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お望み通り

レーテは、頬杖をついた。


人間同士の会話は、レーテにはさっぱりわからなかった。ダフネオドラ王子は生きている、デルフィン・パールトゥスという人間は、十三年前に王国に来たはずがない……それは、二年前に王国に来た吸血鬼としては、確かめようのない事実であった。


なにせ、吸血王となったレーテの父は、復讐することに夢中で、王国の事情になんかまったく興味を持たなかったからである。つまり、「今の時点で王国にいる奴、皆吸血奴隷な!」としたわけだから。


ーーそういえば、トラちゃんって、この国の国民なのかしら?


思えば、トラメルという人間は、不思議なことだらけだ。以前、ヤボクにトラメルの事を探るように言い渡したけれど、果たして、エール共和国のタグレ外交官の発言に怒っていた彼は、未だにレーテの手の内にあってくれるのだろうか。甚だ疑問なところ。


今のレーテにとっては、十三年前のできごとなんてどうでも良かった。だって、考えても仕方がない。大切なのは、レーテに何も知らせることなく、必要な情報を手に入れたであろうあの男は殺すということだけ。


明らかに興味を無くしながら、レーテは心の中で、うーん、と考える。


ーーダフネオドラ王子とお友達であることを隠していたのは、あの馬丁と一緒だし。


名前を何と言ったか。ダメだ、思い出せない。それ以外の四人は、頑張って覚えたから、すらすらと言えるのに。とにかくトラメルは、あの馬丁と同じように、城勤めだった可能性が高い。ダフネオドラ王子を愛称で呼んでいるのは……彼の人懐っこさから来ているのかも。


王城の部屋事情に、なぜか詳しいのも、それなら納得ができる。


レーテは、ルーラーと、それからアグリを見た。十二年と六ヶ月、十二年と四ヶ月。どうやら、デルフィンとやらが滞在した期間が、短ければ短いほどに良いということが、アグリの顔色から察せられた。


そうして、ルーラーはその期間を知られたくない。だからのらりくらりと嘘を吐いて、誤魔化そうとしている……と、いったところか。


「正しい年数を教えるのです、良いですか、そのまま、デルフィンを放置すればーー」

「話は変わるが」


アグリの言葉を遮って、ルーラーは、じっと、アグリを見た。


「アンタは、デルフィンの何なんだ?」

「は」


意表をつかれた。そんな顔だった。そんなアグリに、ルーラーは、淡々と言う。


「デルフィンは、少なくとも、十年前にはここに来ている。その時、アンタは何歳だ? その見た目からして、十歳にもなっていない頃だろう」

「その件は、交渉と関係あるのですか」

「大いにあるね。ああ、もしかして」


その瞬間、ルーラーは、ついぞ見たことのない、下卑た笑みを浮かべた。


「恋人とか?」

「ふざけんなです、私はっ……!」


見えない何かに口を塞がれたかのように、激昂していたアグリは、口を閉じ……やがて、静かに言い放った。


「私は、デルフィンの娘です」 






勿論。レッサリア連合王国の草は、どこにでも根を生やす。報告書には、デルフィン・パールトゥスの略歴が書かれていた。


「ふぅん、医者を目指してたんだ」


連合会議の次の日である。公務に勤しむ兄王子は、自室にて、コーヒーを啜りながら呟いた。


デルフィンは、若い時分、モフェリアの中でも難関とされる大学の、医学部で勉学に励んでいたらしい。

だがどうしてか、奨学金まで貰っていた大学を中途退学。


以降、民間のシンクタンクに出入りするようになる。


このシンクタンクの名前は、『エネルギー研究所』という。その名前の通り、モフェリア国内のエネルギーについてーー水力だったり、火力だったり、風力だったりのエネルギー源について、研究・調査をする場所であり。


デルフィンが、亡命するまでいた場所である。


で、その亡命に至るまでの経緯が問題で、本人が主張する追放説は、どんなに調べても出てこない、と。


良い天気だった。兄王子は、窓の外に目をやった。鷲が空を飛んでいる。人差し指で照準を合わせて、架空の弾を発射。もちろん、鷲は落ちてくれない。まだまだ、時間が必要だ。書類に向き直る。


「やーっぱり、嘘吐いてやがったか」 


どうしてわざわざ、そんな嘘を? 追放されたと言った方が、煙たがられると思わなかったのだろうか? 


「こーなると、モフロンドと、シーズタインをふかーく探らせるしかねえけど」 


どうにも、手のひらでコロコロされている感が否めない。


十五年前に、モフェリア共和国を出たというのは本当。隣国モフロンドとシーズタインに、合計六年間滞在したことも本当。そして九年前にレッサリアに現れたのも、勿論本当。


「よりによって、あの二国かよ……」


探れたのはそこまで。それくらい、あの二国は内部に潜り込むのが難しい。


モフロンドは、モフェリアと敵対している国であり、連合に加盟していない。これは、旧連合と、現在の新連合にも、という意味。

モフェリアが旧時代のできごとを反省しているのに対して、モフロンドは、めちゃくちゃ過激派な国である。ということは、デルフィンの過激思想とも合いそうなものだが、彼はモフロンドではなく、こちらに来た。


中立国シーズタインに寄ったのも気になる。さきの会合に乗じて、シーズタインに潜伏させている草に情報を持ってこさせたのだが、ほとんど情報は手に入らなかった。あのシーズタインという国も食わせものだ。あれは決して、中立国と名乗っていい国じゃない。


「まあ、現状は……」


デルフィン本人への監視の強化を最優先するとして、この国に来た理由を、引き続き草に探らせること。


あくまで、デルフィンの身辺調査は、今進めていることの脇道でしかない。だが、警戒するにこしたことはないだろう。


なにせ。


「これだけしか、情報が上がってこねえんだからよぉ」


兄王子は、ぺらっぺらの報告書で、自分を扇いだ。たった二ページの報告書が物語ること。八年半をかけても、我が国の草がこれだけしか情報を集められないとなると……。


「デルフィンは、隠蔽工作を行なった上で、ここに来た」 

そう考えるしかないだろう。ぬるくなったコーヒーを一気に流し込む。


万が一、モフロンドや、シーズタインの諜報組織に調べられても良いように……自分の経歴を不自然なほどに抹消してから、国を脱出したのだ。


「その不自然さが、大学中退。思想にアテられたか?」


一番考えられそうなことだが、それを隠す意味は?


いや、そもそも。


「こんなあからさまなやべえ奴、どうして亡命できたんだ……?」






「病床の母を捨てていくわけがない。その先入観が、国にはありました。だから、父の脱走を許してしまった」


はからずも。


シザーは、息を呑んだ。はからずも、デルフィン・パールトゥスの親族を、引き当ててしまったのである。デルフィンは、家族についてはなにも話さなかった。

シザーはぶっちゃけ、あれだけ思想が強い人間でも結婚できるもんなんだなあ、と思ってしまった。いや、もしかしたら、内縁関係かもしれないけれど。


なるほど、だから彼女は選ばれたわけだ。才能の面もあるかもしれないが、一番は、親の尻拭い。


アグリは、視線を落とした。


「デルフィンにとって……父にとって、母は、囮でしかありませんでした。私はそれが許せない」

「ああ、裏切り者と言っていたのは、そういう意味も含んでいるわけか」


ルーラーさんが、感心したように言う。なんだか煽りみたいに聞こえるのは、シザーの気のせいだろうか。


「ナチュラル天然上から目線」

「意味被ってない?」


吐き捨てる爆弾魔先輩。それと、小首をかしげるシアは、しかし、興奮したように机をバンバン叩く。さきほどまでは何をしていいかわからなかったのだろうが、彼女の中のスイッチが入ったのだろう。


おそらく、彼女はこう思っているに違いない。父親に会わせてあげたい! 


「でもでもっ! これで、交渉のゴールは見えたんじゃない? そのデルフィンっていう人間を探し出して、モフェリアの人たちに渡してあげれば良いだけなんだから! ほらレーテ、早く人間たちからデルフィンを探しなさいよ」


そんなシアに、心底呆れたような目をしたレーテは、ふう、と息を吐く。


「そんなこと言われても〜、いまさら、王国の人間の名前を調べるのは難しいと思うわぁ。それに、忘れたのシア? 交渉は長引けば長引くほど、私にとって得だって」

「むぐぐぐぐ」


あ、これ、忘れてたなと、シザーは思った。


ーーそれにしても、必要な情報は得たから、交渉は決裂させても良いんだけどなぁ。


ちらっとルーラーさんを見る。


ーー俺が殺したとか言えば、説得力もあるのに。


なにせルーラーさんは、犯罪組織の首領という経歴を持っている。アグリはともかく、同盟や、レーテの方は知ってるんだから、それを使わない手はない。


これで、なんでデルフィンを知ってるんだ問題も解決できるっていうのに。


ルーラーさんは、いっこうに、それを言おうとしなかった。

シアとレーテが言い争っているのを聞きながら、それ以上、口を開こうとしない。


交渉を終わらせようとしない。


「手、抜いたら許さないって言われてませんでした?」

「ああ、言われていたな」


きゃんきゃんおっとり。そこに爆弾魔先輩が加わって騒がしい中、シザーはルーラーさんに話しかけてしまった。


「何を企んでいるんですか?」

「なに、どうせなら、はっきりさせてやろうと思っているだけだよ」

「……はっきり?」

「お望み通り」


その時である。


「レーちゃんっ」


ノックもなしに会議室に入ってきたのは、なんと、吸血鬼の王様である。彼の顔は、妙に輝いていた。


「この人間が、レーちゃんのクイズを解いたから連れてきたよッ!」


彼は小脇に、我らが議長を抱えていた。ルーラーさんが、いっそう、笑みを深めた。


「俺の立場を、はっきりさせてやるよ。議長さん」

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