トラメルくんは、お月様を仰ぎ見る
ヤンデレが増えていく…
「あの家畜くんめ……」
しばらくの間、気を失っていたらしい。妙な悪夢を見たと思ったら、ナザルの体を囲むように、植物の茎で作られたと思われる十字架がばら撒かれていた。
地下牢にはもう二人の姿はなかった。
シアが鉄格子を吹き飛ばしたとき、トラメルはちゃっかりナザルの背後に周り、衝撃をやり過ごしたのだ。シアの力で破壊された鉄格子を思いっきり体で受け止めてしまったナザルは、あえなくダウン、というところか。
口の端から血が垂れる。鉄格子の一本が、深々と脇腹に突き刺さっていた。
「まったく、お転婆なお姫様だなぁ……。リリー」
「はい」
音もなく寄ってきたリリーの首輪を外し、一気に吸血。脇腹の鉄塊を抜けば、傷口は見る間に塞がれていく。
これこそが、眷属契約のメリット。人間を同族にする契約を結ぶことで、その人間にいつでもどこでも血を捧げさせ、力を得ることができる。
見ている限り、妹は別の理由でトラメルを眷属にしようとしているのだろうが。
「……あれを見たら、どういう顔をするんだろうね」
間違いなく、シアはトラメルの血を吸うことで力を得て、首輪を壊すまでに至った。相性の良い血であることの証明だ。あの二人こそ、眷属契約を交わすにふさわしい。
「リリー、お前はどちらが良いと思う?」
言うまでもなく、トラメルの飼い主の話である。
オレンジ色の髪を梳くと、リリーは「私は」と小さく呟いた。
「兄様が望んだとおりに」
「君はずるいね」
ナザルは、ゆっくりと立ち上がった。銀でなくとも、強い思いが込められた十字架には、それなりの効果があった。強い思い。果たしてそれは、吸血鬼を憎んで作られたものなのか、それとも。
こつこつと、ナザルは歩き出す。それに淑やかに着いていくリリー。
閉じておいた扉が破壊されているのを見て、ナザルは苦笑い。
「たしかに、“外”はあるけど、それが希望かどうかはわからない」
「ナザルお義兄様を圧倒できたんなら、吸血鬼の一人や二人倒せるよな?」
「どころか殺せるわよ!」
「物騒思考すぎる。あと静かにして」
とはいえ、シアの見せた力はトラメルに、作戦がうまく行くかもという希望を見出させた。
「でも、私が一人や二人倒せるとして、脱出プランに関係あるの?」
「うん。あるよ」
トラメルはシアに説明する。この国は、王国だった頃そのままのシステムを流用していること。二年の間に王城を調べ上げたが、新しくできた部屋や建物などないこと。
「ってことは、ここもそのまんま使われてるってわけだ」
それがこの、王城の裏口とも言える場所。ゴミ捨て場である。二人は、生ゴミを詰め込んだ籠の中に身を潜めていた。
「馬鹿正直に正門から出てくことはない。俺たちは裏から脱出する。ここに来た奴を襲って馬車を奪って、何事もなく王都の外に出ていくんだ」
「本当に、今日この時間に来るの?」
「来るよ。時間に正確だからね」
この一ヶ月、レーテがトラメルに近づかなかったのは幸いだった。おかげでトラメルは、それとなく窓の外を見て、馬車が到着する時間を把握することができた。
「俺が刈った雑草もこうして捨てられてたってワケ。吸血鬼ってより、人間の出したゴミの処理だよな」
家畜小屋の人間の残飯が王城に集められて、どこかに運ばれていくのだ。そのどこかとは、王都の外れ、もしくは。
嫌な予感がして、トラメルは頭を振る。たぶんそうだけれど、今は考えたくなかった。
時間通りに、馬蹄の音と、いななきが聞こえてきた。
「うわっ、今日はいつにも増してゴミが多いな。人間はどんだけ環境を壊したら気が済むんだ」
なにやら意識の高いことを言っているゴミ処理係であろう吸血鬼。彼が馬車から降りて、こつこつとこちらに近づいてくる音が聞こえた。
トラメルは叫んだ。
「……今だ! ぶちかませ!」
「オッケー!!」
シアが生ゴミから勢いよく脱出し、ゴミ処理係の悲鳴が聞こえた。トラメルがカゴから出れば、すでに勝負は決まった後。
「ふふん、ざっとこんなもんよ」
腕組みしたシアが、ごみ処理係の頭を足蹴にしてキメ顔をしている。
「キメ顔してるとこ悪いが、頭にゴミ乗ってんぞ」
「えっ嘘!?」
「嘘」
殺意を乗せた蹴りが飛んできたが、トラメルは易々と避けた。吸血王の攻撃に比べたらこんなもの子供の遊びである。追いかけっこ歴二年の実力は伊達ではない。
「よし、馬車は確保できた。あんた、馬を操れる?」
「あんたじゃなくて、シアよトラメル。もちろん、王族舐めんじゃないわよ」
「じゃ、シアに任せる」
シアが頷いて、ゴミ処理係が着ていたローブを剥ぎ取る。長い白銀の髪を一つにまとめてくるくると巻き、帽子の中に押し込んだ。
「これなら、ちょっと美しすぎるゴミ処理係にしか見えないでしょ」
「自己評価高ぇな、おい」
とはいえ、シアの言っていることは本当で、帽子から零れ落ちる銀糸といい、赤い宝石のような瞳と言い、どこをとっても美少女だ。
頭おかしい部分しか見えてなかったが、こうしてみると確かにお姫様っぽく見える。
トラメルは、ナザルお義兄様にもした嫌がらせをしておくことにした。持ってきた袋から、茎で作った十字架を出して、昏倒するゴミ処理係の上にばら撒く。
「これ、効果あるのかな」
「嫌な気を感じるから、効果あるんじゃない?」
シアがものすごく嫌そうな顔をしながら言う。まきびしのような役割は、意外と期待できそうである。
ーー次に誰かに襲われたら、これを撒こうっと。
シアに地図を渡したトラメルはそう思いながら、生ゴミと自分の刈った草の下に潜り込む。
馬車が動き出す。シアの手綱捌きは見事なもので、舌を噛む必要もなさそうだった。
だから、トラメルは、ゆっくりと考え事をすることができた。
ーーこれで合ってるんだよな、ダフィン。
どこにいるかもわからない親友にむけて問う。やっぱりダフィンは「知るか」としか返してくれなかった……いや。
トラメルの脳裡には、あの血まみれのページが浮かんでいた。あの、力強く押し付けられた跡が。
それが妙に引っかかって、考えに考えて……トラメルは、彼の最後の言葉を思い出した。
「あぁ、そうか」
くすりと笑って、トラメルは、穏やかな同僚や、図鑑少年のことを思い出した。
「わかったよ、ダフィン」
ーー王城は封鎖されたが、脱獄犯のシア・ノウゼンと、それを幇助したトラメル・ヴィエスタの行方は杳として知れず。
王城は、使者を教会に送ったが、数キロ離れた先の教会にいつ着くのかはわからない。
従順だったトラメルの反逆に、慌てふためく人々。各部屋を探し回っても二人の姿は見つからず、もしやと思って裏口を探せば、ゴミ処理係が昏倒している。一般国民だったものが知るはずのない王城の仕組み。そういえば、彼は妙に王城に詳しかったと思っても、あとの祭り。
馬車は乗っ取られ、二人は逃亡を果たしてしまった。
しかし、地下から出てきたナザル王子は、ゆるりと微笑んで言った。
「大丈夫、きっと彼は、ここに帰ってくるよ」
そうして、オニユリ色の少女を見た。
「ね? リリー」
「はい。きっと、帰ってきます」
リリーは沈痛な面持ちと、反対に期待するような面持ちでそう言った。
ナザルは、彼女の浅ましさにいっそう笑みを深くして、オニユリ色の頭を撫でた。彼女の兄、ダフネオドラの金髪に赤みを足した色である。
「いちばん怖いのは、人間なんだから」
彼女は、その言葉にいたく同意した。王族である、王族であった彼女は知っている。この国は、“選ばれた”国で、この国を“継続させる”ことだけが、“彼ら”の生きる道なのである。
そして、もしもリリーが元王女だということを、国民に明かせば……結果は火を見るよりも明らかなのである。
ーーはやく、私と同じになってね。トラちゃん。
つまるところ、リリーの願いはそれだけだ。




