本場の媚びと、根無し草
「とはいえ」
目の前の脅威は、トラメルのことを、慈しむような目で見た。
「トラちゃんの優しさは、私の胸に響いたわぁ。だから、トラちゃんのお願いを聞いてあげる」
母親のカードは無効。それどころか、レーテは、トラメルに自分の立場を思い知らせるつもりで、脅迫ではなく、“お願い”という形を提示して来た。
結局、トラメルはレーテの手のひらの上。まんまといらない情報を掴まされて、シアにそれを言ってないことまで看破されて。挙げ句の果てに、ダフィンの愛した国民の命を背負うことにもなってしまった。
ーー完敗だ。
「ね、トラちゃん、可愛くおねだりしてくれるだけでいいのよ?」
「おい、聞くなよトラメル。この女、性格終わってんぞ。いいじゃねえか、別に、急がなくても。地道にやってこうぜ」
違う。違う。
トラメルは、テーブルの下で拳を握った。
ーーアイツらを、出し抜かなきゃいけないんだ。
アイツらのことだ。次の交渉国を予想して、そこの大統領を脅しているであろうことは目に見えている。未だにトラメルを殺すために動いている諜報員に、次の指令を下すために。
だから、次に吸血鬼が提示してくるであろう、北エール共和国とは、接触を避けたいのだ。
当初は、欲を出したフリをして交渉を進める予定だったのだが、こんな不利な状況で、それでも進めようとすれば、なにかあると勘づかれてしまうこと請け合い。
ーーけど、俺はまだ、死ぬわけにはいかないんだ。
議長のトラメルが頭を下げれば、同盟自体の力も弱まり兼ねない。それをわかってるから、爆弾魔先輩はトラメルに今は退けと言ってくれている。
だけど、同盟の議長がなんだ、これはお遊びだ。だから、レーテに頭を下げることだって、朝飯前。俺のやり方はこれで、俺はダフィンにはなれない。
「……ねえ、レーテ」
「なぁに? トラちゃん」
「次の交渉国は、北エール共和国じゃなくて」
「エール共和国にしてほしい。なぜなら、南の地域の方がカレーのためのスパイスがとれるからだ。以上」
さらっと話に割って入ってきたのは、それまでなにかを考えていたカレー好きの人である。レーテが、金色の瞳をカレー好きの人に向ける。
「貴方ではなくて、トラちゃんのお願いを聞きたいのだけれど」
「俺たちのリーダーに頭を下げさせられないだろう。お前は放置したカレーの中にいる菌のような奴だな」
「どうしてこの人間は、カレーの話しかしてくれないの……?」
さしものレーテも、カレーを介してしか喋ってくれない彼に慄いている。そんなことに、気付いているのかいないのか、カレー好きの人は無表情。
「可愛くおねだりだったか。男にそんなものを求めるなんて、奇特な奴だな」
「いえ、だから、私はトラちゃんのおねだりを見たいのであって、貴方のおねだりは別に見たくは」
「人間なんて、お前たちから見たらそう変わらんだろう。ほら、ハートを指で作ってやったぞ。次の交渉国は、エール共和国にしてほしいにゃん」
ぶっ、と噴き出す声が隣から聞こえた。爆弾魔先輩である。
「ふ、ぶははっ、だめだわ、死ぬ、コレ死ぬって……! ぶふっ、あはははは!!」
ひーひー言いながら机を叩く爆弾魔先輩。
「カレー好きの人! もう、もういいです……大丈夫です、俺はっ」
「なぜ泣いている? どうせお前も、この女の元にいたときに、ごろごろにゃんにゃん媚を売っていたんだろう?」
「ぐっ、それは否定できませんけど!」
俺、そんな変な語尾つけてなかったし! そんな堂々と、いっそ皮肉に思えるくらいに媚び切ってなかったし!
「おう、そんなら、本場の媚びってモンを見せてやれよトラメル!」
「本場の媚びって何ですか」
「頼む」
「あんた、俺に頭を下げさせられないって言ってませんでした?」
「……」
「レーテもわくわくしないで」
なんということでしょう。今や爆弾魔先輩までもが、トラメルの“媚び”に期待しているのです。
「……れ、レーテ」
頭が沸騰しそうだった。なぜか皆が黙り切った中で、トラメルは、やけくそ気味に、
「つ、次の交渉国は、北エール共和国じゃなくて、その南、エール共和国にしてほしい…………にゃん」
「あはははっ、あへぇっ、ひぃいいい!」
笑い方が下品すぎる爆弾魔先輩と、よくやったと言わんばかりに頷くカレー好きの人。トラメルは、「終わった」と小さく呟いた。これ、普通におねだりした方が良かったんじゃね?
ぷるぷる震えながら、レーテの方を見ると、レーテもまた、ぷるぷる震えていた。
ーーあ、これ、爆弾魔先輩と同じパターンだ。
笑いを堪えているのだろう。レーテは、白魚のような指を唇に添えて隠し、金色の瞳を潤ませていた。潤ませて?
「かわいい、トラちゃん、かわいい……」
「この女、目が腐ってんじゃね?」
笑っていたはずの爆弾魔先輩が、すん、と真顔になる。レーテの尖った耳は、真っ赤に染まっていた。
「ねぇ、トラちゃん。もう一回、もう一回にゃんって言って? たしか、城に人間の作った録音機器があったはず。ふふ、トラちゃんの可愛い鳴き声をいつでも聞けるようにしておかなきゃ」
「ちょっっっっろ」
爆弾魔先輩の呟きは、トラメルの気持ちの代弁でもあった。レーテがそれを聞いて、咳払い。
「わかったわぁ、次の交渉国は、エール共和国にしてあげましょう。トラちゃんが、恥を忍んで私に媚びてくれから」
「ぷっ、よかったなトラメル。お前は、自分を犠牲にして戦果を勝ち取ったんだよ。立派な戦死だったぜ」
「勝手に人を殺さないでください」
トラメルは、ぶすくれて、机に突っ伏した。同じ頭を下げるでも、こういう形になったことは幸いだが、なにか大切なものを失った気がしないでもない。
こうして、トラメルの尊い犠牲により、次の交渉国はエール共和国になったのである。
一歩どころか、二歩も前進。じゅうぶんな戦果の報告をした後、トラメルは、きょろきょろと監獄を探して回った。
「あ、いた」
壁に頭をくっつけて立っているのは、カレー好きの人である。その姿はまるで。
「後悔するなら、やらなきゃよかったのに」
そうやって声をかければ、カレー好きの人は、壁から頭を離して、トラメルを見た。長い間、額を押しつけていたのだろう、そこが赤くなっていた。
「どうして、恥ずかしい思いをしてまであんなことをしてくれたんですか?」
「あのアホを納得させるには、これしかなかったからだよ。あのアホは、アホのくせに頭がいい。だから、お前が頭を下げるのを止めたんだ」
そう、S級一の常識人の称号は伊達じゃない。あのとき爆弾魔先輩は、トラメルが頭を下げる意味を理解し、それを良しとしなかった。
トラメルが単に頭を下げただけでは、レーテへの敗北だけではない、爆弾魔先輩からの、爪の先くらいにはまだある信用さえ、失ってしまうところだったのだ。
それを、救ってもらった。目の前の、カレー好きの人に。
彼は、自分が頭を下げることで、『頭を下げる』価値を暴落させ、そして、カレーのスパイスの話をすることによって、トラメルの意図をも有耶無耶にしたのである。
「どうして、俺の味方をしてくれたんですか。あんた、レッサリアの“草”なんでしょ。だったら、北エール共和国を」
「あまりそれは口にしない方が良いぞ王子。そうだな、俺は、草には草だが、香草だ。カレーを彩る良い草だ」
「ちょっと、何言ってるかわからないです」
「『お前は今日からカレー好きの囚人だ』。まさか、この設定を使う時が来るとはな」
「……それ、って」
驚愕するトラメルに、カレー好きの人は微笑んだ。
「あの女と同じことを考えていたのは、他にもいたということだ。所詮、俺は根なし草だったという話。だが、それも良いと思っている」
「だから、俺に、教えてくれたんですか。あの国の、出身だって……」
「同じ性格の悪い人間でも、より必死な方を応援したくなるものだ」
「あ、あはは……」
「何もお前と、あのクソ共に限った話じゃない。これには、あの女と、あの男のことも含んでいる」
あの男。
やっぱり、彼には人間の悪意なんてないように思えた。死んでなお、どこまでも、眩しすぎる存在だ。自信満々で、傲岸不遜で、でも、優しい王子様。
「でも、ダフィンが必死になるって、あんまり想像つかないなぁ」
「……必死だったよ。奴は」
いっそう笑みを深くして、カレー好きの人は言った。
「そうじゃなきゃ、王子自ら、S級犯罪者を捕まえたりなんかしないさ」




