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いいつたえの、白い花

作者: 月原レイ

 懐かしい夢を見た。

 雪が解け始めた春の日。揺り椅子に座った祖母が、幼い僕の頭を撫でて言い伝えを教えてくれた夢だ。

「その木にはね、白い花が咲くと言われているんだよ。雪みたいに真っ白で、冷たい花。花に触って、溶ければ願い事が叶うって言われているの──」



 やわらかな朝の光が射し込み、少年──アデルは目を覚ました。

 起き上がって、ぼんやりと窓の外へと目を遣ると、春の花々が花壇や町並みを明るく彩っている。

(願いが……叶う……)

 アデルは、諦めたようにため息をつく。

 視界の端で、茶髪を2つに結んだ少女がバスケットを持ってこちらへ歩いてくるのが見えた。

 アデルは幼馴染みの少女──ニーナを見るなり、ベッドから飛び起きて着替え、玄関へと走っていった。

 コンコン、と木のドアを叩く音がすると、母のケイトがドアを開ける。

「おはようございまーす!」

「あら、おはよう。こんな朝早くに、どうしたの?」

「これ、うちで作ったピクルスです。少しですけど、よかったらどうぞ!」

 ニーナはバスケットから、瓶に入ったピクルスを取り出す。

「いつも、ありがとうね」

 父親を早くに亡くしたアデルの家庭に、ニーナの母親は、自家製のピクルスやパンをたまにおすそ分けしてくれていた。

 ケイトが瓶を受け取った所で、アデルは玄関へと顔を出す。

 今しがたベッドから飛び起きた様子など見せないように、あえてゆっくりと、玄関へ歩いていった。

「おはよう、ニーナ」

「アデル!おはよう」

 ニーナはアデルをしばらく見つめると、可笑しそうに吹き出した。

「アデル……。もしかして寝起き?」

 笑いを堪えながら指摘するニーナに、アデルは慌てふためいた。

「ちっ違うよ!とっくに起きてたさ!」

「髪の毛が飛びはねて、鹿のツノみたいになってるわよ?」

 アデルは「え!?」と声を上げ、薄茶色の自分の髪を慌てて手櫛てぐしで整える。

 その様子に、ケイトまでくすくすと笑い出し、アデルは涙目になりながら顔を赤くした。

 ふとケイトは笑うのを止めると、寂しそうにニーナを見る。

「来週、引っ越すんでしょ。寂しくなるわね……」

 ニーナも寂しそうに笑う。

「はい……。でも、こっちにおばあちゃんがいるから時々遊びに来ます!」

 ニーナは明るく言うと、アデルを見た。

「手紙書くから、返事ちょうだいね!」

「わ、分かったよ……」

 アデルは気恥ずかしさから、仕方ないといった様子で答える。

 しかし、その返事に満足したのか、ニーナは満面の笑みでアデルを見た。

「お邪魔しました!」

 ニーナはケイトを見上げ、くるりと背を向けて帰っていく。

 アデルは玄関先に出ると、寂しげな表情でニーナの後ろ姿を見つめた。


 

 その日の午後。

 アデルは、キノコを採りに1人で森に入った。

 何度目かも分からないため息をつきながら、ぶらぶらと歩く。

 ふと、視界の端で白い光を捉え、アデルは興味本位に光の方へと歩いていった。

 白い光の正体を見て、息を飲んだ。

 雪のように真っ白な花が、満開に咲き誇っている。

 日の光を反射して、きらきらと輝いていた。

「本当にあったんだ……」

 周りを見回したが、真っ白な花の木はそれ1本だけだ。

 花のせいなのか、空気がわずかにひんやりとしている。

 しかし、冷たさと共にふわりと優しい香りが漂ってきて、不思議な心地良さがあった。

 木に近づいて、花をじっくりと見る。

 手の平ほどの、百合のような花だ。

 おそるおそる花に触れると、春の日差しに全く溶けなかった花が一瞬にして水になった。

(願いが……叶う……)

 水が手や腕を濡らす感触など気にする事もなく、アデルは祈りを込めて呟く。

「ニーナと……ずっと一緒にいさせてください……。遠くへ、連れて行かないでください……」

 風が吹き、花が微かに揺れる。

 はっと我に返ったアデルは、この事をケイトに報告しようと踵を返した。



「ただいま!」

 アデルは、高揚した気分のまま家に駆け込んだ。

 珍しく興奮して帰ってきたアデルを見て、ケイトは驚いた表情で洗い物の手を止めた。

「おかえり……。何かあったの?」

 アデルは、きらきらした目をケイトに向ける。

「母さん!見つけたよ!おばあちゃんが言ってた白い花!」

 ケイトは訳が分からなそうに眉をひそめて、首をかしげた。

「白い花?」

「そう!雪みたいに真っ白で、冷たくて、触れて溶けたら願いが叶うんだ!ニーナは引っ越しなんてしない!」

 するとケイトは、悲しげな表情でアデルの前にしゃがみ込み、目線を合わせた。

「アデル……。ニーナと離ればなれになりたくないのは分かるわ。でも、仕方ない事なの」

 ケイトはアデルを抱きしめる。

「ニーナも『時々遊びに来る』って言ってくれてるし、私たちも、いつか会いに行きましょう」

 言った事を信じてもらえなかったアデルは、拳を震わせ、乱暴にケイトの腕から抜け出した。

「本当に見たんだ!願いが叶う!」

 アデルは自分の部屋に駆け込むと、不機嫌にベッドに寝転がった。

 


 翌日。

 アデルは、町の広場で偶然ニーナに出会った。

 他愛ない話をしながら、ニーナの口から喜ばしい知らせを聞くのを、アデルはずっと待っている。

 しかし、いくら待っても、その知らせが話題にのぼる気配がない。

 アデルは意を決して、ニーナに問いかけた。

「ニーナ!……やっぱり……引っ越すの?」

 ニーナはきょとんとした表情を浮かべると、気落ちしたように「……うん」と頷いた。

 まだ、願いが叶っていない事にアデルは内心肩を落とす。

 だが、それを気取られぬように「そっか」と素っ気なく答えた。

 次の日も、その次の日も、ニーナからの喜ばしい知らせを期待して、アデルは同じ質問を繰り返した。

 だが、答えは変わらない。

 最初は肩を落とすだけだった期待感も、そろそろ絶望感へと変わり始めている。

「ニーナ……。やっぱり……引っ越すの……?」

「だから、そう言ってるでしょう?」

 毎日同じ質問をされ、ニーナも苛立ってきていた。

「アデル、最近どうしたの?同じ質問ばかりして」

 ニーナの怒った表情など見たくなくて、アデルはゆっくり踵を返す。

 「何でもないよ……」

 アデルは、とぼとぼとその場を去った。

 明日、願いが叶わなければニーナは引っ越してしまう。

 アデルは教会に立ち寄ると、その不安をはじき出すように必死に祈る。

 しかし、とうとうその日はやってきてしまった。

「今まで、お世話になりました」

 ニーナは、見送りに来たケイトとアデルに向かって深々とお辞儀をする。

「こちらこそ、色々ありがとう。元気でね。」

 ケイトは寂しそうに笑いながら、小さな包みを渡す。

「これくらいしか返せないけど、クッキーよ。向こうへ行く途中にでも、食べてちょうだい」

「でも……。ありがとうございます。」

 ニーナは包みを受け取ると、嬉しそうに微笑んだ。

 そして、アデルをしっかりと見る。

「アデル。元気でね」

「……ニーナもね……」

 ニーナは寂しそうに笑い、くるりと背を向けて歩いていった。

 アデルはニーナの後ろ姿を目に焼き付けながら、ポツリと呟いた。

「なんだ……。叶わないじゃんか……」



 ニーナが引っ越して、1年が経つ。

 雪はすっかり溶けきり、春の花々が花壇や町並みを明るく彩っている。

 最初は続いていた手紙のやりとりも、時が経つにつれて段々と減っていった。

 今では、手紙は1通も来ない。

 遊びにも来たらしいが都合が合わず、結局ニーナには会えなかった。

 ニーナとは、離れ離れなままだ。

 白い花は見間違いだった。

 きっと、歩きながら夢でも見ていたのだ。

 アデルが虚ろな表情で洗い物をしていると、コン、コンと、木のドアをゆっくりノックする音が聞こえた。

 アデルは面倒臭そうにため息をつき、ドアへと向かう。

「はい。どなたですか」

 面倒臭そうにドアを開けたアデルは、目の前の人物を見て硬直した。

 ニーナが、いたのだ。

「久しぶり!元気だった?」

 ニーナは、アデルに変わらない笑顔を向ける。

「おばあちゃんが腰を悪くしちゃってね、私だけこっちに戻ってきて、一緒に暮らす事にしたの。これからまた、よろしくね!」

 アデルは泣きそうになりながら、思わずニーナを抱きしめる。

「おかえり……!ニーナ……!」

 ニーナは驚いたが、すぐに嬉しそうに微笑み「ただいま」と呟いた。



 あれから10年。

 アデルは教会の十字架をぼんやりと見つめ、白い花を見つけた日の事を思い出す。

 ニーナとずっと一緒にいたい、という願いを、あの花は叶えてくれた。

 明日、アデルとニーナは結婚する。

 2人は椅子に寄り添って座り、ニーナは愛おしそうにアデルの肩に頭を預けていた。

「ねぇ……不思議な話をしても良い?」

 ニーナは、少し恥ずかしそうに話を切り出す。

「どうしたの?」

 アデルはニーナを見た。

「引っ越す前の日にね、森の中で不思議な木を見つけたの。雪のように真っ白で、冷たい花が咲いた木。その花に触れて溶けたら願いが叶うって、おばあちゃんが言ってた。」

 アデルと同じ言い伝えを、ニーナも知っていた。

 その事に驚きながら、アデルは「そうなんだ」と呟く。

「花に触ったらね、溶けて、水になったの。──何をお願いしたと思う?」

「……さぁ……。」

 アデルは願わくば、と胸を高鳴らせながら、ニーナに聞き返す。

「何を、お願いしたの?」

 ニーナは、恥ずかしそうに小さく笑う。

「──『アデルと、ずっと一緒にいれますように』って、お願いしたのよ。」

 アデルは驚いた。

 そして、自分と同じ事を願ってくれたニーナの肩を優しく抱きしめた。

「ありがとう。ずっと、一緒にいよう」

 ニーナは頷くと、幸せそうに微笑んだ。



 雪が解け、花が町並みを彩る季節が今年もやってきた。

「もう、50年になるんだなぁ……。」

 アデルは揺り椅子に座り、金婚式に集まった子供や孫達を見回す。

 最後に、サイドテーブルに水を持ってきたニーナへと目を遣った。

「ありがとう……。」

 しみじみとした声で伝えると、肘掛けに置いた手にニーナの手が重ねられた。

「どういたしまして。これからも──よろしくね。」

 ニーナはそう言って微笑むと、娘に呼ばれて外の畑へと出て行った。

 その後ろ姿を見つめていると、入れ違いに、孫娘のミリアがぱたぱたと駆け寄ってくる。

「おじいちゃん!『いいつたえ』って何ー?」

 唐突に質問をしてくるミリアに、アデルは「昔から伝えられているお話の事だよ」と優しい表情で答えた。

 アデルは祖母を思い出し、ミリアの小さな頭を撫でる。

「どんなお話なのー?」

 ミリアは肘掛けにしがみつき、目をきらきらさせて尋ねてきた。

 アデルは少年の頃に思いを馳せ「お話ではね」と、静かに語り出した。

「その木には、白い花が咲くと言われているんだ。雪みたいに真っ白で、冷たい花。花に触って、溶ければ願い事が叶うって言われている──」

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