アサギの真実
「にゃ~ん……」
「……猫?」
私は窓の真下の壁に張り付きながら、人生で一番真面目に猫の鳴きマネをしてみた。
「誰もいないな……音が聞こえた気がしたけど、術力も感じないし……本当に猫か……」
そう言うと若い男は窓を閉めてしまった。
た、助かった……。
どくんどくんと早鐘を打つ心臓の音さえ聞こえてしまうかと思った。
術力を感じないと言っていたのは、おそらく自分が術不能者だったからだろう。
自分が術不能者で良かったと感じた数少ない瞬間だった。
因みにこの時の私は知る由も無かったが、この屋敷には人間の術力に反応して警報を発する結界が多重に仕掛けられていたのだ。
しかしそれらは術力を発しない私にとっては無力だったため、ここまでスムーズに屋敷に侵入することができたのだった。
私はそそくさと窓の下から離れた。
それにしても、今の二人の話は一体なんだったのか?
コーイチに知術をかけようとして? 失敗した? それでカミーナ市長が怒っている……?
そういう解釈でいいんだろうか?
だとすると……非常にマズい。
カミーナはコーイチの意思に関わらず、彼を知術で操って自分のモノにしようと考えているのだ。
絶対に許せない。
彼女の企みをコーイチに伝えれば、きっと考え直してくれるハズだ。
そうと決まればカミーナに直談判する必要も無い。
さっさとこの屋敷から出て、船に帰るのだ。
そう思って移動を始めた時だった。
「……~い……お~~い……助けて~……」
誰かが助けを求めるような声が聞こえた気がした。
屋敷の人間に見つかってしまうリスクを考えると一刻も早く脱出したい状況だったので、気のせいだという事にして無視しようとしたのだが。
「……っ!?」
何か不思議な力で体を引っ張られた。
比喩などではなく、実際に物理的に体を引っ張られたように感じたのだ。
抵抗できないほど強い力ではなかったが、私はもう一度その場に足を止めて耳をすませてみた。
「お~~~い! 頼むよ~~~! 誰だか知らないけど行かないで~~~!!」
確かに聞こえる。
これだけはっきり聞こえてしまうと、助けに行ってしまうのが私の性分だ。
「どこ……? どこから聞こえてるんだろ?」
声のする方角へそろりそろりと歩いて行くと、徐々に私の体を引っ張る力も強くなる。
具体的には体というより来ている服が引っ張られているような感じだ。
「お~~~い!! ここ!! ここ!! 下だよ!! 地下だよ~~~!!」
やがて声もはっきり聞こえるようになってきた。
不思議な事にこの周囲には見回りの兵士がいないようだ。
地下だという言葉を頼りに地面を見ながら進んでいると、この手入れの行き届いた敷地内にあって唯一手付かずの草むらの中に、鉄格子のようなものが埋まっていた。
「うお~~~~い!! やっほ~~~!! 助けて~~~!!」
叫び声は確かにこの鉄格子の下から聞こえている。
私は恐る恐るそこを覗き込んだ。
暗くてよく見えないが、月明かりの当たっている部分を見る限り、石造りの牢獄のような場所だ。
「あの~……大丈夫ですか?」
私が声をかけると、
「う……うわ~~~~~!! マジか! 誰だか知らないけど、天の助けよ~~~!!」
興奮した様子で叫びながら月明かりの下に一人の女性が現れた。
「あぁ、えぇ~と……どう説明すればいいんだろ、あぁ、興奮して頭が回んない! えぇと、とりあえず、私の名前は片桐浅葱! 別に悪い事して捕まってるわけではなくて! ここの主のばば……カミーナの悪だくみのせいで捕まってんの! どーか助けてぇぇ!!」
カタギリアサギと名乗った女性は涙目で祈るように手を組んでこちらを見上げている。
「は、初めまして! こんな所からですみません! 私はミランダといいます! ……その、アサギさんってもしかして、異邦人ですか?」
コーイチのフルネームはセキタニコーイチだ。
何となく雰囲気が似た名前だったので尋ねてみると、
「そう!! そうなの!! もしかして今夜来たコーイチって人の関係者!?」
「やっぱり! そうなんじゃないかと思いました!」
「あぁ~、彼には謝っておいてくれる? 操られていたとはいえ、あんな怪しいセミナーの勧誘みたいなセリフをベラベラと……私みたいに操られずに無事に帰れたみたいでホント良かった!」
「や、やっぱり市長の狙いはそれだったんですね!! 良かったぁ、コーイチが無事で!」
どうやらこのアサギの証言からも、今夜の食事会が罠だったことは確定なようだ。
「よ~し! それじゃあ助け……たいのは山々なんですが……一体どうしたら?」
「え、えぇと、そうね……どうしたらいいんだろ」
私のいる地面からアサギまでは、ゆうに建物二階分くらいの高さがあるように見えるし……いや、それ以前に。
「その~……そもそもなんでアサギさんは……ハダカなんですか?」
そう、カタギリアサギは裸だった。
両手で胸と股間を隠して、ずっと恥ずかしそうにモジモジしているのだ。
「それは……話すと長く……いや、大して長くもないわ。ミラちゃんにちょっとした頼みがあるんだけど……後で返すから、ちょっとその服の布地を貸してもらえる?」
「……は? 布地を貸す? え? ど、どうやって?」
「それは……こうやって」
アサギが言った直後、私の着ている服の布地が、まるで生き物のようにざわざわと動き出した。
「わっ……うひゃあ!!」
全身がくすぐったくて悶えている間に私の服が形を変え、より布地の面積の少ないホットパンツやチューブトップに作り替えられていく。
そして減った分の布地はというと、アサギの体に巻き付いていき、あっという間に胸と股間を隠す最低限の下着へと変形していた。
「うひゃひゃひゃ……って、ええ!? 何が起こったんです!? 術ですか!?」
「いや、術じゃなくてこれは私のギフト『笑う羽衣』の能力なんだけど、コレのせいで裸に剥かれて閉じ込められてんの! ホント人権無視! まぁそもそもこの世界には人権ていう概念が無さそうだけど!」
「なるほど! 服を着せていると、服の布地を操って脱出出来てしまうわけですね?」
「そういうこと。おかげでこの周囲は巡回の兵士もいないし、私の顔を見に来んのはあの知術使いのクソ女だけってワケ」
知術使い……さっき話し声を聞いた二人のうち一人かな?
「そういうワケで、ここから脱出するには……そうね。ミラちゃんその鉄格子ちょっと持ち上げてみてくれる?」
アサギの言葉に従って鉄格子を上に引っ張ってみると、私の力でも何とか持ち上げる事ができた。
どうやらこの鉄格子は固定されておらず、ただ置いてあっただけのようだ。
「外れましたよ!」
「よしよし。じゃあ申し訳ないんだけど、どこかから布地を調達してきたり出来ないかな……? ミラちゃんの服だけだと、ミラちゃんを素っ裸にしても上に登るには足りないんんだよ」
「布地、ですか」
私は取り敢えず周囲を見回してみた。見える範囲には使えそうな布地は無い。
室内に入れば何かしら見つかるだろうが、ここに帰ってくる前に別の誰かに見つかる可能性が高い。
一度外に出て船から持ってくるというのも時間がかかる……となれば。
「服を着ている人を連れてくるというのもアリ?」
◇◇◇
「にゃ~ん」
一晩で二回も本気の鳴き真似を披露する事になるとは。
上手く行くか分からないが、やってみる価値はある。
私は草むらの中を低い姿勢で移動しながら猫の鳴き真似を繰り返した。
すると。
「こっちだよ~。ちっちっちっ……」
釣れた。
付近を巡回中の女性兵士が、猫を探しに近寄って来たようだ。
猫の鳴き声がすると姿を確かめずにはいられない、猫好きの習性を利用した罠である!
今考えると、さっき窓から話を盗み聞きした二人組が猫好きでなくて良かった。
私は姿を見られないよう慎重に移動しながら、女性兵士をアサギが捕まっている場所まで誘導していく。
「うーん、そっちの方には近付くなって言われてるんだけどな……まぁいいか。囚人もきっと寝ているわよね」
自分に都合の良い独り言を呟きつつ、女性兵士は地面の穴に近付いてくる。
「あれー、確かにこっちから声がしたんだけどな……って、あれ? 鉄格子が外れてる?」
と、女性兵士が呟いた直後。
兵士が着ていた服が一瞬にして帯状に分解され、変形が始まる。
「きゃあぁっ……むぐぅ!?」
まず猿ぐつわを噛ませて声を封じられると、あっという間に手足を縛られ、女性兵士は下着姿で草むらに転がされた。
「ナイスミラちゃん! いや、ミラたん! まさかここまで上手くやるとは、お姉さん感動しちゃったよ! よぅし! 早速脱出するぞぅ!」
アサギは地下牢からそう叫ぶと、布地の帯を器用に操って地上に這い出てきた。
「やった~!! ついに脱出ー!!」
「おめでとう~!!」
私はアサギと抱き合い、喜びを分かち合った。
出会ったのはついさっきなのに、まるで旧知の間柄のように二人でぴょんぴょんと跳び跳ねる。
「っと、喜ぶのはまだ早いかもね! この屋敷の連中いつか全員ぶっ殺す! けど取り敢えず今は逃げ……」
「二人とも動くな!!」
硬く鋭い声が辺りに響いた。
聞き覚えのある声だ。
姿を現したのは使用人の服を着た若い女性だった。
「なーんか不穏な気配がすると思って見回ってみれば案の定。残念だったねぇ、アタイから逃げられるとでも思ったのか?」
間違いない。
この声はさっき会話を盗み聞きした男女の片割れ、知術使いの女の声だ。
確か、プースィと呼ばれていた。
「なんとか言ったらどうだい? ……あぁ、アタイの術で動けないんだったねぇ」
「く……か……」
アサギは言葉にならない声を発しながら口をパクパクさせている。
どうやら先程の「動くな」という言葉で、既にプースィの知術に嵌まってしまっていたようだ。
さらに周囲には屋敷の警備兵達も集まってきている。
「同じ部屋に全裸で逆戻りさ。なに、今度は二人だから寂しくはないだろ?」




