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not 交渉 but…

親近感を出すためです

「ここに来たのが運の尽きってやつですよ、ギリエフ外交官。うっひっひ……」


目の前のトラなんとか、という少年は、王子のような才気煥発さはないけれど、王子のように悪どい笑いがよく似合う少年だった。


もっとも、王子の笑いは相手を戦慄させる笑いだが、この平々凡々な少年の笑いは、小物臭くて、戦慄するのがアホらしいとなる違いがある。


……だが、この少年を甘く見積もってはならない。


実際、この少年は、ギリエフ外交官とのやり取りにおいて、“自分の名前を教えない”ということで優位に立ったのである。


最初から名前を教えてくれなかったのは、ダフネオドラ王子の権威を笠に着るためではなく、後々の交渉材料として取っておくため。この少年は卑屈な笑いを浮かべてはいるものの、自分の価値を正しく理解しているのである。


ーーさて。


たしかに、“名前”において一本取られたのは事実。だが、それと交渉とは関係ない。


少年の恐ろしいところは、名前を教えない=『仲良し同盟』とやらの優位にすり替えたところである。たしかに、少年とギリエフ外交官は、『仲良し同盟』の代表と、共和国の代表ではあるのだが、今回の交渉に、少年の名前の価値は関わってこない。


関わってくるとしても、少年の名前は、あちら側の交渉材料になるだけで、依然として、共和国は、交渉を“頼まれる”側なのである。


ギリエフ外交官は、ひとつ咳払い。


「君はなにか、勘違いしているのではないかね。たかが名前ひとつのために、交渉に応じることはない。私は、君の問いに返事をしていないよ」


嘘である。吸血鬼の姫が、能動的にではなく、受動的に、お気に入りに“なりたい”と言う対象の情報は、喉から手が出るほど欲しい。


人間に感情を向けはすれども、人間から向けられる感情には無関心。なぜなら、吸血鬼は、基本的に支配する種族だからだ。


そんな吸血鬼が、人間から向けられる感情を気にしている。


これは未曾有の事態であり、もしかしたら、閉塞と諦念が蔓延る人間社会の一筋の光になるかもしれない。


ついでに、ギリエフ外交官が所属している、まだまだ存続している人間社会での地位も向上するかもしれない。


というわけで、出世するにはこの少年の名前はぜひとも欲しいところだが、そんなのに釣られてほいほい交渉してしまえば、狡猾な少年に毟り取られるだけ毟り取られる未来が見えている。


あとついでに、レッサリアの兄弟アホたちに、馬鹿にされる未来が見えている。この前、吸血鬼達に「魚と米を送れ」とお達しされた話をしたら、弟の方に「僕たちの国はそう言われてないんですけど? どうしてでしょうね〜?」と満面の笑みで言われた。

答えは、吸血鬼もレッサリアに「関わりたくねえ」と思っているからである。


なにせ、レッサリア王国は、人間社会の中でも一番の曲者。

吸血鬼が襲来した世界でも、「はいはい食糧食糧」と投げやりに貢物をしてくる嫌味な国家だ。

武力で黙らせようにも、軍事力は大陸一。噂では、なんか怪しい実験をしてるとかなんとか(諜報機関によるふわっふわ情報)。


そうでなくとも、人間は人間で数の強みを生かして国家間の連合ーー通称・裏切り連合を作ってるから、ここに加盟している共和国がひとたび交渉を許してしまえば、人間側から「うちの国も吸血鬼に睨まれてんだけど!?」とバッシングをされかねない。


八方塞がりになるのは目に見えている。 


ーーいや、待て。


交渉に応じる気はない。だが、あのムカつくアホたちを思い出したとき、ギリエフ外交官の胸には、とある疑問が生まれた。いや、まさか。


「ところで君、好きな食べ物は?」

「は?」

「答えたくないなら、答えないでいい」


地獄の門を開く気は、ギリエフ外交官にない。だが、悪魔は顎に手をあて、わざわざ答えてくれた。


「えーと、強いて言うなら、魚? あと、魚と一緒に食べるなら、米が良いですね」

「やっぱりか!!」


だんっ、と机を叩いてしまう。少年が「えっ怖い」とドン引きした声を出した。ドン引きしてるのはこっちだ。


ーーやっぱりか! やっぱりお前か!


思わず、レーテ姫の方を見てしまう。レーテ姫は甘々な笑みを浮かべている。ゲロ甘だ。“お気に入り”なんて可愛いもんじゃない。一個人の好物だからって、周辺諸国にお達しをするな!


思ったよりも重いレーテ姫の愛に慄きつつ、ギリエフ外交官は、やってらんねえとばかりに席を立つ。


ーー外の人間よりも、よっぽどうまくやっているじゃないか。お幸せに。


と、



「ーー共和国の方が格下だと言ったはずですよ」



冷え冷えとした声は、最初、誰のものなのかわからなかった。机の上に肘を乗せて手を組み、その上に顎を乗せた少年は、茶色の瞳で、ギリエフ外交官を縫い止めた。


「お座りください、ギリエフ外交官。なにも、名前だけで優位性を示そうとしたわけではありません。今日、ここにお呼びしたのは、あなた方共和国がどういう立場にいるか、教えるためです」


小物くさい笑いはどこへやら、少年は王子と全く同じ笑みを浮かべていた。


ギリエフ外交官は、ごくりと唾を飲んだ。椅子に座る。息を吐き出す。


今度は少年が、肩をすくめた。


「“交渉”の段階で応じてもらえれば、話は簡単だったんですけどね。だけど、ギリエフ外交官が意地を張るから、こうして脅さなきゃいけなくなっちゃったってわけです」


まるで、それが善意であったとでも言わんとするように。


「たしかに俺たち『仲良し同盟』は、人間を家畜化して支配する吸血鬼のやり方に嫌気がさして、反旗を翻しました。だけど見てもらってわかる通り、俺たちは極めて良好な関係を築いています。できるなら、無血開城をしたい。そう思っています。ね、レーテも俺たちと戦いたくないもんね?」

「そうだね〜。私も、トラちゃんと戦いたくないなぁ」


隙あらばイチャイチャするのをやめろ。銀髪の吸血鬼がまた唸ってるじゃないか。


「ま、そういうわけで? 敵対はしてるけど、そこまで仲悪くないっていうのが、俺たちの現状。だから、この場で誰が不利かっていうと」


にたりと笑う少年は、真っ直ぐにギリエフ外交官を見た。

ギリエフ外交官は、少し寂しくなってきた生え際に手をあてながら、言う。


「共和国というわけか」

「ごめいとー!」 


傲岸さはなりを潜め、明るく拍手する少年。どうせ、この態度の差も、こちらに揺さぶりをかけるための術なのだろう。こちらに答えを言わせるあたりも、いやらしい。


「飛んで火に入る夏の虫ってね。ねえ、ギリエフ外交官? 王国を見捨てた(あがな)いをする気はありませんか? 今なら()()()()として、共和国には特別大サービスしちゃいますよ?」

「ほう、特別大サービスとは、一体何なのかね?」

「もちろん、俺たち王国民の有り余る復讐心をかなーりやわらかくぶつけられる権利です」

「他の国は?」

「国家元首に、()()()()()()()を辿らせる」


少年の瞳は、嘘を語っていなかった。砂を噛んだ気分だ。


「良いだろう。何でも要求したまえ」



はじめから。


はじめから、交渉など存在しなかった。


この少年は、現状を打破するのではなく、王国を見捨てた国々に復讐をするために、共和国を呼びつけたのだ。原因を作った吸血鬼さえも取り込んで。


ーー私たちと手を組むつもりは、さらさらなかったということか。


吸血鬼ではなく、手が届く人間に復讐する。実に合理的な考え方だ。自死した王が治めていた国の国民とは到底思えない。


肌が粟立つほどの悪意に、ギリエフ外交官は晒されていた。

この場に、共和国の味方は誰一人存在しない。


交渉は消え失せた。今からギリエフ外交官を、共和国を襲うのはきっと、悪意の嵐のみ。


ーーこれは、報いだ。


勝手に暗黙の了解を作って、自分たちの罪悪感をなかったものにしようとした。まだ生きている人間を、死んだものとして見做そうとした。


居もしないと思っていた神様は、意外と人間社会を見てらっしゃったらしい。ギリエフ外交官は、最初に少年と会ったのとは違う種類の、皮肉げな笑みを浮かべた。人それは、自嘲という。


さあ、少年は、どんな物を要求してくるのだろうか、共和国で補えればいいのだけれど。


と、ギリエフ外交官が腹を据えた時ーー張り詰めた空気が、


「あ! じゃあまず、この植物図鑑を作った人に会いたいんですけど!」


一気に、ぶった斬られた。


がたん! と音が聞こえたのでそちらの方を見ると、少年が床にずっこけていた。

ずっこけさせた方の、地味な吸血鬼は、どこまでも純粋な笑みで、ずいっと、ギリエフ外交官に本を見せてきた。


「こんな素敵な図鑑を作った人に、お礼を言いたいんです。お願いします、ギリエフ外交官!」

「はあ」


一気に力が抜けたギリエフ外交官は、椅子にもたれながら、クソどうでもいいことを考えた。






そういえばこいつら、なんで私のことファーストネームで呼んでくんの?

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