サブスティテュート・ダーリン -Digest-
今回は書きたいところをダイジェスト風に
構成も何もありませんが覗いてくだされば幸いです。
最後のシーンは長くなるので、脚本風にしています
え、と思ったときにはコンクリートに倒れていて、こんな暗いところで周りを見ても犯人なんてわからなかった。いつの間にか腰から下が動かなくなって頭も腕も押さえつけられている。
「ハハッ…アハハハッ」
降ってきたのは、さっきまで聞いていたアルトだった。
「莉茉さんっ! 何するんですかっ……ちょっと」
「へへっ克哉クンやっぱ美味そうな首してるなって思って」
は?と思っていたら、喉笛を咬まれていた。歯が皮膚に深く食い込む感覚に呻くことしか出来なかった。じゅっと零れた唾液を啜る音のせいか獣っぽさが際立つ。
「痛いっ…… 莉茉さっ……離してください! ぅ……嫌だっ」
押さえられた左腕を振りほどいて彼女の天突を突いた。「あ゛っ」と潰れた声が上がって口が離れた隙にバッグを掴んで這い出た。
転がるように歩道橋を降りる。冷や汗が止まらなかった。咬まれたところに触れると血は出ていない。酔いはもう醒めたのに脚が震えて上手く歩けない。そこで俺は彼女がミネラルウォーターしか口にしていなかったことを思い出した。
----------------------------------------------------------------------------------
本当に偶然だった。後輩をタクシーで帰して、自分はそのまま駅に向かうつもりだったのに。ついこの間見た白いロングカーディガンは彼女のお気に入りらしい。少し面識があるくらいの男にどうこう言う権利はないかもしれない。でもそのまま風俗街の通りに入っていった彼女を見過ごすことは出来なかった。
「莉茉さんっ!」
「あれ? 克哉クン何でここさおると?」
「こっちが訊きたいですよ! こんなところにいたら危ないじゃないですか」
「ここ通った方が近いから、今日歌うバー」
「いつも通ってるんですか? ここ」
「そうだよ? 遅刻しちゃうからもう行くねー」
「あっちょっと!」
そのまま去ろうとする莉茉さんのバッグを引っ張る。彼女は引っ張られた衝撃が大きかったのか綺麗な顔が歪んだ。
「痛い痛い! 何? もう遅れちゃうって言ってるでしょ!?」
「ごめんなさい……でもこういう場所にいたら何があるかわかりません。今すぐ引き返しましょう」
「克哉クンこそ早く帰った方がいいんじゃない? ヤバいよこのままここにいたら」
彼女の言葉を理解するのに12秒かかった。理解した俺の口から出たのは言葉になっていない音だったと思う。どうして俺が忠告されているんだ。心配するのはこんな年くった男よりも若くて美人な彼女の方だ。
----------------------------------------------------------------------------------
「克哉クン尾道やったっけ?」
「ええ」
「尾道ってさ、ベッチャー様おるとこ?」
「あ、そうです。よく知ってますね」
莉茉さんは意外と物を知ってる。ここ最近わかったことで、詩恵菜さんと俺の会話に入れたりもするし俺が疎い分野の話だとこっちが勉強させてもらうこともあった。さすがに「日本の古典文学の話」をお願いしたときニヨニヨしながら「源氏物語の主人公は光源氏だよー」と言われたときはそんなに古典に疎く見えたかと軽くへこんだが。
「叩かれた?」
「いえ、僕はずっと陰に隠れて逃げてました」
苦笑して答える俺に「ええっ!?」と声が上がった。
「ダメだよ! 御利益ないじゃん叩かれないと!」
「痛いんですよあれ」
「今年帰って逃げた分まで叩かれないと……」
「嫌ですよこの年になってベッチャー様にリンチくらうなんて」
「ドMみたいになる」
「これ以上生き恥晒すつもりはありませんよ。それに僕は実家にはもう戻りませんし」
あのトラウマになる奇祭は勿論だが、もう実家に戻る気もない。というか戻りたくなかった。莉茉さんはもう何も言わずにテレビの向こうのお好み焼きを見ていた。
「広島焼きって食べたことない」
莉茉さんの独り言に「広島のがスタンダードだ」と言いたかったが言ったら莉茉さんに「広島帰れ」と言われそうだから飲み込んだ。
----------------------------------------------------------------------------------
ゴトッと音がしたときにはもう遅かった。
「あ」
無造作にテーブルに置いてあったスマホが結構な衝撃で落ちた。
「ヤバい……」
シルバーの端末は莉茉さんのものだ。パッと見た限り端末に傷はないが内部に支障がないか心配だった。こんなことで確認できるはずないし、莉茉さんに申し訳ないが一瞬だけ画面をオンにした。
「……ぁ……」
ディスプレイの中にいたのは綺麗な歯を見せて笑う男性と、男性に嬉しそうに頬を寄せる莉茉さんだった。あっさりした顔立ちで清潔感のあるこの男性はいつか見たような気がする。きっかけが莉茉さんなら莉茉さんから聞いているから違う。でも莉茉さんと親しげだから誰からも全く聞いていないことなんてあり得ない。
あ……そういえば……
『これ、弟です』
それはすぐに思い出した。1ヶ月前、詩恵菜さんが休憩中に俺に見せてきた。その画像は、バースデーケーキを囲んでいる詩恵菜さんと莉茉さんと、小柄な男性。男性は莉茉さんのスマホにいる彼だった。
『面白いね! なんか万里を思い出す』
いつか莉茉さんはそう言った。その後も莉茉さんは万里さんの話をしたり俺が万里さんに似ているとたまに言っていた。
「そっか……そうだったんだ……」
彼が万里さんか。ぶっきらぼうで無骨な口調で喋る。でも頭が良くて、面倒見のいい人。笑った顔がかわいいとも言っていた。
「尊敬してたんじゃ……なかったんだな……」
莉茉さんはずっと、届くことのない気持ちを抱えていて、たまたま彼に似ていた俺を見つけた。そして、俺の向こうにずっと、彼を見ていたのだと突きつけられた。
----------------------------------------------------------------------------------
「本当に? ……本気で思ってます? 僕が来てくれて嬉しいって」
「何それ?」
間
「あなたが代替品で満足すると思えないんです。……莉茉さんは、本当に自分の歌を聞いて欲しい人が……いるんじゃないかって」
「ねぇ何の話?」(克哉の袖をつまみながら)
「……莉茉さんは、お兄さんがどのくらい好きですか?」
「万里? 大好きだよ! すごく」(笑顔)
「そうですか……」
「?」
「詩恵菜さんから聞いたんです。幼少時代、万里さんに邪険にされていたけど莉茉さんは彼について歩いていたこと、ぶっきらぼうだけど面倒見がよくて面白い彼に憧れて、思春期になったら恋をしたこと、彼がアメリカに行ったあとも頻繁にメールを送っていたこと、そして3年前、彼の結婚で失恋したこと」
「そうだね」
間
「莉茉さんが僕に話しかけたのは、万里さんに似ているから?」
「うん」
「……。」
「だって似てるもん。スイッチがあるところとか、困ってる人見たらほっとけないところとか、ホントはノリがいいところとか。」
「そうですか……」
「でも、何でそんなこと聞くの?」
「僕は……あなたが怖かったんですよ。」
「?」
「2回しか顔を合わせてないのに、あんな真似されて。それからもあなたの言動に戸惑っていました。……でも、莉茉さんとの時間が積み重なる度に、あなたの無邪気で人懐っこいところを可愛く思ったり、物知りで賢いところを尊敬したりもしたんです。あなたに惹かれていたんです、いつの間にか」
「……。」
「でも、あなたが愛してるのは僕じゃない。僕はあくまで身代わりなんですね。 僕自身を見ていたわけではないんですね。僕の向こうにずっと彼を見ていた……。それだけ」
「……。」
間
「それは……何か問題あるの?」
「え……?」
「だって世界に人は何人いると思ってるの? 日本だけでもかなりの人数だよ? スポーツが好きな人もいれば、本を読むのが好きな人もいて、優しい人もいれば頑固な人もいる。こういうのは個性って言われるけど個性自体が似ている人はたくさんいるでしょ? その中で自分が好きになった人と似たような人格だったら興味も持つし近づきたくもなる。これってもう当たり前のことじゃないの? だから万里に似ているって理由で克哉クンに近づいたことには別に罪悪感も何もないんだけど」
莉茉がスマホで時計を見る。克哉は動揺してしばらく言葉が出ない。
「……んなよ……」
「え? なに?」
「ふざけんなよっ!」
ベンチから立って莉茉の前に立つ克哉。その表情は怒りを露わにしながらも目は泣きそうになっている。
「じゃあ好きな人に似てる身代わりを見つけて、自分が満足すればその身代わりにしてもいいってことか! 身代わりの信頼や愛を奪うことになっても!」
「克哉クン……?」
「俺は……きっかけはそれでも良かった。最終的に俺を見てくれればそれで。莉茉さんの失恋を清算できるように努力したいとも思ってた。でもあなたが口にするのはお兄さんのことばかり……! 万里、万里、万里!」
「……。」
「代わりだって言うなら……黙ってれば良かったじゃないですか……。わざわざ言って……想ってる人がいるって、身代わりだってことを突きつけるなんて……」
「……。」
2人に沈黙が流れる中、ベルの音が遠くで鳴っている。
「克哉クン、ウチ…ホントは……こんな話するつもりじゃなかったんだ」
「……。」
「ウチ、デビュー決まったんだ」
「克哉クンに一番に聞いて欲しくて……。だから、誰にも言ってなくて……」
「……。」(莉茉を見たあとすぐに俯く)
「ウチさ……」
「おめでとうございます」
「ぁ……」
「ご活躍を祈っています」
冷たい風が吹いている。短い沈黙のあと、莉茉がベンチから立つ。
「……ありがとうございました」
「いえ……」
「お世話になりました」
莉茉はそのまま立ち去っていく。克哉は公園に立ちつくしたまま。
風とベルの音が同時に聞こえている。
お付き合いいただき、ありがとうございました。