イケメン無罪
美少年の血は美味しい。と、いうことは、美少年には価値がある。
「俺は美少年にならねばならないというわけですよ、ティアール公爵」
「なぜそれを僕に言う?」
迷惑そうな公爵は、侵入してきたトラメルの首根っこをひっ掴もうとした。が、トラメルはそれを華麗に回避。吸血王との追いかけっこで鍛えられた俊敏さの前には、イケメンも敵わないのだ。
何か一つ勝てることを見つけて、トラメルは満足した。
「実際どうなんすか、美少年って優遇されるんですか」
「お前が知ってもメリットが無いだろうに……優遇されるよ。レーテの“お友達”の私室はお前と同等だし、見目の良さを保つためにたくさん投資をされるからな」
「美少年無罪ですか、やったあ!」
「お前は無罪じゃないだろ」
「ティアール公爵の目は節穴ですかぁ?」
「美少年にならねばならないと言ってただろう。ということは、現在自分が美少年でないことを自覚しているということだ」
はっと口に手を当てるトラメルに、ティアール公爵は勝ち誇ったような顔をした。
「美少年以前に、お前はここをどうにかした方がいいな」
形のいい頭を指して、公爵はそう言った。
いつの間にか部屋の隅に追いやられていて、むんずと首根っこを掴まれる。
「僕の勝ちだ」
「いや、俺の勝ちです」
ぶらん、とぶら下げられながら、トラメルも勝ち誇る。げんなりした顔をされた。
「お前のその自信はどこから来るんだ……」
「さあ?」
むかしむかし、とんでもない自信家がいたから、トラメルもそうなってしまっただけである。
トラメルは、ぶら下がりながらティアール公爵を見た。
「うーん、似てるような、似ていないような……」
「?」
「俺様なところは似てますよね」
「誰と比較してるんだ」
「俺の友達と」
お前、友達いたのか、なんてびっくりしてくる失礼な公爵に蹴りをかましつつ(倍で返された)、トラメルはしゅたっと着地。
「今日のところはこれで勘弁しておいてやりますよ。命拾いしたな!」
「あ、待て、レーテを呼んだから……って、聞いてないし……」
ティアール公爵の元から去ったトラメルは、鼻歌を歌いながら王城を闊歩。
勝手知ったる王城を歩き、メイドの更衣室を覗き、浴室を覗き、誰もいないことにがっかりする。
ーーなんにも変わってないなあ。
王城をそのまま乗っ取っただけはある。王族の私室も、客室もそのまま。まあ、あれは客室ではないんだけど。
ーーやっぱり、俺の勝ちだな。
トラメルはひっそり笑った。鼻歌の曲調を変えて、るんるんとスキップ。
この二年間で、もともと詳しい王城に、さらに詳しくなった。もう全部の部屋を探したといってもいい。地上の部屋は、全部。
それでもあいつは見つけられない。家畜小屋にも姿はない。だからたぶん、あいつは繁殖係になっている。すごくイケメンだったから、たぶん女の子たちにモテモテなんだろう。
「うん、だから、大丈夫」
脳裏に、昨日の図鑑少年が見せてくれたページが思い浮かんだ。
誰かの血。わざと塗りたくったような、不自然な血の跡。
「……」
あれは違うし、もしそうだとしても、美少年無罪だしイケメン無罪。
あの頭おかしい銀髪女は、何か手立てがあるようだった。だったら、それを利用してやる。
トラメルは後ろを振り返った。保護者が迎えに来ている。大きな胸に頬擦りしながら、トラメルは思った。
ーーレーテを出し抜いて、あいつの復讐とやらを完遂させる。
「トラちゃんは、ティアール公爵のことが好きなんですか?」
「うん? なんで?」
「毎日のように突撃していってるから」
お昼ご飯である。
今日のご飯はカレー。スパイスのたっぷり効いた香りに、トラメルはお腹を鳴らした。
「からかうのにちょうどいい相手だからね、彼は」
「公爵をからかおうとする精神、ぶっちゃけドン引きっス。命が惜しくないんスか?」
「王族でさえからかった男だぞ、俺は」
何か違うことを考えたらしい。お届け係の少女は、「ああ……」と、遠い目をした。
「吸血王様もからかい倒してますもんね」
「俺は至極真面目だぞ。繁殖係になりたい。それで、人間の女といちゃこらするんだ」
「そういうところ、素直に尊敬するっス」
「その言い方からして尊敬してないぞ」
トラメルはカレーを口に入れた。むず痒い視線を感じて、少女を見る。
いつもなら、トラメルが食べるところを見ていかない少女は、じっとこちらを見てくる。
「美味しそうっスね」
「俺が?」
「カレーが」
「美味いよ。食べる?」
スプーンを向けると、少女は首を振った。
「私は吸血鬼っスから……」
「じゃあ、カレーを食った俺の血を吸えば間接的にカレーを食べたことになるな」
ほれ、と腕を差し出せば、少女は苦笑い。
「なんだか、自分が馬鹿らしくなってきました」
「お前も昼飯食えばいいじゃん。そういえば、誰の血吸ってるの?」
「罪人たちの血です。トラちゃん、自分の身は大切にね? ほいほい自分の身を差し出したらダメっスよ。トラちゃんは、レーテ様のものなんだから」
「俺は俺のもんだよ」
なんてことを格好つけて言うと、少女は咎めることもなく笑った。
「知ってる」
「リリー。最近、レーテの飼い猫に懐いてるようだけど、お前の主人は誰?」
「ナザル様です」
答えて、リリーはぎゅっと目を瞑った。次に来る痛みに備えて。
「っ……」
「死ぬしかなかったお前を拾ったのは誰?」
「ナザル様です」
ごめんなさい、ごめんなさい、とリリーはうわ言のように繰り返す。首筋に噛みつかれながら、リリーは涙を流した。ナザルと呼ばれた男は、それに満足そうに笑う。
「やはりお前の血は美味しいね。と、同時に、私は失望せざるを得ない。お前は、こんなに美しい姿になったのに、どうあっても家畜から抜け出せない。早く吸血鬼になりなさい。中途半端な存在ほど、見苦しいものはないのだから」
「はい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「良い子だ。早くここまで上がっておいで」
頭を撫でられて、リリーは思った。
苦しい、つらい。でもきっと、死ぬよりは辛くない。私は上手に死ねないから、あの人みたいに、上手には。
ーートラちゃん。
リリーは、ナザルの服をぎゅっと掴んだ。
耐えられない屈辱と、死への恐怖を天秤にかけながら、美味そうにカレーを頬張る姿を思い浮かべた。
ーーはやく、はやく。
「何を考えているの?」
「ナザル様……ご主人様のことです」
少年のことを考えるときだけ、リリーは辛くなかった。その日が待ち遠しくて。
ナザルの胸に抱かれながら、リリーは、暗闇で笑った。
ーーはやく、ここまで堕ちてきて。




