監獄カレー大作戦
「まずい」
ぱぁん! と皿がトラメルの顔面に叩きつけられる……寸前に、トラメルはそれを回避。あまつさえ中身のこぼれそうになったカレーを、綺麗に皿に回収。吸血王との追いかけっこで鍛えられた敏捷性は、伊達ではないのである。
「お前、バケモンかよ」
呆気に取られてそんな感想を漏らす囚人に、トラメルは曇りなき眼で言った。
「俺は、諦めませんから。いつか俺のカレーで、あんたを仲間に引き入れてみせる」
トラメルが、“なかよし同盟”本部(ラクタ少年の牢屋)に帰ると、ラクタやシア達が、すっかり疲れ切った様子で座っていた。
全体的に、なんだかどんよりした雰囲気を醸し出している。訳を聞くと、
「久しぶりに食べるカレーがこんなにクソまずいなんて最悪だ、殺すぞこらって凄まれました」
「なんで私がカレーを頭から被らなきゃいけないのよ」
「シア様にカレーを投げつけてきた輩の顔はしかと覚えましたので」
「とまあ、我々“なかよし同盟”のカレーは、非難轟々だったってわけ」
以上、この監獄全棟に収監されている凶悪犯の皆さんに、夕食であるカレーを配った結果である。
凶悪犯の皆さんは、現王政派に対する人質であり、将来シアと敵対した時に仲間になってくれるかもしれない貴重な人材。それなので、餓死させることは論外。美味しいカレーを振る舞うことで、心をガッチリ掴もうとしたのである。
トラメルたちは、たかを括っていた。ここで生かされている囚人達は、シアと同じように、いわゆる臭い飯を食わされているのだと。
だったら、トラメルたちが普通な夕食を作りがてらに作ったカレーも、美味しく食べてくれるのではないかと。
ところがどっこい、監獄メンバーズの舌は肥えていた。凶悪にもかかわらず、わざわざ生かされているだけのことはある。
「よっぽど血が美味しい人たちなんでしょうね」
偏食家のシアちゃんは、他人事のように言った。そういえば、ここの囚人の肌艶は妙に良い気がするし、極度に肥満してる人間も、痩せ細っている人間もいないように見える。健康管理がしっかりされている証拠だ。
「あと、私思ったんだけど、五人で手分けして囚人全員に配るのって、けっこう無謀よね? この監獄、五棟だから、一人一棟計算だし、ニノンは私のそばから離れないから、実質私だけ二棟だし」
「それはそうなんだよなぁ」
トラメルは腕を組んで頷いた。どうでもいいが、シアの体から良い匂いがする。どうやらカレーを被った後、シャワーを浴びてきたらしい。
「カレーを配るにしたって、人員が必要だよな」
「早々に、ここを“なかよし同盟”の拠点と宣言する必要があると思うぜ、議長」
「それはそうなんだよなぁ」
だが、トラメルとしては、中立派の人間や吸血鬼が来る前に、囚人達を初期メンバーに引き入れて、基盤を固めておきたいのも事実なのである。
「どう思います?」
そんなことはシアの前では言えないので、ラクタのお向かいさんの囚人に振ると、彼はもぐもぐとトラメル達の作ったカレーを咀嚼して、一言。
「五点だと思う」
それが、はじめて彼が発した言葉だった。
「それって、何点満点中?」
「聞きたいか?」
「いや、やっぱりいいです」
穏やかな笑みを浮かべた彼は、それでもカレーを食してくれた。
「クソまずいって言ってんだろーが!」
まずスプーンを囮として、その次に顔面に投げられる皿。
トラメルは、スプーンをノールックで人差し指と中指の間で受け止め、それから靴の裏で皿を受けとめた。空中から帰ってくるカレーの中身を一回転して全て収めて、華麗にお辞儀する。
「いま……足で受け止める必要あったか?」
「ないっスね」
「お前の身体能力どうなってんの?」
「すごいでしょ?」
毒気を抜かれた囚人は、差し出されたカレー皿を渋々受け取り、口に入れる。
「まあ、昨日よりはマシなんじゃねーの?」
朝日が差し込む“なかよし同盟”本部。トラメルは晴れやかな笑顔で帰宅。だが、他の四人は相変わらずお通夜状態であった。
「どしたの、みんな」
「昨日と同じよう」
シアがまたもや良い匂いを纏いながら、涙目で言う。
「美少女の顔面にカレーをぶっかけるのって気持ち良いよねハアハアって言われた、死にたい……」
「大丈夫ですシア様! その輩には窒息寸前までカレーを押しつけてやりましたから! まあ、美少女にカレーを押し付けられるのも良いよねと、謎めいたことを言ってましたが……」
「二回殺すぞって言われました」
「俺も、ちょっと言葉には出しづらいことを言われたなぁ」
シザーも苦笑いしている。穏やかな笑みが引き攣っていた。
それでも、それでもお向かいさんなら!
トラメルは、もぐもぐとカレーを咀嚼してくれるお向かいさんを見た。すぐに視線に気付いたらしい。お向かいさんは、にっこりと親指を立てて、
「七点」
「おお、上がった!」
「二点だけじゃない……」
げんなりするシア。ラクタが、恐る恐る訊く。
「ちなみに、それって何点満点中ですか?」
「知りたいか?」
「いや、やっぱり、いいです……」
「あーもうわかった! 素直に食べるよ! まったく、お前の相手をするとこっちが疲れる!」
囚人のいらないツンデレをいただいてしまったトラメルは、「けっこう美味いじゃねーか」という高評価をもらって、ウキウキと帰宅した。
シアが、背中を丸めて啜り泣いていた。
「もうやだぁ! カレーの匂いがトラウマになるぅ!」
「落ち着いてくださいシア様! 私はシア様と一緒にシャワーを浴びることができて嬉し、げふんげふんっ、おのれ、トラメル・ヴィエスタ……」
「すごい流れ弾だ……それはともかく、トラメルさん。僕ももう限界です。なにも、カレーにこだわらなくても良いのでは?」
ふんふんと自分の服の袖を嗅ぐラクタ少年。彼もまた、カレーの幻臭に囚われているらしい。
「これで、晩、朝、昼。ぜんぶカレーですよ」
「でも、俺たちは別のモン食べてんじゃん」
「それはそうですけど……」
実際、今日の朝ごはんはトーストだったし、昼ごはんはミートソーススパゲティだった。トラメル達自身がカレーを食べたのは、昨日の夕方だけ。三食カレーを食べさせられているのは、囚人達だけなのである。
「あとは、こっちとあっちの我慢比べだよ」
「俺はさぁ、もうちょっと、辛めのやつが好みなんだよなぁ。そこらへんよろしく頼むぜ」
とうとう、笑顔で注文が入るようになった夕方。
“なかよし同盟”本部は、大いに盛り上がっていた。
「なんだかわからないけど、今日はカレーを投げつけられなかったわ! 私の努力が身を結んだのね!」
「シア様とのお風呂、お風呂が……」
「殺さないから許してくれって言われました!」
「鬼畜なこと考えるよな、議長は」
肩を組んでくるシザーに、トラメルはサムズアップ。お向かいさんを見ると、お向かいさんもサムズアップしてくれた。
カレーの評価を訊くと、十一点だった。一食ごとに二点上がるシステムらしい。というか、やっぱり十点満点じゃなかった。
かくして、トラメルとシア率いる“なかよし同盟”は、三食、いや、四食連続カレーにすることよって、監獄にカレー臭を充満させた。
跳ねつけても、それしかない囚人はカレーを食べるしかなくなり、エンドレスに出てくるカレーに嘔吐寸前。
それは三日続き……囚人達は、ついに音を上げ、“なかよし同盟”への反抗的な態度を改めたのであった。
ついでに。
「え、もう三食カレー生活じゃなくなるのか!?」
トラメルがそのことを告げると、最近はトラメルに色々話してくれつつあった彼は、ショックを受けたようだった。
彼はただのカレー好きだった。




