おんなじでも理解はし合えない
「吸血鬼と人間、両方?」
トラメルの言い方に、ヤボクは、首を傾げるしかなかった。
吸血鬼が来てから、人間世界は一変したはずだ。小さな争いごとはなくなって、皆等しく吸血奴隷、又はそれに準ずるものとなったはず。
それなのに、人間が敵というのが、ヤボクにはわからなかった。
「吸血鬼というのは、レーテ様や、ナザル様、吸血王様ですよね」
「うん。それに、シアも入るけど」
「ええっ!?」
「だって、このままシアが王権を取り戻したら、俺なんか即監禁からの食糧コースだからね。そんなのにはなりたくないし」
確かに。この前の交渉でのシアは、レーテといちゃついていたトラメルに対して、並々ならぬ執着心を持っているように感じた。トラメルが身の危険を感じるのも、さもありなん。
「だから、幹部を人間側で固めているんだけど……その人間側が問題なんだ」
「問題、ですか?」
「そう。S級っていう、犯罪の凶悪度もそうなんだけど、俺にとってのいちばんは、レッサリアの人間が混ざってないかってこと」
「レッサリアって、あの、軍事大国の?」
どうして、その名前が話にあがってくるんだろう。
ヤボクがそう思っていると、「少なくとも、ディバイドって奴はそうだと思うよ」と言って、トラメルは、トントンと頭を指で叩いた。
「仮にもレーテのお気に入りである俺の頭を、躊躇なく背後から殴った。そんなことしたら、咎められるのはディバイドさんなのに。それなのに殴った理由はただ一つ。俺を殺そうとしたからだ」
人間が、人間を殺す。
その結果が、今は家畜小屋となっている、監獄にいる皆さんなのだが……それはあくまでも、吸血鬼が来る前のことで。
こんなことになってもなお、人間同士の争いが起きるなんて、ヤボクには、とても信じられなかった。
「でも、トラメルさんを殺すことで、何の得になるんですか? 『仲良し同盟』の議長が死んだら、犯人探しが始まって、同盟はパニックになって解散します。ディバイドさんだって、自分の身は可愛いはずです。同盟が解散したら、あの人に残ってるのは、レーテ様からの叱責と……仕置き、だけでは?」
今はもういない、美少年達を思い出す。彼らには、吸血奴隷としての価値があった。だが、レーテの結婚とともに、葬り去られた。理由は単純明快である。
ーーティアール公爵は、葬り去るのが難しいという理由だけで生き残った。
それを目の当たりにしていたヤボクは、ディバイドの末路をありありと想像できる。今までレーテに尽くしてきたとしても、トラメルを手にかけたら、意味がない。レーテのご機嫌を取りたいのなら、トラメルのことを生きたまま献上するのが正解だ。
だが、ヤボクのそんな疑問に、トラメルは首を振った。
「我が国の草は、任務を全うすることだけを考えてるからね。俺を殺せれば、自分の命なんてどうでもいいのさ」
馬鹿だよね、あいつら、とトラメルは嘲笑った。初めて見る笑いだ。
「トラメルさんは、どうして命を狙われているんですか?」
「んー、お家争い? 俺んち王家だから、上と下にさっさと死ねって思われてるんだよね」
「……は?」
「といっても、庶子だから、いちばん継承権は低いんだ。だけど、あのバカ達が性格悪すぎて、俺を担ごうって人たちがいるから、命を狙われてるんだよね」
「……」
ヤボクは、黙るしかなかった。何か隠してるんだろうなとは思っていたが。
「ダフネオドラ王子と親友だったのは」
「一応の王族として、この国に留学してたからだね。すぐに殺される予定だったんだけど、ダフィンが俺をバカ達から匿ってくれたんだ」
「レッサリアが、人間側の連合盟主になっているのは」
「留学先で吸血鬼に殺されたかもしれない王子様を偲んでるのかな? まあ、あのケチな親父が俺を偲ぶわけないし、それを理由にして、吸血鬼と戦争したいって思ってるかもしれないけど」
一転。にこやかに言うトラメル。言葉のところどころに棘がある。
「……」
ヤボクは、くらりと来てうずくまった。
「俺が言うのもなんですけど、それなら、レーテ様のところに戻った方が、よっぽど安全ですよ。レーテ様なら、トラメルさんのことを大事にしてくれます(他の人は知らないけど)」
「なにか含まれてるものを感じるんだけど。それはできないな」
「どうしてですか?」
『仲良し同盟』の議長として、人間側と交渉するのなら、いずれ、レッサリアにも辿り着くはず。そうでなくとも、パルマヤ共和国のギリエフ外交官に顔を見られているのに。
そんなリスキーなことを……
「俺は、ダフィンの遺志を継ぐって決めたから」
トラメルは、くるりと、ヤボクに背を向けた。
ざっ、ざっ。
行き場のない感情を、どうにか出力しようとするかのように、地面を蹴る。
「レッサリアのゴミとまで呼ばれた俺に優しくしてくれたのは、ダフィンと、自殺した王様だけ。ああ、リリーも含まれるかもね」
そう言って、トラメルは、空の星を見上げている。
ざっ、ざっ。
「そのダフィンも死んじゃったけど、遺志は残った。沈丁花は、俺の元に戻ってきてくれた。俺は嬉しかったよ、俺は、この国の国民でいていいんだって思えた……だから」
地面を蹴るのをやめて、トラメルは、ヤボクの方に振り向いた。
「俺は、ダフネオドラの遺志を継ごうと思った。最後まで、俺に居場所を与えてくれようとしたアイツに、報いようと思ったんだ」
……相剋。
トラメルの心の中では、二つの感情が、相剋していたのだと、ヤボクは理解した。
レッサリアの刺客に殺されたくないという気持ち。
ダフネオドラ王子の遺志を継いで、この国を救いたいという気持ち。
その二つの感情が、トラメルの中にあるから、彼は逃げることができない。
成し遂げたいことがあるから、彼には敵が多いのだ。
「だからさ、ヤボク君」
す、と手が差し出される。
「可哀想な俺の味方になってよ。今度こそ、俺は君を信じるからさ」
「はい」
「手、取るの早くない!?」
「手を取る速度で、誠意を見せようと思ったんですよ」
驚いた顔をするトラメルに、ヤボクは微笑んだ。
「俺がレーテ様に、このことを告げ口する可能性は、当然考えていたんですよね。それなのに、話してくれた。俺はそれが嬉しいです」
「唯一、身元がはっきりしてるヤボク君には、敵に回って欲しくなくて。これ以上懸念が増えるのは嫌だし」
「素直じゃないなぁ」
目を逸らすトラメル。この素直じゃない感じは、あの方に似ている。
ヤボクに名前を与えてくれた、あの人に。
そう。
……花を育てることを教えてくれたのは、お母様だった。
お母様が亡くなったあの夜から、私は、花を育て始めた。
ラベンダーという名前の花は、人間には良い香りだけど、吸血鬼には、刺激が強すぎる。けれど私は、それを枯らすことは考えなかった。
お母様との唯一の繋がり。吸血鬼より短く、儚く、悲惨な生を辿った、お母様との……。
「ねえ、お母様」
じょうろというのは面白い。細かな線のようになった水が、きらきらきらきら、月明かりに反射して輝いている。
いくぶんか、優しい気持ちになった気がした。
「トラちゃんも、こんな気持ちだったのかしら?」




