第一話 家事手伝いですが何か?①
王政百四十九年三月二日。シンシア王国王都ウインダム。
「分かっていると思うがくれぐれも粗相のないように」
「へいへい、分かってます」
返事ははいでしょ。口うるさい母親代わりの、基、姉のいつもの注意に少しだけホッとするコータは、今まさに執り行われようとしている国王の謁見を片膝を立てかしこまった体勢で今や遅しと待っていた。
どうしてこうなったかというと、話は二か月前まで遡る。
新年を迎えた一月一日の新月祭に例の三人組がある事件をやらかしたことから始まる。
その日は数か月間魔導具研究室で取り組んでいた案件がひと段落つき、ずっと研究室に籠っていた研究員たちがそれぞれの祝日を謳歌していた。
「コータ、イロハたちの様子を見に行ってくれないか?三丁目のサンセットという酒場にいるから」
「えー、放っとけばいいじゃん。たまの休みなんだし」
コータの放った意見はミスミには届かなかった。
王都ウインダムは人口約百万人、とても広大な土地の四方を魔法防壁で囲まれる三国同盟屈指の巨大都市だ。精霊や獣人など多種多様な人種が住んでいる。町の中央にはラーム川が流れ、その西側の小高い丘にそびえ立つ王城から城下町にかけて中世西洋の佇まいがあり古い町並みが絵画のような美しさを醸しだす。一方の東側は建物の近代化が建築士ギルドによって進められ、人工的な灰色の四角い建築物が並ぶ。この近代化の流れは世界中に広がっている。三国同盟最高機関聖堂院を始め政府直轄の機関はすべて東側に存在する。
研究所の施設内にある居住区から三丁目までざっと五キロほどある。
「お前なら五分もあれば余裕だろ」
「あんたたちとはわけが違う。だから無理っ」
この世界の移動手段としての乗り物は観光用の馬車以外には存在せず、ゲートと言われる公共の転移装置により町中に設置された場所に魔力を少しだけ払い、精霊の力により瞬時に移動することができる。当然人間であるコータはゲートを使用することができないので、城下町にある三丁目の酒場まで徒歩で移動することになる。決して外に出るのが嫌なわけでもなく、逆に城下町の古い町並みがコータには心が安らぐ感じがして割と好きだった。散歩だったらの話だが。
川沿いの道を歩くと左右で見える景色があまりにも違いすぎて国境線を歩いているような感覚にいつも戸惑う。
川の水面に太陽の日差しが眩しく反射し、水鳥が魚を獲ろうと水辺を歩く。河川敷では子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえてる。
「平和・・・か」
一言だけ呟きコータは酒場に向かった。
研究所の中でもとりわけ仲の良いイロハ、シオリ、カナコの三人は自分たちの労をねぎらうため昼間から石畳の通りがよく似合うお洒落な酒場に入り浸っていた。
「かんぱ~い。お疲れ様~」
「ちょっとシオリ、ペース早くない?今のでもう五回目の乾杯よ」
呆れ顔のカナコは、シオリを窘めながらグラスのぶどう酒を口に含み味を堪能する。
そこへ不貞腐れて何かぶつくさ言いながら店に入って来た人影があった。ミスミに三人の様子を見てくるようにと言われたコータだった。
「昼間っから年頃の女性が酒場で何してんですか?」
不機嫌な少年は少し強めの口調でシオリにかみつく。
「おっ、少年よく来た。まぁ固いこと言わずにここに座って君も飲みな」
「未成年者に酒を勧めてどうするんですか。シオリさん、ちょっと飲み過ぎじゃない?」
カナコと同様にコータまでもが目の前の女性に呆れ返り、ダメな大人の典型じゃんなどと呟かれる。
しかし、そこは酔っ払い、周りの目など気にせず持論を展開する。
「未成年?ほんと人間って融通が利かないね~ドワーフはもちろんエルフや獣人だって君の歳にはもう飲んでるっていうのに」
「だめっ、シオリ」
シオリの何気ない呟きはカナコの制止によって余計に事態を悪化させた。
「えっ、人間?」
「人間だってよ」
「ヒューマンじゃないの?」
驚きで一瞬静まり返った酒場は、まばらだった囁きが次第に広がり、コータたちのテーブルに店全体の視線が集中する。カナコは自分たちに集まる視線に悪意が混じっていることに気づいた。
「じゃあ、そろそろお開きにしようか」
カナコの目配せにイロハはタイミングよく立ち上がる。
「シオリさん、帰りますよ。さあ立って下さい。一人で歩けますか?」
何事もなかったかのようにコータも振る舞い、足早にその場を離れようとした。
「ちょっと待てよそこの人間。もう少し話をしようじゃないか」
それでことは収まらないのが酒場であり、酔っ払いなのだ。しかも呼び止められた本人までもが足を止めてしまいカナコは思わず頭を抱えた。だがすかさず気を取り直し事態が大ごとになる前に収拾をつけなければと通信用魔導具、通称エムフォンを取り出しメールを送信した。心の奥でシオリに手を合わせながら。
「見た目だけで判断するなんてあまりにも失礼じゃないですか。魔力はないですけどこう見えても誇り高きエルフのクォーターですよ」
ただのヒューマンじゃないかよっ。などと外野からツッコミが入る。
ここで言うヒューマンとはハーフエルフを除く亜人種と人間の混血種のことであり、世界人口の半数以上がこのヒューマンと言われている。
ミスミに口を酸っぱくするほど言われていたトラブルの対処にコータは満点の返答をする。しかし、
「何言ってんの少年~、あんたは正真正銘の人間でしょうが」
この酔っ払いがっ。素早くカナコがシオリをグーで小突く。
「痛~い。カナコ酷いよ~」
「うるさいっ、イロハ早くこいつを連れ出して。コータ君も早く」
強行突破で店の外に出ようとしたイロハたちは、声をかけてきた酔っ払いの仲間に回り込まれ行き場をなくしてしまった。
「これはこれはクォーターエルフの兄ちゃん、どこに行くんだ?話の途中でさ」
「酔っ払いの相手が面倒なんで無視して帰ろうかと」
歯に衣着せぬ言い回しに普段の温厚な少年とはまた別の顔をコータはのぞかせた。
「何だとっ、やるのか?」
「やめといた方がいいと思いますよ。怪我をするのはそちらですから」
酒場で喧嘩のお決まりパターンに陥ってくコータに、普段はおとなしいのに意外と血の気の多いところもあるんだなとカナコたちは感心していた。
「随分と腕に自信があるようだな少年。それに精霊を三人も侍らせて」
最後までテーブルに座り酒を煽っていた男が、仲間を押し退け満を持して登場する。風貌からどうやら獣人たちで構成された冒険者グループの中心人物のようだった。
「うらやましいんだよっ」
歩みのスピードを一段上げ、男はコータとの間合いを詰め腹部に拳を埋め込んだ。
不意打ちとは言い難い真正面の攻撃に難なくコータは打ちのめされ、床に崩れていった。
弱っ。その瞬間奇跡的に酒場全体に一体感が生まれた。
「俺が出るまでもなかったな。まあいい、俺はこっちの精霊たちに用がある。お前ら後は好きにしろ。但し殺すなよ」
男の合図に酔っ払いの集団がコータを蹂躙し始めた。
顔を足蹴にされ鼻や口から血を流すコータを助けようとイロハが前に出ようとした時、その行動を男が阻むように口を開く。
「おっと、だめだぜ。お前さんたちはこの俺の相手をしてくれなきゃな。お楽しみはこれからだ」
集団リンチ合いながらも様子を窺っていたコータはリーダー格の男に疑問をぶつけた。
「クッ、せ、精霊は契約者以外は触れられないはずだ」
「いつの話をしてんだ、そんな旧世紀の常識なんざ通用しないぜ。今はこれで何でも解決さ」
冒険者グループのリーダーらしき男が誇らしげに右手を掲げる。その手首には燦然と輝く腕輪がはめられていた。
カナコたちは目を白黒させ驚嘆した。
「それって魔導具?」
「そうさ。リザール製の精霊と仲良くできちゃう魔導具だ」
魔導具とは装着者の魔力を付与することで発動する補助的な装備品である。ミスミたちはこの装置の開発、商品化を主に行っている。
精霊と仲良くするために造られた魔導具なんて存在するんだ・・・カナコたちは開いた口が塞がらなかった。
これを作った人はよほど精霊に相手にされなかったんだろうな・・・可哀想に。コータもまた製作者に少しだけ同情した。
全員が様々な思いにふけっていたその隙に突然リーダーがイロハのもとへと駆け寄り、その細くて乱暴に扱えば容易く折れてしまいそうな腕を掴む。
「えっ、何?」
咄嗟のことで理解が追いつかないイロハたちは、リーダーの次の一手に凍りついた。
イロハの色白の首筋に刃渡り二十センチほどのナイフが突きつけられる。
「俺はこの子がいい」
「はい?」
「清楚で可憐でお淑やか。その長くて綺麗な銀髪に白いワンピース、まるで精霊の鑑みたいな君を俺はとても気に入った」
うわっさむ~、ずっと見てたんだ。といった表情のイロハはなす術なく男に掴まれている。他の二人も何も手出しができずただ男を睨む。
本来なら精霊の相手にさえならない獣人だが、街中での魔力開放は法により禁止されていた。触れられないという前提があるからだ。たとえランクの低い精霊だとしても人と比べることがそもそも無意味なのだから。
「触れる・・・触れるぞっ。もうこの子は俺のものだっ」
感極まったリーダーは最高潮の興奮で、今にもイロハに襲い掛かるほどの勢いを見せる。
「何でイロハなの~?ここにもっといい女がいるでしょ」
黒髪をかき上げる仕草でシオリは、なぜか目の前の男に自分をアピールする。
えっ?今そこっ。酔っ払いたちに床に押さえつけられたままのコータは思わずツッコミを入れた。
「もうっ、シオリ。今は冗談言ってる場合じゃないっ」
下級精霊だとしても精霊は精霊。すべての女性精霊が美麗だった。但し性格は除くが。
長い髪は仕事に不要と赤茶色の髪をボブにしているカナコは、黒縁の眼鏡に指を添えて状況の打開を探っていた。
「じゃあ、そろそろ行こうか。イロハっ」
心躍るリーダーは我慢の限界なのか、イロハを店の外へと連れ出そうとじわりじわり出口へと動き始めた。
カナコは慌てて動きを止めようと一歩前に出ると、イロハの首にあるナイフが押しつけられる。万事休す。手も足も出ないこの状況にカナコは唇を噛んだ。
すると突然コータを押さえつけていた仲間の獣人たちが騒ぎだした。
「副長、こいつ魔法が使えます。あれだけの怪我がもう治ってる」
獣人の言葉にカナコもコータに視線を送り驚く。
顔中血まみれだった少年は何事もなかったように、ケロッとした表情ですでに拘束から逃れていた。
「オラッ待て」
逃げ出したコータを追いかける獣人たちは店の中を荒らし、逃げるコータは向かってくる男たちに各テーブルに置いてあったグラスやジョッキを投げつける。
この混乱に乗じてリーダーは強引にイロハの腕を引く。その瞬間ナイフが首元から外れイロハは抵抗を開始した。しばらく揉み合う状況から再びイロハに刃が向けられたその時、彼女は微かに風を感じた。
「えっ?」
「うごっ」
驚きの声と低い呻き声が同時に聞こえ、リーダーは床に倒れ、その側にはジョッキが転がっていた。
店の全員が冒険者リーダーの倒れた原因をジョッキが当たったからだと結論づけた。イロハ以外は。
今、一瞬コータ君の香りがした気がする・・・?
首を傾げながらコータを眺めるがそういった素振りも形跡もなく、イロハはやはり気のせいかなと自分に言い聞かせた。