1:出会い
「新しい奴が来るんだって!」
「ふーん、そうなんだ」
今日で何度目かの話題振りに、ユウリは少しうんざりした風に答えた。
ショートよりはやや長いが、セミロングという程には届かない赤い髪と、ぱっちりした大きな目に、薄い唇。健康そうな血色の良い肌を簡素なシャツとハーフパンツに包んでいる女の子だ。
「なんだよ、反応悪いな」
「だってその話ばっかりじゃん」
同い年ぐらいの坊主頭の男の子の言葉に、ユウリは唇を尖らせて答えた。
その日、ワイズアルド孤児院は朝から妙にざわついていた。どうやら、新しい孤児が今日やってくるらしい。
都市部からはだいぶ離れているが、辺境というほどではない、中途半端な田舎の孤児院では珍しい。ここ数年は新しく入ってくる者がいなかったから、孤児たちにとっては丁度良い話題の種だった。
「さすがに聞き飽きたって」
二、三日前に大人たちが話しているのを聞きつけた孤児たちが噂を広めたのだ。
「何だ、ユウリは興味ねーのか?」
二人の間に竜の頭が割って入って来た。
後ろから文字通り首を突っ込んできたのは、同じ孤児の竜の子だ。頭の大きさはユウリたちとほぼ同じぐらいで、ワニのようにせり出した口の分だけ前に長い。太く、人よりは長いが竜としては短めの首、前傾姿勢で太く強靭な両脚と全体のバランスを取るような太めの尻尾を持つ地竜の子だ。鱗の色は地竜に多い茶色をしている。
「プレーヤーになりたい竜の子だったら、ってとこかな」
「そりゃ中々難しい注文なんじゃねーの?」
黄色い目を細め、牙のある口を歪めるようにして地竜の子が苦笑した。
「何でよ、あんたたちだって凄い凄い言ってたじゃない」
「そりゃあ、なれるもんならなってみたいけどよ……」
むっとするユウリに気圧されたように、地竜の子が少しだけ首を引く。
「人気あるもんな」
坊主頭の男の子は腕を組んで頷いている。
プレーヤーというのは、人と竜が二人一組で行う各種競技に参加する選手を指す言葉だ。
人と竜が争っていたのは遥か古代の話で、今では種族の違いを乗り越えて共存できる社会を築くまでに至った。その信頼と親愛の証として、人と竜がチームを組んで行う様々な競技種目が作られた。プレーヤーとは、そういった競技に参加する者たちの総称である。
「現実的に考えて難しいじゃん?」
「夢がないわねぇ……」
地竜の子の言葉に、ユウリは渋い表情を返した。
ユウリはプレーヤーになりたいと思っている。だが、プレーヤーには必ず相方となる存在が必要だ。人なら竜、竜なら人の相棒が必要になる。
しかし、これまでワイズアルド孤児院においてプレーヤーになりたい竜の子はいなかったのだ。
実際、職業としてのプレーヤーは華やかで人気はあるが、かといって簡単になれるようなものではない。良い成績を残せなければ賞金は貰えず、何もせずとも収入が得られるわけではない。参加する競技それぞれに合わせて必要なものも違ってくるし、鍛錬も怠ることはできず、競技によっては一歩間違えれば死を招くものだってある。
「ま、相方なんてここで探さなくたっていいんだけどさ……」
これから先、孤児院を出た後で出会いなどいくらでもあるだろう。
ユウリはため息をついて、先生と共に新たに部屋に入ってきた影に目を向けた。
それは、青い鱗を持つ竜の子だった。
竜としてはまだ小柄で線の細い体付き。ユウリの直ぐ傍にいる地竜の子より一回り小さいぐらいの頭に、細く長い首と、同じぐらいの長さの尾を持っている。
見たことのない顔だったから、誰もがその竜の子が例の新入りだということは直ぐに分かった。
だが、それよりも部屋にいた皆の目を引いたのは、その背の翼だった。
翼竜が珍しい、というわけではない。その竜の子の背中には、翼が足りなかったのだ。
右に一枚、左に二枚、合わせて三枚の翼が目に映る。本来なら左右対称に生えているはずの翼が、一枚足りなかった。
「トライアリウス……です」
名前を告げる声は小さく、か細いものだった。
新しい場所に戸惑っているのとは違う。怯えているのとも違う。
ただ、覇気を感じられなかった。
なんとなく話しかけにくい、そう周りに思わせるのには十分だった。
トライアリウスは大人しく、物静かで、控え目な性格だった。何かを怖がっているかのように、過剰なまでに自分というものを引っ込めているようにさえ見えた。
ただ内向的というには、一人でいることに満足しているようにも見えなかった。
周りの子から遊ぶのに誘われても、やんわりと断る。
「ごめんね、ありがとう」
そう言って申し訳なさそうに、それでいてちゃんと嬉しさもあるのだと示すものだから、周りは困惑した。仲良くなろうとしてくれることは嬉しい、それでも、一緒にはしゃぐことができない。彼自身そのことを自覚していて、周りにもそれが伝わってしまう。
当然、突っかかる者も出てくる。
「何だよ! 言いたいことがあるならはっきり言えよ! 羽のこととか、こっちは気を遣ってんだぞ!」
耐え切れなくなって、癇癪を起こした竜の子がいた。人の子も、竜の子も、それに同調する者は他にもいた。
孤児としてやってきたからには事情がある。それが理解できる年齢の者は、自然と気を遣って接する。だが、そうは言ってもまだ子供だ。我慢できずにぶつかる者が出るのも当然のことだった。
「これ、は……」
孤児院に来てから初めて羽のことに触れられて、トライアリウスの表情が歪んだ。
だが、それは怒りではなかった。それでいて、悲哀とも何かが違う。
相手をも黙らせてしまうほど、その表情には複雑な感情が渦巻いているのが見て取れた。
「はいそこまで」
うんざりした表情で、ユウリはそこに割って入った。
「ここに来たからにはそれなりに事情はあるんだろうし、話したくないことだってあるだろうけど、それならそうと言わないと分かんないでしょ」
トライアリウスの方に向かって、ユウリは言った。
「そんなに寂しそうに、辛そうに、つまらなさそうにしていられたら、あたしたちだってやり辛いのよ」
「でも、僕は……」
トライアリウスは俯いて、言いよどんだ。
「あたしは親に捨てられてここに来た」
ユウリの言葉に、トライアリウスが顔を上げた。
驚きに見開かれた目が、真正面に立つ少女の姿を見上げている。
「要らないって、思ったんだろうね。生まれて直ぐ、路地裏に捨てられてたのを、ここの先生に拾われたんだ」
そう語るユウリの姿は堂々としていて、その話を聞いたことがある子供たちさえも圧倒していた。
「でも、ここにあたしを要らないって思う奴はいないんだ」
ユウリはそう言って、屈み込んで縮こまっているトライアリウスに目線の高さを合わせる。
「だから、話してみてよ。誰もあんたのことを悪く言うつもりなんてないんだから」
その頭を優しく撫でるように手を伸ばし、微笑んで囁く。
「……だけど」
「いいんだよ、したいようにして。我慢なんてしなくていいんだよ」
そっと頭を抱き寄せて、ユウリは言い聞かせる。
ここにいる子供たちの中には、辛い目に遭ってきた者もいる。
トライアリウスはユウリの胸の中で少しの間震えていたが、やがて意を決したかのようにゆっくりと語り出した。
「この羽は……お父さんに千切り取られたんだ」
抱き締めるような形になったユウリには、彼の背中の傷痕が見えた。片翼の対になる羽があった場所の傷口自体は塞がっていて、血こそ出ていないものの、付け根から力任せに強引に捻じ切られたかのような傷痕はとても痛々しいものだった。その傷では、恐らく、新たに生えてくるということもないだろう。
空を飛ぶことができる翼竜の羽は、見た目以上に強靭に出来ているものだ。いくら身体がまだ発育し切っていない幼少期だからとはいえ、羽を引き千切るというのは容易に出来ることではない。明確な悪意と害意を持って、成熟し切った大人の竜の力であれば可能ではあるが。
彼の両親は、仲が良くなかったらしい。
トライアリウスが物心付いた頃には、どうしてくっついたのかすら分からないほど険悪だったようだ。もしかすると、彼が生まれたことで更に仲が悪くなったのかもしれない。
両親に疎まれ、日常的に暴力を振るわれていたらしく、良く見れば小さな傷痕がいくつもある。羽と違い、こちらの傷はそのうち消えるだろう。それでも、心が負った傷はそう簡単に癒えるものではない。
背中の翼を引き千切られたことで大騒ぎになり、近所の住民の連絡などからここに預けられる運びとなったということだった。
「何かやりたいことはないの? なりたいものとかは?」
ひとしきりトライアリウスの話を聞いてから、ユウリは優しく言った。
どれだけ疎まれていたとしても、血の繋がった両親のことはまだそう簡単には割り切れないだろう。保護されたばかりなのだから、折り合いをつけるには時間がかかる。
ただ、前を向くべきだ。顔を上げていいはずだ。これからは怯えて過ごす必要はない。
後ろや下を向いたままでは、辛いだけだということはここにいる者なら嫌というほど知っている。
「僕は……プレーヤーになりたい」
ゆっくりと顔を上げ、そう口にするトライアリウスの瞳には、確かな光があった。
周りにいた子供たちは目を丸くして顔を見合わせ、そしてユウリを見る。
「プレーヤーになって、ゼリアハルトに出たい……!」
そのトライアリウスの小さな声には、力があった。確かな自分の意思があった。
ゼリアハルト。それは、世界で最も大きな競技祭典だ。出場できるだけでも栄誉のあることで、そこで優勝を得ることは世界一のプレーヤーであると認められることだ。
絶対に出てやるんだ、自分なら出られるんだ、というほどの自信は感じられない。それでも、彼の胸の内には熱を発するだけの思いが秘められている。
鳥肌が立ったような感覚を、ユウリは抱いていた。
笑みが浮かぶ。
「いいじゃん……なろうよ、プレーヤーに!」
ユウリの瞳には、自分を見上げる竜の眼が映っていた。
その言葉の意味に、ユウリの思いに、気付いたトライアリウスの眼が、少しずつ大きく見開かれていく。
「あたしのパートナーになってよ……!」
それが、二人の始まりだった。