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王国にないものって、な〜んだ?

ダフネオドラ・スティルラントの生死は、これで振り出しに戻ってしまった。


目の前には、人畜無害そうな少年。彼は自分をダフネオドラと名乗ったが、“写真”とは、明らかに違う。


ーー彼の名前を名乗っているのは、自分の名前だと交渉してもらえないから? だとすると、ダフネオドラ王子は、すでに死んでいる?


それとも、そう思わせるために、この会談の場に姿を現さないとか。


疑ってしまえばキリがない。今はこの、ダフネオドラ王子を名乗る少年から、情報を引き出したい。


「えっ……と、それでは、ダフネオドラ王子」

「ダフィンで良いですよ」


ニコニコと、人懐っこそうに笑う少年。だが、その平凡さに騙されてはいけないのだ、たぶん。


なにせ、この少年は、先ほどまで交渉を担当していた謎の上から目線男に、当たり前のように席を譲られていた。そして、当たり前のように、議長の席に座っていたのだ。


あの上から目線男のことだ。神輿を担ぎ上げることくらい、造作もないかもしれない。だが、あの男が席を譲った直後ーーアグリは、息ができなくなった。はっ、としたときには、少年はにこにこと笑いながら冗談を言っていて、レーテもコロコロと笑っていた。


あの息苦しさは、きっと、殺意とも言えるものなのだろう。それは、上から目線男が少年に席を譲ったことから引き起こされ、そして、少年によって収められた。


……目の前にいる、何の変哲もない少年によって。


上から目線男に席を譲られ、それによって吸血鬼の姫が発した殺意を、穏やかに跳ね除ける。


間違いなく、この少年が、本物の議長なのだ。


どうして途中参加なのかはわからないが、まあ良い。上から目線男よりは、話が通じそうだ。




「それでダフィンがさぁ、ダフィンはね〜」

「はぁ」


通じなかった。どころかこの少年、普通に設定を忘れて、ダフネオドラ王子の思い出話にシフトしていた。


どうやら、この少年は王子と幼馴染のようで、二人で悪戯して怒られた話やら、あの日に見た夕焼けの話やらをとにかくしてくる。夕焼けをカラーコードで表現するな。


「むぅうううう」


風船のように頬を膨らませる銀髪の吸血鬼。たしか、シアと呼ばれていたか。しゅびっ、と右手を挙げる。


「とっ、じゃなくて議長! 思い出話はそれくらいにして、本題に入った方が良いんじゃないかしら!?」

「それもそうだね」


こうしてみると、『仲良し同盟』が、人間と吸血鬼で成り立っているというのが実感できる。


ダフネオドラ王子を名乗る少年は、机の上に肘を置き、指を組んだ。


「ーーさて、モフェリア使節団の皆さん。デルフィンさんの居場所が知りたかったら、これから俺が出す条件を呑んでください」






モフェリア共和国は、今となっては弱小国だが、昔は隣のモフロンドとあわせて、ブイブイ言わせてた過激派らしい。何をブイブイ言わせてたのかは、推して知るべし。


ルーラーさんが、アグリから情報を引き出してくれたおかげで、爆弾の完成時期が早まったことがわかった。


勿論、レッサリアと王国では国力が違うが、それを補ってしまうのが、ダフィンのダフィンたる所以である。


ーーにしても、俺が帰ってくることを予想してたみたいな感じだったな。


吸血王をタクシー(旧時代にあった、ジドウシャ版馬車)にしてここに来たのは良いけれど、あまりにもあっさりと「待ってました」という顔で席を譲られると、さしものトラメル君も警戒心を抱いてしまうのである。


ーー俺、帰ってこないよって脅したつもりなんだけどな。


苦しゅうないとか言ってしまったが、内心では、トラメルはびっくびくだった。脅しが普通に効いてなかったからである。もっと、シアやシザーのように、驚くことをしてほしい。レッサリアの草なのに、この演技力では生きていけないだろう。あっ、この人犯罪組織の首領だった。


そのようなわけで、トラメルは交渉の場に舞い戻ったのである。目的は、戦争を止めること。


ティアール公爵が教えてくれた、クソアホバカ兄弟の陰謀を阻止する。ナディクをカドリィに返さないーー殺させない。




現状、トラメルの敵は二人である。


戦争のことをトラメルに教えてくれなかったレーテ。

戦争のことを知られたら絶対面倒臭いことになるルーラーさん。


レーテは疑問に思っていることだろう。なぜ悠々自適な暮らしをしていたはずのトラメルが、急ピッチでクイズを解いてこの場に現れたのか。まあそれは、ルーラーさんも一緒だが、この人は、トラメルが戻ってくることを確信してたっぽいし。


よって、トラメルがでっちあげなければならないのは、レーテへの理由。ここに戻ってきた“それっぽい理由”である。


やっぱり、ルーラーさんのことを信じられなくて戻ってきたとか? 


残念ながらその選択肢は存在しない。トラメルはルーラーさんの実力を認めていて、レーテを裏切らせたというのが、今回の筋書きだからだ。トラメルとルーラーさんが対等に(形だけでも)仲良しこよしをしているのを、レーテに見せつけなければいけない。一箇所でも不和を見つければ、半分人間の血を引いている彼女は、その隙間に踏み入ってくるだろう。


ーーそれに……。


条件を口にしながら、トラメルはルーラーさんを見てしまった。


彼の機嫌を崩すのは良くない気がする。なんとなく。


それが良くなかった、ルーラーさんの反応を見ていたトラメルは、アグリの反応に、馬鹿正直にこたえてしまった。






少年は、あいもかわらずニコニコニコニコ。食えない笑みで、


「この国に、写真技術を導入してください。ね、モフェリアなら、できるでしょ?」 


なぜか上から目線男をちらちらと見ながら、そんなことを言い放った。時が止まったかと思ったが、アグリの目の前の少年は生きていた。


……思わず、アグリは口にしていた。


「貴方は、何を言っているのです?」

「ーーへ?」


少年の表情が固まった。崖を踏み外してしまったかのような顔。慌てて取り繕うのが、すぐにわかった。アグリは、一度、深く息を吐いた。


「写真技術は、安全に太陽を見るために生まれたのです」

「?」

「王国の民は、どうして自分達が、写真技術を使えないのかを、理解しているのです。ダフィン様、貴方は本当に」






「本当に、王国民なのですか?」


予想外の言葉が降ってきて、トラメルは、今度こそ固まった。


しくった。おそらく。


レッサリア生まれのトラメルは、王国に写真技術が無いことを疑問に思っていた。他国から入ってくる図鑑には写真があるのに、王国にはカメラのカの字すらない。新聞は相変わらず似顔絵だし、図鑑はイラスト。それのおかげで、スティーブ・ランドという人間をでっちあげることができたのはそうだけど。


『うちに写真がないのはなんでかって? 嫌がらせだよ。レッサリアあたりの』


ダフィンは、そんなことを言っていた。レッサリアあたりの嫌がらせと言われると、納得せざるを得なかったトラメルだったけれど。


ーーあのダフィンが、自分の国が差別されてるのに動かなかったのには、それなりの理由があるんだ。


トラメルは、それをわかっていなかった。


「……王国民だったら、わかっているはずなのです」


確信を得た様子のアグリが、瞳をすがめる。


「自分達が、技術統制をされるのは当然だと」











……。


吸血王がその名前を口にしたとき、黒色の髪を持った王は、判然とせぬ笑みを浮かべた。


『ああ、そうか、貴方がそうだったのか』


檻の中。芸術を愛する王は、肩を小刻みに揺らしながら、一言。


この男は、狂っている。自らの国が生贄に捧げられたと知った途端……なぜか、嬉しそうに笑っているのだから。


自分ともあろう者が、慄然とした。吸血王は、思わず問うた。


『どうして、お前は笑っている? 死への恐怖か? それとも』

『確かに、死は怖い。だが覚えておくと良い、吸血鬼の王よ』


青く、澄んだ空のような瞳。


『この死は救いであり、(あがな)いだ』


血飛沫。

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