反転
「フェローネ湾に、沈めるぞ……」
帰りの馬車の中。眠りから覚めたノーディス事務次官は、ダフネオドラ王子を名乗る少年が最後に言った言葉を、口に出した。
「どうされました、事務次官?」
「いえ。なぜ、王国の彼が、その言い回しをできるのかと、疑問に思いましてね」
あの時は、頭に血が上っていて考えなかったが、今にして思うと、不思議である。
なにせ、その言い回しは、かの国の者がよく使う言い回しであったからである。
「フェローネ湾といえば、あの、野蛮な国にある湾でしたか」
タグレ外交官が、口にするのも嫌というように、顔を歪めて言う。
「ええ……魚がよく獲れますが、それは、海に沈められた反逆者どもの肉を食べているからだ、とも言われています」
「なるほど、物騒なあの国らしいですね」
と、笑いながら、タグレ外交官が言った時だった。
がたん!!
馬車が急に止まり、ノーディス事務次官と、タグレ外交官は、床に投げ出された。
「一体どうしたというのですか?」
どうにか起き上がって、御者を見ると。
「……あ、あ」
御者は、まるで、怪物でも見たような声を出して、ただひたすらに、前を見ていた。
埒があかない。タグレ外交官に中にいるように言って、ノーディス事務次官は、馬車を飛び降りた。
そして。
剣先が、突きつけられる。
「長旅ご苦労様です、ノーディス事務次官。あ、もう事務次官ではありませんね」
太陽の光の恩恵をこれでもかというほど受けた、麦穂のような色の髪。高貴な金茶の目を細めて笑う美少年は、彼の国の、第三王子である。
「おら、とっととタグレさんも出してくださいよぉ。元・エール共和国の事務次官さん?」
同じく、嗜虐的な笑みを浮かべてそう言うのは、彼の国の第一王子。その言い回しで、目の前に見えているものが幻影ではないのだと、ノーディス事務次官は、わからせられてしまった。
憎いくらいに綺麗な青空にはためくのは、見慣れたエール共和国の旗ではない。それは、自分たちが蔑んだ者達が、勝手に掲げていた旗である。
それが、国境よりあちら、つまり、エール共和国のあったところに、掲げられている。
「は、はは……」
ノーディス事務次官は、膝から崩れ落ちた。
『勿体ないなぁ』
あの少年が言っていたのは、このことだったのだ。だからあの少年は、自分を怒らせ、交渉を失敗に導いたのだ。
それが何のためかはわからない。だが、愚かなのは、自分達だったのだと、自覚した。
なにせ、自分達は……亡国の使者として、外交をしていたのだから。
「の、ノーディス事務次官?」
馬車の中から、おそるおそる、タグレ外交官……だった人間が出てくる。
「タグレさん」
いっそ笑みを浮かべて、ノーディスは、言った。
「私たちは、北エール共和国で……どんなポジションを貰えるんでしょうね?」




