トラメル君と、禊と密談
「さて、問題です!」
トラメルは、くるりと振り返って、二人に質問した。
「敵の手に落ちた砦は、どうするのが正解でしょーか?」
共和国から派遣されてきたギリエフ・マルシェ外交官は、最初、軽く頭を下げて歩き出したものの、次には振り返って、深々と頭を下げた。
流石は一国の外交官。綺麗な仕草だったが、なぜ一回別れた後、二段階に分けて頭を下げるのか、レーテには、よくわからなかった。
「トラちゃん、人間は、二段階に分けて頭を下げるのが普通なの?」
「そうそう。最初は『こいつにはこれくらいでいいや』って手を抜くんだけど、後でなんて言われるか怖いから『やっぱりもっと頭下げとこ』って感じで、大体二回なんだよ」
「ふぅん、トラちゃんは物知りなのね〜」
「……」
トラメルと一緒に交渉に参加した人間が何か言いたげにしていたが、レーテは気にせずに、ティアールに首根っこを掴まれ、ぶら下げられているトラメルの頭を撫でた。トラメルは得意げな顔をしていた。
そして、得意げなトラメルとは逆に、苦々しげな顔をしているのがシアだ。ティアールの手からトラメルを奪い返し、相変わらず野蛮な唸り声をあげる。
「もう交渉は終わったんだから、馴れ合う必要なんて無いわよね? ほら、行きましょトラメル。こんな空気が悪いところにいる必要はないわ」
相変わらずの嫌われようだ。まあ、レーテもシアのことを嫌ってはいるけれど、もう少し大人な態度になればいいのに。
なんて思っていたら、トラメルが、「ねえレーテ」と話しかけてくれる。
「俺、もう一つ、やりたいことがあるんだけど、いい?」
久しぶりに来た王城の中庭は、なんにも変わっていなかった。
そこらへんに植物が蔓延っては枯れて、無秩序で、ある意味、自然な姿。ちょっと傲慢なことを言えば、人の手を離れた植物達は、かつての栄華を忘れたように、好き勝手に生えている。
そんな中で唯一、美しくあるのが、この沈丁花たちというわけだ。
「……沈丁花は、花が枯れて葉っぱだけになっても、香りを残すんだ。そんなところも、不滅にふさわしいのかもね」
すん、と匂いを嗅ぐ。甘くて上品な匂いだ。「良い匂いだろ?」と、後ろの二人に同意を求める。
「そうかあ? 僕は、火薬の匂いの方が好きなんだけど」
「わ、私はわかるわよ! 甘くて瑞々しくて、とっても好きな匂い! くんかくんか、それに美味しそう……じゅるり」
「シア、シアが嗅いでるの、俺」
美少女にぴったりくっつかれるのは悪い気はしないが、涎まで垂らされるとなんだか命の危険を覚えるので、トラメルはシアを手で遠ざけた。
まったく、情緒を解さない連中め。「もうちょっと、もうちょっとだけぇ」と哀れっぽい声を出すシアを尻目に、トラメルは、溜め息を吐いた。
ここにラクタ君とシャーロットちゃんがいれば、大いに同意されたあと、頼んでもないのに沈丁花と絡めた王子知識を披露してくれるというのに。
まあ、だからこそ、連れてこなかったわけなんだけど。
改めて、夏を迎えようとする沈丁花たちを見る。
一つ一つの葉は、分厚くて立派だ。ただでさえ濃い緑を、いっそう色濃くして、生命力をアピールしている。
トラメルは、うん、と頷いた。その様子を見て、情緒を解さない男こと爆弾魔先輩が、「それで」と話を切り出す。
「こんなとこに来て、一体何しようってんだ? 突然ホームシックになったのか? ん?」
ニヤニヤと笑う爆弾魔先輩は、腐ってもS級犯罪者だ。
「思い出に浸りたいんなら、僕は帰ってるぜ。こんなとこ、いてもつまらないしな」
荒れ放題の庭を見て、本当につまらなさそうに言う。爆弾魔先輩は、秩序を壊すことに快楽を感じる変態だから、混沌状態のこの庭には興味ないのだろう。
「おい、今なんか失礼なこと考えたろ? あん?」
「勘が良すぎる」
ぼそっと呟けば、背中を蹴られた。
「いてて、ちゃんと爆弾魔先輩を連れてきた意味はあるから帰らないでください。ていうか、そのために、交渉にあんたを連れてきたんだから」
「そのためぇ?」
「って、どういうこと?」
トラメルは、ふふん、と笑った。
そうして、冒頭に戻る。
ーーーどぉぉおおんっ!!!
爆音。
レーテに現況を報告していたヤボクは、飛び上がりそうになった。
「トラメルううううう!!」
明らかに犯人を決めつけた様子のティアール公爵が、廊下を爆走していく。窓の外では、もうもうと土煙が上がっていた。トラメル達が遊びに行ったはずの中庭だ。
「あそこには、沈丁花がある筈ですが」
「燃えちゃったのかしらぁ?」
のんびりと言うレーテ。ヤボクとしては、少しだけ複雑だった。あそこの庭には、少しだけ、思い入れがあるからだ。
ヤボクは、ため息を吐いた。
「庭を燃やすなんて、何考えてるんだ、あの人は」
「禊でしょうねぇ」
元飼い主は、トラメルのことを理解しているらしい。金色の瞳を細める。禊?
「あの庭を残しておくことは、私たちに弱点を残しておくことと同じだし……トラちゃんは、一応同盟のリーダーだから、ダフネオドラ王子に拘っていると知れると、都合が悪いから」
「だから、燃やしたんですか?」
あんなに、丹精込めて育てていた花を? 雨の日も風の日も、守っていたあの花を?
「それが、トラちゃんの覚悟ということを、シアに見せたかったんじゃない? もしくは」
レーテは、ヤボクのことを見た。
「貴方のことを、見極めようとしている、とかぁ?」
ヤボクは、目を瞬いた。
「俺のことを?」
「ええ。貴方が大切にしていた庭を燃やすことで、貴方の反応を見ようとしている。貴方の善良さを、見ようとしているのよ」
「俺は、どういう反応をすれば正解なのでしょうか?」
「普通に悲しめばいいわ。さっきしたみたいにね。大丈夫、よっぽどのことをしない限り、トラちゃんは貴方を拒絶しない。貴方、思ったより、トラちゃんの……お気に入りみたいだから」
ぞくり、と背筋が震え上がる。レーテは、じっとヤボクを見つめてくる。
「私にも、そんな善良さがあれば、トラちゃんのお気に入りになれるのかしらぁ? なんてね」
ふっ、と、体を襲う重圧が消えた。ヤボクは、立っているだけで精一杯だった。
「ヤボク。外交官に取り入って、次の交渉時に、貴方が出席する約束を取り付けたのは、見事だったわ。トラちゃんの大好きな善良さを見せたのもね」
「ありがとう、ございます」
「そんなに固くならないで? そうね、あとは、“ルーラー”や“ディバイド”とお話しできれば良いのだけれど……吸血時の密談が潰されたのは痛いわ」
「どこかで、接触できれば良いのですが。幹部と呼ばれる人間達と俺たちは、基本的に別行動になっているんです」
「まずは、貴方と彼らが話す機会を作らなければいけないわね。良いでしょう、次の手を打ちます」
レーテはそう言って、ヤボクに策を授け、最後に、甘い甘い声でこう言った。
「貴方は何も間違っていないわぁ。間違ってるのは、トラちゃんだもの」
それは、毒を孕んだ甘さだった。
「おんなじじゃなくても分かり合えるなんて、嘘。それを、貴方が証明してあげるのよ。お馬鹿なトラちゃんは、ぜんぶ失うまでわからないだろうから」
「……はい」
ヤボクは笑った。窓の外を見れば、ようやく土煙が晴れてきた中庭で、トラメルとティアールが追いかけっこをしていた。
ーー俺は、貴方のことを否定してみせる。
公開処刑の日、トラメルが、ヤボクに笑ってみせたように。
今度はヤボクが、何もかも失ったトラメルに、笑ってみせてやるのだ。




