クルー達とのティータイム
「私が船長のメルティナ。ようこそ我が船へ。歓迎するわよミスター異邦人」
ブリッジの中央に位置する席から立ち上がって俺に挨拶したメルティナは……見た目は完全に幼女だった。
浅黒い肌と美しい黒髪というエキゾチックな魅力溢れる美幼女だ。
この船には女の子しか乗っていないのか!?
「この度は命を助けていただき、ありがとうございます!」
「いいのよ、気にしないで。私たちにも利のある事だったのだから」
「ところで、ミスターフォリナーというのは?」
「失礼、貴方のような異界からの訪問者の事を、私達の世界では「異邦人」と呼ぶの」
「なるほど……あ、申し遅れました。私こういうもので……」
俺はいつもの調子で名刺を差し出した。
なんとなくそれを受け取ったメルティナは、四角い紙片をキョトンとした顔で眺めている。
「これは? 見た事も無いほど上等な紙でできているみたいだけれど……何か文字が書いてあるわね」
「あ」
もしかして名刺の概念が無い文化の人たちなのか?
というか、何故か言葉が通じていたので疑問に思わなかったが、もしかしなくても日本語が読めないのか?
「すみません、それは「名刺」というもので、自己紹介を簡潔に済ませる為のカードみたいなものです。我が国の言葉で書いてあるので読めませんよね」
そう言うと、何故か俺の隣にいたミランダが興奮した。
「おぉ!? という事はそのカードはプロデューサー様の世界の物という事ですか!? ってことはその異常に高品質な紙は、噂の異世界技術で作られた物ですね!?」
なんて好奇心旺盛なヤツなんだ!
目をらんらんと輝かせて鼻息荒く飛びついてくるミランダに、俺は若干たじろぐ。
「こぉらミランダ! まだ私が話している最中でしょう!? ちょっと落ち着きなさい! ……それで、お名前はプロデューサーさんというのかしら?」
「あぁ、それは僕の職業名というか役職名みたいなもので、名前は関谷幸一といいます」
「セキタニ・コーイチ? これからどう呼べばいいかしら?」
「それでは、コーイチとお呼び下さい」
そう言うと、メルティナは小さな手を俺に向かって差し出した。
「ではコーイチ。いつまでになるか分からないけれど、これからしばらくよろしくね」
「えっ? あ……しばらく?」
俺はこの船で「いつまでか分からないくらいしばらく」過ごさなければならないのか?
俺は一刻も早く帰る必要があるのだ。
こうしている間もラインの乙女の事が心配でならない。
俺が困惑している状況を察して、メルティナが困ったような表情を見せた。
「あ~……貴方の考えている事は分かってる。それについてもこれから説明するから」
そう言うと、俺の手を取って握手するように握った。
「あっ! わ、私も握手したいです! えっと私は……ってあれ? 私ってもう名乗りましたっけ?」
ミランダはこちらに手を差し出しながら首を傾げた。
「あはは、名乗ってもらってはいないよ。けど名前を呼び合うのが聞こえたからね。よろしくミランダ」
「えへへ、ごめんなさい。こちらこそよろしく! ミラちゃんって呼んで下さいね!」
「じゃあウチも~」
いつの間にか背後に控えていたトモエも、おずおずと手を差し出してくる。
ローブは脱いで来たらしい。
トモエは中々の長身だ。額の二本角の高さを入れたら一七〇cm以上か?。その上爆乳。
顔だけ見ると童顔で少女のようだが、身体的には大人の女性という感じだ。
少女や幼女ばかりでなくて良かったというかなんと言うか……。
「よろしくな。トモエちゃん」
「トモエとかトモちゃんとか、適当に呼んでな~。ウチもコーイチって呼ぶさかい」
さっきから気になっていたが、このなんだか怪しい訛りは関西弁か京都弁か……? トモエの出自が気になるな。
「余はまだ握手などせぬぞ!」
トモエと握手をしていると、いつの間にかブリッジ入り口の脇に立っていたソフィがこちらに向けて声を張り上げている。
「あはは、俺はコーイチ! よろしくな!」
「う、うるさいぞ! 余に断りも無く勝手に名乗りおって! な、名乗られたからにはこちらも名乗り返さねばならぬではないか!」
尊大な態度や話し方も、少女が漫画やアニメに影響されて中二病に罹患しているのだと思えば可愛いものだ。
「我が名はソフィーリア・アルファス・エモナ・タイタニア! 偉大なる森の民の女王である!!」
「これはこれはソフィーリア様。お目にかかれて光栄です」
本物の王族になど会った事はないが、俺は何となくソレっぽくうやうやしい礼を返してみた。
「うむ、苦しゅうないぞ!」
ソフィも満足気だ。こんなんでいいのか。
「ソフィーリア・エモナ・なんとかかんとか閣下は、名前が長いので気軽にソフィと呼べ! とおっしゃっておられますよ? ねぇソフィちゃん!」
「ば、馬鹿者! 余を敬称も無しに愛称で呼ぶなど!! それが許されるのは余が真に信頼しておる友だけじゃ!」
ミランダの通訳はどうやら間違っていたらしく、ソフィは憤慨している。そのせいでなぜか俺が嫌われる流れは勘弁してほしいのだが!
「まだ握手しないなら、いつしてくれるの~ん?」
「まっ……人の揚げ足を取りおって! コーイチとやらが余に真の忠誠を誓い、それを余が信じた時だ! 余はもう行くぞ! 全くミランダめ!」
ミランダに遊ばれたソフィは、顔を赤く染めながら走り去ってしまった。
「さて、一人足りないようだけれど、トーニャはどうしたの?」
「トーニャはんは、なんや対術シールドが吹き飛ばされた影響で修理が必要やいう話で、手ぇが離せんらしいで?」
「そう。ならトーニャは手が空いたタイミングで紹介する事にしましょう」
まだ他にも船員がいるらしい。それでも船の大きさを考えたらとても少ないのだろうけど。
「ここで立ち話もなんだから、甲板でお茶でも飲みながら話しましょう。準備できてる?」
「出来てますよぉ~」
と、メルティナは席から離れ、ブリッジを出ていこうとする。
「あれ? ブリッジには誰もいなくて大丈夫なんですか?」
「ああ、この船のメインシステムは優秀だから。その内紹介してあげるわね」
「はぁ」
どうやら自動操縦システムの様なものがあるらしい。この世界の文明レベルがよく分からない。
船内を抜けて甲板に出ると、先ほどの嵐が嘘のような爽やかな風が流れていた。
甲板の中央付近にはテーブルと椅子が置かれ、テーブルの上にはティーセットが準備されている。
テーブルの脇には先程走り去ったソフィが腕を組んで仁王立ちしながら、
「なんで余がこんなメイドのようなマネを……」
などと呟いている。
俺、メルティナ、ミランダ、トモエ、ソフィの五人でテーブルにつくと、俺は早速話を切り出した。
「とにかく、まず聞きたい事は一つです!」
俺は勢い良く身を乗り出す。
「ええ、何でも聞いてちょうだいな。でもまずは紅茶の一杯でもいかが? お茶請けのクッキーは我が船の料理長、トモエの作よ? 是非感想を聞かせてあげて?」
「ア、ハイ」
見た目幼女の船長メルティナに、やんわりと窘められてしまった。
当然見た目通りの年ではないのだろうが、これでも俺は三十五歳の立派な大人である。この意味不明な状況下でも大人として節度と余裕のある態度を取らなければ、担当アイドルも不安になるというもの。
ハートや星といった様々な形をしたクッキーを一枚いただいてみる。
「むぅ……これは凄いですね! こんなに美味しいクッキーには中々お目にかかれませんよ!」
これは偽らざる素直な感想だ。うら若い乙女たちの相手をする立場上、東京都内のスイーツの名店にもかなり詳しくなってしまった。そんな俺の舌を唸らせる逸品だ。上品な甘さと、口の中で雪のようにほろりと崩れる繊細さが素晴らしい。
「でしょう?」
「気に入ってもらえて嬉しいわぁ」
「ふぉうふぁホ! フォモエのフッヒーはふぁいほーはホ!」
ミランダの頬が四角や三角に変形している。一体どれだけ頬張ればああなるのやら。
「ミ、ミラちゃん! 口にモノを入れて喋るのは行儀悪いで!」
「ほほ~ん? 料理しながら半分くらいバクバクつまみ食いしちゃう「キッチンイーター」とどっちがお行儀悪いなのかにゃ~?」
「ばっ! 味見やもん! アレは味見!」
ほうほう、トモエは食いしん坊キャラ、と。
「ま、仕方ないよね~。小麦粉に紅茶なんて、ウチの懐事情考えたら贅沢品だもんね。魚ばっか食べ過ぎて、エラが出来ちゃったらどーしよって感じだし」
「コラ、ミラちゃん! 余計な事言うたらコーイチはんが気ぃつこてしまうやん!」
懐事情……? この世界では小麦粉は貴重品なのかな?
「それで? 一息ついて落ち着いたかしら?」
「ええ、そうですね。本題に入りましょう。僕が一番聞きたいのは――」
まるで全力疾走でもしたかのように高鳴る鼓動を抑える為、俺は意図的に一呼吸置いてから確信に迫る質問を発した。
「僕は元いた場所に帰れますか?」
予期されていた質問だっただろうが、俺の言葉によって場に重い沈黙が訪れた。
「結論から言うと……分からないわ」
メルティナは、はっきりと答えた。
そしてそんな答えが返ってくる事も、俺には何となく予想通りだった。予想通りだったがために、顔に浮かぶ落胆を隠し切れない。
「より正確に言えば『私の知る限りでは不可能』だけれど、もしかしたら私達が知らないだけで、異邦人を元の世界に送還する方法の一つや二つあるかもしれない。そういう意味での『分からない』ってことね」
「そんな事だろうな……とは思いましたよ。しかし現実を突きつけられると……」
俺は両手で顔を覆った。
外国ですらない、どことも分からない土地で一人。
あの状況、生死不明のラインの乙女達がどうなったかすら分からない。
分からない。
分からない。
分からない事だらけだ。
俺が次に取るべき行動も分からない。
「取り敢えず……ここはどこなのか、今はいつなのか……色々教えてもらえますか?」
今は海皇歴七六五年、雷虎の月の三日だそうだ。場所はアマンドラ帝国領海沖四〇〇リーブほどの地点らしい。
なるほど全く分からん。分からんが……
「やはりここが俺の知っている世界とは別の場所だという事は分かった……」
「まあ、そうなのでしょうね」
そんな当然みたいな口ぶりで。
「貴方は宝嵐を通して召喚された『異邦人』……その証拠に胸に紋章が浮かんでいるんじゃないかしら?」
俺は首もとからシャツの中をのぞき込んで確認してみる。シャワールームには鏡が無かったので気付かなかったが、確かに謎の模様が刺青のように張り付いている。
「よその世界から来たのに何故私達と普通に会話できているのか……言葉が通じるのか、不思議よね?」
俺は日本人だ。こちらに来てからというもの、当たり前に日本語で話しているし、聞こえる言語も最初から日本語だった。
「貴方達のように召喚された異邦人が言語の障害無く最初から誰とでも会話できるのは、その神の加護の証たる紋章のお陰だと言われているわ。その紋章が超高度な翻訳術として機能しているとか」
マジか……便利過ぎるだろう。
俺はふと思いついてある質問をしてみた。
「この世界にはアイドルはいますか?」
何を言っているのだ俺は。
「アイドル? それは人名? 職業かしら?」
「あ、いえ……ご存知無いのであればいいんです。忘れてください」
俺の中のナニかに、ピシリとヒビが入る音が聞こえたような気がした。
「……ふうん? おかしな人ね?」
「とにかく、帰る方法です。先ほどは知らないとの話でしたけど、知っていそうな人に心当たりなどは……」
俺が再びメルティナを質問攻めにしようとした時だった。
「ったく、なんだいなんだい黙って聞いてりゃあ。大の男が『おウチに帰りたいよォ~』なんて、情けないと思わないのかい!? アドベンチャースピリッツは無いのかい!?」
俺が顔を上げると、見たことのない少女がいつの間にか俺の隣に立ち、こちらを見下ろしていた。
上下薄汚れた青いツナギに、おでこに大きなゴーグルをつけている。いかにも「エンジニア」といった服装だ。
ていうかまた少女か!
「トーニャさん!! 急に何にも知らない土地に放り出されたんだよ? とっても不安だろうし、落ち込んだって仕方ないじゃない!」
ミランダがトーニャと呼ばれた少女を宥めるが、トーニャは止まらない。
「いーや、アタシなら大喜びだね。アタシがアンタに代わって異世界に飛ばされたいくらいだよ! 見も知らぬ世界をイチから冒険するなんざ最高じゃないかね!」
「トーニャ、誰もが貴方みたいな冒険好きじゃあないんですよ」
「そうじゃそうじゃ! 人間、安心安全安定安泰が一番じゃぞ!」
「ソフィはともかくメルティナもコイツの肩を持つのかい? アタシは最近トラブルが減って退屈してんだよ!?」
上手くいってるのに文句言われるとは、なんて理不尽なんだ……。
「大体なんだい、さっき言ってたあいどるってのは。名前かい? 称号かい?」
「アイドルというのは一種の職業です。そのアイドルの活動を主導していくのが僕の仕事であるプロデューサーです」
「へぇ、そのぷろでゅーさーとかあいどるってのは具体的にどんな仕事だい?」
「そうですね、ざっくり言うとアイドルというのは『歌って踊れる皆の人気者』って感じでしょうか……プロデューサーという仕事は彼女達アイドルが人気者になるためのお手伝いをするって感じですかね」
トーニャはワザと大げさに驚くようなフリをして見せた。
「ハッ!! ダンサーを囲うのがアンタの仕事かね! なんのこたぁない、奴隷商人か興行主か、女を食い物にするのが仕事ってわけだ!」
「違います!!」
俺は反射的に立ち上がっていた。自分の仕事を馬鹿にされて、思わず大きな声が出てしまった。
「はん、デカい声も出るじゃないか」
「プロデューサーという仕事は、決して女の子を食い物にするようなものではありません。まるで逆です。自らの力で輝きたいと願う少女達をエスコートし、とびきり綺麗な宝石に磨き上げる。そして沢山のファンに夢と希望とエンターテインメントを届ける架け橋となる。それが僕の仕事。天職。僕の……命です」
「少女……宝石……」
ミランダが小声で呟くのが聞こえた。
「プロデューサーという仕事が続けられないのなら、生きている価値など無い! そう思えるくらい僕はこの仕事を愛しているんです! 僕にはこの世界にいる意味が無い……! 一刻も早く帰りたいんです!!」
濃紺の空の下、俺は胸の奥に渦巻いていた偽らざる気持ちを吐き出した。
帰りたい。帰らせてくれ。折角見つける事が出来た天職を、こんな訳の分からない理不尽な状況で捨てなきゃならないなんてあんまりだろう。
俺のこれまでの頑張りは……プロデューサーとして培ってきた経験は水泡に帰してしまうのか。
メルティナは落ち着いた様子で紅茶を一口すすると、
「取り敢えずはここで一旦お開きね。部屋に案内させるから少し休むといいわ。たださっきも言ったけれど現実問題として今の所コーイチが元の世界に帰る方法については手掛かりすら皆無の状況よ。短くない時間をこの世界で過ごす事になるでしょう。あと二時間ほどで大きな港町に着くわ。そこで降りるのもいい。異邦人はどこの国でも大抵国賓クラスの扱いを受けられるから。その気が無いなら胸の紋章は絶対に見せない方がいいでしょうね。まだこの船に乗っていたいならそれでも構わないけれど、その場合は何かしら働いてもらうことになるかしらね。個室くらいは上げられるけれど、国賓待遇は期待しないでちょうだいね。……まぁしばらく身の振り方を考えてみてね」
メルティナは立ち上がり、船内に去っていく。少女達もメルティナに続いて船内に戻って行った。
一人甲板に立ち尽くす俺のそばに、ミランダだけが残っていた。
「空いている部屋に、案内するね」
「ありがとう。さっきは急に大きい声を出したりしてすまなかった」
「いいんだよ。急に右も左も分からない世界に放り出される気持ち……私にもちょっぴり分かるし」
明るく快活な娘だと思っていたミランダに影が差す。
「私について来て! ベッドしかないけど、掃除はしてあるから!」
俺が言葉を出せずにいると、ミランダは再び明るい顔に戻って、弾むような足取りで船内に向かって歩き出した。