家畜とお友達と婚約者
頭のおかしい銀髪吸血鬼が、トラメルの機転で再び牢にぶち込まれてから一週間が経つ。
「まーた城に侵入しおってこのドラ猫が!! 毎回毎回、お前は何の不満があってここに来るんだ!!」
「繁殖係にしてもらえないからです!!」
吸血王に首根っこを掴まれながら、トラメルは叫び返す。吸血王のこめかみに青筋が浮かんだ。
「お前は可愛いレーちゃんのお気に入りでありながら、それよりも劣る人間の女といかがわしいことをしたいのか!」
「いえ、どっちともしたいです!!」
トラメルはそう言い切って、舌を噛み切らないように引っ込めた。だが、いつまでたっても、いつもの頭への衝撃がない。
そろそろと目を開けて見てみると、吸血王は拳は振り上げていたが、何かを思い出したらしく、静かにトラメルを床に下ろした。
「どういう風の吹き回しですか? こちとら頭を殴られる準備をしてたのに」
「お前、そういうことを言ってる自覚はあるのよな。面倒くさい……じゃなくて、楽しみは後にとっておこうと思ってな!? ぶわははは」
「楽しみい?」
「そうだ。どうせお前は、近い将来レーちゃんに捨てられるからな!!」
「娘をニックネームで呼ぶな、キモいんだよ」
信じてなさそうなトラメルに、吸血王はニタニタという汚い笑みを隠さない。
「最近レーちゃんが、美少年の血を吸いまくっている。公然とな。この意味がわかるか?」
「浮気?」
「ちげえよ。いや、ある意味合ってるのか? そうそう、お前の価値が暴落しているという点では浮気だな」
なんとなく思っていたことを指摘されて、トラメルはまた「ほーん」と言った。吸血王は、反応が薄いトラメルを、びしっと指さす。
「つまり! レーちゃんがお前に飽きて美少年に走ってるんだよ!! ほら、思い出してみろ。最近はそんなに血を吸われてないだろう」
「おしゃべりタイムが多いっすね」
「だろう!? つまり、お前に家畜としての価値はないんだ!! 当然だ、お前のような凡庸な血の持ち主を、王族であるレーちゃんが吸っている方がおかしいんだ!! レーちゃんはちょっと毛色の変わったねこ、を」
「? どしたんすか?」
勢いがよかった吸血王が、どんどん萎んでいく。その視線は、トラメルの背後に向けられていた。
ちらっと見ると、そこには、紫髪のトラメルの飼い主。彼女はトラメルの肩に両手を置いた。
「トラちゃんを引き取りに来いって連絡があったから、来たんですが、お父様、どうしてそんなことをトラちゃんに言うの?」
「れ、れ、レーちゃん、ちょっと声が低くない?」
「そして俺の肩も痛くない?」
吸血鬼の皆さんには、そろそろ人間なんて力を入れればぷちっと潰れてしまう存在だと認識してもらう必要があるな。
「でも、丁度いいかな〜」
「丁度いいって、なにが?」
肩を掴まれながら問うと、レーテはにっこり笑っていた。
「トラちゃんに〜、私の新しいお友達を紹介するね〜」
「こんばんは〜。トラちゃんを連れて来たよ〜」
「トラちゃんっす、こんばんはー」
あれ、俺、何してんだろう。
トラメルは一瞬遠い目になりかけたが、気を取り直してレーテの真似をして手を振る。王城三階にあるレーテの私室には、美少年が五人待っていた。
「うわ、レーテ様なんですかこれ。なんですかこの醜悪な物体」
「トラちゃんだよ。知ってるよね〜、私の家畜さんだよ〜」
「ああ、“裏切り者”の」
半分は蔑み、半分は敵意というところか。後の一人は、本なんか持ち込んで無関心をキメている。
「今日はぁ、トラちゃんに、私たちのお夜食会を見てもらおうと思って〜、連れて来たの〜」
「え? そうなの?」
「レーテ様、この男、今“そうなの”って言いませんでした?」
「言ってないよ〜」
いや、言ったね。なんてことを言えないままに、トラメルは部屋の隅っこに三角座りした。
さすが、人間の王国の城をそのまま乗っ取っただけはある。
レーテの部屋は、たぶん姫の私室。家具はどれも一級品の輝きを放っている。天蓋付きのベッドは何人も寝れそうなほどに広くて、薄いピンクの紗がかかっていて、そこで美少年とレーテが吸血したりしなかったりしている。
帰っていいかな。
特に呼ばれることもなく、トラメルは絨毯の毛の本数を数えていた。
「あれ、どこまで数えたっけ。たしか六百……」
「貴方は、どうしてここにいるんですか」
絨毯に影ができる。服装を乱した少年が、本を持ちながら、トラメルのことを見下ろしていた。少年が持っている本は、物語の本じゃなくて図鑑だった。筋肉鍛えられそうだな、と、トラメルは思ったりした。
「連れてこられたから?」
そう答えると、少年は表情を崩さずに言った。
「惨めじゃないんですか?」
「惨め?」
「自分より若くて美しい美少年と、自分の飼い主の吸血を見せられて。部屋の隅っこで絨毯の毛の本数を数えている」
「よくわかったなお前。ちなみに俺がどこまで数えてたか知ってる?」
「七百二十三本目までです」
「そうそう。別に惨めじゃねーよ。おんなじ家畜だし? むしろ血を抜かれないで万々歳だわ」
「おんなじ家畜?」
少年が鼻で笑った。トラメルはムッとする。
「僕たちのことを、レーテ様がなんとおっしゃっているかご存知ですか?」
心当たりがあった。
「お友達……」
「そう。家畜の貴方と違ってね」
少年が、トラメルの瞳を覗き込んだ。
「家畜と、お友達の違いはなにか、ご存知ですか?」
自然と喉が鳴った。トラメルは、少年の緑色の瞳から目を離せずにいた。
「殺されるかどうかです。貴方は家畜。つまり」
殺される方です。
「トラちゃん、どうして昨日は、いきなり出て行っちゃったの〜?」
「ああ、小便行きたくなっちゃって」
あははー、と笑うと、レーテも「そうなんだ〜」と笑って、
「い、痛っ!?」
いつもが甘噛みだとするなら、今日のは本気の噛みだ。じゅるじゅると凄い勢いで血を吸われて、トラメルは昨日のことを思い出した。
ーー殺される方。
可憐な少女の姿をしていても、レーテは吸血鬼なのだ。
「大丈夫。安心して、トラちゃん。あの子達も、所詮はお友達だから」
くすくすと耳元で笑われる。昨日の会話を聞かれていたのだ。
「殺さないことなんてないわ」
「それ、どう安心しろと」
「今日はこの後、私の婚約者の元に行きましょうかぁ」
マイペースなご主人様は、今日はトラメルの首輪に鎖をつけて、ずるずると引きずっていく。
「ふーん、これがトラちゃん? 凡庸な顔だね」
「ええ、そうでしょ? 自慢の家畜なの」
自慢なら否定しろや。鎖を爪で弾きながら、荒んだ気持ちで、トラメルはそう思った。レーテの婚約者であるという男は、トラメルのことを心底バカにしたように笑った。
「君も趣味が悪いね、レーテ。こんな家畜、屠殺してしまえばいいのに」
「私もそうしたいんだけど、貴方と結婚するまでは飼っておこうと思って」
「本人の前で殺害予告する普通?」
突っ込むと、婚約者とかいう男から睨まれた。
「家畜は黙っていろ」
「豚も牛も鳴きますよ。鶏だって鳴くわ、毎朝お前の枕元で朝を知らせてやろうか」
嫌味たっぷりに言うと、婚約者の男はレーテとイチャイチャしていた。トラメルのことなんか視界に入らないように。
美男美女のお似合いカップル。トラメルはなんとなくいたたまれなくなって、鎖を指に巻きつけて遊んでいた。
ーーなんか。
昨日の図鑑少年の言葉を思い出す。
なんか、惨めだなあ。