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彼だけがまともだと、俺だけが知っている。

「良心、良心ねぇ」


シザーは、背中を丸めて、くつくつと笑っていた。まったくもってくだらない! そんなものを堂々と標榜するトラメルも、そんなものに負けた自分も!


「結局、あの女の言う通りだったってことか」

「あの女?」

「いや、こっちの話」


ペトラ・シモン。同盟メンバーにならないことを選択した吸血鬼は、以前、シザーにこう言った。


『順番を間違ったわね』


あの時はわからなかったが、今思えばそれは、このことを指していたのだ。


シザーがトラメルのことを殴らなければ、いや、そもそも、ヤボクがシザーとルーラーに直接会わなければ、計画は上手く行っていたのかもしれない。ヤボクが、当初の計画通り、幹部とも下っ端とも交流できる“中立状態”のペトラを介して、彼らに接触していれば。その最悪な本性を知られないで、幻滅されずに済んだのかも。


だが、実際は違った。トラメルは、ヤボクにルーラーの恐ろしさを直に伝えることを選択し、背後から頭を殴られることで、ヤボクの同情を引いたのである!


「やられましたよ、まさか、頭を殴られるだけで吸血鬼を仲間に引き込むとは」

「いや、俺が王子だってことも話して同情引いたんだけど」

「何話してんですかぁ!」


シザーは、思わず机を叩いて立ち上がった。アホなのかこいつ!?


「もしもヤボク・カルザがそれをレーテに話したら? あんたは弱みを握られて終わりだったかもしれないんですよ!?」

「声がおっきいぞシザー君。わかってるよ、でも、ヤボク君は信用できるから」

「はぁーっ……」


シザーは、でかいため息をついて、椅子に座り込んだ。アホだアホだと思っていたが。


「吸血鬼の力を借りるとか、レッサリアの王族が情けない……」

「その吸血鬼にしてやられるとか、レッサリアの草が情けない!」

「……それはそうですね」


シザーは素直に受け止めた。結局は、ヤボクを所詮は吸血鬼と思っていた自分たちの負け。いや、


「これは、お前の失態だ」


再び、パイプを鼻先に突きつけられる。トラメルは、シザーの目を真っ直ぐに見ていた。


その言葉が言わんとすることに、シザーはすぐに勘づいた。嫌な汗が流れる。


「俺は、ナザルお義兄様にこのことを報告しないつもり。なんでかわかる?」

「あの人に、報告するからでしょ」 


ルーラー。自分と同じ、レーテのスパイに。


正直言って、シザーは吸血鬼を恐れてはいない。任務を全うするためなら喜んで死ぬ、それが、レッサリアの諜報員に刻まれた共通理念だ。シザーが脱獄を選ばなかったのは、殺されることによって、任務を全うできなくなることを恐れたからである。別に、ナザルに殺されることぐらい、どうってことない。


だが、あの男は。あの人は。


「あの人、どっちなんだろうね」


パイプを指で弄びながら、トラメルは言う。


「レーテの純粋なスパイか、それとも、レッサリアのスパイか」

「さあ。殿下のことを、銀貨三十枚で売られるって言ってたからには、こっち側の人間なんじゃないですか。人間が人間を売るってことに関しても」 


吸血鬼側に、あんな男がいたらたまったもんじゃない。その意味を込めて、シザーは言った。


「でもあの人、犯罪組織の首領をやってたらしいじゃん?」

「レッサリアの諜報部隊にかかれば、経歴の詐称くらいは朝飯前ですよ」

「……そりゃそうか」


何かを考える顔で、トラメルはそのことに同意した。まだ、こちらの把握していないことを隠しているのだろう。


「だけど、あの人は破滅主義者だからなぁ」

「破滅主義者?」

「十字架を背負った農夫の話だよ。特等席の話」


なんてことのないように、トラメルが言う。確か、ヤボク・カルザへの謎かけだったはず。


「それ、どういう意味なんですか?」

「え、わかってて笑ってたんじゃないの?」

「なんとなく空気読んでました」


だって、怖かったんだもん。「えっ、えっ、それってどういう意味なんですか? 何の喩えなんですか?」とか訊こうものなら、シザーはたぶん今頃死体になっている。


ーーまあ、この人は堂々と訊くんだろうけど。


目の前の少年を前にして、少しだけ笑いが漏れるシザーである。


だが、この少年は、ルーラーさんの謎かけの答えを理解しているらしい。


「俺だったら、『せっかく背負ったのに!』って言うよ。だけど、ルーラーさんはアイツらに似てるから、そうだな。こう考えるんじゃないかな。『俺は、ひとごろしに携わることができた』ってね。ルーラーさんが、ヤボク君の答えを笑ったのは、正解と真逆だったから。ルーラーさんは、自分が農夫になることで、処刑場の特等席を確保しようとしているんだ」

「……つまり?」

「銀貨三十枚で売られるのは、俺じゃない。だって、俺はルーラーさんになんにも背負ってもらってないからね」

「……」


つまり、つまりだ。


「ルーラーさんが、もしもレッサリアの草だとして。あの人が、勝ち馬に乗る性格だと思う?」

「いえ……あの人が背負ってるのは、レッサリアが処刑されるための十字架ってわけですか」

「ご名答」


トラメルが、ぱちぱちと拍手をする。


「そう考えると、農夫の話をしたことも頷けるよね」

「逆はどうなんですか? 調子に乗ってるレーテを処刑したいとか」

「あるだろうね。だけど、もしレーテを処刑したとして、次に狙われるのは誰かってことを考えると」

「……神の子が死んでも復活したように、農夫が十字架を背負う相手も、無限に出てくるってわけですか」

「そういうこと」


トラメルは、至極楽しそうな声で言った。シザーには、その神経が信じられなかった。


「よく平気でいられますね。殿下は怖くないんですか? 身近にそんな化け物を飼っていて」

「どうせ俺の周りは敵だらけだし」


帰ってきたのは、諦観だった。シザーは半眼になる。


「……俺は、どこぞのチョロい吸血鬼みたいに、同情で味方になったりはしませんよ」

「わかってるよ。だから、お前には同情以外で味方になってもらう。これは脅しだ。ルーラーさんにお前を売られたくなければ、俺の味方になれ」

「断ります。レッサリアを裏切ることはできない」

「これだから草は……お前、今自分の立場わかってる? 俺はお前を殺すって言ってるんだよ?」

「祖国のためになるのなら」


頑迷なシザーに、トラメルは肩をすくめる。


「はぁー、わからず屋さんめ。だから、俺が言ってるのは、お前が使命を果たせなくなるから、俺の味方になれってこと。現状、レッサリアのスパイとして機能してるの、お前くらいだよ。一人は懐柔されたし、一人はお神輿ひっくり返したい病だし。つまり」


トラメルは、シザーのことを指さした。


「レッサリアのスパイでまともなのは、お前だけだ!」

「っ……!」


シザーは、この時、初めて揺れた。そう言われると、そうな気がしてきた。ていうか、懐柔されたスパイって誰だ。


ルーラーさんは、この任務が終わったら本国に牙を剥きそうだし。そもそも、トラメルが留学した後に同志達が入国したはずなのに音沙汰ないし。やっと会えた(仮定)ルーラーさんは(以下略)だし。


「レッサリアの草って、まともな奴がいないのか?」

「あのクソアホ兄弟が飼ってる人間だぞ。まともなわけないだろうが」

「祖国のために働こうとしてるやつは」

「ペットは飼い主に似る」


その言葉は、どんな言葉よりも金言に思えた。そうだ、国王ならともかく、やべえ兄弟に育てられた奴もまたやべえのである。


「てことは、俺もやべえ奴ということになるのでは?」

「お前はまだ軽症だ。安心しろ。クズにはクズだけどね」


笑顔でばっさり切ってくるトラメル。


「人を自殺に追い込む奴は、クズ以外の何者でもないよ。それがたとえ任務のためだとしてもね」


だけど、とトラメルは一区切り。


「俺もまたクズだ。だって、さっきお前を殴ったのは、頭ぶん殴られた仕返しだもの」

「……」

「だから」


その言葉をはかりかねていると、トラメルが立ち上がって、手を差し出してきた。シザーはちょっとだけ迷って、その手を取った。


「後悔しますよ」

「そうかもしれない。だけど、後のことなんて考えたら前に進めないからね」


もっともらしいことを言うトラメルは、やっぱり、まともじゃない。


「よろしくね、ええと」

「シザーズ、でいいですよ。さすがに、ルーラーさんの前では呼ばれたくないですけど」

「……本当に、それでいいの?」

「はい」


男は笑った。




『お前は今日からカタバサミだ。わかるか? 片刃しかないから、シザー。おあつらえ向きの()()があって良かったな』

『もう片方の刃は、“良心”です。諜報員に一番いらないものですからね。はぁー、本当なら僕が王国に、ぶつぶつ……』




「それで、いいです」

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