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ふたつの窓

「二年ですよ、二年!」


腕まくりをしたトラメルが、意気揚々と、この病室に入ってくる。頭には三角巾、左手にはバケツを二つ、右手には箒とちりとり。明らかに目的はそれである。


「長い入院生活、窓を眺めながら思ったんじゃないですか? なんか、窓汚くね? って」

「いや、俺はそんなことは一度も」


雨風に晒された窓を見て、あの人の願いが叶っているはずだと、感傷的になったりはしたけれど。


だが、こちらの思いを知る由もない、最近空元気気味のトラメルは、ずいずいと自分の意見を押し付けてくる。


「ですよね! こんな、虫の死骸とか、砂埃とかがついた窓で、外の景色見たくないですよね!」

「それで、掃除というわけか」

「嬉しいでしょ?」

「自分の今の住処が綺麗になるのは良いことだ」


普段の自分なら、別にやらなくていいと言うだろう。“草”として、自分の身を置いてきた環境と比べれば、天国と言っても良い。


だが、どうにも。レッサリアの第二王子というよりも、あの人が大切にしていた親友である彼が元気がないのが、見ているこちらとしても居た堪れない。だから、掃除をしてもらうことにしたのである。


イマジナリートラメルは、本人がいると出てこない厄介な性格をしているが、今の自分には、どうしてトラメルがここに来たか、わかったような気がした。


「心配しなくても、俺は詮索しない」

「何のことですか?」


笑顔で首を傾げるトラメル。変なところで強情だ。彼の態度で勘違いしやすいが、あけすけに話してるようで、話していない。


たぶん、彼があけすけに話せる人間は、曰くつきの彼が全力で頼れる人間は、もう、この世を去っているのだ。


「ところで、バケツの中にあるのは何なんだ?」

「レモンです」


そう言って、トラメルは、こちらに見えるように、片方のバケツを傾けてくれた。


バケツの中には、黄色いレモンがごろごろ入っていた。どれも、瑞々しくて美味しそうだ。箒とバケツとちりとりを手放さないまま、トラメルはいくつかのレモンを使って、お手玉をした。


「パルマヤ共和国に送ってもらったんです。これを、窓の掃除に使おうと思って。ほら、水垢がすごいでしょ、この窓」

「確かに。白っぽくなっているな」

「それで、レモンですよ。このレモン達を使って、総攻撃を仕掛ける」


お手玉をやめたトラメルは、真剣な表情をつくり、レモンを窓に向かって投げる仕草をした。


「どのくらいとれるかはわからないけど、少なくとも、今よりはマシになることをお約束しますよ」




そういうわけで、トラメルは、この炎天下にわざわざ外に出て行って、窓を綺麗にしているのだ。


涼しくなっている夕方にすればいいものを、わざわざ身を焼くような暑さの中で掃除することを、自分は咎められなかった。


鼻歌でも歌っているのだろうか。時折目を閉じながら、小さい虫や、固まった砂粒を箒で落としている。バケツで窓にばしゃりと水を掛け、ぼろ布で拭いている……のを、ベッドに座って本を読むふりをして観察した。


「……」


観察していると、さっきから執拗に、トラメルが窓の一部分を拭いていた。体の角度、視線から考えるに。


「トラメル」


本を閉じる。窓を開けて、声が聞こえるようにする。


「俺を拭くのはやめろ」

「チッばれたか」 


全く反省してなさそうなトラメルは、悪態をついた。

 





そりゃ、トラメルだって、窓ガラスの向こうの病人を、しつこく拭くつもりはなかったのだ。


だが、あんまりにも「お前本当に草か?」と言いたくなるほどに、気遣う視線がびしばし感じられて、窓の向こうのカレー好きの人を、ボロ布できゅっきゅと拭いてしまった。


窓は綺麗になっていくのに、カレー好きの人の表情は、曇っていくばかりだった。再び本を開いて、今度は、トラメルのことを見ないようにしてくれる。カレー以外はデリカシーがあるのだ、あの人は。


ーーそれにしても。


吸血鬼は、監獄の人間を手厚く扱っていたと思うのだが、病人にはあまり優しくなかったのだろうか。


カレー好きの人がこの病室を利用するまで、部屋は荒れ放題で、簡易的とは言えない掃除が必要だった。もちろん、ドクター・恋愛脳は憤っていた。『ここは病人がいるような場所じゃない』とかなんとか。全くもってその通り。病人には、清潔な環境が必要だ。


レモンをぱかっと半分に割って、窓に塗りつける。病室が綺麗じゃなかったのは、コスパ的な問題なのかもしれない。


2年ものあいだ雨風に晒された窓には、白い水垢が、層になってこびりついている。陽の光に照らされれば一目瞭然。透明なように見えて、この窓は結局、不透明なのだ。


「不透明、か」


『なかよし同盟』は、確かに、外部から見て不透明な存在だった。今、トラメルが見ている窓よりも、ずっとずっと。


……。


「なんだ?」


風が入ってきたことか、それとも、お得意の気配察知か。窓が開けられたことに気付いて、本から素早く顔を上げて、カレー好きの人がトラメルのことを見る。


「中から見てどうですか、変わりました?」

「まあな。こんなに汚れていたのかと驚いている」


その答えに、トラメルは満足して、窓を閉じた。汚れている窓は、どっちから見ても不透明なのだ。外から見た方が、汚れが目立つだけで。


ーーつまり。


トラメルは、ソドニア共和国を出禁にしたことを、後悔していた。今からレーテにまたソドニアと外交したいと言えば、怪しまれてしまうだろう。妙な胸騒ぎが襲ってくる。


ーー外の国から見て王国が、『なかよし同盟』(俺たち)が不透明であるように、『なかよし同盟』から見て外の国は不透明なんだ。


そんなこと、外の国が吸血鬼に支配されてないとわかった時に、理解していたはずなのに。三百万人の命が失われた時に、わかっていたはずなのに。


ーーソドニアは、一体、どうなったんだ?






「ええ、勿論。陸軍参謀総長と軍部大臣付秘書官の死は、ソドニアにとっての大打撃でしょう。いや、死んだことすらわからないんだから、失踪かな。真相は闇の中。どのみち、アルダラとかいう無能は、貴方の支えなくして大統領にはなれなかったのですから、もとに戻るだけです。ああ、それにしても、兄上の字ぃ」

「きっっも……」


レッサリア連合王国、アディムスの私室である。私室なのにこの際当然のようにいる愚兄は無視することとして、アディムスは、『出禁』と書かれた紙を、照明に透かして、矯めつ眇めつ眺めていた。


「下に書いてある名前は気に入りませんが、額装する時にちょん切ってしまいましょう。兄上が、ご自分の名前を名乗ることはかないませんでしたが、本題はそれじゃあないですし。ええ、貴方は本当によくやりましたよヴァレル」


さっきから直立不動で話を聞いている、ソドニア共和国高官の服を身に纏う堅物軍人を、アディムスは褒めてやった。


「ありがとうございます」と、ヴァレルは、嬉しいんだか嬉しくないんだかわからない表情で言う。アディムスは、少し不満に思った。この老若男女を虜にする笑みが通じないとは。


「貴方がトラメル兄上の名前を出した途端、レーテ姫は、貴方のことを殺していたでしょうね。いや、殺されてたのはこの国自体かな」

「レッサリアが、吸血鬼に負けるというのですか」

「あのねぇ」


アディムスは、溜め息を吐いた。 


「吸血鬼っていうのは、想定、貴方が死体を遺棄した森に住む、ヒグマが知能をつけたようなものなんですよ」


想定と言ったのは、吸血鬼と実際に戦ったことがないからだ。だから想定。


「そんなのにどうやって勝つというんですか。愛国心も結構ですが、行き過ぎると、敵の過小評価に繋がりますよ」

「……申し訳ございませんでした」

「とはいえ、それは現在の状況でのお話です。“太陽”が完成すれば、吸血鬼など、我々の敵ではありません」


ヴァレルが顔を上げる。レッサリア大好き人間め。


「ですから、もう少しの辛抱です。さて、ヴァレル。本題に入りましょうか?」






……王城の窓には、傷も埃もついていない。それが当たり前だからだ。


兄王子は、遠くにいる愚弟に思いを馳せる。


ーーお前んちの窓は、どうせ汚れてるんだろ?


不透明性は、どちらにも適用される。ソドニアを出禁にしなければ、まだ救いはあったのに。


あいつは、自分で窓を汚した。そしてこちらもペンキを塗りたくってやった。すなわち、戦争情報の漏洩。あれで、枢機卿を助けるのは難しくなったはずだ。


それから……。


弟と、ヴァレルの会話に耳を傾ける。


「それでは、“戦争”の情報を漏洩したのは、レーテ姫ではない確率が高い、と」

「はい、レーテ姫とトラメル殿下は、利害関係にあるように思われました」


兄王子はにんまりと笑う。


こっちの窓は、綺麗になってくばかりだというのに。まったく弟ときたら。


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