罪
がごんっ、と重たい音がして、草に覆われた地面がぱこっと割れた。
思わず声をあげようとした女の口を押さえて、ヤボクは、戦闘態勢に入った。
「いや待て。何をしようとしているかはわかるから」
特段焦っていないような声が聞こえたその後に、男がのっそりと顔を出す。その顔は。
「か、カレー好きの人ッ!」
ぱっと、女の口から手を離した。へなへなと力が抜けて、地面に座り込んだ。
「よ、良かったぁ〜、俺、わけわかんなくて、なんでコルムバ元侯爵がここに!? って混乱してて」
ゆっさゆっさとカレー好きの人を揺さぶる。揺さぶられているのに、カレー好きの人は微妙な微笑みを浮かべて、ヤボクを宥めてくれた。
「うん、うん。それは悪かったな。それは後で説明するから、早くこの中に入るんだ」
降りた先は、当然ながら暗闇……と、思いきや、壁全体が、ぼんやりと青く光っていた。
「うわぁ、綺麗ですね」
「もしかして、これって」
感心するヤボクと反対に、震えた声を出す女。
「噂には聞いていましたが……まさかここが、旧時代の」
「鉱山だ。だから、坑道がある」
坑道。確か、鉱物を掘り出して、運搬するための道だったか。カレー好きの人は、勝手知ったる顔で、すたすたと坑道の中を歩く。トロッコが走れそうな線路は、残念ながら、枕木は朽ち果て、レールは錆びて使い物にならなくなっていた。
ヤボクは、目を細めて、光の正体を探った。光は、ぽつぽつと配置されている。そうして、わかった。
「光ってるのは、石ですか?」
「そうだ。燐光というらしい。綺麗だが、人間の罪の証でもある」
「罪……?」
「旧時代の罪です」
重々しい声で、カレー好きの人の説明に付け加えてくれたのは、ヤボクの服の袖をぎゅっと握っている女だ。彼女は、まるで怖いものでも見るみたいに、壁にある石を見ていた。
「私たち人間が、おかしてしまった罪。紫外線よりももっと強い光を浴びてしまった石が、その力を中に溜め込み、なお、光り続けているんです」
「紫外線よりも、もっと強い光?」
「何もかもを、殺し尽くす光です」
「そんなものが、人間世界にあるんですか?」
ヤボクは、びっくりしていた。そんな話、オーリア様にも聞いたことがない。
「というか、旧時代って? 何に対しての旧時代なんですか?」
「なんだ、吸血鬼は知らないのか」
なんてことのないように、カレー好きの人は言った。
「人類はな、一度滅びたんだよ」
「正確には、俺たちの前に、俺たちとは違う言語や習慣、技術を持つ人類がいたことが推測されている。大陸各地で見つかる旧時代の遺物は、俺たちの理解では追いつかない代物ばかりで、あまりにも、俺たちの文明とは隔絶されている」
さらっと爆弾発言をしたカレー好きの人は、またもや爆弾発言を重ねてきた。
「この鉱山は、旧時代の鉱山なんだ。といっても、金だのなんだのは、もう取り尽くされた山らしい。そんな痩せっぽっちの山に、ある日、天から光が降り注いだのさ」
その光は、またたく間に人間を殺し、動物を殺し、虫を殺し、植物を殺した。地表にいる者だけでなく、地中にいる者でさえも。
「眠っていたがらくたの鉱石が、もう一度光り輝くようになった、とのことだ」
「詳しいんですね」
「昔、知り合いから聞いたんだ……着いたぞ」
水の音が聞こえたと同時に、ちょろちょろと流れる、一筋の川が見えた。川といっても、ヤボクの腿の付け根くらいまでの太さしかない。不思議なのは、その川が、妙にきらきらと光っていることだ。ヤボクは、その川を覗き込んだ……光る石など、どこにもない。
「この川は、どうして光ってるんですか?」
「さあ、どうしてだと思う?」
含み笑いをするカレー好きの人。
「触ってみれば、わかると思うぜ」
「絶対触っちゃダメです!!」
いっそう、ヤボクの袖が強く引かれた。女は、カレー好きの人を非難するような目で見た。
「吸血鬼だったら、大丈夫かもしれないけれど……触ったら最後、体の外と中から、破壊されます」
「く、詳しいんですね」
訳ありそうなカレー好きな人ならともかく、女の方は、普通の王国民だと思うのだが。
「……それが、旧時代の罪ですから」
旧時代というのは、ずいぶん嫌われているんだなぁと、ヤボクは思った。
ーーあれ、でも、これって。
ヤボクは、気付いた。
「その、旧時代って、だいたい何年前なんですか?」
「ああ、旧時代はなーー説明したいところだが、残念。それはまた後にしようか」
言われて、ヤボクは気付いた。
ずり、ずり……何かを、引きずる音がする。相当重いものを引きずって、こちらに近づいてくる。坑道の中は明るい。だから、ヤボクはすぐに、音の主を把握できた。
「……っ」
「血の臭いは、吸血鬼にはご褒美じゃないのか?」
せせら笑うのは、真っ黒な瞳のルーラー。彼が右手に引きずっているのは、人間の男だった。それも、息絶えている。
すぐにわかったのは、ヤボクの鼻がいいからだ。男からは、死んだ血の臭いがした。
人間が、人間を殺す。
トラメルが話していたことが、現実になった。
死んだ人間は、幾度も見てきた。この男よりもかよわそうで、幼い人間も。だがそれは、吸血鬼に殺された人間であって……レーテに殺された、子供たちであって。
「おい、大丈夫か」
ヤボクが固まっていると、さして驚いた様子のないカレー好きの人が声をかけてくれた。
「これからお前は、こいつを追っ払わなきゃいけないんだぞ」
「……へ?」
そりゃそうだろう、と、カレー好きの人は言う。
「俺がお前を助けたのは、被検体にしないということもあるが、こういう目的もあった」
「え? え?」
ヤボクは、ルーラーから視線を外さずに、戸惑っていた。
「俺の見立てでは、俺がこの男に勝てる確率は限りなく少ない。だから、お前に戦ってもらおうと思ってな」
淡々と、カレー好きの人はそんなことを言った。
「ち、ちょっと待ってください、無理ですっ、無理無理無理! あの人すごい怖いですもん!」
「いや、お前は吸血鬼だろう。大丈夫、殺さない程度に嬲って、二度と反乱なぞ起こさないようにすればいいんだ」
「ハードル高くありません!?」
「直接手を汚すのが嫌なら、そこの水にでも沈めるといい。あっという間に死ぬぞ。じゃあな」
ひらっと手を振って、カレー好きの人は、女を連れてとっとと先に行ってしまった。
残されたヤボクは、
「ひっ!?」
突如、目の前に飛んできた水を、間一髪で避けた。ぽたぽたと地面に落ちる水は、きらきらと光っている。間違いない、あの水だ。
ーーまじかよあの人!?
見れば、ルーラーは、楽しそうに、ヤボクに向かってワインボトルを振っていた。それは多分、同盟幹部の酒飲みが飲み干した後のもの。
一歩間違えば、自分もそれを被りかねないというのに、躊躇いなく、ワインボトルを振りかぶる。放たれた水を被らないようにするのに、ヤボクは精一杯だった。
ーー人間って、こんなに強いものなのか!?
恐怖をどこかに置き忘れてきたかのようなルーラーは、本当に、ヤボクの知っている人間なのだろうか。
ーーで、でも、ワインボトルの水なんて、すぐに尽きる。
「水が尽きたところを狙えば、昏倒ぐらいは狙えるかもしれない」
「ーー!」
思っていたことをぴたりと当てられて、ヤボクは顔を青ざめさせた。ルーラーは、前髪をかき分けた。その、余裕そうな仕草。
「殺す気でかかってこい。じゃないと、お前が死ぬぞ」
あの背中は、こんなに頼りなかったっけ。
シアは走る。やっと見えた背中を目掛けて、風のように。
「コルムバ侯爵ッ、待って、行かないでッ」
手を伸ばせば届く距離。振り返った彼は、儚げに笑い、
ふっ、と、姿を消した。




