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選択ミス

皇帝だけにな!(前回の回収)

「幸い、こちらには旧時代の地図があるであろう。それを使えば、レッサリアなど容易く堕ちる」


尊大な態度。その態度以前に、大司教は、皇帝陛下の愚劣極まりない発言に驚愕していた。


神聖カドリィ帝国には、世襲というものは存在していない。代々皇帝は、神の代理人である教皇によって選ばれる。つまり皇帝は、教皇の支持なくして皇帝たり得ないのである。


もちろん、血筋も考慮されるには考慮されるが……教皇の鶴の一声で、玉座から引き摺り下ろされるこの国の仕組みを無視して、皇帝が反発してくるとは、大司教は考えていなかったのである。


ーーどういうおつもりなんだ、陛下は。


自らを支持する一派から、見放されるような発言などをして。


大司教は、ごくりと唾を飲んだ。それは、ここに居並ぶお歴々も一緒のようだ。皆一様に、皇帝に視線が釘付けになっている。それらの視線をいなして、皇帝は、ゆっくりと口を開いた。


「異議がある者は?」

「……畏れ多くも」


大司教の隣に座る男が、手を挙げた。


「レッサリアは、秘密主義の国家です……たしかに我々は、地図を所有していますが、それと軍事力とは別です。現実的に見れば、あと十年は、準備期間が必要です」

「それは、教会の解析機関の出した結果であろう?」

「え、ええ、そうですが……」


がたりと、皇帝が席を立つ。「こうは思わないか」


かつかつと、靴音を鳴らし。豪奢な衣装を纏った皇帝は、男の後ろに立った。目に痛々しい赤いマントが翻る。


「我々、戦場に立ったことのある人間の方が、よっぽど信用できると」


びしゃり。


目の前で起こったことを理解できなかった大司教は、頬に当たった粘性のあるそれを、ゆっくりと、指で拭った。椅子に座っていたはずの男の胴体は、バランスを崩して、頭とは反対側の方に倒れた。


皇帝は、血濡れた剣を一振り。


「しっ、神聖なる大聖堂で、何を……ッ!? 乱心されましたか!」

「黙れ」


教皇の批難の声を押さえつけ、皇帝は、たった今屠った人間の頭を踏み躙った。聞くにおぞましい、地獄でしか聞けないであろう独特の音は、きっと、大司教の耳に残り続けるであろう。


一番近くにいるからこそ、いたからこそ、大司教は、その独特な死の匂いを嗅いでしまった。


其方(そなた)らは、黙って朕に従っていれば良い。戴冠式が終わった後に殺されなかっただけ、良いと思え」

「……つまり」


次に首と胴体を切り離されるのは自分かもしれない。だが、大司教は言わずにいられなかった。


「まだ、利用価値があるとみなしていたのですね?」

「ああ、其方は、ノルカルト枢機卿と親しいのだったな?」


三日月型に細められた目。この世の残虐さの煮凝りを象った瞳の色は、わずかに興味の色へと変わる。


「まったくもってその通り。朕が其方らを見逃していたのは、其方らにしかできないことがあったからだ」

「聖戦、ですね」

「ディック大司教!」


批難の声が飛んでくるが、大司教は無視した。言われるよりはマシという、楽になりたい考えからではない。それぐらいの答えを言えないと、賢くない人間だと思われてしまうからだ。


ーー実際、私は賢くないのだが。


賢いふりぐらいはしておかないと、そのふりぐらいは必要だとわかっているとアピールしておかないと、皇帝は、剣を振るうだろう。


はたして、大司教の判断は、()()()()()。皇帝は、ゆっくりと、頷いた。


「カドリィの仕掛ける戦争は、すべて、聖戦となる。国家に属していたとしても、教えを忘れる人間はおるまいよ」


それは、レッサリアも例外ではない。神聖カドリィ帝国と、国家規模で戦争をすることになったとしても。教えが根付いているレッサリア国民は、カドリィとの戦争を拒むだろう。


「都合の良いことに、レッサリアは連合王国だ。教会の権威をもってすれば、仲間割れをさせることなぞ、容易であろう」


ーーそのような案を温めておきながら、なぜ、今まで粛々と、教会の操り人形に徹していたのか。


大司教は疑問に思ったが、それはすぐ、皇帝が答えてくれた。


「吸血鬼が王国を占領している今が機会だと、朕は考えた。ノルカルト枢機卿は、エールを異端としていたが……レッサリアは、エール共和国への慈悲なき攻撃で、相当数の国から批難をされている。表立ってとはいかないが。相手が横暴を働いてくれたのだ、悪評は、消えないうちに利用するべきだ。それに」


皇帝は、血まみれの机の上に、何かの紙をばら撒いた。それは、各国宛の秘密文書だ。


「まさ、か……」

「諜報や情報操作は、レッサリアだけの特許ではない。各地に散らばる信者たちに呼びかけて、レッサリアを貶める記事を書かせた」


自作自演。


レッサリアが、肯定か否定かを突きつけてきたのではない。皇帝が、その問いを突きつけてきたのだ。


ーー我々、教皇庁に!


得体の知れない何かが、足元から這い上がってくる感覚を覚えて、大司教は身を震わせた。


今まで担いでいた神輿は、大司教のそばから離れ、今度は、教皇の元へと。がくがくと震える教皇に、慈悲のように手を差し伸べる。


「さあ、教皇よ。共に地獄へ、参ろうではないか?」






「じ、地獄っ」


ぜー、ぜー、とヤボクが息を切らすのを、トラメルは茶をしばきながら見ていた。


「トラメル君、もっとお注ぎしましょうか?」


ナディクがなぜか嬉しそうに言ってくるのを断って、トラメルは、目の前のヤボクに声をかける。


「ヤボク君さ、どうしてイバラの道を選んじゃったわけ?」


シザーズ君風に言うなら、イバラの冠をかぶることを選んじゃった、である。トラメルは、ヤボクの背後を見た。

そこには、腕組みをするニノンがいる。いつものエプロンドレスをたくしあげて、ぎゅっと縛って、動きやすそうな際どい格好のニノンが。


未だにカレー好きの人の血が残るそこで、ヤボク君は、ニノンと強くなる特訓をしている。いわゆる修行編ってやつだ。良い師匠が見つかってよかったね。


「師匠だったらさ、コルムバ侯爵か、アクィラさんに頼めばいーじゃん」

「片方脱走しましたけどね」

「そうだった」 


てへっ、とトラメルが舌を出すと、ナディクが親指を立ててくる。


やめてほしい。トラメルの精神を摩耗させようとしないでほしい。


「恋は盲目ですね」


だが、そういう自覚はあるようで何より。トラメルがジト目でナディクを見ていると、ヤボクが「それに」と続けた。


「それに、戦って思ったんです。この人に学べば、俺は強くなれるって」

「血飲めばいいじゃん」

「普通に悪側の意見出してくるのやめてくれませんか!?」

「悪側じゃなくて、合理的な意見だよ。君らにはさ、そういう奥の手があるんだから、積極的に利用してって良いと思うよ」


人間側がパワーアップしたとしても、それこそ、世界が終わる前の薬物とやらを摂取したとしても、たかが知れている。吸血鬼には、アドバンテージを生かしてほしいものである。


「『仲良し同盟』の存在意義って、そういう面もあるからさ」


しらんけど。


トラメルは、また一口お茶を飲んだ。うん、苦い。やっぱりあつあつじゃなくて、少しぬるめの方が良いのかな。


「そっ、か、そう、ですね……」


トラメルが茶を嗜んでいるうちに、ヤボク君は何かを悟ったらしい。急に顔を輝かせる。


「血を飲むことも、考慮に入れておきます! ちょっと、怖いけど。トラメルさんがそう言ってくれるなら!」


なんか、悩みとかが吹っ切れた感じで、ヤボクはニノンのところに走っていった。


ーーなんか、青春って感じだなあ。


トラメルにはちょっと眩しすぎる。ここが屋上であることも含めて。トラメルは、汗だくになりながら、緑茶を飲んだ。


暑い日に熱い緑茶を選んだのは、どう考えても選択ミスである。

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