7,横槍
気持ちを自覚したところで現状が劇的に変わるわけではない。ただ、今までのように彼と顔を合わせるのは想像しただけで気恥ずかしさが伴った。
変な態度をとってしまったらどうしよう、失礼をしたら。
直接会えばそれは杞憂に終わった。今日もなんて美しい。癒される心に変わりはない。デイヴ様の存在よ、ご両親と森羅万象にありがとう。
心の中で拝むことにもすっかり慣れた。
「今日はどんな検証を?」
「風魔法で空を飛べないかと。理論的には可能なのですが、やはりバランスをとることに難があり、浮くというより持ち上がるだけで精一杯でした」
人間が持ち上がるだけでも私には胸が躍るほどの結果だった。筋力ではなく魔力でのトランポリンは楽しかった。
しかし、きめ細かな眉間にはわずかに皺が寄る。
「危険ではないのか」
高級羽毛の敷き布団を重ねに重ね、周りを魔法士でがっちり固められた上での実行だ。危険など微塵もないので安心してほしい。
「カナメはもう務めを果たしたのだから律儀に付き合う必要はない。楽しんでいるのなら構わないが……あまり好奇心のままに動くのは心配になる」
なんと、私の行動原理をよく理解していらっしゃる……道中は大変ご迷惑をおかけしたんだろう。会話も少なくよく知らないだなんて思っていてごめんなさい。これはもう、めちゃくちゃお世話になっていたようだ。
当然だ、聖女様の護衛なんだから無関係なわけがない。配置など関係なく守ってくれていたのだ。ずっと。
気をつけますと言ったものの、心配される嬉しさで溢れた笑みでは信用されないだろう。それでも、仕方がない子を見るような優しい眼差しを向けられたらやはり、どうしたって笑顔になってしまうのだ。
アルバートさんは「やっと」と言った。始まりはいつなのか知りたい。だがそれは、私のことをいつから好きでいるのか聞くのと同義だ。自惚れであってもなくても恥ずかしさが振り切れる。
「婚約者とは上手くいっているそうじゃない」
詳しく聞かせてほしいわ、と上品に微笑むのはこの国で最高位の女性である。
「とても良くしていただいてます、王妃様」
「女性を大切にするのは当然のことよ。そうではなく、どんな会話をしているのか、贈り物はなにかとか!」
上品に小声で叫ぶその淑女力、すごい。
自分の恋の話など慣れない私は照れくささに誤魔化そうとするも、その態度にますます興の乗った王妃様に根掘り葉掘り聞かれた。引き出す話術も、すごい。
今日のように、たまにお茶に誘われ気にかけてくれる王妃様のお人柄も好きだが、気力と体力の減りも凄まじい。おまけに着慣れないドレスは軽めのものとはいえしんどい。
普段から王城でも浮かないような質の良い服を用意してもらっているが、動きやすさ重視だ。貴族の女性を尊敬した。
「取り急ぎの縁談だったものだからあなたの元への婿入りという形になっているけれど、フォーサイス家の次男なら伯爵家の所有する爵位を継ぐこともできるわ。その辺りのお話は進んでいて?」
いいえまったく。進むどころか先日までお断りする気でいました。
心境の変化後もまだ、決めかねている。自分が貴族社会でやっていけるとは思わない。聖女様は独立した地位なので貴族とも平民とも違うが、貴族として生まれ育った相手だ。彼はどうしたいのか聞くべきなのに、なんて切り出せばいいのか分からない。
そもそも本当に私と結婚することがいい選択なのか。
「まだそこまでは。お互いのことを知るのに夢中なのです」
部屋を出たところでさっと回復魔法をかけたら、近くにいた王妃様の護衛にこっそり笑われた。
自室へ戻るために王城内を歩いていると、女性に行く手を阻まれる。シースルーのレースがふんだんに使われた上品なドレスと腰まで伸びるストレートの髪。お貴族様への対応マナーを頭に浮かべる間もなく、艶やかな唇からおっとりと告げられた。
「デイヴィッド様との婚約を解消してくれないかしら?」
自分には無縁だった女同士の争いが開幕した瞬間だった。非現実的な状況に当事者ということも忘れて興奮した。
美女におっとりとした口調で責め立てられている……ぜひこの状況を横から見たい。野次馬になりたい。
後ろでカチャリと音がして我に返った。護衛のアルバートさんが身じろぎしたのだろう、固まっている私のためかもしれない。心配させてしまっただろうか。目の前の美女も扇子で口元を隠し、訝し気に首を傾げている。様になるし絵にもなる。
「それは出来かねます」
「あなたが立場を利用して組んだ縁談なのでしょう?でしたらあなたから断ればいいだけだわ」
「きっかけはどうであれ、彼とはいい関係を築いておりますのでこちらから一方的に破棄するようなことはありえません」
ルビーの瞳とシャンパンゴールドの髪がまるでお人形のよう。目の保養とばかりに瞬きもせず目を直視してしまった。
しまった、これは失礼に当たるのではなかったか。こちらが青ざめる前に、覚えていらして、と告げた彼女は逃げるように踵を返してしまった。
揺れる髪質の良さに見惚れる。いいところのお嬢様だろうに、一人で大丈夫だろうか。王城内は確かに警備も万全だけれども。
護衛……と溢れた声に返事があった。
「護衛がどうかしたか」
ビクッと肩が跳ねた。振り返ればすぐ後ろに話題の中心だった青年が立っている。護衛はなぜかいつもの数倍離れた場所にいた。
いつからここに? 彼女が去ったのは彼が来たからだろう、どこから聞かれていた? やましい事はないのにこの後ろめたさのような気まずさはなんだ。
「彼女、一人で大丈夫かなと」
珍獣を見る目になった。
「子爵家のご令嬢だが、父親の登城についてきたのだろう。このすぐ先にある控室には護衛もいるはずだ」
ならば安心だ。それよりもなぜここにいるのかと聞けば、午後の私とのお茶会の前に職場に寄っていたという。休日の彼は確かに私服だ。納得し、促されるまま自室へ足を向けると、すまなかったと謝罪された。護衛はやっぱり不自然な距離を置いたままついてくる。
「ああいった手合いはなくなったと思っていたのだが」
手合い。
「それに、彼女は弟の婚約者候補として交流があったはずだ」
肉食系ご令嬢だった。でも分かる、あの色気だもの。選り取り見取り感がある。
「不快な思いをさせて申し訳ないと思って……いたのだが……」
なぜ若干嬉しそうなのだと問いたいのだろう。こちらこそ申し訳ない。謝るのも違う気がして、黙り込んだ。
他人から彼に釣り合わないと言われれば納得するし気落ちもする。ただそれ以上に非現実的すぎて、おまけに美女が上品に抗議してきたものだから、目からの情報が優先してしまった。
「あの、私は気にしてませんから」
ええ、本当に。
「うん……」
うんって! 可愛いな!
でもデイヴ様の方が落ち込んでいるように見えるのはなぜだ。フリでも悲しんだ方がよかったのだろうか、貴族のマナーは難しい。
お茶会までにこの重たいドレスを着替えて準備をし直そう。回復魔法をかけたとはいえ、高いヒールに慣れない足のマッサージもしたい。
自室の前に着き、お礼を告げて一旦別れようとすれば
「その、言いそびれたが、そのドレスもとても似合っている。できればまだ眺めていたい。このままお邪魔してもいいだろうか」
照れくさそうに褒められて、二つ返事で頷いた。
いつもより長く、同じ時間を過ごした夜。
「フォーサイス様の婚約者に相応しいご令嬢の選別なんだけど」
エリーの言葉にハッとする。
「もう必要なさそうね?」
悪戯っぽい笑顔を向けられて、恥じ入るあまり謝罪とお礼はとても小さい声になってしまった。
できればこの関係を続けたい。そのためには、彼の気持ちと意思を確認せねばなるまい。
恋愛初心者の私には、それがどれだけハードルの高いことだか分かっていなかった。




