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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

前世の約束

作者: 柳 よもぎ

 二つの人影が、夜の闇にひっそりと佇むマンションの屋上に着地した。

 周囲には飛行機も、ヘリコプターの姿もなく、ましてや壁を登るためのロープもない。

 何もなかったところに突如として出現し、そして降り立ったのだ。


 そのうちのひとつが、屋上の縁まで歩を進める。

 小さな輪郭に比例して、歩幅はとても狭い。

 眼下に広がる景色を物珍しそうに眺めると、ゆっくり息を吸っては吐いた。


「……待っていろ。我が妻よ」


 真っ黒な紙に砂をまぶしたような、空に星だけが輝く夜。

 世界と世界が、繋がった夜。




*****




――秋の空は飽きっぽい。……うーん、使い古された感があるなぁ。


 沢沼十季は窓の外を眺めながら、ぼんやりと取り留めのないことを考えていた。

 ちらりと右隣の席を見やると、男性の先輩社員は頬杖をついて社内新聞を読んでいる。

 後ろからは、キーボードを叩く音が聞こえていた。きっと副支店長が調べ物と称してネットサーフィンをしているのだろう。


 東北に本店を置く地方銀行の第十八支店では、今日も閑古鳥が鳴いていた。

 もともと駅から遠く、周辺には住宅とアパートとシャッター商店街しかない場所に建つこの支店では、暇を持て余した高齢者が世間話をしては帰っていく。だがそれも午前中だけで、午後は夕飯の買い物をするために主婦がATMでお金を下ろしに来る程度。窓口に座る十季たちは給料泥棒と揶揄されても文句は言えないくらいすることがない。

 雨の降った日は来客数が更に落ち込む。今日も午前中は小雨が降っていたために、すでに支店内は終業後のような雰囲気が漂っていた。


――あーあ、暇。こんな時間あるなら席札作ってたい。


 十季はあくびをかみ殺す。昼食後は気を抜けばすぐに瞼と瞼がくっついてしまう魔の時間だった。

 ふと左手側の自動ドアが開く音がして、反射的に十季は「いらっしゃいませ」と言った。

 顔を向けると、同じ格好をした男が二人、こちらに駆けてくるところだった。

 一人は十季の目の前で止まり、もう一人は窓口の机を乗り越えて奥へと走る。


「おめえら全員、手を上げて言うこと聞け!!」


 その手に持っているのは、不気味に黒光りする拳銃。

 明らかに招かれざる客だった。

 十季は自分の置かれている状況がわからず、ぽかんと拳銃の先を見つめていた。次いでそれが自分を向いていることの意味を理解すると、突如として心臓が早鐘を打ち背中に嫌な汗が流れてきた。

 ヒュンヒュン、と空気を突き破る音とほぼ同時、破裂音が立て続けに起こった。

 驚いてそちらを見ると、監視カメラが次々と壊されていた。目の前で男が立ちはだかっているため確信は持てないが、どうやら三人目がいるらしい。


「変な動きしたら撃つぞ! さっさと手を上げろ!」


 男の怒鳴り声に、十季は恐る恐る両手を頬のあたりまで上げた。視界の隅にいる先輩に意識を向けると、彼も同じようにしている。その指先が震えているのが見て取れた。男の人でも怖いんだなと思うと、十季の心はいくばくか落ち着いた。

 犯人たちの動きは素早く、緊急事態用にと壁に取り付けてある警報ボタンを押す暇さえなかった。また客が全く来ない雨の日の午後の時間を狙っていて、監視カメラの位置さえ把握しているのだとしたら、下調べは万全だったということだ。

 私にできることは……と十季は考えた。まず、冷静になること。強盗を刺激しないで、言うことを聞くこと。そして、後で警察に詳しく話せるように、強盗たちをよく観察すること。

 ガラガラという音とともに、十季の目の前にいる男の背後で何か動いているものがある。三人目が、電源を切ったらしい自動ドアのシャッターを下ろしているようだ。支店の外にも仲間がいるかもしれないが、入ってきたのは三人で全部らしい。

 三人とも、黒いニット帽にサングラス、黒いジャンパーのチャックを全部締めて鼻までを隠していた。 そして下半身はデニムに黒いスニーカー。

 どれもブランドのロゴや名前は見当たらない。


「おい女ァ! 金庫開けろ!」


 十季の前にいる男が叫んだ。


「え」


 思わず口をついた。


「無理です」

「あぁ!? んだと!?」


 銃の先が顔に向けられる。ひくり、と内臓が浮き上がるような心地になった。


「わ……私のような下っ端は、暗証番号を知り、ません」


 これは本当のことだった。

 十季のような窓口の平社員は、金庫を開ける際に必要な暗証番号を知らされていなかった。その権利を持っているのは支店長と副支店長の二人だけで、窓口の社員は客が大金を下すなどの必要な時だけ、面倒な手続きをとり、彼らを通して金庫の中身を取り出すことができるのだった。

 男は苛立っている様子で十季を見たが、舌打ちをすると十季の後ろに向けて顎をしゃくった。


「おいテメェ、歩けよ!」

「は、はひ!」

「……遅えんだよ! オヤジ!」

「ひい!」


 ぶつかったり物が落ちたりする音をさせながら、動く気配がする。二人目の男が副支店長を金庫まで追いやっているようだ。

 ああ、支店長がいれば良かったな……と十季は思った。

 今日は会議のため本店に行っている支店長は、気は優しく力持ちを地で行くような人だが、強面で体格がいいため、一見するとヤのつく職業と勘違いされやすいのだ。支店長がいれば、もしかしたら男たちも怖気づいて帰ったかもしれないのにと十季は考えていた。

 十季の後ろでは、副支店長が暗証番号を入力しているようだ。同じ電子音が九回立て続けに鳴り、最後に開錠する機械音が聞こえてきた。


「おい! この袋に札束を詰め―――」



ドォォォォォォォォォォォン!!!!!



 雷が落ちたと思うくらいの轟音が、世界を包んだ。

 建物自体が大きく揺れ、十季は座っていた椅子から転げ落ちた。


「うわっ」

「な、地震!?」



バァァァァァァァァァン!!!!



 慌てて周囲を見回したのもつかの間、今度は爆音が耳をつんざいた。

 同時に天井から何か大きなものが落ちてきて、いくばくもしないうちに白い煙が辺りを襲った。

 十季は腕で顔を隠し、目を瞑る。煙は生暖かく気持ち悪かった。

 そっと薄目を開けてみても、雲の中のように真っ白で何もわからない。


「もう、今度はなんなの!?」


 幸い、すべての窓を開けていたので煙はそこから逃げていき、次第に部屋の全貌が見えてきた。


「うわ……っ!」


 一言でいえば、大惨事だった。

 まず天井の一部がなくなっていた。

 ぽっかりと大きく丸い穴が開き、十季のいる場所から二階の流し台が見えていた。煙は天井の穴からも逃げており、部屋の空気がどんどん澄んでいくのがわかる。

 次に、穴の真下とその周辺にあった支店長の机や引き出しの棚が、すべて見るも無残な状態になっていた。机の上にあった支店長のパソコンもマグカップも、パートのおばさんが棚に置いたぬいぐるみも、粉々もしくはぺちゃんこになっていた。十季は今後目にするであろう彼らの嘆き悲しむ姿と大掃除を憂えた。


 だが、何より目を引いたのは、新たに二人の人間が現れたことだ。

 二人は瓦礫と化した一階の天井兼二階の床を踏みしめ、服についた汚れを払っている。

 支店の社員と強盗たちが唖然としている中、落ち着き払って何やら一言二言会話をしている。一連の出来事は、この二人の仕業だと十季は確信した。


――でも、どうやって?


 とりあえず彼らをもっとよく観察することにした。

 二人の人間は、身長も違えば、纏う服も空気も全くと言っていいほど異なっていた。

 明らかに常人とは一線を画している、そんな異質さを醸し出しているのは、背の低い方だ。

 顔の幼と身長から、どう見ても小学校3、4年生のあどけない少年だ。

 赤いチェックのハンチングから覗く髪は漆黒。

 Yシャツにネクタイを締め、その上に革のベスト。

 ズボンは七分丈で、たるませた靴下にローファー。

 ちなみに、ハンチングとネクタイとズボンは同じ柄だ。

 顔は未だ横からしか見えないが、それでも端正で日本人離れした艶やかな美しさをたたえている。

 子ども向け雑誌に出てくるような、おませなモデルそのものだった。

 だが纏うオーラは芸能人と比べても一線を画しており、内側からにじみ出る高貴さと禍々しさが否応なく周囲に畏怖の念を抱かせる。ひとえに子どもと侮れないほどの魅力とカリスマ性が、少年にはあった。


 一方、身長の高い男はと視線を向けると、一言でいえば地味だった。

 黒髪を短めに揃え、伏せた瞳と物静かな雰囲気が、妙に老成している。

 服装も紺のポロシャツに薄茶のスラックスという、中高年の男性が好みそうな格好だ。

 肌のハリから三十そこそこくらいのはずなのに、何とももったいない。


 ふいに少年が首をめぐらせ、十季とばちりと目が合った。と同時に十季は驚いた。


――こ、子供のくせにカラコンしてる……!


 少年の瞳は、この世にはありえない紫色だったのだ。

 だが動揺しながらも、少年と絡み合った視線は縫い止められたかのように一ミリたりとも逸らすことができない。宝石のように美しい少年の瞳は、ただただ魅力的で惹きつけられた。

 少年も、十季に焦点を当てたまま口を開いた。


「お前だな」

「……は?」


 侵入者がこちらに向けて言葉を発したことで、十季の目の前にいる強盗はようやく自分の役目を思い出したようだった。


「お、おいガキ! こいつで撃たれたくなかったら両手上げてそこに立ってろ! テメエもだ!」


 十季が振り向くと、強盗は少年と地味男へ交互に銃口を向けていた。

 明らかに得体のしれない人間が現れたとしても己の任務を遂行する。強盗とはいえ彼の志はあっぱれだと十季は心の中で称賛した。

 そこで気づいた。自分は、もうひとかけらも強盗たちに恐れを抱いていない。なにか大きなもので守られているような――母親に抱かれる子どものような安心感だけが、十季の胸にあった。

 なぜだろうと十季が首を傾けている斜め後ろで、少年が溜息を零した。その様もどこか上品だ。


「浅はかな」


 そう言うと、少年は人差し指だけを伸ばした状態で腕を上げた。

 彼らに銃を向けている男を、ちょうど指差すような姿勢になった。


「な……なん」


 焦った男が少年に銃を向け、引き金を引こうとした途端。

 男が、後ろに飛んだ。

 棒高跳びの選手のように、綺麗な放物線を描いていた。

 男はそのまま背中にあたった椅子を巻き込んでごろごろと転がると、ぐったりと伸びる。

 静寂が、この場を包んだ。


「……な、なにした!?」

「ざけんじゃ……」


 他の二人が気色張って銃を構えようとしたら、今度は少年は視線さえ向けないまま強盗達がそれぞれの後ろへ飛び、頭から壁にぶつかって落ちた。


「……え? ええええええ!?」


 もう、何がなんだかわからない。

 十季が混乱の極みに達し、「え」としか言えなくなっていると、突然ぐいと腕を引かれた。


「来い」


 振り向くと、少年が大人と変わらないほど強い力で十季の腕を掴んでいる。


「私は、お前と話す必要がある」

「ええ!?」


 なぜこの得体の知れない少年が、ただの一般市民の自分に用があるのか。

 過去の自分が走馬灯のように思い出されたが、彼らと関わりになりそうなことなどあろうはずがない。

 頭の中が疑問符だらけになっていると、少年にひょいっと持ち上げられ、荷運びのようにぽいっと投げられた。それを優しく受け止めたのは、少年の仲間と思われる地味男。肩と膝の裏を掴んだ、いわゆるお姫様抱っこの状態で難なく十季を抱えている。


「丁重に扱え」

「はい」


――いやいやいや、君の方がずっと雑だからね!?


 盛大に少年に向けて突っ込みたかったが、先ほどから「え」の形で固定されてしまった口はなかなか他の言葉を発しない。


「ゆくぞ」

「はい」


 十季の混乱を他所に、常識を超えた二人組は淡々と短い会話をする。

 次の瞬間、少年が消えた。


「お嬢様」


 ぽかんと今まで少年がいたところを見ていたが、すぐ上から声を掛けられた気がして十季が視線を向ける。

 すぐ近くに意外と端正な顔があって、思わずのけぞった。

 一方、男の方はその灰色の瞳も薄い口元にも、なんの感情も浮かんではいない。


「舌を嚙まないよう口をお閉じくださいませ」

「え?」

「こちらから移動しますが、少々手荒な手段を使いますので」


 ものすごく不穏で不安になることを言っているが、先ほどからの型破りな状況に、十季は抵抗する意思をすっかり奪われていた。男の言う通り口を勢いよく閉め、ついでに歯を噛み締めておく。

 職場を振り返ると、副支店長と先輩社員が目を点にし、口をぱかっと開け放したままこちらを向いて突っ立っていた。


――うむ。同志よ。私が無事に帰還した暁には、共に語り合おうぞ。


 でもできるだけ早く再起動して、警察に連絡を入れてくれ。そう心の中でつぶやいていると、男が十季を抱えなおした。


「参ります」


 男がそう言うや否や、離陸時の飛行機やジェットコースターよりも強くGがかかる。

 ほどなくして、頭にハンマーで叩かれているようなガンガンとした痛みが押し寄せ、次いで内臓という内臓が引っ搔き回されたような気持ち悪さと息苦しさに、急速に意識が遠のいた。




*****




 ガクン、と頭が揺れたのをきっかけに、十季は目を覚ました。

 湿った空気。雨上がりのアスファルトの匂い。穏やかに降り注ぐ午後の日差し。

 腕時計を見ると、強盗たちの襲撃に遭う直前に時間を確認した時から、一時間も経ってはいなかった。

 あたりを見渡すと、狭い敷地内に品良く低い常緑樹や芝生が植えられており、三方は金網でぐるりと囲まれている。最後の一辺には、鉄製の壁とドアがあった。

 金網の先は見晴らしがよく、下の方にはたくさんの家が、視線を上げると、薄雲に覆われた遠くの山々まで見渡せた。

これらから察するに、どこかのビルかマンションの屋上庭園のようだ。

 十季たちの他に人はなく、時折吹く風に木が葉を揺らす音だけが聞こえていた。


 男は十季を抱えたまま数歩進み、手すりのついた木製のベンチに降ろした。

 途端にぐにゃりと視界がゆがみ、十季は手すりにしがみつき頭を乗せた。

 ここに来てからずっと頭が揺さぶられているかのようにくらくらしている。胸がむかむかするし、喉に何か詰まっているような感じまでする。


「吐きたい、のに吐けない……変な感じ……ああ、気持ち悪い」

「飲め」


 ぬっと視界に入ってきたのは、ペットボトルの清涼飲料水だった。

 それを持つ小さな手の先を視線で辿っていくと、今の今までいなかった少年が無表情のまま十季を見つめていた。色々ありすぎて、十季はもはやこれくらいのことでは驚かない。

 自分は彼らのせいでぐったりとしているのに、その元凶たちは揃って涼しい顔をしているのが子憎たらしく、十季はペットボトルをひったくるようにして受け取り、一気に口に含んだ。途端に咽るのがかっこつかなくて、更に不貞腐れる。

 だが、飲んだそばから不調がみるみるうちに改善していき、水が浸透していくように、それは徐々に身体の内から外へと広がっていった。驚いてもう一口二口飲めば、たっぷりと寝た日の朝シャワーを浴びた後のような、すっきりと清々しい心地が身体中を満たした。

 十季がほうっと息を吐くと、その様子をじっと見守っていた少年が口を開いた。


「初めに言っておくことがある」


 ぷっくりと愛らしい唇から零れるのは、意外と低い声だった。掴まれた腕も痛いくらい強かったし、仕草もおよそ子どもとは思えないほど洗練されている。見た目とその他でギャップがありすぎるなぁと十季はぼんやりと思った。


「我々は魔界より来た魔族だ」

「あはははは、ほんまかいなー」

「茶化すな。真実だ」


 渾身のダジャレをばっさり切られ、十季は押し黙った。

 言うに事欠いて魔界ときた。なんだそれは。ドッキリにしてももう少し信憑性のあることを言ってほしいものだ。


「信じられぬか? ならばどうすれば信じられる? 焔を出せばよいか? 花を枯らせようか?」


 言いながら、少年は手のひらを上に向けて大きな火の玉を出しては一瞬で消し、庭園に咲く桃色のゼラニウムを指さすと瞬く間に枯らしてしまった。

 十季が呆気にとられているのを尻目に、少年は続ける。


「ああ、奴隷の下等魔族を見せようか」


 すると、少年の背後でゆっくりと黒い煙が立ち込め、すえたにおいが鼻を突いた。煙が変化し鋭い爪を持った手のようなものが、何かを滴らせながら出現した時、十季は思わず声を上げた。


「わかった! わかったから! 信じるから! お願いだからもうやめて!!」

「ならばよい」


 少年が軽く頷くと、その後ろの何かが消えた。その時ギヤァァァという奇声が聞こえた気がしたが、精神衛生上よくないので忘れることにした。

 十季はどっと疲れて頭を抱える。

 このたった一時間にも満たない間に信じられないことがありすぎて、十季自身も色々と振り切れてしまった。かえって十季は冷静になり、改めて目の前の二人を見つめた。

 十季の正面に立つ少年も、その数歩後ろで控えている男も、装いこそ普通の人間と変わらない。いや、姿だけは一般市民に紛れ込もうとしているのだろう。だが彼らが纏うオーラというのか、雰囲気が普通の人間ではあり得ないほど、圧倒的に荒々しく禍々しい。特に少年の方はそれが強かった。

 肌は陶器のように作り物めいていて、生気がまるで感じられなかった。それは彼らが十季の前に現れた時から一瞬でも感情を見せたことがないことにも起因するのかもしれない。そしてまったくの無表情のまま、何の躊躇いもなく魔術だか妖術だかを軽々と使う。そのデタラメ加減は、十季は十分すぎるほど経験済みだ。

 魔界なんてものは人間が創り出した紛い物だ。そう断言できれば楽なのに、見れば見る程、目の前の二人はそれを許してはくれなかった。

 十季は一つため息をつき、覚悟を決めた。


「それで?まっかい言ってくれる?」


 ついまたダジャレを言ってしまった。ちなみに今度は魔界ともう一回を掛けたのだが。


「あなたたちはどこの誰で、なんで私に用があるの?」

「私は×××××××××××××××××××××××××××」

「……は? え?」


 少年が発した音が、言葉として十季の耳に入ってこなかった。


「こちらの世界用にわかりやすく言えば、私はツェゲルマオドゥラーロ・ウェイ=ヴォフピクトゥ」

「チェケ……ラッチョ?」


 全然わかりやすくない。


「違う。ツェゲルマオドゥラーロ・ウェイ=ヴォフピクトゥ」

「ピケトね? わかった! それでいこう」

「まあ、よい」


 ピケトは頷くと、顎で背後を指した。


「我が従僕ヌティオだ」

「ヌティオさんね。さっきは貴重な体験をありがとう。重かったでしょう?」

「お嬢様は羽のように軽うございましたゆえ、どうかご心配なされませぬよう。それから、わたくしのことは、ただのヌティオとお呼びくださいませ」


――殺し文句を真顔で言う奴、初めて見た!!


 十季は爆笑しそうになるのを必死にこらえ、なんとか礼を言った。声が震えてしまったのは仕方がないだろう。


「お前の名は?」

「あ、沢沼十季です。よろしく」

「サワヌマトキ。トキ。トキ」


 ピケトは何度か口の中で確認するように繰り返すと、十季に向けて手を差し出してきた。反射的に握ると、小さく滑らかな手は意外なほど温かかった。それに気を取られていたら、腕の中で何かがするりと通り抜けるような違和感がした。それが何か考える前に手が離される。


「えっと……で、私に話があるって言ってたよね? 何?」

「失礼いたします。その件に関しましては、まずわたくしからご説明いたします」


 ヌティオが一歩近づいて恭しくお辞儀をした。


「この方は古より76代続くウェイ=ヴォフ侯爵家のご嫡男であらせられ、此度成人の議を執り行うに従い、侯爵家興隆の際に記された契約の書の規則にのっとり異界の花嫁をお迎えになられるため、こちらへ御自らお渡りになった次第でございます」

「えっと……ごめん。もっと嚙み砕いて話してくれない?」

「これは大変失礼いたしました」


 普段使わない難しい言葉の羅列は、十季の耳の右から左に流れていった。

 もう少し平たい言葉で説明を加えつつヌティオが話したことによると、魔界には明確な身分制度があり、魔王を頂点としてその下に貴族、上級魔族、中級魔族、下級魔族、さらにその下の魔族とも呼べない獣や虫たちがいるそうだ。そしてピケトは貴族の中でもかなり高い、筆頭侯爵のウェイ=ヴォフ侯爵家の跡取り息子らしい。これを聞いた時、彼の高貴な雰囲気や洗練された仕草はこのためだったのかと十季は納得した。

 魔界の者は身分が高ければ高いほど種を残すことが難しく、また魔族同士で番うことができないため、魔王や貴族などは異界から伴侶となる者を連れてくるのが習わしらしい。誘拐が習わしなど、なんともはた迷惑な話だ。

 そしてピケトはもうすぐ――と言ってもこちらの世界で数えると百数十年後らしい――成人になるのだが、その儀式をするには花嫁が必要らしく、占い師のような者に視てもらったところ、地球の、日本の、この地を告げられたという。


 ヌティオの言葉をピケトが継いだ。


「魂が引き寄せられるまま向かった先に、お前がいた。私にはわかる。お前が私の妻だ」


 射貫くようにまっすぐ見つめられ、十季は戸惑った。

 魔界の時間間隔がわからないためピケトの正確な年齢は不明だが、見た目からすると二十くらい離れている子どもから妻だ花嫁だと言われても実感がない。

 なにより自分の常識から何億光年も離れている莫大な力を持つ者の妻などなれようはずもなければ、自分以外のすべてを捨てて魔界などという想像もつかないようなところに連れていかれるなど許容できるわけがない。


――それに、私は。


「魔界への門はあと二日開いている。その間、私は私の全てでお前を口説こう。だがそれでもトキが拒むならば此度は撤退し、次の『×××××』まで待つ」

「ん? 今何て言った?」

「『魔界とこちらの世界が繋がる日』のことだ。次は数年後か数十年後になるかは私にもわからぬ」

「数十年って、私しわしわのおばあちゃんになってるよ!? もしかしたら死んじゃってるかも」

「見た目などはどうでもよい。死んだならば、お前の生まれ変わりがよい」

「……本当に、ピケトはそれでもいいの?」

「よい。トキの魂ならば、それでよい」


 なぜ自分なのか、だとか、他にもいい人が、などと言うことが野暮なことくらい、十季にもわかった。

 それほど、ともすれば吸い込まれそうになるくらい澄んでいるアメジストの瞳は、一心に十季を見つめていた。

 ここまでのやり方は「強引」なんて言葉も優しく聞こえてくるほど破天荒だ。だが、最後の最後ところで決めるのは十季に任せるという。

 確かに、ピケトの姿や声や手の感触やその存在自体に、十季は自分の奥底の何かが強く惹かれているのがわかった。

 彼らが突然現れた時に感じた包まれるような安心感も、もしかしたらピケトと自分との何らかの繋がりに起因するのかもしれない。


――でも、私は。


 十季は目を瞑る。両手をしっかりと握り、深呼吸をした。


――私も、誠意をもって話そう。


 十季は目を開けると、ピケトをまっすぐ見た。


「ごめんなさい。私には好きな人がいて、その人と結婚するの。一生添い遂げたいと思っているから、あなたと一緒には行けません」


 ピケトの目が、大きく開いた。そうすると子供らしさが出て、十季は無性にピケトの頭を撫でたくなった。

 だがピケトは瞬時に元の無表情に戻ると、今までと同じく淡々とした声を発した。


「相手は、どのような男だ?」

「そうね……一言でいうと難しいけど、優しい人かな。それに、裏表がなくて、不器用なんだけど真面目に一つのことを頑張る人。読んでる本とか、好きな映画とか、私と似てるんだ。

 元々は中学の同級生で、高校は別々だったから疎遠になったんだけど、大学生の頃に道でばったり会って……あ」


 いつの間にか馴れ初めを語ってしまっていた。気恥ずかしさに口をへの字に曲げるが、ピケトは真剣に聞き入っている。この際だからと、十季は全てを話そうと思った。


「その時に連絡先を交換し合って二人で会うようになったのが、付き合うきっかけ。就職はどっちも地元だったけど、義一の東京転勤が決まったから、じゃあ結婚しようかってなったの。私は今年度いっぱいで仕事辞めるんだ。……まあ、こんなところかな。劇的なドラマもロマンスも皆無でしょう?」


 それよりも中学だとか就職だとか、言っている意味を理解しているかどうかも怪しいということに気が付いた。

 なんせ相手は魔界の者なのだ。今更ながら一切の説明を省いて言いたいことだけ言ったことを後悔した。

 だが、それも杞憂だったようだ。ピケトはしばらく十季の言葉を咀嚼するかのように顎に手を添えて考え込んでいたが、おもむろに顔を上げた。


「それでお前は幸せになれるのか?」


 質問の内容より先に、魔族から「幸せ」という言葉が出たことに驚いた。

 だが、それはピケトが十季のことを思って出たものだ。十季は気恥ずかしさと感謝の意を込めて微笑んだ。


「望んで、望まれて、一緒になるんだから、これ以上の幸せはないと思うわ」


 十季の様子をじっと観察するように見ていたピケトだったが、納得したように頷くと「ならば私は引こう」と言い数歩後ろに下がった。

 目の前にいたピケトとの間に空間ができたことで、十季はようやくベンチから腰を上げた。背中が凝った感じがして身体をひねってみると、背骨がボキボキと小気味よい音を立てた。


「トキの伴侶となれるヨシカズが羨ましい」


 ピケトが独り言のようにぽつりと零したのが聞こえた。なんとなく子どもをいじめたような罪悪感が十季の胸に去来する。

 見ると、心持ち肩を落としたようなピケトが、名残惜しそうに十季を見つめていた。会った当初から比べると、少しだけピケトの感情を感じ取れるようになったみたいだ。


「あ、そうだ。君たちが来た時、すっごくびっくりしたんだからね。大穴開いちゃって、うちの支店が初期のマリオのダンジョンみたいじゃない」

「本来は一人になるのを待つ予定だったが、襲撃を受けているようだったから、敵の虚をつくためにあのようにした」


 つまり、助けに入ったつもりだったということだ。虚をつくどころか十季たちも度肝を抜かれたし、強盗に入られるよりも被害が甚大になったが。魔界ではこれが普通なのだろうか。

 魔族の感覚って大味だなぁと思いながら、十季は一応の礼を言っておく。するとピケトは鷹揚に頷いた。先ほどの寂寥感はもうなりを潜めていて、十季はほっとする。


 十季を唯一の伴侶と決めた魔族。

 作り物めいた美貌と、低い艶やかな声と、温かな手を持った少年。

 話してみると意外と感情豊かで聞き上手、なにより相手を思うことができるヒト。

 もっと大きくなって、知識を積み、経験を重ね、自信と貫禄を兼ね備えたなら、きっとこの子どもは極上の男になる。


 大人になったピケトが、一人の女性の肩を抱き、柔らかく微笑んでいる。

 そんな情景が、ふと脳裏に浮かんだ。


「……あなたたち魔族にも、輪廻転生の概念ってあるのよね」

「魂は魔族に喰われるか大罪の償いに消滅する以外は、器を変えながら永久に続くものだ。考え方などではなくこれは事実だ」

「……そう。それなら、生まれ変わったらピケトと一緒になるのもいいかもね」

「本当か!?」


 初めてピケトが大声を上げたのを聞いた。驚いて見ると、その美しい紫の瞳は太陽の光を浴びてきらきらと輝いている。

 無表情の少年をこんな顔にさせられる自分が、なんだか誇らしくなった。


「うん。でも、その時の私にも、ちゃんと説明して確認とってね」

「ああ、もちろんだ」


 そういうや否や、ピケトは再び十季のそばに来た。何か言いたいことがあるのかと十季が中腰になると、ピケトは背伸びをして耳元で何かを囁いた。

 十季が聞き返そうとした時、頬に温かく柔らかなものがふわりとくっついては離れた。


「唇は、その時のためにとっておこう」

「あ、うん」


 キスをされたと気づいた時には、ピケトはすでに十季から距離をとっていた。


 その後、来た時と同じ方法で十季を職場に帰そうとするのを丁重に断ったが、代わりにヌティオに再び抱えられ、強制的に屋上から地上へと紐なしバンジージャンプをさせられた。

 降り立った際の衝撃はなかったが、勢いよく落ちて行く時の内臓が浮き上がる感じが大変気持ち悪く、十季はピケトにもらったまま持っていた水を一気に飲み干した。


「もう君たちって、本当にデタラメ……」

「お前たちは軟弱なのだな。来世のお前を妻に迎える際には気をつけよう」

「うん、まあよろしく……?」


 結婚が確定しているかのようなピケトの物言いに引っかかりを覚えつつ、十季は居住まいを正した。


「それじゃあ、私は行くね」


 ピケトが頷く。


「一人で危険ではないか?」

「うん、大丈夫。この道は見覚えあるから、歩いて職場に帰れるよ。……さよなら、ピケト。ヌティオも」

「約束、私は忘れないぞ」


 そう言うと、まずピケトが、次いで深くお辞儀をしたヌティオが消えた。

 二人がいたはずの場所には、秋の涼やかな風が通り過ぎていく。


――ほんの少しときめいちゃったことは、義一には内緒にしとこう。


 十季はふふっと笑うと、おそらく未だ収束が付いていないだろう職場へと、ゆっくり歩き出した。




*****




 十季はまだ知らない。


 警察に捕まった強盗たちの供述により支店長が共犯であったことが明るみになり、その後本人も認めたことから、即日逮捕されることを。

 十季も事情聴取のため、数時間警察署に拘束されることを。

 職場である第十八支店は取り壊され、十季たち社員はそれぞれ別の支店に転属されることを。


 魔界への門が閉まるまでの二日間、ピケトたち主従は呑気に世界観光をし、あちこちを騒がせることを。


 そして彼女が結婚し子宝に恵まれ天寿を全うした、その約二百年の後、彼女の魂を引き継いだ少女が、まさしく極上の男となったピケトと紆余曲折のすえ結ばれることを。





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