすぐに気付いてくれただろうか。
連れて行かれたのは、高台にある、ひばりが丘公園だった。軽ワゴンから降ろされると、乗っていた三人と同じ学生服の男が待っていた。展望台の下まで連れて行かれる。こいつが向坂なのだろう、と雄太は思う。移動の度にぴょんぴょんと跳ねていたら、足首の粘着テープだけは外してくれた。しゃがみ込んでカッターナイフで粘着テープを切る向坂の頭頂部を眺めながら、雄太はなんだか嫌な気持ちになる。嫌悪にも恐怖にも似ている。スカートが長めなのが救いに感じた。逃走防止のためか、雄太を羽交い絞めにしていた男が雄太の腕をずっと掴んでいる。
「あんた、辻井のオンナだろ」
立ち上がった向坂が放ったその一言で、智彦の彼女かなにかと間違えられて自分は今こんなことになっているのだと理解できた。しかし、違うと返事をしようにも、口は粘着テープで塞がれている。なので雄太は否定の意味で首を横にぶるぶると振った。それを恐怖による仕草と捉えたらしい向坂は、
「大丈夫だ。あんたにはなんも変なことしねーから。こっちは辻井さえ引っぱり出せればいいんだ」
雄太を安心させるようにそう言い、
「おまえらも、オンナには手ぇ出すんじゃねーぞ」
他の三人にもそう言って牽制している。「そうだよ、絶対だめだよ。無傷で帰してあげようね」と、運転手の男が重ねて念を押していた。雄太にとってはありがたい提案だ。ひとまず、ほっとする。
自分が智彦をおびき寄せる餌として拉致されたらしいということを理解した雄太は、考え込んでしまう。果たして、自分がそういった人質になり得るのだろうか。女の格好をしてはいるが、雄太は男だ。そんなもののために、智彦がわざわざ敵地に乗り込んで来るだろうか。そう考えて、きっと来るだろう、と雄太は思う。智彦はきっと来る。来てくれる。根拠はないが、雄太はそう確信していた。
しかし、来てほしくない、とも思う。思ったよりもひどいことにはならなそうだが、智彦がここに来たとして、果たして智彦は無事に帰れるのだろうか。自分という人質のせいで、智彦が一方的にやられるなどということになりはしないだろうか。
智彦はきっと来る。だけど、来ないほうがいい。相反する思いが、口に貼られた粘着テープのせいだけではなく、雄太を息苦しくさせる。
5.辻井智彦
ひばりが丘公園へ向かう途中に智彦の通う学校がある。そこで野球部の古い金属バット失敬して、ひばりが丘公園までの坂道を智彦は全力で自転車をこいでいた。
公園に到着し入口の生垣の外に自転車を停め、一旦息を整え額の汗を拭う。努めて余裕そうな表情を作り生垣の影を出た智彦は、金属バットを引きずって向坂へと歩み寄る。向坂も智彦のほうへ歩み寄ってくる。展望台の下に立たされている雄太を見ると、口に粘着テープを貼られており眉が不快そうに歪んでいた。
「辻井。おま……エモノ持ってくんのは卑怯だろ」
金属バットを見て向坂が言った。
「卑怯なのはそっちだろ。俺の仲良し拉致っといて、どの口が言ってんだ」
「こうでもしないと、おまえ来ないじゃんか」
「無意味な喧嘩はしたくねーんだよ、疲れるから」
智彦は言った。
「でも、そいつに手ぇ出したんなら話は別だ」
わかってはいたが、実際に雄太の自由が奪われているのを見ると、腹の底が煮えたぎるような怒りを覚える。
「最初から、この子にはなんもするつもりはねーよ。おまえを呼び出すのをちょっと手伝ってもらっただけだ。こっちは、おまえを一発殴れたら満足なんだ」
「本当だな?」
「ああ」
「わかった。俺のこと一発殴っていい。その代わり今後一切、そいつには関わるな」
智彦は言った。雄太が解放されるなら、なんでもよかった。しかし、
「違う、そういうんじゃない」
智彦の言葉に、向坂は否を唱えた。
「なんだ、どういうのだよ」
「俺とタイマン張れって言ってんの」
「うざ。またそれか。そういう面倒なのいいって。喧嘩疲れるし。早く殴れよ。んで、そいつを離せよ。なんか嫌なんだよそいつが拘束されてんの! 俺以外のやつに触られてんのも嫌だし!」
怒りに任せて感情を爆発させると、こっちが恥ずかくなるようなこと言うなよ、誤解すんな逃げないように持ってるだけだって、どうしたんだよ辻井、腐抜けちゃったのかよ、などとあちら側が騒ぐ。自分のこの状態が腑抜けだと言うならば、自分は確かに腐抜けてしまったのだろう。雄太と過ごす時間が楽しくて、喧嘩の絶えない日常がひとつも楽しくなかったことに気付いてしまったのだ。雄太と出会ってからは、なるべく暴力沙汰は起こさないようにしていたが、やはり過去の自分がやってきたことの落とし前はつけなくてはいけない。
「もっかい言うぞ。俺とタイマン張るんなら、オンナを返してやる」
向坂が言った。こいつもいい加減しつこいな、と智彦は思う。向坂をぶん殴ったあの日から、向坂は、タイマンタイマンと智彦に絡みに絡んできていた。今まで面倒でスルーしていたが、この辺で決着をつけてもいいのかもしれない。
「だったら、さっさと終わらせようぜ」
もともと威嚇用で、余程のことがない限り使うつもりのなかった金属バットを放り出し、智彦は向坂に向かって行く。
6.高岡雄太
目の前で始まる殴り合いに、雄太は目を閉じてしまいそうになった。智彦が殴られるところなんて見たくない。しかし、最初に一発殴られた後は、智彦の独擅場だった。無駄のない動きで、向坂の鳩尾にボディーブローを入れると、今度は軽い感じで、ちょんと拳で触れるように顎にフックを入れた。向坂はそのまま倒れてしまう。
仰向けに倒れたまま起き上がらない向坂に他の三人が駆け寄った。展望台の下にひとり取り残された雄太は、突っ立ったまま動けずにいた。
「怖い思いさせてごめんね。警察には言わないでね。向坂ちゃんも、これで気が済んだと思うから」
運転手の男が戻って来て、雄太に向かって拝むように手を合わせた後、腕の粘着テープを切ってくれた。そして、また向坂の元へと戻ると、その身体を抱えて軽ワゴンの後部座席に押し込む。
「雄太!」
智彦が雄太を呼ぶ。口の粘着テープを自分ではがし、
「辻井先輩……!」
雄太も智彦の名を呼んだ。駆け寄ってきた智彦に全力で抱きつく。智彦の手は所在なさげに宙に浮いたままだ。
「本当は、危ないのになんで来たのって言うところなんでしょうけど」
軽ワゴンのエンジン音がして、車が走り去るのが見えた。
「来てくれてうれしかった。うれしかったです」
「悪かった。怖かったろ」
智彦の腕が動き、雄太をやんわりと包むと頭をわしわしと撫でられる。
「迷惑かけてごめんなさい。僕が、もっと気を付けてれば」
「おまえのせいじゃない」
強い口調で智彦は言い、次に、
「雄太。おまえ、もう俺といないほうがいいかもな」
ため息を吐くようにそう言った。やわらかい口調だが、突き放すような内容に、
「嫌です。嫌だ。なんで?」
雄太は脊髄反射で否を唱える。
「なんでって……。またこういうことがあるかもしんねーだろ」
「でも、また助けに来てくれるんでしょう?」
「まあ、来るけどさ」
雄太の言葉に智彦は困ったように笑った。
「おまえが危ない目に遭うのは、嫌なんだよ」
「僕なら平気です。一応男だし」
「性別は関係ねーよ。俺はおまえに、雄太に危ない目に遭ってほしくないって言ってんの」
その言葉に、たまらなくなった雄太は洟をすすり、泣きそうになりながら、背伸びをして智彦の唇に自分の唇を押し付ける。
「先輩、かっこいい」
智彦は驚いたように細い目を見開いている。
「あ、ご、ごめんなさい。嫌、でしたよね……」
急に不安になり、そう言うと、
「嫌じゃない。おまえにならなにされてもいい」
智彦は表情を和らげてそう言った。
「贖罪的な意味で?」
なにをされてもいい。それは、今回のことで智彦が自分に罪悪感を抱いているから出た言葉のように感じた雄太は、そう尋ねる。
「贖罪? いや、まあそれもあるけど」
智彦は少し考える様子を見せ、そして、
「俺はおまえが好きだからさ、かわいくてかわいくて仕方ないから、なにされてもいいって思っちゃったんだよな」
困ったようにそう言った。雄太の脳は一気に興奮して、弾け飛びそうに急激に熱を持つ。
「でも、おまえ、俺みたいなのにかわいいって言われるの嫌だろ?」
「嫌じゃないです。先輩にそう思われるのはうれしい。僕も、先輩のことかわいいって思ってますし」
雄太の言葉に、智彦は複雑そうな表情を見せ、「……後で詳しく聞こうか」とだけ言って、情けなさそうに笑った。
「帰りましょう」
雄太は言って、智彦の手を握る。智彦は嫌がらずに手を繋いでくれた。途中で金属バットを拾い、そのまま少し歩いて、公園の入口に向かう。
「後ろに乗せてやりたいけど、二人乗りは怒られるからな、お巡りさんに」
そう言って雄太の手を離し、金属バットを学生服の背中に差し込んで固定した智彦は、自転車のハンドルを握って歩く。歩道を並んで坂道を下りながら、これでは手を繋げない、と雄太は残念に思う。なんだか気持ちがむずむずと落ち着かず、代わりに智彦の学生服の裾を掴むと、
「かわいいな」
それを見た智彦が、思わずという感じに呟いたので、雄太はうれしくなってしまう。
「辻井先輩、クリームソーダとかドーナツとか、またふたりで食べに行きましょうね」
照れ隠しにそう言うと、
「馬ッ鹿、次はいよいよパフェだよ」
智彦はにかっと笑って言った。智彦の年相応の無邪気そうな笑顔を、雄太はやはりかわいいと思うのだ。
「好き」
脊髄反射で出た雄太の言葉を聞いて、智彦はただ笑っていた。
了
ありがとうございました。