悪い人間と良い吸血鬼
飴と鞭?
「だ、大丈夫、トラメ……けふん!」
ぽんこつシアちゃんが心配してくれるのはありがたい。だけど、この交渉では名前が重要になってくるから、教えないようにと事前に言っておいたのに、もう三文字ばらしやがった。あとは「ル」だけしかないじゃん。いや、レーテは普通にトラちゃんって呼んできたけど!
「言っておくけど、俺のファーストネーム、ダフネオドラより長いですから。本当ですよ」
「わかっているよ」
キリっとした顔で嘘を吐いてみたものの、ギリエフ外交官の目は、「いや嘘でしょ」と切実に言っていた。
大切なたいせつな食糧を心配するシアに一応お礼を言って、椅子に座り直す。
「というか、ヤボク君、一体何を言い出すかとも思えば。いま、王国を見捨てた人間に復讐するぞーって雰囲気だったじゃん。憧れの人に会いたいですって雰囲気ではなかったじゃん」
「え!? そうなんですか!?」
「えっと、たぶんそうだよ。ね、爆弾魔先輩?」
すごい勢いで疑問を返されて自信のなくなったトラメルは、護衛役(いざとなったら全部爆破して逃げる用)の爆弾魔先輩に質問した。「何で僕」と言った顔の爆弾魔先輩は、「そうだそうだ」と同意してくれた。棒読みで。
「ほら!」
「すっごい棒読みじゃないですか」
ジト目をしてくるヤボクの視線は冷たい。
「だいたい、なんですかさっきの脅し。思いっきり俺たち吸血鬼頼りじゃないですか」
「いいじゃん、持ちつ持たれつで行こうぜ」
「確かに俺は、“なかよし同盟”ですが、だからといって、共和国を敵には思ってないですよ」
トラメルがさっきギリエフ外交官に言ったことが、破綻するような言い方。こら、せっかくの“交渉”がパアになるじゃないか。
「なにせ、こんな素敵な図鑑を作ってくれたところですからね。友好を深めたいと言ってもいい」
ギリエフ外交官は、驚いてるようだった。別に、どうでもいいけど。
ーーもうちょっと、善い人間を通して、わかりあえることを教えてあげたかったのにな。
この交渉に志願された時、トラメルは、ヤボクの参加を良いことだと判断した。なぜって、ヤボクはスパイ疑惑があれど、人間に好意的だからだ。あとは、どの吸血鬼も持っている、“おんなじじゃなきゃ理解しあえない”という認識を、ちょっとだけ緩めたい。
だから、外部の人間と触れ合える交渉は、絶好の機会だったのだが……ギリエフ外交官が高圧的な言葉を投げかけて来た時、トラメルは、「この人はダメだな」と判断した。
チュートリアルにするにしては、悪い人間すぎる。ヤボク君が人間不信になるレベルだ。公開処刑の時にしてた表情の再来だ。
しょうがない、今回ギリエフ外交官は切り捨てて、共和国には脅しで徹しよう。
そう思ってたのに、ヤボクが首を突っ込んできた。良い図鑑を作った国だからといって、人間まで善いとは限らないのに。現に、ギリエフ外交官は、悪意丸出しなのに、作った人に会いたいと言っている。
作った人が、ものすごく悪い人間だったらどうする気なんだろう。「やっぱり、理解しあえないじゃないか」とヤボク君がグレる気がする。
それは避けたいと、なんでかトラメルは思うのだ。不思議な話だ。王城の地下でヤボクに語ったのは、「眷属にすると理解し合える」と思ってる吸血鬼の傲慢さが嫌になっただけの、ただの詭弁だったのに……。
「吸血鬼も、植物図鑑を読むのかね?」
ギリエフ外交官が、失礼極まりないことを言ってくる。まったく、吸血鬼が血を飲むこと以外娯楽のないかなしいいきものみたいに言うなんて、失礼な人間だ。
「僕、心読めないけど、お前のアホヅラ見てわかる。お前の方が失礼だわ」
先輩の失礼の塊のような言葉に憤慨して、トラメルはヤボクを見た。ヤボクがグレグレモードになってたら、先輩にゴーサインを出して一旦離脱(爆破)しよう。
「そうですね。この人に影響されて、給料を叩いて買ったんですよ」
なんてことを考えてたら、ヤボクがトラメルに顔を向けてきた。満面の笑みで。
「この人、こう見えてマメなんですよ。吸血奴隷をやっていた頃なんか、わざわざレーテ様に頼んで、週一回、王城の庭の植物を世話してたんです」
どうやら、植物図鑑を購入した経緯を話そうとしているようだ。たぶん、ギリエフ外交官が訊きたいのは、そういうことじゃないと思う。
だけど、ヤボクは実に楽しそうに喋る。だから、トラメルはなかなかゴーサインを出せずにいた。
「……それで、俺も監視役として付き添っているうちに、植物に興味が湧いてきまして。この人と植物の話ができたら、もっと楽しいだろうなと思って、これを買ったんです」
「そうか」
驚いたことに、ギリエフ外交官は、嫌味の一つも言うことなく、ヤボクの話をじっと聞いていた。少しでも、吸血鬼の情報を得ようとしているのだろうか? 増えていくのは、今の季節植えていい花やら、虫がつきやすい花やらの話だ。
トラメルは、少しだけ懐かしくなった。自分大好きなダフィンは、自分の名前の由来の沈丁花のみならず、植物全体を愛していた。
ダフィンは一つのことを好きになると、それを含んでいる全体をも好きになる、善い奴だった。
トラメルは、そんなダフィンのことを好ましく思うと同時に、危なっかしいと思っていた。認めなければならないだろう。ちょうど、犯罪者の話をした時のシア、植物図鑑の話をしている時のヤボクみたいに、悪意なんてそっちのけの、危なっかしい存在だったのだ。
ーーそっか。
「だから、俺はもっと、たくさんのことを知りたいんです。この人と“わかりあいたい”から」
トラメルは答えを保留したけれど、ギリエフ外交官は、そうではなかった。
「わかった。今度の交渉で、その植物図鑑を作った人物を連れてくるよ。といっても、それを作るのに携わった人間はたくさんいてね、共和国の植物学者、出版社に、印刷業者、写真を撮るカメラマンもそうだ。誰に会いたい?」
「全員です!」
迷うことなく、ヤボクは答えた。暗い青色の瞳が、この時ばかりはきらきらと輝いていた。
「全員に、会いたいです! 全員に、これを作ってくれたお礼を言いたいです!」
「わかったよ、約束しようヤボク君。今度の交渉の時には、全員を連れてこよう。よろしいですか、レーテ殿下」
「良いですよ〜」
なんとも気楽そうな返事をするレーテだが、長年の付き合い(二年)のトラメルにはわかった。レーテはちょっと、不機嫌だ。
「これが、共和国の軍人とかぁ、政治的に偉い人だったら許すことは無いけどぉ、ただの図鑑を作ってる人だったら良いよ〜。人間じゃなくて、吸血鬼のヤボクの提案なら尚更ね〜」
どうやら、彼女は『仲良し同盟』の仲良しじゃないところを見抜いているらしい。金色の瞳を細めて、それとなくヤボクに釘を刺してきた。
それでも嬉しそうなヤボクを見て、ギリエフ外交官も嬉しそうに笑った。こちら側の吸血鬼を取り込めたから笑ってるんだろうか、なんて、そんな野暮なことは考えまい。嬉しいから笑ってるのだ。こんな吸血鬼もいるのだと、好意的に解釈しているから。
「……国家元首に、同じ道を辿らせるのはなしです」
無表情を意識して言ったけれど、たぶん、トラメルの顔は不満そうに違いない。
「図鑑の条件は飲み込んでもらえましたか、ギリエフ外交官。それじゃ、次の条件ですけど」
「うん、何かな?」
ヤボクの善意に触れて、心なしか、ギリエフ外交官の表情も優しい。
「復讐される側だってことを忘れないでくださいね、ギリエフ外交官。ヤボク君を取り込めたからって、良い気になるなよ」
「敵意丸出しだね。拗ねてるのかい?」
なに余裕そうに笑ってるんだ、連合最弱のパルマヤ共和国の分際で。
ーーこうなったら、無理な条件ふっかけてやる!!
人間界には、猫という生き物がいて、威嚇する時毛がぶわっと逆立つそうな。
まさに、今のトラメルの状態だ。
お気に入りのおもちゃをとられて、外交官に敵意丸出し。それだけじゃない。ヤボクが悪い人間に騙されて悲しまないか心配していることが目に見える。
ーー本当に、優しいんだから。
人間にしておくにはもったいない。
トラメルは、外交官のことを睨んでいるし、外交官は、余裕ぶったトラメルのことをからかうのに夢中。そのやりとりを見て苦笑する面々。
だから、レーテは容易に、ヤボクと目を合わせることができた。
……輝いていたはずのヤボクの目は、レーテと目を合わせる時だけ、その光を失い、レーテはそれに、満足そうに微笑んだ。




