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 1 臆病な逃亡者は騎士と出会う



 神様から与えられた助言を読み取ることができる者を、この世界では『アレス』或いは『アレスの魔女』と呼ぶ。

 そのひとりであるエレネは、目の色が左右で違う。これは彼女がアレスであるという証のようなものだ。エレネの場合右が黒で左が赤だ。



 五年前まで彼女の左目は緑色だった。

 額から目に流れ込んだ血が、彼女の瞳を赤く染め替えてしまった――





「東に向かって『おまえなんかお呼びじゃない』と叫べ」


 意味がわからないまま、読み取った言葉をそのまま依頼人に伝えてから目を開ける。


「以上です」


「成程」


 男がそう言った途端に、彼の手の甲に浮かび上がっていた黒いしるしが消え失せた。その手が上に持ち上がるのをエレネはぼんやりと目で追う。

 狩人にしては上等な服を着た髭面の男は、非常に満足げに笑うと、わしわしと力任せにエレネの頭を撫ぜ始めた。


(……首……くびがもげる)


 エレネは両手で頭の上の大きな手を押さえる。触れる度に思う。全く荒れてはいないけれど、普段から武器を持っている者の手だ。この人は一体何者なのだろうかと。


「さすが俺のアレス、神官が祭具使っても読めなかったものを読み取るのか」


「私はアルゴのアレスではありません。そして、あの拡大鏡みたいな祭具使っても読めないのは……この神様、字に独特の癖があるせいです。あと言葉遣いも庶民的なので、お上品な方々には理解しがたいのでしょうね」


 エレネはそっけなくそう言って、ぽいっとばかりに頭の手をどかす。


「ふーん、エレネにはそう見えるか」


 頬杖をついて、狩人っぽくしているが、絶対に狩人ではない男は意味ありげにエレネの目を見つめた。当然エレネも相手の目の中を覗き込むことになる。

 村に住む人たちとは、明らかに違う。立ち居振る舞いに品がある。彼はエレネの心の傷を刺激しないように、わざと庶民のフリをしてくれている……本当は、こうやって普通に口をきくことなど許されない身分の人なのだと思う。

 アルゴという名前も本名かどうかはわからない。


 ――エレネは過去に色々あったせいで、貴族が怖い。追われる身だから、誰かと一緒に暮らすこともできない。


 彼は村外れに一人で暮らすアレスを気にかけて、月に何度か様子を見に来る。その際、彼女が飢えないように干し肉やら保存食やらを大量に運んできてくれるのだ。


「これからどんどん日が短くなる、夜更かしするなよ? いつも言っているが、寝る前にはちゃんと戸締り確認しろ!」


 ちょうどエレネと同じ年の娘がいるので、嵐の夜などは心配で眠れなくなるのだそうだ。その気持ちは大変ありがたく思う。……だが、実はエレネはそんな子供でもないのだ。


「アルゴ、毎回言っていますが、私、子供ではありませんよ? 前の人生の記憶が残っているので、私は精神的にはアルゴより年上です」


 この体に生まれてからは二十二年目。それに加えて、エレネはこの体に生まれ変わる前の人生の記憶を持っている。それは昔読んだ絵本の記憶のようにぼんやりとしているから、享年何歳であったのかまでわからないが、足せばアルゴより年上になるだろう。ふふんと胸を張ってそう言ってやると、とても残念なものを見る目で速否定された。


「……いや、それはない。精神年齢と実年齢が等しくない人間なんて山ほどいる。エレネはふたつの人生合わせても確実に俺より年下だ」


「失礼な!」


「そういう所が子供っぽいんだ。……うちの娘と変わらんな。そうそう、今度また会いに来るとか言っていたから、相手してやってくれ」


「相手しろと言われても……ミディア、ここ来るとずーっと寝てます」


「ここだと安心して眠れるんだそうだ。寝せてやってくれ。おまえのことが好きなんだよ。だからわがままに振る舞う」


「……わがまま言われた覚えはないですよ?」


「他人の家でずっと寝てれば、それはわがままだろう?」


「ここの家主はアルゴなので、他人の家なのは私なのではないかと思うのですが……」


「細かい事を気にするな……」


「来た時より数段元気になって帰って行かれるので、毎回、良かったなとは思いますよ」


 エレネが小さく笑うと、「ま、そういうところが気に入ってるんだろうな」と、アルゴは頬杖をついたまま目を細めた。ああ、父親の顔だなとエレネは思う。気ぬけた柔らかい表情がよく似合う人だ。もう少し若くて既婚者でなければ、きっとときめいた。


 アルゴはポケットを漁ってコインを数枚テーブルの上に置く。エレネはコインを数をしっかり数えて、その内の二枚をそのままテーブルの上を滑らせるようにして彼の手元に戻した。試された訳ではないとはわかっている。多分、実際にお金を扱うことに彼は慣れていないのだ。


「ああ悪い」


「正規料金以上を受け取ったことが神殿にバレると、アレスの資格をはく奪されるんですけど。最悪火あぶりなんですけど!」


 じっとりと睨みつけてきつめの口調で言ってやるが、アルゴは悪びれる様子もなく笑って、コインをポケットにしまって立ち上がった。

 アレスは神殿が行う認定試験を受けて合格した者しか名乗れない。しるしを読み取る料金も国によって定められており、これもまた違反していることが神殿にバレてしまうと、資格剥奪の上、あまりに悪質と判断された場合は、火あぶりにされてしまう……らしい。


「さすがに火あぶりはここ数十年ないから安心していい。でも金じゃなければいいなら、それこそなんでもありだろうに……」


「宝石や貴金属や贅沢品もダメですよ? 衣類やお酒や食料あたりは制限ないみたいですよね。そこが法の抜け道というやつなのではないですか? 物もダメって話になったら、私、あっという間に飢死にしてしまいますよ……いつも食料ありがとうございます」


「食料尽きそうな頃にまた様子見に来る。風邪ひくなよ! お腹出して寝るなよ!」


「だから、子ども扱いしないで下さい」


 むっとエレネが眉を寄せると、アルゴはエレネに背中を向けて片手を軽く上げた。


「娘と同じ年頃なんだから、俺からすれば子供。じゃあな!」


 そのまま彼は店を出て行く。パタンと閉まるドアを見て、エレネはちいさくため息をついた。

 



 ――この世界の神様たちは人々に助言を与える遊戯(ゲーム)をしている。

 昔、年嵩のアレスがそう教えてくれた。


 その意味はよくわからなかったが、別の世界を知っているエレネからすれば、この世界の神様は親切で優しい。

 人生の壁にぶつかった時に、神様が祀られている場所に行って真摯に祈りを捧げれば、道を切り開くための助言を与えてくれるのだ。

 神様たちも大変だなとエレネは思う。

 例えそれが他人から見れば些細な悩みであったとしても、真摯な祈りが神様のもとに届きさえすれば、手の甲に『しるし』が現れる。そのしるしを神官に見せれば、祭具を使ってその『しるし』に込められた神様からの助言を正確に読み取ってくれるのだ。


 しかし、人間には「荘厳な神殿まで行って神様に相談する程ではないかも……」という悩みも多い。例えば「浮気がバレて妻が一週間口きいてくれません。機嫌を取るためには何をプレゼントしたらいいですか?」とか、「あの人と両想いになるにはどうしたらいいですか?」いうような……

 そういう場合、人々は神殿に行かずに、古い遺跡や祠に祀られた土着の神様にお供え物をして祈りを捧げてから、アレスを頼るのだ。助言を正確に読み取るという点においては、祭具を使ったものより格段に劣るが、かかる費用は神殿に行くよりかなり安く済む。


 失くしてしまったネックレスは今どこにありますか。彼と結婚するためにはどうしたらいいですか。病気はどうしたら直りますか、明日のデートはどこに行けばいいですか……


 依頼者は真剣に悩んでいるのだが、神殿まで行って献金という名の高いお金を払うのはちょっと……というような者たちがアレスの元を訪れる。 


(この世界の神様……本当に親切だなぁ)


 お客が来る度にエレネはその思いを強く持つ。アレスはその人が神様に何を願ったことまではわからないけれど、解決の助言が『妻の機嫌が直るまでひたすら家事を手伝え』であったりすると、借金か? 浮気か? などと色々想像してしまったりはする。


 アレスの中にはエレネのように、所謂前世の記憶を持っている者がちらほらと存在するのだが、きっとそれは、この仕事にはある程度の『人生経験』が必要とされるからだ。


 前世の記憶があるから、エレネはどんなお客に対してもある程度冷静に対処することができる。


 助言を受け入れられず怒り出す人、泣き崩れる人、毎週のようにやってきては毎回同じ助言を与えられる人、自分に都合のいいように捻じ曲げて解釈する人……

 その人の人生が、良い方へと向かうように神様は助言してくれているのに、素直に受け入れられる人は実はそれほど多くない。「いや、そうじゃなくて!」と怒りを覚えるようなことも多い。


 ――上手くいったら神様のおかげで、上手くいかなかったら全部アレスのせいになる。


 そこを割り切るためには……二つ分くらいの人生経験は必要なのだろう。





 エレネの店は人里から少し離れた場所にあるから、真剣に解決の糸口を探している人たちが訪れる。大きな街の大通りにあるような店は、気軽に足を運べる分助言の内容も軽いものが多い。当然そういう店の方が繁盛するので、沢山のアレスを従業員として雇っている。


 その方が生活は安定するに決まっている。

 でも、エレネはもう二度と、他のアレスと一緒に仕事をする気はなかった。


 この辺りは治安が良くて暮らしやすい。領主が防犯に対して非常に高い意識をもっているためだ。近くの村に住む人たちは、エレネを気にかけて毎日のように様子を見に来てくれるし、巡回の騎士たちも二日に一度は必ず顔を出してくれている。ありがたいことに、エレネがここに店を構えて三年経つが、怖い目にあったことは一度もない。


 その日エレネの元を訪れたのは、まだ新しい軍服を着た若い男性だった。紺色の軍服は巡回してくれている騎士と同じものだ。それだけでエレネはほっと安堵して肩の力を抜いた。いくら治安がいいとはいえ、男性に対しては警戒心を持っておく必要がある。


 彼は静かにドアを開けて店内に入って来ると、丁寧にドアを閉めた。

 年はエレネより少し若いだろうか。女性に好まれそうな非常に整った容姿をしている。些細な仕草の中にも育ちの良さが表れていた。エレネとは異なる階級で生きている人の匂いがする。


 指先が震えはじめてしまう。エレネは一度強く手を握った。

 落ち着け、と心の中で自分に言い聞かせる。すべての貴族がいきなり物を投げつけてくるわけではないのだ……と。


 彼はドアの近くで立ち止まったまま動こうとしない。いきなり距離を詰めて若い(中身はそうでもない)女性を警戒させないようにしようという配慮が見えた。


「しるしを読み取っていただきたいのですか、お願いできますか」


 かなり緊張している様子だが、好感の持てる穏やかで丁寧な話し方だった。騎士たちは皆とても礼儀正しい。選抜試験の中で最も重要視されるのは、人格者であるかどうかということなのだそうだ。


「はい。こちらへどうぞ」


 エレネが呼びかけると、青年の方も少し緊張を解いた様子で、物珍しそうに店内を見回しながらカウンターの前に進んだ。



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