燃える髪の少女
村を出てから一体どれほどたっただろう。
空を飛び続けているクロナも、肩に乗っているポンチキも、どちらも疲労でげっそりしていた。
「疲れた。」
「スタートをあんなに飛ばすからポン。」
「あー、もう無理無理無理!遠すぎだよ火の国!」
痺れを切らしたクロナをよそに、ポンチキが地図を広げる。短気に見えて意外と冷静なコウモリである。
「もう近くまでは来てるはずポン。ぐだぐだ言わずにもう少し頑張るポン。」
「ていうかポンチキ。あんた羽があるんだから自分で飛びなさいよ。」
「僕がナビゲーションしてなかったら、クロナなんか一生魔女の村付近をぐるぐる飛び回ってるポン。感謝してくれていいポンよ。」
ぐうの音も出ない。
観念して飛び続けてる姿を横目に、ポンチキがやれやれと両羽をあげた。
「とはいえ、お腹もすいたポン。」
ばっと振り向くクロナの目が、きらきらと輝く。
「しょうがない、やったことないけど野宿してみる?」
しょうがないと言う割に随分と楽しそうだ。
「……いや、その必要はなさそうポン。」
羽でさししめされた先を目で辿ると、地上に小さな灯りが見えた。
「民家だ!助かった。泊めてもらえるか聞いてみよう。」
地上に降り立った2人は、民家の前まで行って顔を見合わせた。あるのはここ一軒のみ、他に建物は見当たらず、1面草原が広がっていた。
「これが人間のお家。」
初めて見る民家に目を輝かせるクロナは、玄関周辺をうろうろと歩き回って多角度から眺める。
「多分。変わった形ポンね。」
その建物は魔女の村より随分先進的なつくりに見えた。全ての建築物が木とレンガで築かれていた彼の地と違い、眼前の家はガラスとコンクリートでつくられたドームのような形になっている。
意を決し、住人を呼び出すことに決めた2人は、ごくりと喉を鳴らして扉に向き合った。
「取っ手にノッカーがついてないよ?」
「普通にノックしてみるポン。」
「すみませーん。」
コンコン、と控えめにノックしてみるも、人が出てくる気配はない。
「いないのかな?」
あるいは聞こえなかったのかもしれない、とさらに早く強めにドアをノックする。
ドンドンドン、割合激しい音が響くが、やはり誰も出てこない。
「あかりが点いてるのに、おかしいポン。」
「あーのー」
もっと早く強めにドアをノックする。ゴッゴッゴッゴッと、もはや殴っている程の力加減だ。
やはり反応がない、留守なのか、と思った瞬間、突然勢いよく扉が開いた。
「ぶっ!」
外開きの扉を思い切り開かれ、クロナの体が弾き飛ばされる。
開けた張本人が室内から顔を覗かせた。まさに怒り心頭といった具合だ。心中を表すかのように、髪の毛にあたる部分が炎になって燃え盛っている。まだ少女と呼ぶにふさわしい華奢な容貌で、クロナとほぼ同年代であることが見て取れた。
「まじうるっせーんだけど!誰?なんなの?」
怒鳴った方も怒鳴られた方も、ようやくお互いの姿をじっくり見て言葉を失った。互いに未知との遭遇だ、固まるのも無理はなかったが、存外ふたりとも飲み込みが早く、すぐに驚いて後ろに飛びのいた。
「うわあああ!怒りすぎて髪の毛燃えてるー!」
「うわあああ!ま、魔女おー!」
パニックになっている人が隣にいると、かえって冷静になる法則だ。ポンチキが1人静かにその場をいさめた。
「2人ともちょっと落ち着くポン。」
住人の少女がポンチキの方を見て、顔をゆがめる。
「何これ気持ち悪。生き物?白いコウモリ?ありえないんですけど。」
認識すると同時に罵られ、ショックを受けるポンチキ。
「そ、白コウモリだよ。きれいでしょ?お腹まできれいに真っ白。」
クロナが悪意なくポンチキを手に乗せてルビィの顔の前に持ってきた。
「や、やめろ!っつーかどっか行けよ!」
素早くドアを閉めようとするのを、杖を差し込み妨害する。
「待って。話を聞いて!」
「なんなんだよマジで!」
お互い、力一杯の攻防に、杖がしなるぎぎぎ、という音が響く。
「というか髪の毛燃えてるけど大丈夫なの?」
「あんたここがどこの領土が分かってんの。」
「ああそっか、火の国の人って。」
クロナがぐっと顔を寄せ、きらきらした目で少女の髪を見つめる。
「こんな髪してるんだね。すっごくきれい!」
心の奥底からの言葉だと分かると急に毒気を抜かれて、少女の手の力がゆるんだ。つられて力んで杖を差し込んでいたクロナが、反動で派手にこける。
「いてて。」
「ご、ごめん!怪我ない?」
こクロナに手を貸し、少女は諦めたようにため息をついた。
「そんで?一体私に何の用?」
「あ、あのね。じゃあ自己紹介から。私はクロナ。それでこっちがポンチキね。私今宿無しで、荷物も事情があって全部なくなっちゃって。できれば何日か泊めて養ってほしいんだよね。」
息もつかずに自分の要求を言い切るクロナに、目を丸くする少女。会話のドッジボールである。
「つーかそういうときは、一晩だけでも、とか言うもんじゃね?いきなり何日かって。」
もっともな言葉にポンチキがフォローを入れる。
「クロナの売りは正直さだポン。むしろいいところはそこしかないポン。」
「いやー、それほどでも。」
「「ほめてねーし。」」
2人から同時にツッコまれ、クロナがきょとんと首を傾げた。
「ウチはルビィ。とりま一晩だけ。入りなよ。」
「え、いいの?」
大きく扉を開けて少女が言う。頭の炎が揺らめく。
「さっさと入んないと気ぃ変わるかも。」
ルビィはずんずんと部屋の奥へ進む。それに着いていくクロナ、ポンチキ、は室内をきょろきょろと見回し明らかに落ち着かなかった。何せ初めての人間の住居である。セラミックの白い床1つとっても、木の床との感触の違いに驚く。
「あんまり物がないね。」
「るっさいな、じろじろ見ないで。」
「一人で住んでるの?」
「そう。」
玄関から廊下を抜けた先から異臭と煙が漂ってきて、思わず声がもれた。
「なんか変なにおいが。」
「あっ!」
ルビィが慌ててキッチンの方へ駆けていく。何事か、と思いつつ2人も着いて小走りになる。部屋に入ると、灰色の煙と焦げた臭いが充満している。どうやらここがキッチンらしい。焦げた鍋の中身を見て、ルビィは肩を落とした。
「またやっちゃった。」
「うわあ、何これ!なんで何もないガラスの上でお鍋が焦げるの?」
普通のガラス台に見えるそこに鍋がのり、ふつふつと中身を煮やしている。何度かガラスにタッチして、ルビィが加熱を止めた。
「はあ?調理用ヒーターだし。魔女って普段どうやって料理してんの?」
「まず乾いた枝を集めるでしょ、それでかまどに火をおこして、お鍋をかけて。」
「原始時代か。いや待って、いいこと思いついた。」
ルビィがどこからか新しい鍋を取り出し、にっこり笑って差し出す。思わずそれを受け取ってしまったクロナは、意味を察して珍しくため息をついた。
縦長の大きなテーブルの上にところせましと並ぶ、素朴な家庭料理。芋の煮たものや緑黄の野菜のサラダに豆のスープ、パンとメインの肉料理などを見つめ、ルビィは両手を頬に添えた。
「すごくない?魔女って料理上手なんだ。」
先程までと打って変わって興奮気味の彼女を見ると、何だか悪くない気分だ。クロナはえへん、と小さく胸を張って食事を促した。
「まあね。小さいときからみんなで協力して自分たちのご飯作るから。どうぞ、召し上がれ。」
「いただきます。」
「ポンー!」
頂きますと同時に勢いよく食べ始めるルビィ。普段一体何を食べていたんだろう、と疑問に思うけれど、自分の作ったものをおいしそうに食べる誰かがいるのは悪くなかった。村のちびたちを思い出して少し寂しくなりつつも、クロナも食事を始める。
「まじでおいしい。今まで食べたことないものばっかだけど。」
「えへへ、もっと褒めていいよ。」
「すぐ調子に乗るポン。」
一通りの食事に手をつけたルビィは、ようやく落ち着いたのか質問を投げかけた。
「そんで?魔女がどうして火の国の領地にいんの。」
なんのてらいもなく返すクロナ。
「私、人間になりたいの。そのために4カ国の王女様の嬉し涙を集めなくちゃいけないんだけど。」
「王女の涙?」
「嬉し涙。」
言い直されたことに構わず、ルビィが顔を顰める。
「それガセじゃね。そんなもん集めて人間になれの?」
「ガセって嘘ってこと?だったらそんなことない。だってベニエが、あ、一番大切な友だちが残してくれた手掛かりだから、間違いないと思う。」
強く言い張るクロナを前に腕を組み、ルビィが頷いた。
「ふーん。それで魔女の村を脱走してきたってわけ。」
「随分あっさり信じるんだポンね。」
「いや、信じてないけど。でも特に興味もないから。」
はっきりした物言いにポンチキがたじろぐ。それはそうかもしれないが。言葉を続けかけたそのとき。
「わっ!何?」
突然、周囲が真っ赤に染まり、脈打つように震え出す。突然何かの生物の内臓に放り込まれでもしたかのように、生暖かく空間が蠢いた。床も、壁も、クロナたちを消化しようとするようにうねうねと形を変えている。
だが焦ってフォークを落とすクロナに対して、ルビィは平然と食事を続ける。その首元には、周りから発される赤色が吸い込まれているように見えた。
「気にしなくていいよ。色の供給してるだけだから。」
「色の供給?」
「火の国はもちろん、他の国も今は色力っていう生命エネルギーに頼って生活しててさ。その供給は一日一回夜の九時。どこにいようがこのチップが勝手に補給してくれるってわけ。」
ルビィが指した首元には、独特なマークが浮かび上がっている。やはり気の所為ではなくそこから色力というものを吸収しているようで、今もゆっくりと赤色の煙とも霧ともいえないものが流れ込んでいた。
時間にしてわずか5分ほどで赤色が消え、室内が次第に正常な色に戻っていく。元の形を取り戻した部屋に安堵し、ようやく息をついた。
「勝手にか、便利だね。」
「便利か。それはちょい、微妙かな。むしろキモい。」
真顔で答える姿にクロナは首を傾げ、さらに質問を重ねようとする。しかしそれは許されなかった。
「それより、話の途中だったじゃん。とりま、火の国の王女に会いたいんだよね。」
「え?ああ、うん。そうなの。」
「私が連れてってあげてもいいよ。その代わり、明後日まで待って。」
願ってもない話である。火の国の住人に案内して貰えるならこんなに心強いことはない。
「本当にいいの?でもなんで明後日?」
「私も用事があるから。それに、迎えの車も来るし。」
迎えの車ということは、国内に暮らしている家族がいるのか。深く考えると複雑な事情がありそうだったが、そこをあたりの一切を考えずにいられるのがクロナだった。
「わーい、やっぱり私ってついてる星のもとに生まれた魔女よね。」
無邪気にはしゃぐクロナをポンチキがたしなめる。
「お礼が先ポン。」
「とと、そうだった。何から何までありがとうね、ルビィ。」
「別にいいよ、本当についでだから。あんた聞いてた魔女と違うし。」
素っ気ない態度の中でも少し打ち解けた風で、ルビィがフォークを置いた。
「聞いてたって、どんな風に。」
「魔女は生まれながらにいくつもの色を持ち、それゆえに衝動的で、野蛮で、人間を蹂躙する存在、とか何とか。」
「うわあ、すごい言われようポン。」
「難しくってよく分かんないけど、悪口言われてるのだけは分かった。」
「噂なんて当てになんないよね、マジで。ま、それはそれとして。」
ルビィが言葉を切り、真剣な眼差しでクロナを見つめた。思わずいずまいを正す2人に、告げる。
「少なくとも2日はここで一緒に暮らすわけだけど、ひとつだけ約束して。さっきみたいな色の供給があるときは、絶対に私のそばに寄ってこないで。」
「いいけど。なんで?」
「こっちの都合。火の国民じゃないあんたには、関係のないことだから。」
突き放すような言葉を残し、ルビィは席を立った。