大江山
遅れて申し訳ない。
トモエ視点の過去回想です。
「ちょっとだけ出てみようよぅ。ちょっとだけ! 本物の地面に、興味あるやろ?」
鈴鹿は大江山の中腹に飼われた雉鶏精の幼生に跨りながらウチを誘った。
彼女はウチの幼馴染で大の親友。
黒曜石を櫛削ったような美しい黒髪のおかっぱ頭に、同族の中でも一際大きな牙がチャームポイント……とは本人の談だ。
「せやけど……こないえげつないマネしてもうて……」
地面に大の字で倒れて熟睡している番兵を横目でちらりと見た。
差し入れと称して食べさせた串団子に、強力な睡眠作用のある薬草を混ぜておいたのだ。
「後でおとんに何回尻叩かれるか……ウチやっぱり行けへんよぉ」
鈴鹿は毎日世話をしている雉鶏精の幼生に「橙」という名前を付けていた。
「どうせ叩かれるんが決まっとるなら、最後までやらんと損、損! 次のチャンスは百年後やで?」
橙のまだ茶色い柔らかな羽毛を撫でながら、鈴鹿は言い放った。
本当に自由で天真爛漫で、恐れを知らない。
ウチの憧れ。
「うん……せやね。ほんに、スズちゃんにはかなんなぁ……」
ウチは観念して橙の背から伸びた鈴鹿の手を取った。
凄い力でウチの体が橙の背まで引き上げられる。
ウチが後ろに跨ってお腹に腕を回したのを確認すると、鈴鹿は足で橙のお腹を軽く蹴った。
橙は「ケーンッ」と一鳴きすると翼を羽ばたかせ、一瞬で大空へと舞い上がった。
「わぁ……っ」
ウチは歓声を上げた。
橙には何度か乗せてもらった事はあったけれど、こんなに高い所まで飛んだ事は無かったからだ。
「よーぅし、ほな行くよぉ~っ! いざ鬼が島の端っこへ!!」
橙はぐんぐん速度を上げ、ウチらの世界の端を目指す。
雉鶏精の飛翔は、単なる鳥類の飛行とは訳が違う。獣が翼と風術を使って飛んでいるのだ。
雉鶏精は高い知能と術力を持つ「雉」の精獣で、太古の昔から鬼族の家畜として大事に飼われてきた。
鬼族の角には一部の生物と意思疎通できる機能が備わっており、それによって他の種族では決して飼いならす事のできない魔獣や精獣を飼いならす事が可能なのだ……と父が言っていた。
「見えたっ! アレが端っこや!」
鈴鹿が全身を叩く暴風に負けないよう声を張り上げる。
ウチは鈴鹿の肩越しに前を見た。
確かに地面が途切れて、そこから薄い桃色の膜が立ち上っているように見える。
膜の外は一面空に覆われている。
「あの桃色のが結界!?」
「多分ねっ!」
「本当に抜けられるん!?」
「大丈夫やって! 辛気臭いやっちゃ! 『結界は去る者追わず、されど来る者は拒む』て習ったやろ?」
「来る者拒むんやろ!? 帰りどうすんの!?」
鈴鹿はこちらに振り向きながら懐からペンダントを取り出した。
「!! それ……鈴鹿のおとんがいつも首から下げてる!」
「これがあれば出ても戻れるんやて!!」
ウチは鈴鹿のあまりの奔放さに怖くなった。
いや、本当の事を言えば最初からずっと怖かったのだけれど。
「な、なんやえらい嫌な予感がするんやけど……」
「ここまで来て止められるかい! もう結界は目の前や! 突っ込む!」
ウチは目を瞑った。
自分が何か柔らかく温かい膜のようなものを通り抜けた感触があった直後、足元から凄まじい怒声が聞こえた。
「うーわっ……なんやこれ。すっごいやん!!」
鈴鹿の感嘆の声が聞こえてウチも恐る恐る目を開けると、目の前には彼方まで続く勇壮な山々が広がっていた。
「中からやと空しか見えへんかったのに……あの結界は目くらましの力もあったんやねぇ」
「そ、それよりスズちゃん! この人達はなんやの!?」
下の開けた荒地にはおそらく数千人の人々が集まり、『鬼が島』に弓や術などで積極果敢に攻撃を仕掛けている。
「さぁな、こいつらがウチら鬼族に弓引く蛮族共なんやろ。たまーに降りてくる鬼ヶ島めがけてこんなトコまで来るやなんて、ほんま浅ましい連中や」
橙が上空を旋回したかと思うと、不意に高度を下げ始めた。
ウチの全身にぞわりと悪寒が走った。
「スズちゃん!! 何する気ぃや!?」
鈴鹿はにやりと笑う。
「んんー? ちぃと連中をおちょくってやろう思てな!」
橙は尚も急降下する。
こちらを指差す蛮族の姿が視界に入る。
島に向けられていた弓矢がこちらを向き、引き絞られる。
「スズちゃん危ない!」
「大丈夫!! 当りゃしないよ!」
数瞬の後、橙に数十本の矢が殺到した。
ウチは恐怖のあまり、再びぎゅっと目を閉じた。
「おい、もうすぐ着くぞ?」
「ふあっ!?」
コーイチの声で目を覚ますと、むくつけき傭兵団の視線がこちらに降り注いでいた。
「はぁ~、恥ずかしいわぁ。もぅ~……もうちょっと早ぅ起こして欲しかったわ~」
ウチは袖で涎を拭きながらコーイチに文句を言った。
「いや、トモエがやけにぐっすり寝てたから起こしちゃかわいそうかなと思っちゃってね」
「むぅ~う……」
しかし、久しぶりに見る夢だった。
あの後数年は毎晩見ていた夢だけれど、この生活がいつの間にか自分を癒してくれていたのかもしれない。
「まもなく到着しま~す! 傭兵団の皆さんは降りる準備をお願いしま~す!」
メルティナのアナウンスが聞こえる。
丸窓の外を見ると、ぐんぐん高度が下がり、急速に鉱山街や木々が大きくなってくる。
「コーイチはん、鉱山に着いたらウチらは何してるん?」
「ん? この仕事は『送迎』だから、カギツメモグラとやらの駆除が終わるまでは待機になるんじゃないの?」
「ふーん……暇をもてあますくらいやったら、ウチもモグラ退治に参加しよかな? 久々に体も動かしたいし、倒して爪を回収したらお金くれるんやろ?」
言いながらストレッチをすると、全身の骨がポキポキと鳴る。
「ええ? いいのかなぁ? 一応メルティナさんに許可はもらっておいた方がいいと思うけど……でもプロデューサーとしての立場から言わせてもらうと、危ない事は出来るだけやめてほしいなぁ。怪我でもしてお肌にキズが付いたらと思うと……」
コーイチはぶるぶると震えている。
「何言うてんのコーイチ~。ほんにしょうもない事言うんやから。生きてたら命張らないかん事なんて何回もあんのに、そないな過保護にされたらかなんわぁ。カギツメモグラなんかそこらの野犬と変わらんのやから、腹ごなしみたいなもんや」
「俺の世界では命張る機会なんて一生に一度あるかないかだけど……トモエがそう言うんなら……」
コーイチは不服そうだ。
コーイチの住んでいた異世界とやらがどれほどの楽園なのかは知らないが、少なくともこの世界ではかすり傷なんかを恐れていたらそれこそ生き残ることなどできない。
ウチとしては弱っちぃコーイチの方がよっぽど心配なくらいだ。
やがて貨物室のハッチが開き、傭兵団の面々はどやどやとサンドバイパー号から降りていく。
「じゃあウチはちょっと部屋に相棒を取りに行ってくるわ」
相手が十把一絡げの雑魚でも、久しぶりの狩りとなれば心も踊る。
それに今はあの夢を見た直後だ。
滅入った時は相棒を振り回すに限る。




