001 一番弟子、旅立つ
「私にできたことは全てできて当然よ」
デシル・サンフラワーは師匠からそう言われて育った。
修行が上手くいかなくて折れそうな時も、上手くいって喜んでいる時も。
師匠の名はシーファ・ハイドレンジア。
かつて武術と魔術の双方において最強と呼ばれた賢者だった。
しかし、彼女はその圧倒的な才能と強い向上心、野心家な性格をうとまれ、歴史の表舞台から姿を消したのだ。
それから時は流れ、ほとんどの人々が賢者シーファの名を忘れてしまった。
シーファもまた誰にも気づかれないところで無気力で自堕落な生活を送っていた。
偶然一人の赤ん坊を拾い、弟子として育て始めるまでは。
デシルは最強賢者の弟子として物心ついた時から厳しい修行の日々を過ごした。
修行中に気を失って師匠に叩き起こされることもしばしば。
そのたびにデシルはタフになっていった。
失敗を繰り返しても大きな声で怒られることはなかったが、ただじっと威圧するような視線を向けられ生きた心地はしなかった。
そのせいでデシルはモンスターに吠えられようがにらまれようが怖くなくなった。
実戦形式の訓練では血も出るし四肢も飛ぶ。
回復魔法ですぐに治してもらえるので傷一つない綺麗な体のままだが、デシルは痛みにひるまなくなった。
それでいて、痛みを生んでしまうような不用意な行動は恐れるようになった。
魔法の訓練は師匠のお手本を見ながら同じようにできるまで繰り返した。
マネできるようなレベルの魔法を出してもらっているのにそれに気づかず、調子に乗ってもっと強い魔法を使って暴走させるのが悪いクセだった。
しかし、魔法や魔力に関しては年をとるほど成熟していくものなので師匠も少し甘かった。
だからデシルは魔法が好きになった。
厳しい修行の中でもデシルは師匠を恨んだことはなかった。
周りに同年代の若者がいない小さな村のはずれの森で暮らしていたので、この修行の日々が当然だと思っていたからだ。
それに師匠は修行以外ではデシルに優しかった。
特に食事と睡眠に関しては一般的な家庭より気にかけてくれていた。
六時間以上は寝ないとむしろ注意され、食事は毎日お腹いっぱい食べていた。
また、修行が上手くいかないからといって食事と睡眠時間が取り上げられることはなかった。
ただ、師匠は武術と魔術の才能を得た代償と言ってもいいほど料理の才能はない。
修行後も疲れた体を引きずってデシルが料理を作る。
それを少しバツが悪そうに師匠は待っているのだ。
そして、料理がおいしくても素直においしいと言えず、スッと空になった皿を前に押し出して「おかわり」と言う。
その姿にデシルは明日も頑張る気力をもらっていた。
修行後はある意味立場が逆転する奇妙な関係が、二人の絆を強くしていたのは確かだ。
その関係も今日でひとまずの終わりを迎える。
「師匠……」
「そんな悲しい顔をしない。ただ学校に行くだけなんだから」
デシルは十二歳になっていた。
今年、自由騎士学校を受験するというのは一年前から聞かされていたことだった。
しかし、決心は出発の日になってもついていない。
「でも学校は全寮制です。入ったらしばらく師匠と会えなくなります……」
「いいじゃない。厳しい修行とおさらばできる」
「確かに修行は厳しかったです! 嫌だと思ったこともありました! それでも、私は師匠と離れるのが寂しいって言ってるんです!」
「わかってるつもりよ。私だって……さ、寂しいし……」
素直に言うのは恥ずかしくて、シーファの声は消え入りそうなほど小さい。
しかし、シーファには寂しくとも弟子のデシルに広い世界を見てほしいという思いがあった。
二人一緒に旅立つのではいけないのだ。
自分が隣にいればデシルは自分のことばかり考えてしまう……とシーファは考えていた。
子弟愛ゆえに二人は一度離れなければならない。
「デシルには集団生活の中で他の人との関わり方を学んでほしい。私には出来なかったし教えられないことだから」
「師匠に出来ないことが私にできるわけないじゃないですか!」
「デシルは私より優しい子だからできる。私が今までデシルに嘘をついたことある?」
「うぅ……そうですけど……」
「さぁ、もう行きなさい。駄々こねたってもう家には入れてあげないから」
デシルはそう言われて玄関の師匠に背を向ける。
着ている服は全て新しく作ってもらったものだ。
背負ったリュックも新品で中に必要なものはすべて入っている。
あとは目的地に向けて歩き出せばいいだけ。
「今までお世話になりました! 行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
「お手紙書きますから!」
「この田舎に届くかな?」
「お友達をつくって夏休みには連れてきます!」
「泣かせちゃうかもしれないから心が強い子にしてね」
「師匠の教え忘れませんから!」
「いい心がけよ。ただ、私の名前は外では出さないように」
シーファの名が知れ渡っていたのは過去の事とはいえ、知っている者がいないとは限らない。
自分の弟子ということでデシルに迷惑をかけたくはないという彼女なりの思いやりだった。
「わかりました。でも、いつか私が立派になったら師匠の弟子ってことを大々的に言っちゃいますからね!」
「なってから言いなさい。ほら、おしゃべりしたって私の気は変わらないから早く行きなさい……」
変わってしまいそうなのは自分の気の方だ。
シーファはデシルをせかす。
「はい! 今度こそ行ってきます!」
デシルは金色のポニーテールを揺らしながら駆け出す。
数秒後にはその姿が点にしか見えないほど遠くに行ってしまった。
鍛え上げられた脚力と強化魔法によって生み出されるスピードは驚くべきものだ。
しかし、二人にとってはそれほどでもない出来て当然の移動方法だった。
「いっちゃったか……」
寂しさが隠せないシーファは遠ざかっていくデシルを視力を強化して見つめ続ける。
「頑張って、デシル」
『はい! 頑張ります師匠!』
デシルの大声がシーファの耳に響いた。
遠くからでもぼそっとつぶやいた声を拾い、自分の声を魔法で大きくして返事をしてきたのだ。
「聞かれちゃったか。まったくいつの間にそんなことまで出来るようになったんだか……」
弟子の成長がうれしくてたまらない。
離れていくことが悲しくてたまらない。
複雑な心境の中、シーファは周囲に音消しの結界を展開してからまたつぶやいた。
「デシル、私は師匠として三流もいいところだけど、お前は一流の弟子だった」
顔を真っ赤にしてシーファが放った言葉に、返事は返ってこなかった。
「ふんっ、まだこれは聞き取れないか。まだまだだな!」
勝ち誇ったように笑うとシーファは家に引っ込んだ。
その背中は少し震えていた。
これからよろしくお願いします!
24時にも一話更新します。