忘却
青く光る坑道は、この国の罪の証だった。
カレー好きの男性は、ヤボクに楽しそうに語っていたけれど、アリカは気が気ではなかった。
ーーこの国を出たら、聞こう聞こうと思ってたのに。
パルマヤ共和国大統領官邸、貴賓室。窓辺に座るアリカは、いつものように世間話をしてくれる外交官、ギリエフ・マルシェへと、顔を向けた。
「どどど、どうされましたかアリカさん?」
目に見えて動揺するギリエフに、なんでもないと返答しようとして……アリカは、自分がそれを恐れているのだと思った。
王様は自害した。あの、芸術を愛し、ダフネオドラ王子を御していた賢君が、だ。たかが、吸血鬼の侵攻ごときで、国民を見捨てたのである。
その違和感は、アリカの中に付き纏っていて、そして、あの坑道を見た時に、確信めいたものへと変わったのだ。
「……マルシェ外交官。ひとつ、お聞きしたいことがあるのですが」
「な、なんでしょう?」
「……旧時代は、どうして終わりを迎えたのでしょう」
「……へ?」
「本当に、王国民なのですか?」
小さな使者の放った言葉は、レーテの愛しい愛しい人間を固まらせた。といっても、誤魔化すことに長けているから、すぐに調子を取り戻したのだけれど。
「技術統制が当然? まるで、レッサリアみたいなことをいうんだね」
大袈裟に肩をすくめて見せる。半眼で笑うのは、彼らしくない。
「俺たち王国が、怖くて仕方ないくせに」
「怖くはないのです。私たちは、共犯者なのですから」
「王国を見捨てたくせに、よく言うよ」
責めるような口調は、王国民になりきってのものだろうか。レーテはトラメルの豪胆さに感心するしかなかった。
ーーさすがトラちゃん。私たちの前で“見捨てた”っていう発言をすることで、相手の返答を封じてる。
もちろん、見捨てたのを肯定することはできないだろう。いまだに細々と生き残っている人間社会の矜持を捨てたことになるのだから。
だが、見捨てていないと言えば、どんな条件をふっかけられるかわからない。最悪の設問を、トラメルは、アグリに突きつけているのだ。
そしてそのアグリの無言を良いことに、トラメルはよく回る口でアグリをひっくるめにかかった。
「加害者っていうのはさ、相手に罪を認めさせようとするんだよね。それで、優位に立とうとする」
よく回る口はよく回る口なのだが、その時のトラメルは、しぶーい顔だった。まるで、何かを思い出しているかのような。
「言っておくけど、そうやって揺さぶりかけたって、デルフィンの居場所は教えてあげないから」
「……」
トラメルの見事な被害者仕草によって、場面は膠着。相手の狙いがあくまでデルフィンという人間だということをレーテに意識づけするような誘導で、王国民なのかという問いには答えない。
レーテは、金の瞳をすがめた。
ーー答えないのは、ボロを出さないように。
王国を見捨てたと言われた時に口を噤んだアグリと同じだ。すなわち、どう答えても不利になるとわかっているからこそ、話題を逸らした。
ーートラちゃんの方が一枚上手だったけど、実際は二人ともごまかしてるだけ。
二人とも、深いところに突っ込めないでいるのだ。それは、レーテという吸血鬼が話を聞いているからかもしれないし、あるいはーー。
「デルフィンの居場所が知りたかったら、写真技術をこの国にもたらすことだ。ああもちろん、諸悪の根源カドリィに逆らってもらうけど」
そこが、分水嶺だった。
この少年は、いったい、何を言っているんだろうか?
「あっ、やっぱり。王国に写真技術がもたらされないのは、カドリィの陰謀だったんだね?」
こちらの閉口を都合の良いようにとらえて、嬉々として言ってくる。
「なるほどなるほど、全部繋がってきた。やっぱり、こっちにあの人が派遣されたのは、そのためかぁ」
勝手に納得をしないでほしい。こちらを置き去りにしていかないでほしい。
「やたらとあの人が俺にべったりなのは、こっちの情報を盗むためか」
「突然陰謀論に目覚めるのはやめて欲しいのです」
思わず、口を挟んでしまう。話を逸らすにしても、ぶっ飛びすぎだろう。そもそも、王国に写真技術の統制を指示していたのは……
「ふぅん? じゃあ、真実を教えてくれる?」
こてん、とまったくかわいらしくない首の傾げ方をする。
「どんな国が、どうやって指示していたのか? 連合ぐるみでやってたんでしょ?」
「それは……」
ここではじめて、アグリは、少年の頭がおかしくなったのではなく、嵌められたのだと理解した。
答えは簡単。連合の盟主、レッサリア連合王国である。だがそれを答えたら、次にどんな条件がふっかけられるかは目に見えている。
『レッサリア連合王国にかけあって、写真技術を解放しろ』。死ねと言われるようなものだ。
だから、少年は神聖カドリィ帝国という餌を用意して、釣り糸垂らして待っているのだ。アグリという魚が、無様に餌を咥えるのを。アグリは、隣に座る二人を見遣り、
「……カドリィ帝国、なのです」
結果、膝を屈した。こんな、わかりやすい餌なんかに!
少年は、にんまりと笑った。よくできました、というように。アグリに、モフェリアに、カドリィとレッサリアを天秤にかけさせた。
ーー間違いない、この偽王子、ぜったいに王国の人間じゃないのです。
じゃなきゃ、こんな厚顔無恥な真似なんかできやしない。
モフェリアと同じように、世界を終わらせるきっかけを作った王国民が、自らの罪を自覚していないなど、あり得ないだろう!?
「と言っても、俺は優しいからさ、厚顔無恥な国民だと思われないように、条件を変えてあげる。条件はただ一つ。うちに潜んでるスパイを、カドリィに返さず、モフェリアにつなぎとめておくこと」
「……そんなこと」
「写真技術をこっちに渡すことに比べたら、簡単だと思うけど? カドリィにも言ったら良いよ。スパイ一人と、連合の威信をかけた写真技術。どっちを優先するかって……どっちの顔を立てるか、ってね?」
ああ、彼は、本当にいやらしいほどに、こちらの事情を理解していた。カドリィに選ばせるのではなく、カドリィと、連合盟主レッサリアに選ばせるのである。
とはいえ。
ーーカドリィとレッサリアは、今や戦争状態。それを知らないからこそできる脅しなのです。
はからずも戦争の火種になっている枢機卿は、連合諸国の悩みの種だった。それを、交渉結果とちう理由で、しかも、写真技術の漏洩を防ぐという大義名分付きでできるとなれば。
ーーレッサリアにも、カドリィにも恩を売れる。
落とし所としてはここだろう。父親の行方を知りたいのは山々だが、これ以上踏み込めば。
ーー喰われる、この化け物に。
一見、飄々としている、どこから来たともしれない化け物に。やけにレッサリアを目の敵にしているところからして、もしかしたら、レッサリアと敵対する国の国民なのかも。
デルフィン・パールトゥスの行方は知れず。王国は、もしかしたらもう一度、罪を犯そうとしているのかもしれない……暗澹たる気持ちが、アグリを包んで。
「あ、そうそう」
さらさらと書類にサインを書いていた少年は、何の気なしに付け足した。
「死んだよ、君の父親」
ぽかっ。軽快な音が響き、次の瞬間。少年は頭を押さえていた。
「いだっ、今脳が揺れた! 脳が揺れた!」
「ここまで引っ張っておいて、死んだよはないと思ったの!」
やけに憤慨した様子のシアという吸血鬼が、不満を露わにして、少年の頭を殴っていたのだ。
「交渉? ってよくわからないけど、死んだ人を生きてるように見せかけるのが交渉なの?」
「古典ではそうだね。いいじゃん、最後に真実を教えてあげたんだから……幻滅した?」
「したっ! すごくした!」
ぷりぷりと怒っているシアは、アグリのことをじっと見た。赤い瞳を細める。
「貴方のお父さんが、どれだけひどいことをしたかはわかんないけど、元気出してね。ごめんね、お父さんの生死を交渉に使っちゃって」
人間よりもよっぽど倫理観を持つ吸血鬼に、アグリは、泣いていいやら笑っていいのやら。
「ほら、とら、ダフィンもあやまる!」
「ごめんなさい」
何か今、変な言葉が聞こえたような。頭を掴まれている少年は、机にめり込みながら謝ってくれた。
「いちおう言い訳をするとさ」
しくった。だからトラメルは、今度こそ、言葉を選びながら。心の中に、金色の髪を持った親友を住まわせながら、今度こそ、間違えないように。
「俺たちは、忘れることが罪滅ぼしだって信じてるから」
王国民になりきって、そう言ったのだった。
「旧時代が終わりを迎えたわけ、ですか? それは、急激な気候の変化だとか、資源の枯渇だとか、いろいろと言われていますが……」
頭を悩ませながら、ギリエフはそう答えてくれた。そこに、アリカがひそかに聞いていたものはなく。
だとしたら、それは、とても素晴らしいことなのだ。
「アリカさんは、歴史に興味がおありですか?」
「いいえ、私は、歴史に詳しくないんです」
「? はぁ……」
答えにならない答えを語ったアリカに、ギリエフは首を傾げた。彼は、王国の民ではないのだから、当然だ。
……かちゃり。
「忘れることが、罪滅ぼしになるの?」
言葉の表層だけをすくいとって。レーテは、トラメルの首に腕を回した。
「それって、とっても残酷なことだと思わない?」
この子達は、貴方のために死んでいったのに。
……ぱたん。




