春の花のページ
後半はちょっとシリアス
「は? 結婚? なにそれ、我知らないよ?」
いつものごとく侵入した王城で、吸血王はすっとぼけた。
迎えに来たレーテの方を見ると、珍しく苦笑いしていた。それでトラメルは悟った。
「おい、現実見ろドタコン。結婚式は一ヶ月後だろ。スピーチは用意したか。俺は用意したぞ」
「なんでお前が出る気満々なんだよぉ、奴隷風情がさぁ……我の代わりに出てくれる?」
「奴隷風情なので出れません」
「くそがァ!!」
だんだん机を叩く吸血王。アンティークなそれが悲鳴をあげて、ぼっきり二つに折れた。
「あ、やばい……また調達してこないと」
「調達ぅ? 他の部屋からってコト? 大人数が座るならともかく、こんな個人用の机は少ないんだから、大切に扱えよな。まったく」
ぷんすかと怒る真似をするトラメル。それをうざそうに見る吸血王。
「なんでお前がそんなことを知ってるんだ」
「王城を知り尽くした男、それがトラメル君なのです」
胸を張って言えば、吸血王はそれを無視して、悲しそうに飾り彫りの部分を長い爪でなぞっていた。
「机は、外部の職人にそっくりなのを作らせる。我はここの内装を気に入ってるのでな」
「人間が作ったものを吸血鬼が作れるんすか? やっぱり人間に作らせればよくないですか? ていうか、吸血鬼にも職業ってあるの?」
貴族があるくらいだし、あるのかもしれないけど、いまいち想像がつかない。
「結構マメだよな、あんたらって。家畜のために作物を作って、家畜の家畜を飼って、大工仕事をして」
「むふん、偉いだろう」
「めちゃくちゃ暇ですよね」
拳が飛んできた。
「なあ、レーテ」
「ん〜?」
誰もいない吸血部屋。若干優しくなったレーテに血を吸われながら、トラメルは訊いてみた。
「なんか、欲しいものってある?」
「欲しいもの?」
「そ。結婚式には出れないと思うけど、俺も家畜として、何かお祝いしなきゃなーって思ってさ」
「トラちゃん」
「ん?」
「なんにも要らないよ? トラちゃんはぁ、私が公爵と結婚するまで、私のそばにいてくれればいいだけだからぁ」
それって、言外に殺すって言ってない? なんで期限を設けるの?
なんて疑問が湧いたが、いつものごとくスルー。
「俺の存在自体がプレゼントってことっすね」
「あはは〜ポジティブだね〜」
「ところで」
「ん〜?」
「あのアホはどうしてますか?」
「あのアホって〜?」
「頭おかしい銀髪女ですよ。元気してます?」
みしり。
「い、痛い痛い、どうしたレーテ」
「この前言ったこと、覚えてる?」
「覚えてないです〜」
もちろん覚えている。けれど、トラメルはそれを訊かなければならない。肩めっちゃ痛いけど。
「はぁ……トラちゃんの脳みそは小っちゃいから、困りものだねぇ。シアは元気だよ。いつものように悪態ついて、ごはんを食べてる」
「ごはんって、人間?」
「そう」
なんて言って、レーテはトラメルの癖っ毛に指を絡めた。
「あの子がどうして、“偏食家”を名乗っているか知ってる?」
「さあ」
「不味い人間しか与えられなかったからだよぉ。トラちゃんよりもね」
「ええと、つまり」
人間で考えると、臭い飯。
「二年間、生かすために最低限の食事をさせていたんだけど、舌が慣れ切っちゃったみたいでね。脂ぎった血とか、枯れかかってる血とか、そういう珍味にしか興味を示さないようになったの」
それで、“偏食家のシア”と呼ばれるようになったらしい。偏食家はまだ良い方で、陰ではゲテモノ喰いと呼ばれているとか。
ーーでも、俺の普通の血は美味いって言ってたんだよな。
てことは、俺の血は、実はゲロマズなのか?
なんてことを考えているうちに、今日の吸血はおしまい。レーテがぺろぺろと首筋を舐め、ぱちんと首輪をする。この首輪も、もともと王国にあったものだ。罪人を連行するための首輪。彼がいちばん最初に嵌められた首輪……。
「トラちゃん?」
「何でもねえです」
トラメルは首を横に振った。息が苦しい気がしたけど、たぶん気のせいだ。
「図鑑君はさあ、どうしていつも図鑑を持ってるの?」
「大切な人からの贈り物だからです」
「大切な人ぉ?」
「そうです」
少年は、図鑑をぎゅっと抱きしめていたが、なにか考えついたらしい。それを絨毯の上に置いた。
「このページを見てください」
「うわ、なんだこれ」
「すごいでしょ?」
これを笑って見せるお前の精神がすごいわ、とトラメルは思ったが、もちろんそんなことは言わなかった。緑の瞳の少年が、あんまりにも嬉しそうに笑うからだ。
「植物図鑑なんです、これ。素敵でしょう?」
「うん、すごい良いと思う。これを選んだやつはセンスが良いな」
とりあえず誉めときゃ間違い無いだろ。
そんな軽い気持ちで言えば、少年は嬉しそうに頷いた。
「貴方なら、わかってくれると思いました」
「ねえトラちゃん。さっきの図鑑、なにが載ってたのぉ?」
やっぱり聞き耳立てていたレーテが、強めに鎖を引っ張ってくる。
「いたたた、怒ってんですか?」
「私のことを見てないトラちゃんにね」
トラメルは頭の後ろで手を組んだ。
「植物の絵ですね。春の花だったかな、そんな感じです」
「それで、なにが『うわなんだこれ』だったの〜?」
逐一聞いてんじゃねえか。ちょっとだけ背筋を寒くしつつ、トラメルは答える。
「見たことない花があったんです。それがなんかキモかったから。あんなリアルさ追い求めなくていいんですよ」
「ふふっ。じゃあトラちゃんは、あの子の感情に寄り添ってあげただけなんだぁ?」
「まあそうなりますね。相手が良いと思ってるものを否定するのって、なかなか勇気がいるでしょ?」
「うーん、それはわかんないけど」
次の瞬間、トラメルは、レーテの暖かな胸に顔を埋めていた。
「トラちゃんは、あんなどうでもいい家畜さんのことも、大切にできるんだね〜」
「俺は優しいですからね」
「じゃあ、可哀想な女の子にはもっと優しかったりする?」
「時と場合によるかな」
胸は柔らかい。けれど、
「……わからないなぁ」
レーテがどんな顔をしていたか、トラメルにはわからない。
「きっとこれが、きっかけになりますよね」
誰にともなく、少年は呟いた。
家畜小屋のベッドの上。少年は、図鑑を開いていた。開いていたのは、とある人物に見せたのと同じページだ。
少年は、もう用済みのそのページだけを、綺麗に破いた。まるで、そんなページなどなかったかのように。切れ端を残すことなく綺麗に。
「さようなら、王子」
春の花が描かれて……黒ずんだ血がべっとりとついているページを、少年は、何かに取り憑かれたかのように、細かく細かく破いていった。