「ハルさんとシッシーの、あした天気になあれ」
ハルさんとシッシーの、あした天気になあれ
田植えが終わったあとの田んぼは、まるで一枚の鏡のようです。
オレンジ色の夕日が、四角い大きな鏡を照らすひととき。ハルさんはひとり、あぜ道を散歩していました。
時おり吹く西風に、チビ苗たちがふるえていますが、グリリッ、グリリッとカエルたちが、陽気なエールを送っています。
あーした天気になあれ
ふと、なつかしい歌声が、ハルさんの耳に聞こえてきました。
ふりかえると、少し離れたところで、ひとりの男の人が、自分の下駄を片方飛ばしています。
後ろすがたなので顔はわかりませんが、とても背の高い人のようです。
カラーンと下駄が地面に落ちたとたん、
「これはいかん!」
残念そうな声が聞こえてきました。
あーした天気になあれ
男の人は、ハルさんに見られているのに気づく様子もなく、歌っては下駄を飛ばし続けます。
ようし! あたしもやってみるか!
ハルさんは元気よくサンダルを飛ばしました。
あーした天気になあれ……っと!
ハルさんのサンダルはみごと表むきに地面に落ちました。
「やったあー!明日は晴れだよ」
ハルさんは、男の人の背中ごしに大声でさけびました。するとその人は、しりもちをつくやら、前につんのめるやら、あわてふためいた様子で、いちもくさんにいなくなってしまいました。
「そんなにおどろかなくてもいいのにねえ」
ハルさんがあきれた顔でつっ立っていると、
「どうした、どうした?」
やってきたのは、イノシシのシッシー。ときどき山から会いにきてくれる、ハルさんの大切な友だちです。
「あれま、あの人ったら下駄を忘れちゃってるよ」
下駄を片方手にとり、ハルさんはびっくりしたように言いました。
「こんな高下駄、よくはけるねえ。けど、鼻緒が切れちゃってるよ」
どれどれ、シッシーはのぞきこむなり、ハッとした顔つきになりました。
「その下駄は、天狗さまのものだぜ。ハルさん」
「天狗さまって山の神様の? でも、いったいどうして天狗さまが……?」
「だって、明日は池まつりだ。田んぼの水が不足しないように水神さまに祈る祭りだろ。雨が降ると、せっかくの祭りにみんながずぶぬれになっちまうから、きっと天狗さまは心配されたのさ。この山の天狗さまときたら、相当のはずかしがりやだから、ハルさんに見られてびっくりしたんじゃねえか? まあ、天狗さまのそういうとこ、おいらは大好きだけどな」
「そういうことかい。そりゃあ悪いことをしたねえ……」
ハルさんは、天狗さまの下駄を手にしたまま、どうしたものかと考えました。
翌朝。
空が、うっすらと白み始めたころ、こっそりと天狗さまがやってきました。
「たしか、このへんに忘れたはずだが……」
昨日の場所に来てみると、きれいにすげかえられた鼻緒の高下駄が、片方置かれてあります。鼻緒の下に一枚のメモがありました。
―天狗さま、いつもありがとうございます。おどろかせてしまってごめんなさい。ハルより
天狗さまは、口もとをほころばせながら、片方の下駄をはきました。
その日の夕方。
ハルさんは、玄関先に何やら黄色いものが置かれているのに気がつきました。
ヤツデの葉の上にのせられた、たくさんのビワの実。大きくてみずみずしくて、口に入れると、じゅわっと甘い果汁が広がります。
添えられた小さなメモには、少し右上がりの文字でこう書かれていました。
『下駄の鼻緒をありがとう 天狗より』
「なあ、ハルさん。あしたは天気になるかなあ」
シッシーが甘えるように近づいてきました。
「あした晴れたら、でっかいおむすび持って、山に行こうぜ。あじさいの花も見ごろだし」
「そりゃあいいね。じゃあ、やってみるよ!」
ハルさんは思いきりはずみをつけて、片足をふりあげ、サンダルを大きく上に飛ばしました。
あーした 天気に なあれ!