赤色の対価
そこから2日間、3人での暮らしが幕を開けた。どうということはない、普通の、むしろ楽しくもある暮らしであった。洗濯をして、掃除をしたら、お茶を入れて一息つく。ときにはルビィが見せてくれる娯楽の機械で遊ぶこともあった。
魔女も人も、大して暮らしは変わらないものだ、と笑うルビィに頷くクロナ。しかしそれではなぜ、自分たちはあの村で育てられたのか。そこまでの解は得られなかったが、それぞれにとって楽しい日々であったことに違いはなかった。
そうして迎えた2日目の昼、客の来訪を知らせるチャイムが鳴った。
どうやら生活に必要な品は、こうして宅配で手に入れていたらしい。玄関で配達員から荷物を受け取っているルビィの姿を、2階の窓際でこっそり見つめる。
と、去り際の配達員がクロナの存在に気がついた。ばちっと視線がからみ、にっこり微笑むクロナ。対して配達員はそそくさと背を丸め走り去って行った。
「何よ、つめたいなあもう」
「クロナ、手伝って!」
「はーい!」
ローブから魔女と判断したせいかもしれない、と納得したクロナは、階下へかけて行った。
とうとう2日目の夜を迎えた2人は、ベッドに寝っ転がっている。ほの明るいオレンジの灯りのそばで、他愛のない話に花が咲いた。ポンチキはというと、窓際で半分眠っている。鼻ちょうちんの拡縮とともに、まどろんでは起きてを繰り返していた。
「ちょっとは上達したんじゃない?料理。」
「まあね、もともと素質はあったし。」
「私の教え方が良かったんじゃないの。」
軽口に対して急に黙り込むルビィ。どうしたのかと顔を覗き込むと同時に、周囲が赤く染まり、色の供給が始まった。寝転がっていたベッドや床、壁面がうねりだし、拍動する。
「うう、くうっ。」
するとルビィが、突然首をおさえて苦しみだした。
「ルビィ?」
「うん?何ごとポン。」
クロナが慌てて背にまわり、おさえる手をどけてルビィの首を診る。色力を吸収して赤く染まっていた模様が、打って変わって紫色に淀み、うんだようになっている。
「何これ、病気?なの?」
慌てる2人を横目に、荒い息で苦しむルビィ。しばし耐えるようにぜえぜえと肩で息をしていたが、瞬間覚悟を決めてクロナの顔を見た。
「クロナ、料理の教え方めっちゃ上手だし。ポンチキもよく見たらまじキモかわ。」
「はい?」
「いきなり何ポン?」
「2人とも本当に可愛い。最高。最高にハッピー」
急に訳の分からない褒め方をされて、きょとんとする2人。何事か、と問う前に答えが出た。
褒め終わるか終わらないかのうちに、あれだけ醜く膿んでいた首筋のマークが、正常な赤色に戻っていったのだ。合わせたように室内の色も元に戻り、ルビィは荒い息を整えながらベッドに倒れ伏した。
「っ、はあ、はあ。」
「一体何がおきたの、大丈夫?」
「すごい汗だポン。タオルを持ってくるポン。」
クロナはルビィを仰向けにしてやり、ポンチキもタオルを取りにその場を離れた。
「ごめん、変なとこ見せちった。」
ようやく落ち着いてきた彼女は、額に玉のような汗をつけたままおどけてみせる。
「何言ってんの。それよりどこも苦しくない?」
「もう大丈夫。」
戻ってきたポンチキが、タオルで拭こうとするのを受けつつも、体を起こすルビィ。まだ本調子でないのは容易に見て取れた。
「安静にしなきゃ。」
「大丈夫。病気とかじゃないんだってば。」
見られたからには話すしかない、とルビィが口を開いた。
「最初の日にした約束、覚えてる?」
「供給の時間には、そばに寄っちゃ駄目だってやつ?」
言ってクロナは時計を見る。針は21時5分を指していた。普段の供給は決まって9時だ。
「ごめんなさい。すっかり忘れてた。」
「僕もポン、ごめんポン。」
しゅんとする2人を慌ててなだめる。
「いや、忘れてたのは私もだし。そもそも理由も話してなかったし。てか見られちゃったからには、話しとかなきゃダメっしょ。」
「理由って?」
下げていた頭を少しあげ、クロナが問う。
「一日一回、色の供給は全ての火の国の国民が等しく受けられる。でもそこには特定の条件下で、対価が発生するんだわ。それが、供給のタイミングで半径五メートル以内にいる人間のことを愛すること。」
「愛?ああ、さっき突然褒めてくれたのってそういうことだったの。」
「キモかわいいって褒めてるうちに入るポン?」
もっともな疑問は華麗にスルーされる。さらに話を進めるルビィ。
「そ。対価を払わなかったら埋め込まれたチップが感知して、ああなるって感じ。大昔の人風に言うと、税金、みたいな。」
やれやれと両手をあげ、彼女は首を撫でた。
「おかしなシステムっしょ?ま、これでも軽いほうなんだけど。女王が変わるごとに対価も変わるんだよね。」
「うーん、そうだね。」
「あ、これは全然理解できてないやつポン。」
「そんなことないもん。それで、あのまま対価を払わないでいたらどうなっちゃってたの。」
「死んでた。」
「へ?」
あまりにあっさりと衝撃的な言葉を受け、思考が止まる。
「対価を払わないと、供給は受けられない。色を供給できなきゃ、生命活動も維持できないからね。心臓動かしてるのも色の生命エネルギー頼りってわけ。」
唖然とする2人に対し、さして気にしていない様子で話し続ける。そのさまがさらに驚きを呼んだ。
「でもさ、強制されて人を愛するってなんか嫌じゃん?めんどいし。」
「…だから、国の外で一人で暮らしてるの?」
「そゆこと。そばに人がいなけりゃ、対価を払う必要もないかんね。」
ルビィの大人びた態度はそこから来ているのかもしれない、とクロナはひとり納得した。
「今の女王様って、どんな人ポン。」
「それは。」
ルビィの言葉を遮るように、チャイムが鳴り響く。
「こんな時間に誰、もう。」
外の様子をうかがえるモニターに向かうまでにさらにピンポンピンポーン、とチャイムを連打される。
「めっちゃせっかちじゃん」
ピンポンポンポンピンポーン、と畳みかけるようなチャイムの嵐が鳴り響くのに、デジャブを感じる3人が顔を見合わせた。
「うちの客は待つとか留守とかいう言葉を知んないわけ?」
ようやくモニターを覗き込むと、そこには杖を持ったフードの男が立ち尽くしていた。見るからに怪しげなその男に対し、ルビィは心当たりのある様子でつぶやく。
「イズワール?どうして家に。」
「イズワールって、イズワール先生のこと?」
「こいつは男ポン。」
村の先生と同じ名前が出てきたことに戸惑うクロナとポンチキをよそに、ルビィははっとしてク2人をベッドの下に押し込もうとする。
「あいつ、多分あんたたちを捕まえに来たんだ。」
「なんで、あんな人知らないよ。」
「それは」
理由を説明する間も与えられず、パリィン、という破裂音が響き渡る。部屋の窓ガラスが外から割られたようだ。割った主は確認するまでもなく、先ほどのフードの男であった。
窓辺に立つ男は月の光を逆光に浴び、怪しい雰囲気を助長している。
「それはおまえたちが、異端だからですよ。ごきげんよう、私イズワール教団第一支部のアミーゴと申します。」
言うが早いか、アミーゴが素早い動きでルビィを捕獲する。両手首を片手でまとめて掴まれ、ルビィが声をあげた。
「触んな!あんた、何の権限があって私の家に侵入してんの。」
必死でもがくも、男の腕は全く揺るがない。
「あなたのお母さまの権限ですよ、プリンセス・ルビィ。善良な市民から通報を受けましてね、あなたが魔女をかくまっていると。それを知られた女王陛下が我々に依頼したのですよ。どうです、まさに正義。」
「女王陛下?プリンセス?」
どういうこと、とクロナがルビィの顔を見るが、彼女はきっと口を引き結んでいる。
「お母さまとのお約束は覚えてらっしゃいますね。問題を起こせば即、城に連れ戻し二度と外へは出さぬと。」
「この子は魔女だけど、みんなが言うような魔女じゃない。だから問題を起こしたうちには入らないっての。」
アミーゴがため息をつき、掴んでいたルビィの腕を放した。解放されたと思ったのもつかの間、彼が杖を一振りする。
「タイ。」
呪文とともに、魔法で生み出された植物が室内に見る間に根をはり、その弦がルビィの腕を縛り上げた。天井から宙づりになる恰好で、ルビィが歯を食いしばる。
「それを屁理屈というのですよ。個体差があろうと魔女は魔女。生まれながらにしての異端。」
「ルビィ!」
「クロナ、うかつに近づくなポン。」
ポンチキの制止もきかずに、クロナがベッドサイドにあった杖を手に取り、一振りする。現れたピンクのリップをかみ砕いて素早く変身した。
「おい、そこの魔女。」
「何よ、おじさん。」
おじさん、の言に一瞬怯むアミーゴ。見た目ほど年をとってはいないらしい。
「おじ……。おまえなど、ただのおまけに過ぎないのですがね。まあいいでしょう。イズワールの支配下に戻りなさい。今回の魔女の村からの脱走は、それで不問にしてあげましょう。さもなくばここで始末することになります。」
「おじさん、先生の知り合いなの?」
臆さず聞くクロナに、アミーゴはいやらしく笑った。
「先生?さあねえ、我らが組織、イズワール子飼いの魔女には違いないでしょうが。それがどうしました。」
「イズワールって、先生の名前じゃなかったのかポン。」
しびれを切らし、アミーゴが杖を一振りする。植物の鞭を動かす魔法だったらしく、ルビィの頬が張られた。ぱん、と乾いた音が響く。
「やめて!おじさんの目的はルビィを連れ戻すことでしょ。怪我させていいはずない。」
「いいえ、少しくらいのおしおきも教育、つまり正義のうちなんですよ。おまえも、さっさと生きるか死ぬかお決めなさい。」
アミーゴが、両手を広げてクロナに選択を迫る。
「じゃあ、おじさんをやっつけることにする。エクスプロジー!」
杖を一振りして爆発魔法をくりだす。爆炎はアミーゴめがけて飛ぶものの、幾本も飛び出して防た植物の弦にさえぎられ本体に届かなかった。
「やれやれ、だから子どもの魔女は嫌いだ。タイ。」
杖の軽い一振りで、クロナ目掛けて何本もの弦の鞭が襲い掛かる。
「エクスプロジー。」
クロナも負けじと爆発魔法で応戦するも、ことごとく防御されて本体へ届かない。
「だめポン。クロナの魔力が先に切れるポン。」
魔力を使いすぎて体力を消耗し、肩で息をしているクロナの姿をみとめ、ルビィが身を乗り出して叫んだ。
「クロナ、逃げなって。あいつの目的は私だし。」
対するクロナも勢いよくかぶりを振る。
「そんなことしたら、ルビィがひどい目に合うかもしれない。」
「私なら大丈夫、そんなことにはならないから。」
「いいえ、いくらプリンセスといえど、魔女を逃がすのは大罪ですよ。さらにきついおしおきを受けて頂かなくてはね。」
アミーゴが植物の弦でルビィの顎をなでる。
「だが魔女よ。お前が代わりにおしおきをうけると言うなら、それもまた正義。さあ、杖を捨てて降伏しなさい。」
舌なめずりをして厭らしく笑うアミーゴ。その舌先は今にもルビィの頬に届きそうだ。
「……分かった。だからルビィにひどいことしないで。」
思考の末、クロナは言われたとおりに杖を床に捨てた。すかさずアミーゴが杖を蹴って部屋の端に追いやり、勝ち誇った笑みで呪文をとなえる。
「クラーヴァーサ!」
クロナに向かって植物の弦が襲い掛かり、多方向から雨に打たれるように何発もぶたれる。
「あーっははは、実に、実にいい眺めですね。」
アミーゴは高笑いで満足そうにそれを眺めている。
「クロナ!なんで魔法で逃げないの?」
「だって、ルビィを置いては行けないよ。私がここに来なければ、あなたがこんな目にあうこともなかった。」
「だから違うって言ってんじゃん!お母さまは元々、私を連れ戻す口実を探してた。あんたはそれにちょうど良かったってだけ。」
「じゃあもう、理由とかなんでもいいよ。」
「はあ?」
急に何を、と言いたげなルビィを目で制す。
「私がそうしたいんだもん。ルビィを置いていきたくない。できれば二人一緒に助かりたい。だってもう友だちだから。」
その言葉に目を丸くするルビィ。決して口からでまかせを言っているようには見えなかった。
「おやおや、これはけったいな。魔女ごときが王女様と友だちだって?笑いが止まりませんなあ、プリンセス・ルビィ。そんなことを思っているのはおまえだけですよ、惨めな魔女よ。その証拠に、この方はおまえたちにご自身の身分を明かされていなかった。信頼していない何よりの証ではないか。」
俯くルビィは強く歯を食いしばる。断じてクロナだからではない、自分の弱さが隠し事を生んだだけなのに。言いたいことは山ほどあるが、正面きって反論する力が足りず、ただただ拳を握る。ごめん、と頭に浮かんだ瞬間、思いがけない言葉が耳に流れ込む。
「だからそれが、なんだっていうのよ。私が友だちだって言ったらもう私にとっては友だちなの!ルビィがどうでも、私はルビィを信じてる。そのうち信じてもらえるように頑張るから。そのために今離れるわけにはいかないの。」
ああ、どうしてそんなにも。
思わずルビィの涙が一粒こぼれ、その涙は赤くきらめく宝石へと姿を変えた。
「ルビィ、その赤い宝石をクロナに投げるポン!」
後ろからひっそり近づいていたポンチキが、待ってましたとばかりに素早く飛びだしルビィの腕に巻き付いていた植物を噛む。解放され床に座り込むルビィ。
「このコウモリ野郎、余計なことを。」
クロナへの攻撃の手を止め、今度はポンチキへ魔法をくりだすアミーゴ。ポンチキはそれをひょいひょいと素早く飛び、すんでのところでかいくぐる。好機だ、とクロナが部屋の隅に飛んでいった杖を取りに走る。
「クロナ!」
ルビィが、杖を取り戻したクロナに向かって赤い宝石を投げた。しっかりと掌におさまったそれを、リップに装着すると、大きな声で呪文をとなえる。
「スウィッチ!」
リップをかみ砕くと赤い破片が飛び散り、破片はいつしかごうごうと燃える炎になりて、クロナの体を包みこむ。激しい炎の繭が破れ、出でたクロナは赤いローブと炎を宿した杖の姿に変身していた。間髪いれず、アミーゴに向けて杖を一振りする。
「フラーカラ!」
杖の先から放たれた灼熱の炎の塊は、瞬く間に植物の鞭を焼き尽くし、アミーゴ本体に迫る。
「こんな、こんなのは、正義では。」
アミーゴの血走った目が、炎の光でさらに赤く染まった。
満身創痍の2人が旅支度を整えて玄関先に並んでいる。少し離れたところに、意識を失ったアミーゴが縄でがんじがらめに縛られているのが見え隠れした。
「これ、本当にもらっていいの?」
クロナはルビィの涙からできた赤い宝石を掌に乗せている。服装もルビィの持っていたワンピースに着替え、必要な荷物を入れたリュックを背負っている。彼女の私物から整えた旅の装備であった。
「いーって。そんなの私が持ってても使い道分かんないし。服は着替えとかないと魔女です、って言って歩いてるようなもんっしょ。偏見ある人も多いんだから、変装くらいはしないとね。それより。」
言葉を切って、言いづらそうにルビィがクロナの顔をうかがう。
「マジでいいわけ?クロナの目的はそれだったんでしょ。これ以上私についてきてもメリットないじゃん。」
しおらしいルビィを目の前にして、クロナがにししと笑う。
「ルビィって、案外おばかさんだよね。」
「はあ?」
「おばかさんポン。」
ポンチキも横で飛びながらにやにやする。
「なんだよもう、失礼な。あんたねえ、私は火の国の王女なんだって。普通もうちょっとかしこまったり敬ったりするもんなんじゃないの?」
「やだよ、友だちなんだから。」
そうしてクロナは、ルビィの手を握る。そっとその手を握り返し、ルビィがクロナの目を見つめる。
「ルビィが困ってるなら、一緒に困って、一緒に解決したいよ。いつかルビィにも胸はって友だちだって言ってもらえるように。だから私も火の国についていく。これってメリット、ってやつでしょ?」
「確かに魔女のあんたのほうが、今の私たちよりもよっぽど普通かもしれない。…ありがとう、クロナ。」
「いいってことよ。」
どや顔で両手を腰にあて、胸をはるクロナ。思わず吹き出すルビィ、表情をただして言う。
「そんで、迷惑かけついでにさらに助けてもらっていいかな。」
「どんと来い。」
「またそんな安請け合いするポン。」
「実は近々、即位しようと思ってさ。」
「即位って、ルビィが女王になるポン?」
「そう。ずっと母上には言われてたんだけど、二人のおかげで決心がついた。で、その即位のための戴冠式に同席してほしくって。」
「私たちが?いいの、そんな大事なときに。」
思ったよりことが大きかったためにクロナが不安げに問う。
「大事なときだから、側にいてほしいっていうか。なんかうまく言えないんだけど、二人がいてくれたら、私は私のままでいられるような気がする。だけど二人にとってはきっと居心地がよくない場所だと思うから、えっと。」
ルビィの握った掌が小刻みに震えている。怖いのか。自分とそう年の変わらない人間が女王として責務を負うのは、並大抵ではないだろう。その拳の上にクロナの手とポンチキの羽が重なる。魔女の自分ができることなどないかもしれない。けれどそばにいることが救いになるというのなら。
「分かった。じゃあ一緒に行こう。えいえいおー!」
ルビィを先に杖にまたがらせ、自分も遅れて乗り込んで呪文をとなえるクロナ。
「ブーラ!」
心地よい風が吹くと共に、空へ浮かび上がる二人と一匹の体。足元の景色がぐんぐん小さくなっていく。おびえてクロナにしがみつくルビィをなだめるようにクロナがいう。
「大丈夫だよ。ほら、あれ見てみて!」
その声に促され前方を見ると、示された東の空には、燃えるようにきれいな朝焼けが見えた。
「ルビィの髪の色とおんなじ。きれいだね。」
ルビィ、うなずいて微笑む。しがみついていた手はいつしか離され、支えるようにクロナの手にそっと添えられた。