望まれた選択肢
「不滅を証明するって、どうやって?」
「まあ見てなって」
図鑑君の乗る馬が、図鑑君を振り落とし、とうとう痛みに耐えかねてどこかに走り去っていった。
「あ……」
それを悲しそうに見る図鑑君。馬は、図鑑君のお気に入りのようだ。悪いことをしてしまった。
ここぞとばかりに門番の二人が、図鑑君とトラメルを捕まえた。というか、図鑑君の方は、地面に落ちたらひとたまりもなかったから、門番のファインプレーなんだけれど。
「オラァ! 人質だぞコラァ!」
「“偏食家”も降参しろよ、降参してください!」
完全にシアにビビっている二人は、長い爪をトラメルと図鑑君の首に当てる。
シアがきょとんとして、四人を見る。
「人質ってなぁに? 私にそんなもの通用すると思ってるの?」
小首を傾げる様は可愛らしい。だけどいちばん邪悪なのはこの女である。
「せっかく自由になれたのに、人間二人ごときで手放すとでも? 貴方たち、脳みそついてる?」
状況はシアに有利に働いたようで、シアはぴょん、と可愛らしく王都の外に通じるガラ空きの門を跨いだ。
「じゃあねトラメル! 悪く思わないでね、私は私の身が大事なの!! あの時の仕返ししてやるんだから! あと現王家も血祭りにあげてやるから! そこの門番二人! ちゃんとレーテに伝えなさいよ!」
初めの時に売っ払ったことを、ものすごく根に持たれていたらしい。
トラメルは、ふっと笑って肩をすくめた。
「やれやれ、困ったお嬢さんだぜ」
「完全に自業自得ですね」
あんなに激情を吐いていた図鑑君は、今は冷静になったのか、緑の瞳をジト目にしてトラメルを見てくる。
「王子の不滅を証明する前に、殺されるのでは? やっぱり逃げた方がよかったんじゃ……」
「あいつが愛した国の何もかもを捨てて?」
「……」
図鑑君を見つめ返してやると、図鑑君はぷいとそっぽを向いた。どうやらそれに自分が入っているのに気付いたらしい。まったく、自分のことを考えられない人間には困ったものだ。
馬車の中へと引き立てられながら、トラメルはシアの言葉を反芻した。
ーーあの時の仕返ししてやる、ね。
「で、俺はレーテの花嫁姿も見れずに、牢にぶち込まれて、野郎ども二人に見守られてるわけですが」
「適切な状況説明ありがとう。これから君に起こることを伝えてあげようと思ってね」
「え? シアに負けたお義兄様自ら?」
「まあ、そうなるね」
ナザルお義兄様が浮かべた笑顔が崩れないことに、トラメルは内心舌打ちした。
王城に連行された後、トラメルは図鑑君と引き離された後に地下牢に入れられ、鉄格子を挟んで二人と会話する羽目になっている。
「で、ドタコンはなんでいるわけ?」
「お前に訊きたいことがあるからだ」
重々しく言った吸血王は、レーテと、お義兄様と一緒の金の瞳を見開いた。
「バカ息子が言っていたが、お前がくだんの花ばかり世話をするのは、この国の王子だった者を偲んでか?」
トラメルはお義兄様を睨んだ。何話してくれてんだこの野郎。
「そうだよ。俺はこの国の王子、ダフネオドラの友達。あいつのことはダフィンって呼んでた」
誤魔化すことは無理だと判断して、トラメルは肯定し、
「“偲んで”ってことは、ダフィンはやっぱり死んでるんだ。殺したの?」
「殺させようと思ったんだけど、死なれてしまったんだよ」
お義兄様が割り込んでくる。
「殺させようとした? 誰に?」
「それはもちろん……入っておいで」
こつこつ。淑やかな足音が聞こえて、見覚えのある少女が姿を現す。でもその首元には、トラメルと同じ首輪が嵌められていた。
「あ、お届け係の少女」
トラメルがぽかんとしながら言うと、少女は少しだけ嬉しそうに笑った。
「そう。だけど、トラちゃんは一回も名前を聞いてくれませんでしたね」
「家畜ごときに教える名前などないって意味かと思って……」
「わ、私が内心貴方を見下していると思っていたんですかっ?」
「どうどう」
心外です! と顔を赤くする少女を、トラメルは両手で制す。キャラ崩壊しつつあるお届け係の少女は、めいっぱい鉄格子に顔を近づけて名乗った。けっこう大きめな胸に手を当てて。
「私の名前は、リリー・スティルラント。トラメル様の親友であったダフネオドラの妹です!」
その瞬間、トラメルはひっくり返りそうになった。そうだ、その名前は!
「あぁ〜! 俺に身売りさせられそうになっていた可哀想な妹かぁ!」
ダフィンは言っていた。『どこの馬の骨かわからん貴族よりも、頭からっぽなお前の元にやったほうが色々と都合が良いから、妹と結婚してやれ』と。よく考えたら双方ともに失礼じゃないか親友よ。
そんな不名誉な説明をされて、お届け係の少女改めリリーは涙目になっていた。やっぱり身売りさせられそうになったことが堪えたのだろうか。
リリーの気持ちを軽くすべく、トラメルは精一杯のフォローをしようとする。
「まあ落ち込まないでよ。あ、そういえばパンツ見たんだった。ごめんね」
「〜〜っ!! トラちゃんの馬鹿ぁ! もう知らないっ!!」
なんてことを言ったリリーは、地下牢を出ていこうとし、むんずとナザルお義兄様に首根っこを掴まれた。
「家畜くんのペースに巻き込まれすぎだよ、リリー」
「すみません、ナザル様……」
何やら妖しい雰囲気を醸し出す二人。リリーが妙にナザルを恐れているのが気になる。
「てことは、ダフィンの妹は吸血鬼ってことになるのか?」
「なぜそうなる」
トラメルの疑問に、冷静なツッコミをしたのは吸血王である。
「ナザルは、お前の顛末としてのリリー姫を連れて来たんだ。この意味をよく考えろ」
「わかりません」
「つまり、君もこうなるってわけだよ。レーテや、ティアール公爵に聞かなかったかい? 眷属という言葉を」
トラメルは合点がいった。
「ああ〜。つまり、リリーはナザルお義兄様に眷属にされちゃったってわけか」
リリーが顔を青ざめさせる。そんなリリーの髪を梳くお義兄様。
「元はこの髪は金だった。瞳は青色。眷属にしたら、このような色になったんだ。姿形も私たち吸血鬼に近づいた。とても綺麗だろう?」
「たしかにそうですね。元の色も好きだけど、今の色も良いと思いますよ」
「……何も、よくありません」
リリーが震えている。暗紫色の瞳から、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「この姿になってから、人の血しか吸うことができないっ……トラちゃんみたいに、美味しいものを食べる娯楽もない。ただただ惨めに、ナザル様に血を吸われて……国民にいつ気付かれるかという不安を抱えながら、食べ物を届けなければいけない……」
お義兄様が肩をすくめた。
「泣き止みなさい、リリー。この通りだよ家畜くん。私たち吸血鬼にとって、眷属になれるのは名誉だと思うのだけれど、気高い家畜にとっては不名誉なことらしくてね」
「そこで、お前に訊きたいことがある」
訊きたいことって、ダフィンのことだけじゃなかったのか。トラメルは意外に思った。
「お前に示された顛末は二つ。死刑か、眷属になるか、だ。前者を選べば亡き王子に会える。後者を選べば、リリー姫と同じになる」
「繁殖係になるのも選択肢の一つとして」
「ならん」
即答されて、トラメルは悲しい気持ちになった。
「ええ〜じゃあ生きたいから眷属で。と見せかけて〜……死刑で!」
あまりにもあっけらかんと言ったからか、吸血王がその厳しい顔を崩して大口開けていた。いい気味だ。
「といっても、ただ死刑になるんじゃつまらないから、公開処刑でお願いします」
「トラメル様っ」
「その呼び方、むず痒いからいつもみたいにトラちゃんって呼んでよ」
鉄格子に縋ってきたリリーに、優しい瞳を向けて、トラメルは、図鑑君を脳裏に思い浮かべた。口の端を釣り上げる。
「眷属なんか、死んでもごめんだね。俺はダフィンを殺した吸血鬼が大嫌いだ。だからリリー。お前も嫌い」
リリーが膝から崩れ落ちた。
「どうして……同じになってほしかったのに、なんで、なんで皆、私を置いて行ってしまうの?」
なにやら呟くリリー。そんなリリーを見もせずに、トラメルは吸血王を真っ直ぐに見る。
「どうせなら、俺の生き様を皆に見せつけて死にたいんですよね」
「刻みつけられるのは、裏切り者がどうなるかという恐怖だけだ」
吸血王の金の瞳は怒りに満ちていた。
「ドラ猫にいくら愛情を注いでやっても、卑しさは変わらんか」
「愛情なんてもらった覚えないですけど〜?」
「レーテにだ。家畜どもに見守られながら、死ぬといい」
そう言って、吸血王は身を翻して帰っていった。あとに残されたのは、泣きじゃくるリリーと、何を考えてるかわからないお義兄様だけ。
「トラメルくん、ひとつ、良いことを教えてあげよう」
その声は、この暗い地下牢に、妙に響いた。同じ王子でも、この腹黒とダフィンでは大違いだ。
彼は見下していた。トラメルがしようとすることを。吸血王を怒らせてもぎとった選択を。その金の瞳に嗜虐的な光を走らせて。
彼は言った。
「君がどう足掻いても、この国は変えられないよ。なぜなら、この国は望まれているからだーー生贄になることを」
「一体誰に?」
「それはもちろん」
この大陸の国々に、だよ。




