第二話 偽りの少女①
王政百四十七年七月四日、某所。
姫の目醒めはまだか・・・やはり彼女の眠りを覚ますには白馬の王子が必要というのか。
クックックッ・・・何とも口惜しいが仕方あるまい。
だが、其方に最も相応しいのはこの世の王である私だけだ・・・そうは思わんか、月の姫よ。
高貴な服に身を包む男は暫し思考の波に佇んでいたが、ある結論に辿り着くとゆっくりと意識を覚醒させた。
「ジル」
「ここに」
音もなく男はひざまずき指示を待つ。
「時は来た。神なき世界に人は慣れつつある。自由を制限しつつ夢と娯楽を与え、己の幸福のためだけに固執する。そして欲望は際限なく続く。そう人は慣れ、欲するのだ。今こそ再びこの世界には神が必要なのだ。人類を正しく導く女神がな」
「はっ。閣下、すでに手筈は整っています。いつでもご命令を」
その答えに閣下と呼ばれた男はわずかに口元を緩め、そして静かに首を縦に振った。
「御意」
そう言葉を残し、ジルと呼ばれた黒服の男は瞬く間に姿を消した。
王政百五十年三月三十一日、アストア国第三都市ルーガス郊外。
「マーモットより本部へ。ターゲット確認、これより任務に移ります」
「了解しました。ご武運をお祈りいたします。以後の報告は定時連絡で行ってください。必ずですよコータ君っ。主任、じゃなくて隊長に怒られるのは私なんですからね」
よほど口を酸っぱくするほど言われたのか、通信相手のオペレーターの必死な顔が想像できるほどの勢いを感じながらコータは苦笑する。
「カナコさん、僕のせいじゃないですよ。渡されたモバイルの調子が悪くてたまに通信ができないんです」
「モバイルの調子が?おかしいわね、軍の装備品だからかなり頑丈なのにね。・・・もしかしてコータ君、何かした?」
直感的に感じたのか、カナコは少し疑う口調で少年に確認する。
「・・・一度だけ、自分の魔力を・・・」
「・・・納得。至急新しいのを手配するわ。知ってると思うけどうちの隊には余裕が無いの、だから今度は大切にしてね」
「了解です」
通信の向こう側で苦笑するカナコが容易に想像でき、少年は一つ溜息を吐き通信を終えた。
「で、おっさん、どう思う?あの水色の髪を後ろに結んだ女の子」
「うむ、間違いなく彼女だな。忘れんぞ、あの時頭を撫でてくれたあの感触を。それにしても・・・血は争えんな、霞殿に似て美しくなった。彼女もまた男に苦労しそうだ」
前髪が目にかかりそうな黒髪ボサボサ頭で、真新しい黒い学生服に身を包んだ少年を見つめて尻尾を振りながらニヤリと笑う白毛の妖犬に、随分犬らしくなったなと思い、コータは遠く過ぎ去った記憶を浮かべる。感覚ではたった六年前の話なのだが。
それにしても・・・
「精霊が護衛もつけずに一人でいる。本当にこの世界は平和になったんだと改めて思うよ」
「うわべだけ見ればだがな。実際妖魔の比率はあの時より高い。それに・・・」
「ああ、怪しい奴もちらほらと」
そう言いながら一人と一匹は、おもむろに気配がする方へと一瞥をくれた。
「・・・人だな?それもかなりの魔力を持った」
「あやつがよこした生物兵器じゃろな。そう考えて十中八九間違いない」
「生物兵器・・・」
コータの脳裏に雑味がかった記憶が一瞬通り過ぎ、僅かに頭を左右に振った。
「どうかしたか?」
「いや・・・なんでもない。・・・ほんと嫌だね。それはそうと、おっさん知ってたか?あの生物兵器、今はジンクスって言われてるらしいぜ」
一瞬の間・・・その沈黙が彼の壮絶なまでの十四年を思い浮かばせるのにはあまりにも短すぎるとおっさんと呼ばれる妖犬は思う。
何の因果か、ただ通りがかっただけの出会いから、ずっと親代わりとして見てきた者としては幸せな人生を送って欲しいと思うのが親心とも言えた。少年に神官の力を与えた張本人としては都合のいい話なのだが。
「ところで力の方はどうなんじゃ?火は消えておらんのだろ」
「ああ、今にも消えてなくなりそうだけどな。しかし、これに有効期限があるとは知らなかったぞ」
「当たり前だ。どんな事象にも鍛錬は必須。それを怠って得られるものなどない」
「強すぎる力は新たな争いを呼ぶらしいぜ。それならこのまま消えてもいいんじゃないか」
「それが貴様の本心か?」
コータの気のない応えに妖犬の眼の色が変わる。その反応にやれやれといった感じでコータは目の前の親代わりの龍神の成れの果てに向き直りぼそりと呟く。
「・・・まあ、少しは足掻いてみるよ。それじゃちょっくら任務をこなしてきますか」
面倒くさそうにゆっくりと立ち上がる少年は左手に持つ木刀を目の前に掲げ見つめた。
「彼女と契約すれば良いことじゃろ。さっさと行って済ませて来い。さすれば力も自然と回復する」
「どうやら昔の記憶はないらしいからそう簡単な話では終わらないんだ。ましてや恨まれることはあっても感謝される理由は微塵もなくて、下手に自己紹介なんかしたら即効で消されるよ」
遠目に水色の髪の少女を見つめ、ため息を一つ吐く。
「それでも会いたいんじゃろが。戦争だったのだから致し方あるまい」
「僕が始めた戦争であり、僕が殺されて終戦を迎えた。そこに彼女たち姉妹が偶然巻き込まれた。その事実だけで十分、それ以上でも以下でもないそれが真実だよ」
「そこまで自分を責めるではない。護りたかっただけだろが」
「結局は誰一人護れなかったよ。そして死んだ。そのはずだったんだ。でもまだ生きてる」
だから今度こそ・・・その言葉を残しコータは消えた。
少年の隠そうともしない感情が妖犬の姿をした龍神に温かい何かを不意に思い出させた。懐かしさに胸を締め付けられながら、少年のその背中に向け優しく問いかける。
コータよ、本当にそうなのか?答えは意外と目の前にあるのではないかとワシは思うぞ。
心の中でそう呟くと、妖犬はコータの後を追った。