三歩進んで、一歩下がる
シアちゃんは本能で動いています
「え? ふつーに復讐するけど」
月が綺麗な屋上にて。レーテの秘密を打ち明けたトラメルに、シアはきょとんとしながら言った。
「え? 復讐、やめないの?」
「やめないわよ? たしかに、レーテのお母様は不幸だったと思うわ。人間と仲良くしようとしたお父様の言葉が、あの父親にとって無神経だったこともわかる。でも、それってお父様悪くなくない? レーテのお母様が人間だって知ってたら、そんなこと言わなかったと思うし。これ、全面的にあの父親が悪いわよ」
「えぇ……」
途中まではよかったのに、最後で台無しである。シアは、「それにね」と、何かを表現するように、腕を目一杯広げた。
「こーんな可憐な私を、薄暗い地下牢に閉じ込めること自体が間違ってるのよ。お父様の復讐はしたいけど、私は、私の受けた仕打ちの復讐をしたいだけ。自分が可哀想だからって、他人まで可哀想にしてたら世話ないと思わない?」
「そうだけど、シアはブレないなぁ……」
「貴方がブレすぎなのよ。人間って変な生き物ね。レーテのお母様を死に追いやったかと思いきや、自分たちを支配している吸血鬼に同情したりする。同情して、なにか得があるの?」
「それは、ないかも」
同情したところで、現王政派が手を緩めてくれるとは思えないし。
シアは、「そうなのよ」と、こくんと頷く。
「同情なんて、するだけ無駄よ。同情して響くのは人間だけだと思うわ。それより、貴方がすべきことは」
ずいっ、と人差し指を近づけられて、トラメルはびくっとした。シアの眉根は寄っていた。
「今度から、一人で暴走せずに、私に話すこと! 全部じゃなくてもいいけど、同盟に関わることは最低限話して、絶対に!」
シアがこんなにも真剣な顔をするのは、たぶん初めてじゃないだろうか。自分勝手な理論を振りかざす彼女の瞳は揺れていて、確かに、奇妙な焦燥が感じられた。
「シア、なんか、焦ってる?」
「べつに? 焦ってないけど」
ぷいっとそっぽを向いたシアは、屋上の扉を開けて、そのままどこかに行ってしまった。
トラメルは、頭を掻いた。彼女の態度は気になるが、まあいい。シアの復讐に支障が出ないようでよかった。
「……それで? どうしてニノンはそこにいるんだ?」
呟けば、今まで屈んでいたのだろう、スカートの埃を払いながら、ニノンが物陰から出てきた。その表情は、とっても気まずそうだ。
「貴様は、私たちよりも鼻が良いのか? シア様でさえ気付かなかったのに」
「気配には敏感な方なんだ」
だから、ディバイドの襲撃にも気付けたはずなのだが、そこはさすがにレッサリアの草だ。まんまと後頭部を強打されてしまった。
不思議な顔をしていたニノンは、「貴様は野生動物のような奴だな」と、褒め言葉とも罵倒ともつかないことを言って、トラメルの横に座った。
「貴様は、シア様のものだという自覚を持て」
「どんな自覚だよ」
思わず突っ込んでしまう。勝手にトラメルをシアの所有物にするのはやめてほしい。
交渉の場では、トラメルの名前を出さない方がいいから、“私のもの”発言は許したが、あくまでトラメルとシアは対等である。じゃなきゃ、人間と吸血鬼の共生(笑)は、表面上でも成り立たなくなってしまう。
「俺は俺のものなんだけど?」
「……それならそれでいい。私が言いたかったのは、シア様を不安にさせるなということだ」
トラメルは目を丸くした。あのニノンが、人間のことを虫けら同然にしか見てないニノンが、トラメルに“譲歩”している。
「一体どうしたの? 頭打った?」
「頭打ったのは貴様だろうが……そうだな、それも含めてだ。貴様の奔放さを、シア様は憂慮している」
その言葉を聞いて、トラメルは、「ああ」と手を打った。
「俺が軽率なことをして、同盟メンバーの格を下げないとも限らないってことか」
「たわけが」
トラメルがせっかく出した答えを一蹴するニノン。トラメルは口を尖らせた。
「元王族で、自分大好きプライド高いシアちゃんとしては、俺が裏でチョロチョロやってることが嫌だから、じゃないの?」
「違う。不安にさせる、憂慮する……これでは伝わらないか。そうだ、私が言いたいのは、シア様を、心配させるなということだ」
「だから、同盟の格は」
「シア様が今更そんなものを心配するわけないだろう。心配されているのは、お前だ」
「暴走機関車トラメル君を?」
「ボウソウキカンシャ? よくわからないが、そうだ。お前が暴走して傷つくことを、シア様は恐れているのだ……言っておくが」
トラメルが口を開こうとするのを制して、ニノンはジト目になりながら言った。
「貴様が、優秀な食糧だから、ではないぞ」
言おうとしたことを当てられて、トラメルは口を噤んだ。
「勿論、それもあるが、シア様にとって貴様は、失いたくない存在なんだ」
「そんなに重い存在になってたの、俺」
「貴様のボウソウキカンシャぶりは、吸血王様によく似ているからな」
少しだけ優しい光を瞳に灯して、ニノンは、トラメルを見た。この場合の吸血王は、やっぱりドタコンじゃなくて、シアの父親を指している。ニノンは、ドタコンを王と認めていない。
「もちろん、吸血王様の方が、貴様よりも何億倍も素敵で、賢かったがな。そして何兆倍も頼り甲斐があった」
「喧嘩売ってる?」
「だが……シア様が心を許していることに関しては、貴様も引けをとらないだろう」
「まじで?」
出会って二ヶ月も経ってないのに、こんなぽっと出がそんな扱いを受けていいんだろうか。よくないよね。
「ニノンよりも俺の方が偉いってこと?」
「すり替えるな。そして調子に乗るな。私はもう殿堂入りしている」
ちゃっかり自分を特別枠に押し込めたニノンは、こほんと咳払い。
「話が逸れたな。シア様が恐れているのは、“また失うこと”だ。貴様のやり方は危うい。いつか命を落とすだろう。もし、シア様の前で死んでみろ。私はお前を」
髪を掴まれて、爛々とした目と、目が合う。「殺してやる」
トラメルは笑った。笑うしかなかった。
ーー吸血鬼、こっっわ。
「もう死んでるのに殺せるわけないじゃん」というツッコミも、しばらく考えてからでないと口に出せなかった。
人間側の悪意ばかり気にしてきたけれど、吸血鬼の純粋な暴力も十分脅威になるのだと、トラメルは思い知らされた。
同時に。
「……また、的外れなことを考えているだろう」
「よくわかったね」
「顔に書いてあるからな。さて、冗談はこれくらいにして、貴様はもう少し身の振り方を考えたほうが良いな。私に飲んだくれのダメ人間を見張って欲しいと言った時のように、素直になるべきだ」
ニノンは立ち上がって、スカートの埃を払った。高貴な吸血鬼様が、自分の衣服を汚してでも、人間と並んで座ってくれたことに、トラメルはもう一度驚いた。
たしかに、ニノンの脅しは怖かったけれど、その根元は、シアを気にかける心だ。
ニノンもいなくなった屋上で、トラメルは呟いた。
「吸血鬼のがよっぽど……」
「それで、どう!? 私の“悲劇のヒロイン作戦”はうまくいった!?」
わくわくと胸を高鳴らせるシアに、ニノンは恭しく頷いた。
「はい。シア様のご計画通り、トラメルは、シア様のご寛大な心に感じ入ったようです」
「ふふふ、そうでしょうそうでしょう。人間は同情する生き物だから、可哀想な方に味方してくれるはずなのよ!」
レーテとの交渉を終えてから、なんだかふわふわしてるトラメルを、ここぞとばかりに仕留める作戦は成功。
素直じゃないツンデレとやらをシアが演じ、そこをすかさずニノンがフォローする。長年の主従こそが為せる奇跡の神業!
「まったく、人間って、本当に生産性のないことが好きよね!」
高笑いしたくなる口元を押さえて、シアは野心たっぷりに言う。
「このまま可哀想で健気な女の子を演じて、トラメルの心を掴んでやるわ!」
彼女は、まったく気付いていなかった。
ーーそんなことだろうと思った。
“吸血鬼の方がよっぽど性格が良い”。
そんなことを呟こうとしたトラメルが、その異常に良い勘(生存本能)によって、ドア一枚隔てた彼女たちの会話を聞いて、ジト目になっていたことを。
同情するなと言っておきながら、自分に同情させたい気持ちを。
「私のことを大好きって、言わせてやるんだから!」
なにより、自分がいちばん、生産性のないことが好きなことを。
シアは、まったく気付いていなかったのである。




