S級犯罪者
「なるほど、だいたいわかった」
その男は、猫のように目を細めて、ラクタとトラメルを見た。釣り上げられた口元は、何か不吉なものを感じさせる。
ラクタは、ごくり、と唾を呑んでいた。相手は鉄格子の中にいる。それなのに、今この一瞬で、命が奪われてしまうような危惧に襲われている。
王国が、王国じゃなくなる前からここにいた男は、今度はラクタだけに視線を向けた。それはーー獲物を見る目だ。
「ーー!」
じゃり、と音がした。
「大丈夫だよ」
後ずさったラクタの肩に置かれる手。見上げれば、トラメルが微笑んでいた。
男からのプレッシャーを感じているだろうに、恐怖の表情など微塵も見せない。置かれた手は、ちっとも震えていない。
不覚にも、頼もしさを覚えてしまう。と、同時に、ラクタは気を引き締めた。
ーーそうだ、僕たちは、ここに交渉に来ている。ぼくが弱気でどうする!
トラメルが、「大丈夫」と言ったのだ。ラクタは唇を引き結んで男を見た。男は、笑みを深めた。
ゆっくりとーー口が開かれる。
ラクタは、全神経を研ぎ澄ませた。
「つまり、俺がしなければいけないことは……至高のカレーを作ること、だな?」
「ぜんっぜん違います不採用」
「まともな人まともな人まともな人……」
ぺらぺらというより、べぺぺぺぺという擬音が相応しい。
監獄付属の資料室。トラメルと共に帰ってきたラクタは、その緑の目を血走らせて、机の上に広げたファイルを猛然と繰っていた。
そこには、王国の頃、ここに収監されていた犯罪者たちの個人情報が載っているようだ。
そこにやってきたシアは、それを引き気味に見て、こちらはのんびりとページを捲るトラメルの袖を引っ張る。
「ちょっと、貴方、ラクタに何をしたのよ」
たしか、二人は記念すべき第一回目のリクルート活動に向かったはずだ。トラメルが「勧誘したい人がいる」と言って出かけようとしたのを、他の三人がラクタをお目付役として同行させたのである。それが、今やこんなザマ。
トラメルが、資料から目を離し、キョトンとして答える。
「なにって、比較的友好そうで、面接に適してそうな囚人に会わせただけだけど?」
「それがどうしてあんなことになってるのよ。壊れちゃってるじゃない」
「思ったよりもカレー好きだったからかな」
「カレー好きの度を越してますよあの人!」
「あ、戻ってきた」
のんびりと不思議なことを言ったトラメルに、ばぁん! と机を叩いて立ち上がったラクタが吠える。
「あの人、僕たちの話をなんっにも聞いてなかったですよ! どころか、なぜか僕たちの目的が、共生じゃなくて、美味しいカレーを作ることになってましたよ!? おまけにレシピを教えられたし!?」
「これで俺たちのふつーのカレーも絶品になるってもんだね。よかった、今度作ってみようか」
「はいそうですね……」
あくまでも穏やかに笑うトラメルに、激昂することに疲れたらしい。ラクタは着席し、机に突っ伏す。
「まさか、あの時言われた“大丈夫”が、“この人カレー狂いだから大丈夫”だとは思いませんでしたよ……」
「まあ、その意味もあったけどね」
ぺらりぺらりと涼しい顔でページを捲り始めるトラメル。黒革の表紙には、金文字で『B級犯罪者』と書かれている。なんだか物騒な名前だ。
「B級犯罪者相手に不採用を言い渡して、“脳みそカレーで出来てんですか”って言えたんだから、あの面接はすごく有意義だったと思うよ」
「……は?」
王国でも指折りのワルたちは、この監獄でさらにランク分けされていたらしい。いちばんヤバい犯罪者は、S級犯罪者でそこからA、B、C、D、Eと降りていくのだとか。
「つ、つまり僕は、ランクで言えば三番目にヤバい犯罪者に、失礼なツッコミをしてしまったというわけですか」
たしかにカレー好きの人の顔をそのファイルの中に確認して、顔を青ざめさせるラクタ。トラメルが「そういうことだね」と親指を立てる。その所業と表情、まさに鬼畜。
さすが、味方をも巻き込んだカレー事変を考えだした男である。
「といっても、Eランクでも殺人は当たり前だから、ヤバいんだけどね!」
こいつ、どんな感情で言ってるの?
シアは半眼になった。この男は、たまに得体が知れなくなる。
「で、でもよくわかりましたね。あの人の名前……囚人には、番号しか振られてないのに」
「そりゃ、カレー配ってる時に、どんだけ悪いことをしたか聞いておいたからね」
ラクタの問いに、トラメルが、こともなげに言った。
「俺を追い出したい一心で、みんな自分がどれだけ悪くて怖い存在かをぶっちゃけてくれたから、ある程度同定はできると思うよ」
つまり、ウザ絡みしたというわけである。シアは、心の中で家畜さんたちに合掌しておいた。
「まあそういうことで、ラクタ君は見事に、B級犯罪者相手に怖気付かないでいることができたってわけだ。これで、気兼ねなくリクルート活動をできるね」
「は、はい」
ラクタが戸惑いながらも返事をする。シアは、瞳を眇めた。
ーーまさか、この男。
『なにって、比較的友好そうで、面接に適してそうな囚人に会わせただけだけど?』
ラクタを慣れさせるために、わざとカレー好きの囚人に接触しようとした?
沈丁花の王子に関しては狂人だが、まだ常識人のラクタに、ギリギリ乗り越えられるカレーの人をあてがうことによって、適応させようとした?
そこまで考えて、シアは、「まさかね」と肩をすくめた。
シアの複雑な心を、食い意地で片付けたこの男に、そんな気遣い、できるわけない。
シアは伸びをして、ふと、興味を持った。
「それなら、貴方がカレーを配った中に、S級犯罪者っぽい人はいたの?」
安直な考えだが、この監獄でいちばん悪くて強い奴を味方に引き入れれば、“なかよし同盟”の力も拡大できるはず。
「……この監獄に、S級犯罪者は五人しかいなかったみたいだよ」
どうしてか、トラメルの顔つきが強張ったような気がした。それに、明らかに返答を濁している。
トラメルは、重い足で棚の方に歩いて行き、薄いファイルを引き抜いた。その表紙には、『S級犯罪者』の文字。
「カレーの人が殺した人数はおおよそ三十。S級はそれ以上のシリアルキラー、および、犯罪組織の首領」
トラメルがゆっくりとページを捲る。たったの五ページで終わるファイルは、何の意味があるのかと問いたくなるが、どうやら同じファイルがある棚に、彼らの所業が書かれた分厚いファイルが収められているらしい。
たいていの犯罪者は同じファイルに数ページなのに、S級犯罪者ときたら、何冊もの分厚いファイルを使って、その犯罪が記録されているのである。
いかつい髭面の男、人一人殺せなさそうな可憐な少女、陰気な男、火傷らしき顔が溶けた男……そして。
「あー……そういうこと」
どうして、トラメルが渋ったかがわかった。たしかに、これを知るにはもう少し、心の準備が必要だったかもしれない。
「……」
言葉を失っているラクタに、トラメルは苦笑した。
「レーテはこのことを知ってて、君をあそこに入れたのかな?」
リクルート活動は、前途多難。
お留守番組のシザーは、お向かいさんの「十五点」という声を聞いて苦笑した。相変わらず、低い。
ーーさて。
目の前の、史上最悪の犯罪組織の首領様は、果たして同盟に入ってくれるのやら。それ次第で、自分の身の振り方も変わってくるのだが。
「ううう……おのれトラメル・ヴィエスタ、シア様の心を煩わせおって〜!!」
ニノンの、帰りが遅いご主人様を心配する鳴き声を聞きながら、そんなことを思ったりするのだった。




