表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
117/160

あらゆる意味で非効率的なやり方

トラメルの脳裏に一瞬過ぎったのは、「これ、ヤボク君を裏切り者ってことにできないかな」だった。


「これ、ヤボク君を裏切り者ってことにできないかな」


そして、実際そう言ってみた。するとヤボクは、いたく傷ついた顔をした。だが、そう言うこと自体が、ヤボクが“そう”じゃないことを示しているのである。


「シア、実はーー」

「……わかってる」


冷静な声を出したシアは、ヤボクのそばを通り抜け、一直線に、自分の従者の元ヘ向かっていく。


「シア、様……」


弱々しい声で、ニノンが言葉を発する。月の光のせいなのか、赤い瞳は少しだけ濡れているように見えた。ヤボクが空気を読んだのか、気を失っているカレー好きの人を引きずってきて、トラメルの隣に並んだ。


「トラメルさん、応急処置ってどうやってやるんですか?」


今もなお、カレー好きの人の腹からは、血が溢れ出ている。止血しないと、命に関わるかもしれない。


たぶん、人間の自分よりも、吸血鬼であるヤボクの方が速いだろう。


ーーそれに……。


ヤボクの口元を見たトラメルは、そう判断して、救援を呼ぶように頼んだ。


その間に、自分の服を脱いで、思い切り、カレー好きさんの腹の傷口に押し当てる。


「死なないでくださいよ、カレー好きの人! まだ、聞きたいことがたくさんあるんだから!! うおおお! ブルボス、カトレット! パラクラニール、ウェッタンシプヤン!!」






「ニノン」


名前を呼ばれて、ニノンは、びくりと肩を揺らした。


もうすでに、治りかけている傷を、無意識にさする。ああ、この傷が元となって、死ねたら良いのに。


「もうし、申し訳ありません、シア様……」


目の前にいる愛しい主の、静かな声が、恐ろしい。


ーー私は、馬鹿だ。


いつか、こうなることはわかっていた。あるかもわからない“太陽”を恐れて、主人を、裏切ってしまった。


ーーけれど、後悔はしない。


これが、一番効率的なやり方だった。ニノンにとって都合の良いやり方だった。“太陽”があってもなくても、シアには一切被害が及ばない。


ニノンは守りたかった。亡き吸血王に、花冠を被せたシア様を。どんな時だって、涙を見せないシア様を。


それが一番、効率的なやり方だった。


それなのに。


「ニノン、ごめんね」


シアの顔を見ることができないニノンの視界に映ったのは、地面にポトリと落ちたもの。月に照らされて、光る雫だった。ニノンが、一番見たくないと思ったものだった。


ニノンは、ゆっくりと、顔を上げた。


ーーそれなのに、どうして、シア様は泣いているんだろう。


これではまるで、ニノンのやり方が、一番非効率的なやり方のようではないか。


裏切られた悲しみ? それならどうして、自分に謝るのだろう。わけがわからない。


ーーシア様の一番の理解者は、私だと思っていたのに。


そんな自負があったからこそ、ルーラーの誘いに乗った。人間と吸血鬼、分け隔てなく仲良くなることができるシアは、自分がいなくなっても、あの優しい笑顔を保っていられる。それに。


「お前が、いれば……」


気づけば、涙を流すシアの背後を見つめていた。


男の腹を押さえながら何事かを唱えまくっていた特別な少年は、こちらの視線に気付いたようだった。


視界が歪む。目が熱くなって、じんじんとした痛みが、ニノンを襲った。ぎゅ、と目元を拭う。


「お前がいれば、私なんていらないと、思ったのに……」






突然話を振られたトラメルは戸惑った。こういう時、どういう反応をしていいか困る。


すると。


「う……!」

「あっ、腸とか色々出てるところすみませんが、助けてくださいカレー好きの人! 俺、ニノンに泣きながら睨まれてるんです!」

「死のうとしてる奴に、助けを乞うやつは、初めてだ……」 


脂汗をびっしり浮かべながら、カレー好きの人は微笑んだ。そして、「だいたい聞いていたが」と続けた。


「えっ、俺の声とか聞こえてたのに無視したんですか?」

「死のうとしてる奴に、カレーの種類を唱えまくる奴がいるか……? たしかに、まだ食っていないカレーのことを思うと、力が湧いてきたが」

「それは良かったです」

「これは、演技だったはずなんだがな……おい、ニノン。お前は一つ、勘違いをしているな」


トラメルとカレー好きの人の妙なやりとりを静観していたニノンは、「勘違い……?」と呟いた。

カレー好きの人は、億劫そうに頷いた。必ずしも、生命の危機に瀕しているからではないように。


「お前がトラメルに感じてるのは……シアを託せるという頼もしさじゃない……お前が感じてるのは」






「嫉妬だよ」 


ずん、と。


ニノンの胸には、深く深く、何かが突き刺さった。


「しっ、と……」

「そうだ。あのルーラーという男は、お前の嫉妬心を利用した……あたかも、お前に何かができるかのように吹き込んだ……お前のプライドを守るために」

「あ……」


綺麗な、綺麗な殻で覆っていたものにヒビが入って。中から、どろりとしたものが溢れ出る。ニノンが必死で隠していたものが。


せっかく、使命とか、後を託すとか。お為ごかしで固めていたのに。もうそれは、二度と元に戻らなかった。


そうして。


そのお為ごかしで、ニノンの中で赦されていたものは、粉々に砕け散った。


「私は、コルニクスを、殺していない……もっと、残忍な方法で、殺させた」


同族を殺させたことが、今になって、重くのしかかってきた。




コルニクスをわざと逃がしたのは、レッサリア王国の実験のためである。


すなわち、人間の作り出した“太陽”は、吸血鬼を殺すことができるか否か。


実験台が必要だった。だから、ニノンは、コルニクスを殺さないで、レッサリアへと亡命させた。もっと酷い死に方をさせるために。


「私は、シア様ではなく、お前を裏切ったのだと、そう自分に言い聞かせていた」

「それはそれでひどくない?」

「黙れ。けれど……自分の感情に虚飾を施している時点で、私の言い訳は通用しなかったんだと、そう思うよ」


ヤボクと戦っているとき、揺らぎ始めていた。目の前のカレー好きの男が言う言葉に。たしかに、二年後、この国に爆弾が落とされるのを防ぐために、先に技術者を殺してしまえば良い。人を殺すのは簡単だ。


けれど、止まれなかったのは……きっと、指摘された通り。嫉妬から派生した使命感が、邪魔していたのだろう。


「申しわけありません、シア様。それから……かたじけない、カレー好きの人」

「俺には特にないの?」

「……すまない」


トラメルが、カレー好きの人を治療しながらにたりと笑うのを見て、ニノンは頰を引き攣らせた。自覚してしまった嫉妬心が、ちくちくと刺激される。


「処罰は、如何様にも。ですが、できるならば、シア様に」


こんなことをさせるのは酷だ。けれど、ニノンは、シアに裁いてもらいたい。


せっかく自覚したのだ。最期くらい、好きに死んでも良いだろう。


ーーコルニクス。


不本意な死に方をしたであろう同族には申し訳ないが、ニノンは、大好きな主人に処罰をされたいのだ。


「最期のわがままです。お聞き届けください」

「よくわかんないんだけどさ」

「……お前は、よく私の話を茶化そうとするな」

「茶化したいわけじゃなくて、純粋な疑問。ニノンって、何で俺に嫉妬してたの?」

「は?」


そんなの、聞かなくてもわかるだろうが。


そう思い、トラメルのことを見る。トラメルは、本気でわからないという表情をしていた。


「だってさ、俺、ニノンみたいに可愛い女の子じゃないし、強くないし、嫉妬する要素なくない?」

「それは、そうだが……お前は、シア様に気に入られているし」

「ニノンだって気に入られてるじゃん」

「それは、側近として……シア様は、お前といる時が一番輝いている気がするし」

「気がするだけじゃん」

「うっ……とにかく、シア様のそばにはお前がふさわしいと、私がそう思ったのだ!」


叫んで、ニノンは思った。


ーーこれ、だいぶ無理があるな?


すっごい主観だらけな気がする。


ニノンは、トラメルのことを、穴が空くまで見た。


小汚い金髪と、光がおよそ見えない目と、あんまり格好良くない造形で、すぐ調子に乗るし、取り柄といえば血の旨さしかない男である。


「私は、どうしてこのような男に嫉妬を……?」

「普通に傷ついたけど、それが答えだよ」


トラメルは、にっこり笑っていた。


「ぶっちゃけ、ニノンが俺に嫉妬する要素って、初めからないんだよね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ