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8,天と地

 カナメは美しいものが好きだ。

 雨上がりの草木に差し込む陽の光、しなやかで逞しい野生の猫、市場価値に関わらず意匠の凝らされた調度品、とりわけガラス製。彼女の友人である侍女と――――そして俺も。

 彼女は好むものをじっくりと堪能する。基本的に他者相手に目を合わせ会話するが、それとはまた違うものだ。


 気づいたのは自分の人間性が彼女に露見してしまった頃。

 あまりよろしくない二面性のある人間に対して距離を置くどころか、今までと変わらない態度に戸惑った。そこまで自分は興味を持たれていなかったのかと落ち込んだが、こちらに向けられる眼差しは相変わらずだった。

 向けられるだけで満足していたこれまでと違い、その眼差しにどんな意味があるのか知りたくなった。


 そうして彼女の視線を追うようになり判明したこと。特定のものを視界に捉えたあとは瞬きが極端に減る。瞳に焼きつけるように、嬉しそうに、満足気に細められる目元を見れば、こちらまで幸せな気分になった。

 魔法師団や教会からの帰り道、王城の庭へ、移り変わる空へ、道を横切る小動物へ。そして侍女へ向ける眼差しも、すべてに慈しみが込められていた。


 これまで彼女を一方的に眺めていた自分は、本当の意味で彼女しか見えていなかったことは、なかなかの衝撃だった。


 なにかを好ましいと思っても、けして手に入れようとはしない。そこにある存在を愛でているだけで満足してしまう。それが元の性質なのか、この国に囚われないための処世術なのかは分からない。だが自分もその一部だと思えば、どうしようもなく苛立った。


 好ましいと思われているのに求められることはない。


 自分は美術品などではない。だが存在するだけで彼女に与えられるものがある。想い人の特別な枠に入っている。結局はそれだけですべてがどうでもよくなるほどの喜びだった。


(当然、それだけで満足することはないが)


 まさか自分に敵意を向けてきた相手まで、その対象に含むとは思わなかった。


「カナメは聖女なのかもしれない……」

「まごうことなき聖女様だよ」


 自室で二人飲みながら、無粋なアルバートが口を挟む。役職の話でない。

「へいへい。そっちの酒は飲まねーの?」

「余命を宣告されるまでとっておく」

「聖女様は飲んでほしくて寄越したと思うがな」

 こいつの助言というのは気に食わないが、彼女が手ずから買ってきた酒だ。死ぬ間際まで飲みたくない。おい、蔑むような目を向けるな。


「城下町に下りたんだろう。大丈夫だったか?」

「姿隠しで店まで行ったからな。俺が一人で歩いてたようなもんだ」

「だがお前も護衛対象を把握しきれていない状態じゃないか、本当に危険はなかったのか」

「過保護すぎるぞ……王にも外出許可は取ったし、ずっとベルトを掴ませてたから無事なのは分かる。隠れて会話もしてたしな。そもそも聖女様の実力はデイヴだってよく知ってるだろうが」

「は?」

 腹の底から不満の声が出た。

「そう威圧するな。手を繋がなかった配慮に感謝しろ」

「当たり前だろう」

「悔しいならデートくらい誘えよ。聖女様が自分から出かけるなんて滅多にないんだ」


 上を不安にさせないためか、カナメは自ら街へ行きたいとはあまり言わない。国民と直接関わることを好むのに、王都へ戻ってからの買い物は極力周りに頼んでいた。

 彼女は自分より周りの気持ちを優先しがちだ。それが自分の生まれ育った世界や国ではなくとも。だから婚約の顔合わせの場でも解消後の俺の心配をした。


「それとなく誘ったが今は欲しいものはないからと断られた」

「それはお前……」

 憐れむんじゃない。デートの相手ではなく買い出し要員と認識された俺の気持ちを慮れ。


「傍目にはうまくいってるように見えるが。他のご令嬢を勧めてくる気配もなくなっただろ」

「それは本当か!」

「侍女の方に動きがないからな。案外両想いかもしれんぞ」

「その思考はあまりに軽率ではないか?」

 こいつ顔はいいのに……だからこそか……?なんてブツブツ言っているが無視をした。


 最近はうっとりと愛しむ以外の表情も向けられている。たしかに以前までの自分への認識とはもう違うはずだ。気を許され、信用されていると感じることが増えた。だが、それが恋かと聞かれたら、自信はない。


 たとえ立ち向かってきた令嬢への断り文句でも、いい関係を築けているという言葉は嬉しかった。このまま流されて結婚してくれたらいいのに。情に訴えかけたら彼女は受け入れてくれそうだ。危うすぎる。それはそれで心配だ。


 長期戦では分が悪いだろうと強引に婚約期間を縮めたが、急激に距離を詰めることは憚られる。だがこのまま慎重に進めても果たして彼女は頷いてくれるのだろうか。多少は強引さも必要なのでは。堂々巡りだ。


 魔獣相手に戦況を読むのは得意だが、彼女を前にすると戦略などまるで無意味だった。


 その後、さらに頭を悩ませる状況になる。



 はじめは会話の途中での不自然な間。なにかを言おうとして飲み込むことが増えた。それとなく促しても当たり障りのない話題へ移る。目線すら合わなくなってきたところでいよいよ焦った。


 気づかぬうちになにかやらかしてしまったのか。こちらのせいではないと一度否定されてしまえば、それ以上問いただすことはできなかった。彼女自身の問題だという。


「俺では力になれない事だろうか」

 ハッとしたあと、少し染まった頬に困った様子でやはり、飲み込んでしまった。

 一人で考えたいことがあるのでしばらく迎えに来なくてもいいと言われた時の衝撃たるや。遠ざけられている。

 いつ以来だろうか、涙腺が刺激されたのは。


 彼女がここまで迷いを露にしているのは初めてだった。慣れない世界での長旅でもこんなことはなかったのに。

 呼ばれてまだ一年ほどだ。元の世界に関する悩みならばたしかに、自分が役に立てるとは言い難いが。


 友人だという侍女も案じているようだった。現在カナメの一番近くにいるのは彼女だ。一人になった隙をついて探りを入れる。

「フォーサイス様は年頃の女性と懇意にされたことは?」

「ない」

「機微に疎いようでは聖女様は捕まりません。精々頑張ってくださいませ」


 それ以上は話すつもりはないようだった。身にならない助言をどうも。

 いや、年頃の女性に関する悩みだというのならば同年代に尋ねればいいのではないか?





「それで先触れもなくいらっしゃいましたの?」

「申し訳ないが緊急なんだ」

 さすがに未婚女性を突然訪ねるわけにもいかず、あなたの恋人を伴って来たのだから許してくれ。


「クリス、俺からも頼む。彼のおかげで君と婚約者になれたんだ。力になれるのならそうしたい」

「ギル……」

 クリスティーナ嬢の恋人は俺と同期の騎士だ。配属先は他の領地だったが、婚約を機に王都へ戻ってきた。その彼を勤務終わりに捕まえ、こうして彼女へ面会を求めた。


 ギルベルトは婚約に至った経緯を知らないが、フォーサイス伯爵家が身を引き助力したと思っている。すまない。そしてクリスティーナ嬢は真実を知っている。

 念願叶ったとはいえ、事前連絡なしに強引にことを進めたため、彼女へのフォローもなく迷惑をかけた覚えはある。当たりが強いのは甘んじて受けよう。


「妙齢の女性が突然避けるようになる理由に心当たりはないだろうか」

「殿方に愛想が尽きたからでは?」

「っ……それ以外では」

 思わず言葉に詰まったら、少々意外そうな目で見てくる。彼女の前では感情を露にすることはなかったが、カナメに関わることだとどうにも表情が取り繕えない。


「相手方の態度にもよりますわね。不快を感じたとか、構ってほしい裏返しだとか……慕うあまり気恥ずかしいなども」

 慕うという単語に反応しそうになったが、落ち着いてカナメの態度を思い出す。なにかを言い出そうとして、困ったように何度も飲み込んでいた。


「言いあぐねているのが色恋ならば、伝えることに恐れを抱くこともありますけれど」

 逸らしていた目線を勢いよくクリスティーナ嬢に戻した。


 口にしようとした時の様子はどうだった。意気込んでいたためだと思っていた染まる頬に、違う意味があったのなら。


「人の気持ちなど他人に分かるはずがないわ。心から大事なら想像を巡らせるのではなく、本人に尋ねるべきでしょう」

 正論だ。


 帰り際、恋人に聞こえないように伝えられる。

「聖女様には個人的にもぜひお礼を伝えたいと思っておりますの。いつか会わせてくださいまし」


 愛想を尽かされないように、という心の声が聞こえた気がした。



 カナメはもしかしたら、自分のことが好きなのではないか。少しでもそんな思いが芽生えたら、居ても立ってもいられなくなった。


 翌日、迎えはしばらくいらないと言われたが、戻り時間を狙って部屋を訪ねた。

 ちょうど護衛のアルバートがドアを開き、室内へ駆け込んだカナメの後ろ姿が見えた。


 部屋で迎えているであろう侍女に向かって「やっぱり結婚は無理かもしれない!」なんて涙声で告げたのを耳にしてしまった。

 アルバートがこちらに気づき慌ててドアを閉めるがもう遅い。しまったとばかりに目元を覆っているが、そうしたいのはこちらである。



 天から地へ落ちるとはこういうことかと身をもって知った。

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