011 学園長、賢者の面影を見る
王都の夜。
デシルが師匠に送る手紙の内容を考えながら月を眺めている時間。
オーカが合格の前祝いとたくさんご飯を食べた後、布団を蹴っ飛ばして眠っている時間。
オーキッド自由騎士学園の学園長室では明日の合格発表に備えて合否の最終確認が行われていた。
採点や受験票などの書類のチェックは他の職員がほとんど終わらせている。
確認する必要はほとんどないのだが、形式上決定を下すのは学園の全てを統括する学園長ということになっているので、彼女としては一応目を通さねばならないのだ。
「毎年自分でやると言い出した事とはいえ、流石に何千枚もの書類に目を通すのは疲れるわ……」
学園長マリアベル・オーキッドは机に突っ伏して悲鳴をあげた。
ふんわりとした桃色の長髪とまさに魔法使いといった大きな三角帽子が特徴の女性だ。
見た目こそ妙齢の女性だが実際の年齢は不詳。
とりあえず学園創立当初からずっと生きているのは確からしい。
魔法の腕も超一流で他の教師たちとは一線を画す強さを持っているはずなのだが、普段はあまり見せびらかそうとしない。
ちょっとした雑務は魔法に頼らず、移動も少しの距離ならば徒歩を心掛けている。
「誰か呼んで手伝ってもらおうかしら……。でも、そもそもこの書類ってチェックが済んでいて、ただ私の自己満足でやってるだけだから手伝わせるのも良くないわね……」
パラパラと眠たげに書類をめくるマリアベル。
その時、一枚の紙がぼうっと光り輝いたかと思うとそこに新たな文字が浮かび上がった。
「こ、これは魔法秘密文章!? それもかなり高度なプロテクトがかかってて私でも発動まで見抜けなかった……! いったいどこの誰がこんなことを……!」
輝いた紙はデシル・サンフラワーという名の受験生の受験票だった。
浮かび上がった文字を警戒しつつまじまじと見つめるマリアベル。
「なになに……『久しぶりだなマリアベル。私の弟子がお前の学園に行く。普通に接してやってくれ。シーファ・ハイドレンジアより』ですって!?」
マリアベルは驚きのあまり椅子ごと後ろにひっくり返ってしまった。
起き上がるのにも苦労して亀のように足をバタバタ動かした後、浮遊魔法でなんとか元の体勢に戻った。
「ほ、本当にシーファからなの!? 誰かのいたずらなんじゃ……。いや、彼女の名前を覚えている人なんてもうほとんどいないし、私がすぐ察知できないような魔法を使えるのも彼女くらいよね……。やっぱり本物のシーファ・ハイドレンジアなのね!」
バンッと机を叩いて喜ぶマリアベル。
彼女はかつてシーファと肩を並べて戦ったことがある数少ない人物であり、良き理解者なのだ。
『大魔法使い』の二つ名を持ち、魔術だけならばシーファにも匹敵すると言われていた。
昔も変わらず無口なシーファはそのことについてハッキリとは触れなかったが、それでもマリアベルのことを認めているのは明らかで共に過ごす時間も多かった。
しかし、マリアベルはその後自分の魔術を後世に残すために学園を創立。
シーファは自分の能力をさらに高めるための修行に明け暮れ疎遠になっていった。
そしていつしかマリアベルにはシーファの居場所がわからなくなっていた。
「死んでるとはまったく思ってなかったけど、まさか弟子を取っていたなんて。あの時学園を作りたいって夢を話したら不機嫌になったあなたがまさかね……ふふっ、なんだか嬉しくてたまらないわ。学園がまた私たちを引き合わせてくれた……」
魔法文字が浮かび上がる紙を胸に抱き、マリアベルは思い出に浸る。
何十年経とうと思い出の中のシーファは鮮明で、彼女にとって忘れられない人物なのだ。
「直接会いに来てくれたらいいのに……。といっても、素直じゃない人だからなぁ。こっちから来てって言ったらむしろ引っ込むわ。今は時が来るのを待ちましょう。あなたの弟子はちゃんと面倒を見るわ。私のオーキッド自由騎士学園で」
マリアベルがデシルの受験票を何度も見返していると、学園長室のドアが上品にノックされた。
(誰か来る予定だったかしら……。もしかしてシーファが来てくれたの!?)
冷静に考えればそんな粋な再会を演出する人物ではないとわかるが、今のマリアベルは舞い上がっていた。
「どうぞお入りになって!」
「はい、失礼します……」
「なんだ、たまえちゃんか……」
「どうしてガッカリされるのですか……。あと『たまえちゃん』はやめて頂きたい。私にはルチルという名前がありますので……。それに生徒に聞かれますと……」
現れたのは教師ルチル・ベルマーチだった。
受験生と話す時と比べれば少々口調が固く、動きもぎこちない。
それも仕方ない。相手は魔法使いならば誰もが恐れおののく大魔法使いなのだ。
「冗談が通じないわね、相変わらず。いつも生徒に『なになにしたまえ~』って言ってるからたまえちゃん。悪くないあだ名だと思わない?」
「思いません」
「そう……残念。私にもたまえ~って言って欲しいんだけどなぁ」
「学園長にそのような言葉遣いは畏れ多いです」
「気にしなくていいのに。それで何の用事だっけ?」
「その……私、今日の試験中に受験生に抱きつくという問題を起こしてしまいまして……。それに対する罰を……」
「ああ、そのことね。何でそんなことしちゃったの?」
「その……受験生の子がとても優秀でして、ぜひ教えを乞いたいという欲を抑えきれませんでした」
「ルチルがそうなっちゃう受験生がいたの!? ちなみに名前は?」
「デシル・サンフラワーという子でして、私よりもよっぽど……」
「デシル……サンフラワー……」
マリアベルの頭に電流が走った。
その受験生は間違いなくシーファの弟子だ。
だって、デシルの受験票にメッセージが書かれていたのだから。
それに大賢者の弟子ならば教師の中でも優秀なルチルより強くてもおかしくはない。
「あなた……デシルさんに抱きついたの?」
「はい……申し訳ありません」
「へー……」
スッとマリアベルは立ち上がってルチルの前に立つ。
ルチルは平手でも飛んでくるのではないかとビクビクしていたが、次の瞬間ある意味もっと困るようなことが起こった。
「ああっ! 本当だ! かすかにシーファの匂いもする!!」
ガバッとマリアベルがルチルの豊かな胸に顔を埋め、大きく深呼吸をし始めたのだ。
「が、学園長! 誰も見ていないとはいえこれは良くありません! 問題です!」
「動いちゃダメ! 私が満足するまで絶対離さないから大人しくしてなさい! あぁ……なんて懐かしい……」
なにがなんだかわからないルチルだったが、そのうちある答えにたどりついた。
(はっ! これは『お前も無理やり抱きつかれる怖さを味わえ』という学園長なりの罰なのですね。確かに同じ目に合わせるというのは古代から存在するシンプルな罰則。さすが大魔法使いマリアベル様だ……)
今の状況に納得したルチルはマリアベルの三角帽子から流れる桃色のツヤツヤした髪を撫でる。
かなり気合を入れてお手入れされているその髪の触り心地はバツグンだ。
(とはいえ私は学園長を尊敬しているし、浅からず親交もあるので抱きつかれても嫌な気持ちはしない。むしろ嬉しい気持ちすらある。でもデシルくんは知り合ってすぐだったからな……。本当に悪いことをしてしまった)
なんだかんだ上手く噛み合った二人のハグは数十分続いた。
しかしその後、大事な書類が返ってこないことに気づいた他の職員が学園長室を訪れたことでこの光景を見られてしまい、ややこしい誤解が学園内に広まったことだけは大魔法使いの失敗だった。




