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贖罪と誠意

地雷を踏んだ話

風にそよいで、花びらが散る。きらきらきらきら、銀の月に照らされて、花は、寿命を終えようとしている。


「どうして」


だが……そんな、当たり前のことさえも、彼には受け止めきれなかった。今目の前で起こっていることと、花の散り際を重ねて、何か不吉な予感のようなものを感じていた。いいや、予感じゃない、これは、確信だ。


両の(かいな)に抱いた愛しい人は、この花と共に、消えようとしている。


「どうしてだ、オーリア……我と友に、時を歩みたいと、申してくれたではないか。それなのに。あれは、偽りであったか……?」

「いいえ、そうじゃないわ」


か細い声は、優しさゆえか、終わりゆく故か。彼には、わからなかった。結局、彼女と同じでなかった彼には、彼女のほんとうはわからない。


「偽りだったら、あの子達と出会っていないもの」


小さく小さく紡がれる、彼女の言葉。それを聞き逃すまいと、彼は口を引き結び、彼女の唇をじっと見つめ、耳を澄ました。


けれど、彼にはわからなかった。


どうして彼女が死を選んだのか、どうして、自分のもとから離れていこうとするのか、彼には、わからなかった。



  

嗚呼、彼女の人生において、幸福というものはなかった。


親兄弟に蔑まれ、友人に恵まれず。醜い感情の中で育った清廉な彼女は、手折る側ではなく、手折られる側の人間だった。


彼は、自分だけは違うと自負していた。


自分は、人間ではなく吸血鬼だ。だから、人間とは違って、彼女の隣で咲き続ける存在になることができる。愚かにも、そう思ってしまっていたのだ。


とんでもない。


「結局、我も手折る側だったということか……」


笑ったままの彼女は、眷属の力を失い、この花のような紫色の髪から、元の赤毛に戻っていた。神秘的な紫も好きだが、彼は、彼女の素朴な赤毛を、なによりも愛していた。


むらさきは、彼にとっての、罪の象徴である。


「お父さま。お母さまは? 眠ってるの」

「レーテ」

「どうして、お母さまの髪が赤くなってるの」

「母さまは、神の国に旅立ったんだよ」

「神の国?」

「そうだ。そこで、幸せに暮らすんだ」

「私も、行くことができるかしら」


それが欺瞞に満ちていようとも、たとい、勝者の宗教であろうとも。彼は、願わざるを得なかった。


願わくば、レーテとナザルが、神の国に行き、オーリアと出会えますように。人間のための慰めが、吸血鬼のための慰めにもなりますように。


「ああ、きっと、行けるよ」


優しい笑みを浮かべながら、彼は……吸血王は、心中でつぶやいた。「我と違って」。






だから。


「人間っていうのは面白い。これまでみたいに、ふらっと出かけて危害を出すんじゃなくて、もっと理性的に、交流を深められたらいいなと思ってるんだ。人間の血を得る代わりに、俺たちの魔力を与えるっていうのはどうだ? 人間世界は、俺たちの住んでるところと違って物騒じゃないんだってさ。この前会った人間なんかさ……」

「…………よ」

「え?」

「ふざけるなよ」


だから、吸血王は、親友を手にかけた。






嗚呼、彼女の人生は、手折られるだけの人生だった。


彼女は決して、人間というきたない存在に踏み潰されてはいけなかったのに。愚かな人間は、彼女の永劫の時を踏み躙ったのだ。


なぜ、なぜ、なぜ。


理由を問う声はやまない。怨嗟の念は、自分と、人間に向けられている。


「どうして彼女は死ななければならなかったのか」


決まっている。生まれてくる土壌が汚かったからだ。間違っていたからだ。

汚濁した地に住んでいる、醜い生き物。それが人間だ。それならば、人間を正さねばならぬ。


彼女のような人間が、万に一つも生まれないとは限らない。清らかで美しい、そんな未来の人間のために、土壌を耕し、腐った根は取り払わなければ。それが、吸血王ができる、彼女への贖罪である。


彼女が死を迎える地に選んだむらさき色は、ずっと、彼の中に焼き付いている。





















「どうっして、こんなに美味しい血を他の吸血鬼にあげちゃうのよ、トラメルのバカバカぁ!」

「バカなのはシアの方だろ、俺また花畑見えたんだけど!?」


ーーさて、問題は。


遠くにいる二人は、自分に気付く様子もなし。仲睦まじく、ギャーギャー騒いでいる。うん、喧嘩するほど仲が良い。


ぱちん。


ぱちん。


人差し指と、中指でポーズを作り、狭めては広げ、くっつけては離す。


少年の方に照準を合わせる。首から下? それとも、四肢が良いだろうか。いや。


ーーやっぱり、ここは。


「あっ、ごめんなさいシア様参りました。参ったって! ギブ、ギブ!」


互いの腕を掴み掴まれ。とうとう情けない声を出す少年と、勝ち誇った顔をする少女の間に、指を入れ。


……ぱちん!


 


「何してるの?」

「秘密」

「へえ……さっきの話だけど、ヤボクは、トラちゃんの味方になるんじゃないかなぁ」

「どうしてそう思う?」

「あの子、オーリア様から、人間の良いところを教えてもらっていたみたいだから……私と違ってね」

「拾った吸血鬼に異なる情報を与え、どう育つか実験してたってわけか、はは、笑える。結局、オーリアって奴も、嫌な奴ってことだな」

「……貴方、そんなに性格悪かったの? 意外ね」

「いや、本来の俺は好青年も好青年。これは、“草”としての仮の姿」

「どうだか。早く行ってよ、トラちゃんに怪しまれちゃうじゃない」

「はいはい。つれないなぁ」






「あと、また私のことを置いて王城に行こうとしてるでしょ!? 爆弾魔先輩が、『やーいハブられてやんの〜』って煽ってきたんだけど!?」

「げっ、内緒にしといてくれって言ったのに、どうして言っちゃうかなぁ、あだっ!?」 


関節をキめられ、トラメルは床をタップ。もちろんそんなルールなど知らないシアちゃんは、素敵な笑みで微笑む。


「貴方が苦しむ姿が見たいそうよ」

「良い性格してんなぁ!」

「それで? どうして私のことを置いていこうとしてるのよ。なにか、私に見られたり、聞かれたりして嫌なことがあるの?」

「嫌なことっていうか……誠意っていうか」

「誠意?」

「そ、誠意」


シアの腕から抜け出し、トラメルは体をコキコキ。


ーーレーテの母親をダシにして、次の交渉を有利に進ませる。


そこにシアを連れて行かないことが、トラメルにとっての誠意なのである。


ーーあれ。


「だから、シアはついてかないでね」


きっと、嫌なものを見せてしまうだろうから。



ーーこれ、誰に対しての誠意なんだろ。


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