トラメル君は許さない
笑ったのは優越感からです
レーテとティアール公爵の結婚式、前夜。
甘い匂いの充満する部屋で、ラクタは図鑑をぺらりと捲っていた。やるべきことはやった。ダフネオドラ王子のご友人ならば、あの図鑑のメッセージには気付いてくれるはずだ。
ーーそれにしても、うるさい。
さっきから、猿のように騒いでいる見目麗しい少年たちを見やり、また興味をなくしてページを捲る。耳に入ってくるのは、ラクタの形ばかりのご主人様の結婚式について。
「あのトラメルとかいう人間、レーテ様のお気に入りっぽかったが、結婚式を機に、とうとう殺されるんじゃないか?」
「ありえる! 屠殺されてもおかしくないよな」
世も末である。王子の愛した国民が、吸血鬼目線の言葉を口にするとは。
「僕達のように美しくないんだ、かわいそうという感情も湧かないな」
「物珍しさで相手されていただけの珍獣がさぁ」
言いたい放題な四人に、ラクタは眉を顰めた。
ーー容姿だけで選ばれた僕達が、増長する理由なんてないのに。
少年たちと戯れながら、レーテの視線は、薄いピンクの紗ごしに、絨毯の毛の数を数えるトラメルに向いていたというのに。
ラクタは軽く目を閉じ……作戦を、実行に移すことにした。
「ところでさ、レーテ様が公爵と結婚なさったら、僕達のところへも来なくなっちゃうのかな?」
「何だよラクタ、お前、普段は興味ないって顔してるくせに、僕達に混ざりたかったのか?」
昨夜、レーテが吸血していたベッド(それは、リリー姫のベッドである!)に座りながら笑う少年は、カロンという。
ーーそんなわけないだろ。
心の中の悪態を押し隠し、ラクタは無理やり笑みを作った。
「そうなんだよ、レーテ様も、新婚だろ? やることやらないといけないからさ」
「ラクタぁ、お前もやっぱりこっち側だったんだなぁ? あのゴミと話してる時はどうしてやろうと思ってたけど」
「……そうそう。だから思ったんだけど、レーテ様は今までみたいに、僕達を相手してくれるとは限らないと思うんだ」
「つまり、公爵とやることやるってことだよな?」
降り積もっていく“仲間”への嫌悪、軽蔑……これも、亡き王子の遺志を果たすためと、ラクタは図鑑を握った。こくりと頷く。
「だからさ、相手してくれる人数は限られてくる。一晩に一人くらいじゃないかな? 選ばれるのは、とびっきりの美少年なんだろうけど、はっきり言って、僕は自信がない」
ここでようやく、少年たちの顔に緊張が走った。
ラクタは、ほんとうに、自信がないような笑みを作った。
「だから、僕はここを出て行こうと思うんだ」
上目遣いで見ながら、ラクタは自分の作戦が成功したことを悟った。少年たちは皆、安堵の表情をしていた。
……そう。
ラクタは自覚していた。この中で、一番の美少年は自分だった。カロンをはじめとした少年たちは、ラクタというライバルが減ったことに、安堵していたのだ。
ーーこれなら、僕が逃げたとしても、レーテには言わないでいてくれるだろう。
もちろん、ラクタを逃した少年たちは、レーテに殺されるかもしれない。だが、それは確率の低い話だ。レーテだって、それなりに可愛がっていたペットを、そんなに易々と殺しはしないだろう。
そう考えて、ラクタは窓を開けた。もうすぐ朝焼けを連れてくる風が、ふわりと髪を撫でる。
当然、寝ていた少年たちも目を開けるが、騒ぎ立てることもなく、眠りに入ってしまった。寧ろ、ラクタには出ていってほしいのだから。
ラクタは微笑んで、窓から身を乗り出した。
幸いにも、窓の下には屋根がある。そこを伝って降りれば、この城からの脱出は可能だ。
「じゃあね、みんな。元気でね」
ダフネオドラ王子の馬丁を務めていたラクタは、城の周囲のことを理解していた。
厩舎のあった場所に行けば、そこには以前と変わらぬまま、愛馬が待機していた。城から出るゴミを搬出する馬車のために必要なのだろう。ラクタが近寄ると、大声で鳴かずに、「ブルル」と小さく鳴く。ラクタの目には、涙が浮かんだ。
吸血鬼は、陽の光に弱い。逃げるなら今だ。
ラクタは愛馬にまたがり、きっと彼が来るであろう、王都の外れを目指した。
そのとき。
ちょうど昇ったばかりの太陽が、ラクタの身を灼いた。ラクタは目を細めてそちらを見た。
かつての王国の繁栄の証。荘厳な石造りの王城は、朝焼けによって黄金に照らされている。ラクタがさきほどまでいた部屋の窓は閉まっている。少年たちは、ラクタのことを秘密にすることにしたようだ……
「なんだ?」
ラクタは、目を擦った。閉まっている窓。そこに、点々と、赤い何かがこびりついていく。いいや、何かではない。あれは。
それ以上見てはいけない気がして、ラクタは馬を走らせた。
「……夜明けと、同時にっ」
少年たちが、昨日の疲れでまだ眠っているであろう時間。その時間に。
「……最初から、殺すつもりだったんだっ、レーテはっ、結婚式と同時に」
けれど、なぜ? あの美少年達は逸材だった。王国を探しても、なかなか出会えないほどの。それを考慮してでも、殺さないといけないわけは?
ーー用済み。
その言葉が頭に浮かんで、ラクタはぞっとした。
ーーそんな馬鹿なこと、あるわけがない。
「結婚式と同時じゃなきゃ、処分するのに都合が悪かった……」
結婚する身で、身辺整理などと言っておけば、理由がつく。
自分のお気に入りを馬鹿にした少年たちを、違う理由で殺せるのだ。
「……っ」
ラクタは、口を抑えた。自分が偶然生きながらえた罪悪感よりも、レーテがトラメルに向ける執着の方がおぞましかった。
「なにが、なにが殺される方だよ!」
かつて、自分がトラメルに言った言葉。ラクタは理解した。
「殺されるのは」
「そういうわけで、私たちはモフェリアとの交渉権を得たわけ」
「……えっ、あのシア様。あの、トラメルを置いてきたのですか? いえ別に、あの男を心配しているわけではなく」
親睦会の日から、トラメルにちょっとだけ歩み寄っているような気がするニノンが、困惑をあらわにする。ラクタも同様だった。
ーー殺されはしないだろうけど、獣の檻に肉を投げ込むような真似を。
幸いにも、これには条件があるようで、モフェリアとの交渉の終了と共にトラメルは解放されるらしい。
「あとは、クイズを解いたら返すってレーテは言ってたわ。よくわかんないけど」
きっと、悪趣味なクイズだろうと、ラクタは思った。
「それで」
非常に不機嫌な顔になりながら、シアは、つかつかと、彼の元に歩いていく。同じく、若干不機嫌そうな彼の元へと。
「トラメルからのご指名は、今回行ったメンバーと同じ……なんだけど。私が許せないのは、トラメルが言ってたこと」
ぎ、と彼を睨んで、シアは捲し立てる。
「“この通り、俺は囚われの身だから、参加することができないんだよね。だから、ルーラーさんに頑張ってもらうしかない”って! 私は!? ねえ、私は!? “ルーラーさん俺のこと好きでしょ”って言ってたけど、私も好きなんだけど!? ……食糧として」
最後についでのように付け加えられた言葉に、〇二四三番さんあらためルーラーさんの眉はぴくりとも動かなかったし、口元だって弛まなかった。
最近トラメルに歩み寄っているように見えるニノンは、「シア様!?」から始まり、「いや、トラメルだしな」と、爆速で混乱期から受容期へと移り変わっていったというのに。
「だから私は決めたの。この男よりもずっと役に立ってみせるって! でもそれとこれとは別。トラメルも言ってたけど、手、抜いたら“許さない”から」
ここではじめて、ルーラーさんは、ふっと笑った。
「……相思相愛というわけだな」
ラクタは目を擦った。種族も、性別も違う。それなのに、彼の姿がレーテに重なったからだ。
「感謝するよレーテ。あそこでは自殺しようにも自殺できないからな」
本の山に囲まれながら、トラメルは呟いた。ぺらりぺらりと本をめくり、恋愛小説の中からヒントを探す。
「科学立国モフェリア。俺と“草”じゃあ、知識量がぜんぜん違うからなぁ。ルーラーさんには、せいぜい“草”としての知識を活用してもらうとしようか」
じゃないと、トラメルはルーラーさんを“許さない”。
トラメルは、レーテに人質にされたのではなく。
自分自身を、人質にとったのである。




