死に物狂い
やることは、決まっている。
トラメルは、早退することは諦めて、こほんとひとつ咳払い。満面の笑みで、両手を広げて歓迎のポーズ。
「ようこそ、ソドニア共和国の皆さん! 俺の名前はダフネオドラ・スティルラント。この国の王子様です」
「懲りないねお前も」
頬杖をついて、いつものアレをやったトラメルを横目で見ながら、爆弾魔先輩がぼやく。ルーラーさんのスパイだとしても、やはり彼は常識人だ。トラメルに律儀にツッコミしてくれる。
「わ、私は好きだけどねっ。やっぱり、これがないと始まらないって感じ!?」
興奮状態の続くシアが、力強く両拳を握って、トラメルのことを見る。
「理解しかねます」
そして、お客さまのヴァレルが、冷たい目をしながら、一連の流れをばっさり切り捨てる。
「ヴァレル君〜」
諌めるならもう少しちゃんと諌めてほしい。ヴァレルと共にやってきた、レアード・ジェイムズ軍部大臣付政務官が、おろおろしたように部下の名前を呼ぶ。ヴァレルは、味方のレアードにさえ、極寒の眼差しを向ける。
「これを茶番と呼ばずして、何と呼びましょうか」
「殿下には、殿下なりのお考えがあるのだろう。あんまり詮索をしちゃいけないよ」
ーーお前も殿下って呼ぶんかい。
トラメルは、心の中で突っ込んだ。
「ですがなぜ、ダフネオドラの名前を? 交渉を有利に持っていくなら、ご自身の名前を使えば良いはずです。殿下ご自身の名前を」
ダフィンの名前を語っているから殿下と呼んでいるのではないのだと、きっちり詰めてくるソドニアの軍人。
このとき。
トラメルの頭の中には、「こいつ、どっかで見たっけ?」という疑問が湧いていた。トラメルのことを殿下と呼ぶ。いの一番に、どっかの性悪兄弟がいる国の草ではないかという疑惑が湧いてくるのだ。
すなわち、トラメル生存の可能性を探ってくる人間。
ーーでも、それにしては、俺の名前を言わないの、変だよなぁ。
さっきから、殿下殿下と呼んでくるのはおかしい。まるで、トラメルの名前を呼んじゃいけないみたいに。
「ねえねえ、トラちゃん。トラちゃんって、実は、どこかの国の王子様だったりするの〜?」
だが、第三勢力吸血鬼のお姫様は、のんびりと核心を突くことを訊いてきた。
「さっきから、殿下って呼ばれてるけど〜、そっちの、ヴァレルって人間の言い方からして、トラちゃんがいつも名乗るあの王子のことじゃなさそうだし〜」
「逆に訊くけどレーテ。俺が王子様に見える?」
「ううん。見えな〜い」
勝った! よかった、トラメルに王族の威厳とかなくて!
密かに勝利宣言をするトラメルを見て、レーテは、だけど、目を細めて。
「でも、トラちゃんはぁ、私の王子様だよ〜」
「あぁああああッ!?」
甘ったるいレーテの声に、奇声を上げるシア。ヴァレルとレアードがびくっと肩を揺らした。肝心のシアちゃんは、レーテのことをびしっと指差す。
「れれ、レーテ! あんた、仮にも人妻でしょ!? なんでト……これに粉かけてんの!?」
レーテは、目を瞬いた。
「だって、トラちゃんは私のものだから」
「さも当然かのように言うのやめなさいよ! これは私のものよ!」
と、シアがトラメルの体を抱き寄せる。トラメルの名前を言ってはいけないルールを守っているせいで、シアがトラメルのことを「これ」扱いすることになってしまった。
「い、いやはや、お熱いですな……」
ドン引きした様子のレアードに。
「流石は殿下です。吸血鬼の心も掌握するとは」
絶対に殿下呼びをやめてくれないヴァレル。
「いや、俺は殿下じゃ」
「いえ、貴方は間違いなく殿下です」
取り付く島もない。
トラメルの口は、への字になった。
手紙と違うじゃないかと喚きたい。手紙では、『なかよし同盟』と吸血鬼を舐めに舐めまくってベロベロしてたのに、いざ派遣されたのは、堅物そうな暴走軍人と、それを止める気のない政務官。
ちょっと吸血鬼の怖さをわからせて、お引き取り願うつもりだったのに、初手で予想外の手を取られてしまっている。
ーーさ、詐欺だ。
これはお手紙詐欺。知能の低い手紙を送っておいて、単純なドタコンを煽り、交渉に漕ぎ着ける高等な手口なのだ!
「……か、仮に俺がその殿下だとして、貴方たちにメリットはあるんですか?」
否定していても話は進まないので、とりあえず、トラメルは肯定することにした。別に、名前を出されてるわけじゃない。相手の言っている殿下は、別の殿下のことかもしれないし。
すると、レアードは、ホッとした様子で笑みを浮かべて。
「ええ。貴方が殿下であるならば……我が国が滅ぶのを、阻止できますから」
なんか、予想外に重い理由だった。
「我が国は、短期間で、その政治体制を大きく変えているのです。もちろん、殿下ならご存じでしょうが」
「俺はちょっとわからないっすね」
トラメルがレアードの言葉を否定すると、
「いいえ、貴方は殿下です」
すかさずヴァレルが訂正してくる。なんだこの人。
「貴方は、殿下です」
「に、二回言った……!」
「うちのヴァレル君がワガママで申し訳ありません殿下」
「もういいです、それで」
話の腰が折られるどころか、足元にローキックされて振り出しまで戻されてしまうので、トラメルは、大人しく自分を殿下だと認めることにした。
まあ、殿下は殿下。明確にどこどこの国の殿下って言われてるわけじゃないし。
「そんで? 政治体制、でしたっけ」
「ええ、そうです。我が国は、一族支配より脱却し、軍事暫定政権、それから選挙を行い、一党独裁政権にまで成長しました」
トラメルは、「おお」と思った。トラメルがダフィンから聞き及んでいたソドニアは、軍事暫定政権だったのに、そこからまた体制が変わったのか。
「現在のアルダラ大統領は、多民族国家ゆえの内紛を憂い、軍部出身ながらも民主的な政策を敷き……」
「あ、そこらへんはカットで」
レアードは、嫌な顔ひとつせず、頷いた。
「内からではなく、国際社会という外に根付くことで、ソドニア共和国を磐石な国家にしようとしていたのです」
「なぁるほど」
「民主国家としてのデビューを控えていた、二年前の時でした……世界は、唐突に変わってしまったのです」
トラメルは、レーテとシアを見た。
レーテはにっこり微笑み、シアは、ぷいっとそっぽを向いた。「俺しらね」である。
「吸血鬼の方々による侵攻で、我々の計画は大いに狂いました」
レアードの話を引き取ったヴァレルが、バカ真面目にレーテの方を見ながら言う。
「元より我々は、国内外に問題を抱えています。内の問題としては、民族紛争。外の問題としてはーーレッサリア連合王国による介入。民族紛争を止める代わりに属国になれと言われているのです」
初耳だった。ソドニアは、トラメルも旧連合として知っているけれど、属国にしたところで、目ぼしいものは何もないはずだ。なにせ、国力ランキングは、下から数えて十番目くらい。
「内にも外にも敵を抱えた我々は、第三勢力、吸血鬼に助けを求めることを考えました」
「あ、そこは手紙通りなんですね」
レッサリアとカドリィが戦争してる間に漁夫の利を得るという、到底無理そうな作戦。その裏には、そういったお国事情があるわけだ。
「ですが我々のような弱小国が、吸血鬼に相手をされるとは思えません。ですから、アルダラ大統領は、考えたのです。我々のような弱小国が、大国レッサリアに勝てる方法をーーそれが、この国に遊学されていた第二王子の存在」
ここでようやく、トラメルは、相手がなぜ、トラメルのことをトラメルと呼ばなかったのか理解した。
トラメルに、完全に否定されるのを恐れていたからだ。だから、どっちともとれる呼び方をした。わざとぼかしていた。
この人たちにとって、トラメルが本物かどうかは関係なく、欲しいのは、同盟議長が、死んだはずの第二王子という事実なのだ。
「レッサリアが連合盟主となっているのは、亡くなったはずの第二王子が、吸血鬼に殺されたからという理由です。ですがもし、王子が生きていたらーー『仲良し同盟』などという巫山戯た同盟の議長をし、あのような脅しをしていたならばーー」
ヴァレルは、ゆっくりと、目を細めた。
「レッサリアの威信は、地に堕ちる」
トラメルは、認識を書き換えなければならなかった。命知らず? 死にたがり? 違う。
ーーこの人たちは、死に物狂いでここに来たんだ。




