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9,聖女

 あなたが好きです。結婚を前提にお付き合いしてほしい。


 それが言えずに不審な態度を取ること早数日。これ以上の非礼を重ねたくなくてお迎えはしばらく控えてもらった私は、教会から帰るなりエリーに抱きついた。

 やっぱり結婚は無理かもしれない! と。


「こんな、最初の一歩すら踏み出せない人間が結婚どころかお付き合いなんてできるの? 無理では? 失礼すぎてもう嫌われててもおかしくない!」

 まさかここまで口にするのを躊躇うとは、自分でも思っていなかった。恥ずかしさは覚悟してた。けれど好意を伝えるのがこんなに困難だなんて知らなかった。


「デイヴ様には余計な心配をかけるし、もう消えたい……」

「消えないでカナメ! 私が悲しむわ!」

「うん消えない」

 ズビッと鼻をすすりながら豊満な胸に埋めていた顔を上げる。この状況を喜びたいのに喜べない……。


「一般的には交際も婚約も男性から伝えるものよ。あなたが無理することないわ」

「でも、曖昧なままにしておきたくなかったんだ」


 最初から好意があって成り立った関係ではなかった。婚約期間が終われば、このまま了承するだけで結婚することになるだろう。

 だけど私は気持ちが伴った関係を築きたい。できれば期間中に好きになってもらいたいし好きだと伝えたい。その気持ちだけはあるのに。


「エリーは恋人になんて伝えてるの?」

「普通に『好きよ』って言うわ」

「うぐっ」

 心臓にハートのついた天使の矢が刺さった。

「カナメ、私のことはどう思ってる?」

「大好き!」

 私もよ、と再び抱きしめられる。幸せを感じ、少しだけ落ち着いた。



「なんで言えないんだろう……」

 怖いのかな、拒絶されるのが。もちろんデイヴ様の反応は気になるけど、それだけじゃない気がする。心に引っかかる、違和感のようなもの。

「あなたの自己評価が低いのは知っているけれど、そこまで思い悩むほどとは私も思っていなかったわ」

 なぜかしら、と考え込むエリー。私も知りたい。


 これ以上、彼を心配させたくない。麗しのお顔に悲しみを滲ませたくない。お迎えは遠慮したので次に会うのは五日後のお茶会だ。今度こそ、なにがなんでも伝えなければ。


 扉の向こうで当人が沈痛な面持ちでいるなんて思いもよらず、私は決意した。





 翌日、魔法師団に向かうといつもの顔触れが見当たらずに閑散としていた。

 出迎えてくれた人に尋ねれば、諸事情で出払っていてしばらくは検証をできないという。それは構わないけれど、上位の魔法士がしばらく出払うほどの事態とは穏やかではない。

(それ以上の情報は教えてもらえなかったな)

 緊急時には呼ばれるだろう。そう軽く思っていた。


 時間が空いたので教会へ向かう途中、馬車留めの近くで以前の美女に会った。肉食系ご令嬢だ。

 護衛が御者に行き先を告げているほんの僅かの間。なぜここにいるの、と苦そうな顔を向けられ、答える間もなく彼女は去っていった。


「どうかされましたか」

 いつまでも彼女を見送る私に、戻ってきたアルバートさんが訝しげに尋ねる。なんでもないと馬車に乗り込んだ。



「魔獣討伐部隊の結成?」

 教会に着き、そこで魔法士の上位がごっそり留守にしていた理由を知った。国境近くで魔獣の大群が観測され、王都まで援軍の要請がきたという。

 魔獣は隣国からこちらへ押し寄せられているらしい。


 かの国は魔力の強い者が少なく、よそからの魔道具を入手して魔獣退治や結界を張っていると授業で習った。今回は、新たに張り直した結界に付随する効果により周囲の魔獣が必要以上に弾かれ、国境を越えこちらの国までやってくるそうだ。


 聞いていて思い出した商品がある。G対策の煙が出るやつ……自室は守れるけど周囲に被害が及ぶやつ……。


 頭からそれを振り払い状況を聞けば、対魔獣なので騎士で対応し、聖女様は王都で祈ってほしいと言われる。近いうちに国王様からも要請があるはずだから、と。

 祈るだけ?


 たしかに私は魔獣を直接倒すには力不足かもしれないが、魔獣が力を増す要因である魔障を祓ったり、多少の治療もできる。王都で祈るよりもずっと力になれるはずだ。いつまでかかるか分からない規模の厄災だという。それなのに、どうして。


「魔獣討伐は元々騎士の仕事。この国を救ってくださった聖女様が御身を危険に晒すことではございません」


 先程のご令嬢の言葉を正しく理解した。

「なぜ国の危機にこんなところにいるの。聖女様が」だ。


 私には力がある。力があるものが使わないでどうするの。この国を救ったというが、これからの国はどうなるの?


 違和感の正体に気づいた。

 いくら国や国民に親しもうと、心の奥底ではずっと、この世界の人間ではないのだという意識。批判すら届かないほどの賓客扱いを甘んじて受ける余所者であるのだと。


 きっと、自分自身が認めていなかった。誰よりも偶像に縋っていた。

 聖女様だからここにいられる。聖女様でなくなることがあればその時は。馴染めなければ違う土地へ、自分の居場所を探しに行けばいい。その考えがまったくなかったとは言えない。


 大事な人が増え、この国に根付くつもりの私にはもはや他人事ではない。



 教会のおば様の言う通り、翌日に国王様からの呼び出しを受けた。応接間へ向かえば王妃様と宰相閣下が揃っており、先日と同じ説明がある。そして王都の教会で当分は祈りを捧げてほしいと。


「私を前線へ送ってください」

 まさかそう言われると思わなかったのだろう、一呼吸置いたあと、それはできないと言われる。


「最前線では難しいですが、後方支援なら十分お役に立てるはずです」

「聖女様にそこまでしていただくわけにはいかない」


 元凶である隣国からの増援も問題だった。聖女様に危険が及ぶことはもちろん、顔を知られることに不安がある。この国は聖女の召喚を周辺諸国に表立って公表していないが、存在を秘匿しているわけではない。下手をしたら誘拐の可能性まで及ぶ。


「私はこの王国の民になりたいのです」


 異世界から喚んだことに対する過度な罪悪感や配慮などもういい。いつまでも遠慮し合う関係など長くは続かないだろう。


「他国が聖女を求めれば守ってください。代わりに私はこの国を守ります。力の許す限り」


 まだ難色を示している国王様と比べ、宰相閣下は考え込んでいた。こちらを落とした方が早い。

 自分が国のために自ら動いて王国民だと示せば、反発は減るかもしれないと話せば納得してくれた。そのような悪意から守ってくれていた王妃様は私が気づいていたことに驚いていたけれど、異物を排除しようとする人間はどこにでもいる。のらりくらりと責任が生まれることを避け、恩恵だけ受けていた私を気に入らない人々は当然いるだろう。国を思うからこそ。


「いつ終えられるかも分からないのだぞ。それでも行くのか」

「最初の旅もそうでしたから」

 安心させるために問題ないと示したのに、苦い顔にさせてしまった。

 すみません、責めたわけではないんです。本当に。




 出立の日はこれから調整して知らせると伝えられ、部屋を辞したところでライトブルーの瞳と合う。宰相閣下がいらっしゃるので当然だが、入る時は意気込んでいたので顔を合わせていなかった。


 どのくらいかかるのか分からない。戻る頃には婚約期間は過ぎてしまっているだろう。できれば先に伝えておきたかったけれど。


 なにか言おうとするも仕事中の青年に声をかけられるわけもなく、どうしようと思っていたら先程通ったばかりの背後のドアが開いた。


「聖女様、思った以上に早まりそうです。部屋に戻りましたらお支度を。ああ、そこの護衛は本日の勤務終了だ。お疲れ。また明日頼むよ」

 宰相閣下は言いたいことだけ告げるとドアを閉じた。

「……」

「……」

 勤務終了だと言われたデイヴ様の眉が下がった。おそらく私を気遣ってくれたのだろうが、なにも知らされぬまま突然言い逃げされた彼が困惑するのも分かる。


「少しお話いいですか?」

 声をかけ、部屋までの道すがら伝えたいことを必死に巡らせた。





 結局、部屋に戻るまでに伝えられたのはしばらく前線へ行くこととその理由だけだった。話を聞いた後、デイヴ様はむっつり黙り込んでしまった。私の前で眉間の皺がこんなに長いこと刻まれたのは初めてではないだろうか。


 アルバートさんはかつてのように離れて歩いている。皆に気を使われている。使われているのに大した成果もあげられず部屋に着いてしまった。


 先日までの不審な態度のせいか気まずい空気が充満している。十割私のせいである。このままではいけない。伝えるのは今ではないが、決意だけでも表明しておかなければ。


 ドアの前、ふとこちらに顔を向け口を開こうとした彼の手を咄嗟に掴んだ。肩がビクッと揺れる。え、なにそれ可愛い。


「カナメ?」

 邪な気持ちをグッと飲み込む。

「帰ったら伝えたいことがあります。いつになるかは分かりませんが、待っていてくれますか?」


 目に力を込めて精一杯の真剣さを伝えようとする。彼の目をしっかりと見つめたのはいつぶりだろう。

 ひんやりとした手に私の温もりが移っていく。手汗は移ってくれるなと念じた。


 瞳を揺らした彼はややあってゆっくりと頷いた。控えめなその反応は、迷子の子供のような頼りなさだった。離れがたいと強く感じるけれど。

(この国に、地に足をつけてから彼に伝えたい)

 死亡フラグにしてなるものか。


 手を離す際、力を抜いたそれに追い縋るように小さく握られてから、離れた。

 愛しい感情が口から出そうになった。危なかった。

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