銀貨三十枚
気がついたら、土を耕していた。
「はぁー、今日の仕事もおしまいだべさ」
いやなに、この口調。そうやって思うのに、思うだけで、変な口調は止まらない。
トラメルは、流れる汗を拭って、達成感に塗れた笑みを浮かべた。鍬を担いで、変な歌を歌いながら、家に帰る。
「お?」
その途中、奇妙な集団を見た。一人は髭面のおっさんで、なんでか見窄らしい服を着て、のろのろと歩いている。そのおっさんを小突いたりしている男たちは、重装で、「早く歩け」「日が暮れる」だのと言って急かしている。
こっわ、関わらんとこ。
そう思うのに、トラメルの足と口は勝手に動く。
「お役人方、何をしてるだべか?」
「ああっ」
トラメルが話しかけた途端、髭面のおっさんは、弱々しく地面に倒れ伏した。それを見た重装した男たちの一人は、舌打ちして、それから、トラメルを見た。
「死なれたら意味がない。おい農夫、お前が代わりにこれを担げ」
おっさんは、ただ歩いてるだけじゃない。身の丈よりも大きな十字架を背負わされていたのだ。おっさんが可哀想なので、トラメルは木でできた十字架を背負ってあげることにした。
「ありがとう」
おっさんは、意外とおっさんじゃなかった。トラメルに笑みを向けて、のろのろと歩き出した。
……やがて、丘が見えてきた。
「せっかく俺が背負ったのに!!」
「うわっ!?」
がたーん!
何かが転がる音と、悲鳴が聞こえて、ベッドから飛び起きたトラメルはぱちくりと目を瞬いた。
「あれ」
そこは、シアに血を吸われた後に目を覚ました場所で。床に倒れてるのは、ラクタである。
「……なにしてんの?」
「それは、僕のセリフです」
恨みがましそうなラクタは、椅子を床に立て直し、座り直した。
「どうしてあんなところで倒れてたんですか?」
「あんなところって?」
「食糧庫の前です。まったく、〇二四三番さんがそこの前を通り掛からなかったら、どうなっていたことか」
その名前を聞いて、トラメルは思い出した。
ーーそうだ、俺、後ろから殴られたんだった。
なにが通り掛かった、だ。仲間と示し合わせてトラメルを釣ったくせに。
ヤボクに「信じてる」とか言っておいて、盗聴していた自分を全力で棚に上げるトラメルである。それを思い出すと同時に。
「痛てて」
「え、どこか怪我してるんですか」
「うん。酔った時に、扉で頭をぶつけたみたいだ」
右手で触ると、たんこぶが膨らんでいた。それを見たラクタが、「早く言ってくださいよ!」と悲鳴をあげてどこかにすっ飛んで行き、ぐいぐい氷の入った袋を押し付けてくる。
「いたたた、痛い、痛いよラクタ君」
「頭をぶつけたら、死ぬ恐れだってあるんですからね。どこかの貴族の嫡男なんて……」
くどくどくど。
ラクタのお説教を聴きながら、素直に氷袋を患部に当てる。ひんやりとしていて気持ちいい。
「他にぶつけているところはないですか?」
「すごい心配してくれるじゃん」
「当たり前ですよ。貴方を死なせたら、僕は王子に合わせる顔がありません!」
ダフィンはもう死んでるのに、律儀なことだ。
トラメルは、欠伸をした。
ーー死ぬ恐れがある、ね。
まったく、“ディバイド”って人は、過激派にも程がある。
トラメルは、気を失う前に思ったことを思い出していた。
ルーラーさんと繋がりがある、ディバイドという人物。その人物は、ヤボクの話しようによると、『なかよし同盟』の幹部の一人で、その証拠に、ルーラーさんと示し合わせてあの場所にいた。
トラメルを殴ったのは、十中八九、ディバイドというもう一人のスパイだ。
頭に当てている氷袋が、ひんやりと、ずっしりと重みを増してきた。
ーーディバイドって人が俺を殴ったのは、殺してもいいと思ってたからだろうな。
そこは、ラクタの言葉を信じるなら……トラメルをここに連れてきたルーラーさんと方針が異なる。
ルーラーさんは、トラメルのことを見守らせるために、わざわざ危険を冒してまでラクタのところに連れてきた。対してディバイドという人物は、トラメルのことを殴殺してもしようがない力で、トラメルのことを殴ってきた。
もう一つの可能性が、頭を擡げてくる。
「トラメルさん、大丈夫ですか? 気分が悪いとか?」
あわあわとするラクタ。を、入れて、ディバイド候補は八人。カレー好きの人と、爆弾魔先輩は、沈丁花の話をしないし、除いてもいいか。それに、ニノンと飲んだくれの人のどっちかを除いてもいいかも……思わぬところで保険が作用して、トラメルは苦笑し。
「つまり、まだ出てきてない人が犯人だというのが、クソ推理小説のロジックです」
「よくわからないが、君はむかつくなあ」
全体的に、暗い雰囲気で、長い前髪で顔を隠す青年は、シャーロットちゃんと対をなすS級犯罪者である。つまり、好きな男ばかり殺すシャーロットちゃんに対して、好きな女ばかり殺すのがこの犯罪者。みんな恋が好きだね。
「だいたい、僕は恋愛小説が好きなんだ。推理小説なんて、そんな野蛮な」
恋した女の子の臓物を入れ替えて“完璧な人間”を作っていた人のセリフとは思えない。医師免許のあるドクター・恋愛脳は、唐突にやってきたトラメルに、面倒くさそうな顔をした。
「お前は解剖する気になれない。なぜなら、お前は女の子じゃないし、見た目からも臓器の凡俗さが滲み出ているからだ」
「臓器の凡俗さって何ですか」
解剖されることが、まるで名誉であるかのような言い方。
「俺のこと、ぶん殴りたいって思います?」
「思わない。お前は殴ってもつまらなさそうだから」
前髪から覗く、どよんとした目は、トラメルのことをしっかり見ていた。
「……僕が初めて殺したのはママだった。父に虐げられ、何個も青あざを作っていたママを、解放してあげようとしたんだ。ママは、最後は嬉しそうに死んだよ。やっと解放されるって」
唐突に、クソ重い過去話を聞かされて、トラメルは戸惑った。たしかにファイルにはそう書いてあったけど。
「十発殴るだけじゃ、ママは死ななかった。ママは、父に殴られる中で、防御することを学んでいたからだ……だから、僕はお前を殴らない」
それだけ言って、ドクター・恋愛脳はふいっと明後日の方向を向いた。それ以上喋ることはないという意思表示。
「なるほど、よくわからんけど参考になった」
わしゃわしゃしゃ。
柔らかな膝の上に頭を乗せて、トラメルは、今日一日で巡ったディバイド候補のことを考えた。
「トラちゃんにたんこぶがあるっ、誰がこんなことしたの!?」
「だから、酔ってふらついただけだって」
「うう〜っふわふわもしゃもしゃがぁ〜っ!!」
「ちょっとだけ痛いからもう少し優しくしてもらえると嬉しいなぁ」
結局、レーテのスパイ疑惑があるメイドさんは、『仲良し同盟』には加入せず、捕虜のままでいることになった。なぜなら、幹部とヒラの接触は禁じられているからだ。捕虜なら、トラメルの髪を合法的にわしゃわしゃできるから、都合が良いらしい。
「ねえ、ペトラ」
「なぁに?」
ちなみに、メイドさんの名前は、ペトラ・シモンというらしい。
「レーテのところに帰りたいって思う?」
「思わなくもないよ。だけど、それは無理だってわかってる」
「レーテって、部下には優しい?」
「厳しいよ。だけど、私は好き。幼い頃からレーテ様を見てるから。お妃様には、お世話になったし。私の名前はね、その方につけてもらったんだ」
嬉しそうに言うペトラは、少しだけ表情を曇らせた。
「お妃様って、つまり、ドタコンの奥さん?」
レーテと、ナザルのお母さんということになるか。
「そう。その方は、当てつけみたいに吸血鬼に優しかったけど……本当は、人間が好きだったんだと思う。信じたかったんだと思う」
「当てつけ?」
「そうよ。お妃様はね……」
風が吹き荒ぶ中。
トラメルは、心の中にわだかまっているものを吐き出した。
茶色の目で月を見て、故人を嘲笑う。
「銀貨三十枚で売られたくなければ、最初から、信じなければいいんだよ」




