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007

[Side:『Shadow』]


 聖樹帝国は、夜の空気の方が淀んでいる。昼間に見せなかった顔を見せる。

 売春婦が市街で男をたぶらかし、酒屋では、猛々しい雄共が杯を交わす。

 遊郭には、雌の喘ぎ声が重なる。

 快楽に溺れる者に紛れて、路地裏では闇市がなされている。

 貴族目当てでクスリを高額で売りさばく。

 一方で、希少価値かつ帝国では数十万ドルで取引される塩や香辛料を破格の値段で料理人に買い占めさせる。

 昼間の喧騒とは、また違う、裏社会の喧騒が響き渡る。

 喧騒の裏で、殺し屋に依頼が舞い込むと、街に血飛沫が散る。

 聖樹帝国の騎士団は、市街のことはさして気にも留めない。とりあえず、王だけ守護するための騎士団に過ぎない。

 魔法学院には、そのような闇とは、分厚い壁で隔離されている。

 ただし、今宵は――少しだけ、事情が違った。

 殺伐とした空気、冷気を纏った魔力が鼻梁を掠める。

 学院七位の魔法師、キリサメ・ザッハークは、息を切らし、膝に手をつき前かがみになる。

 後ろで結ばれた黒髪は激しく乱れている。  

 彼女は、眼前に揺らめく『影』を睨みつけていた。

 ――確かに目の前の人物は『影』と呼ぶに相応しい風貌をしていた。

 黒のローブを身に纏い、深くかぶったフードの奥にはガスマスクで覆われた顔がある。

 不気味すぎるその容姿。再び、キリサメは構えた。

 キリサメが背後から、何かしらが襲い掛かってくる気配を察し、振り返りざまに拳をふるったことが事の発端である。

 結論、彼女の拳は素手で受け止められた。

 だが――、たったそれだけの事実をキリサメは鵜吞みにすることができなかった。自負がそれを拒んだ。

 何より、常識的にその答えを導き出すことが不可能に近い。

「素手で……、しかも、魔法で強化したのに?」

 それに体力強化系魔法でも五本指に入るような物理攻撃超特価型の魔法を施したにもかかわらず、だ。

 人智を超えている――その感想こそふさわしい。

「キリサメ・ザッハークだったか」

 ふと、ガスマスク越しに声があった。

 見た目とは打って変わって、幼い少女の声。

 音声加工でもしているのだろうか、声にノイズが混じっている。――いや、声についてはどうでもいい。

「なんで、私の名前を」

「さあな。あんまり踏み込んではいけないところだ」

 不愛想に『影』は、答えながら、キリサメへと近づいてくる。

 カツ、カツとブーツが煉瓦の地面を踏み鳴らす音だけが、学院構内に響く。

 近づくな、近づくな、近づくな……! キリサメは一歩ずつ後退していく。

 しかし、真後ろには学院と外界を隔てる壁。逃げようにも、逃げられない。

「さっさと捕まってくれれば、楽にしてやれるのだが」

「楽に、する……?」

 ぞわり、キリサメは身の毛がよだつような思いに駆られていた。

 足の震えが止まらないのは、一つの可能性として、とある事件を連想してしまったからだ。

「魔法師殺害事件……、学院指折りの魔法師は呪われるっていう噂……! まさか、まさかまさかまさか」

「――で、その『まさか』だったらどうするつもりなんだ?」

 あくまで飄々とした口調で言葉を投げかけてくる『影』。

 ああ、こいつは、狂っているのだ。狂っているから、こんなにも平気で人を襲おうとする。

 だから、ここでどうにか食い止めるためには。

「差し止めて、そして騎士団へ連行する……!」

「やれるものなら」跳躍。キリサメの胸元に飛び込んだ『影』。「――いいや、ここまで間抜けならやる前に、やられてろ」

 キリサメが、静かに放たれた、勝利宣言を耳にするのと、鳩尾に鈍い衝撃を感じ取ったのはほぼ同時。

 大きな戦力差を前に、キリサメの中で、何かが折れ――そして、彼女は意識を手放した。


※ ※ ※


 淀んだ空気の中、背中に棺を担ぐ小さき『影』。

 棺の大きさは、『影』の二倍近くはある。

 だが、それを呼吸、姿勢ともに一切乱さず、運び続けている。

 この闇を抜けた先、柔い月明かりが差し込む、路地裏の空き地が取引場所になっている。

 闇夜oの市街、それも明かりの少ない路地を進む――『影』。

 ガスマスクの『彼』あるいは、『彼女』は、明かりのない無法地帯にすぐに溶け込んでいく。

 周囲には、死んだ魚のような目で金稼ぎをする人間が溜まっている。

 棺を担いだ者は見当たらない。違法な臓器提供をする際に、棺に肉体を詰めるのは慣習ゆえに、不審がられることはない。

 そもそも、この歪んだ夜の街は奇抜こそが、普遍だった。

 路地裏には、男と女の快楽に満ち溢れた大通りと対照的に、寂れた世界が広がる。

 黒羽の昆虫が家庭から出された塵芥にありつく。

 そんな虫をほおばる薄汚いラットの親子。

 ラットは飯が碌に食えず、やせこけた子供に捕まれる。

 捕まったドブネズミは鍋の中で煮込まれて、飢餓しかけの子供によって骨の髄までしゃぶり取られる。

 無間地獄――世界最大の都市でさえ、このザマである。

(ああ、早く、抜け出してしまいたい)

『影』の率直な感想は後ろ向き。

 ヤクを売りつけようとしてくる腕をひらり、避けながら、マスクの奥で嘆息。

『影』とて、乗り気でこの業務を請け負っているわけではない。これは――不可抗力、あるいは、

(正義の代償、なんて言葉で収めちゃ、いけないだろう)

 月明かりが空から降り注いだ。

 路地を抜けた先には、煉瓦が敷き詰められた円形の空き地がある。

 赤煉瓦造りの家屋が空き地を囲む。

 家屋の隙間に形成された路地は、一〇本ほど。そして、空き地の真ん中に、取引人なる男は立っていた。

 取引人の男は、白装束に、目玉のところだけ刳り貫かれた白の仮面を被っている。

 胸には、金色の六芒星。

 帝国の国教を示す、『宿りし天界の果実』のエンブレム。

「これで、三人目か……、仕事が早いことで。これ、報酬だ」

「当然だ。頼まれた業務には、倍のもてなしを、がモットーだから」

 報酬、一〇〇〇ドルの札束の入った封筒を受け取り、棺を地面におろした『影』は、淡々と思ってもないことを吐き出した。

 このようなやつらとは深く関わらないほうがいい。異端だ。

 何故なら、国教の皮を被った非人道的集団だから。

 ――まあ、既に『影』は三人もの魔法師を取引している。――自分も人のこと言えない、ガスマスクの奥で唇を嚙んだ。

 誰も『影』自身の警鐘を信じる者はいなかった。国教相手じゃ、無勢すぎる。

 おまけに異端審問で背徳者は、思考を正しい道へ、正しい道へと植えつけられる。

 ただの脅迫だ。

 神を信じた分だけ愚者が生まれてしまうサイクル。

 信じるべきは、自分の心情だけだ。神を信じたところで、見返りとして与えられる奇跡なんて存在しない。

 夢幻を信じ続ける意味はない。そして――、助けを乞うこともまた。

「さて。次の依頼を――」

 あくまで『影』は自己満足がために、その身を費やす。

 結局、あと二人の魔法師の誘拐を依頼された後、『影』は裏の路地に溶け込むようにして消えていった。

 消えていった先、教会関係者が見えなくなったところで、暗い路地に、臙脂の光を放たれる。

 燃えだした札束を、『影』はばら撒いた。

「汚い、紙吹雪」

 軽蔑するように、目の前で燃え尽きて灰になっていく札束の吹雪を眺めていた。


※ ※ ※


[Side:Loki]


 アンセルの無茶ぶりに応えるようにして、俺とシグルーンの監視生活は始まった。

 無茶ぶりに応えざるを得なかった、の間違いか。

 事前にアンセルに言われた注意点は、『とりあえず二人で一組の行動の強制』のみ。

 片時も離れるなという。片時も、っていうワードを特に強調していた。

 なぜわざわざそのような面倒臭いルールを作ったのか、と尋ねてみたところ、

『魔法師に簡単に勝てるのは、実は魔法師じゃない者かもよ?』

 ――というヒントじみた胡散臭い解答だけを残した。

 魔法師は特殊攻撃メインであり、剣戟のような物理攻撃には滅法弱い――ということか?

 確かにその理論は定説だが。なんでわざわざそれをほのめかした? 

 どうも、彼女の言うことは全てが全て胡散臭く聞こえてしまう。でたらめなことを言っていると思えば、割と理にかなっていたり。その逆もしかり。

 時刻は、朝七時五〇分。余裕を持った登校。涼しい風が吹く、晴れた朝。

 久々に自力で起床した。普段だったら、シグに叩き起こされているところだった。

 すでに、体内時計は出来上がっていたのかもしれない。シグが起こしに来る時間きっかりに起きてみたが、シグの姿は見当たらない。

 結局彼女が、俺の部屋についたのは、俺が朝食のハムエッグを食い終えた後だった。

 空腹を訴えた上目遣いのシグにハムエッグを焼いた――というオチ。

 飯を食い終えて、部屋を出たはいいものの、

(こいつ、寝てないな。いっつも朝からうるさい奴が、これだよ――締まらないなあ)

 うつらうつら、首を動かす少女を後ろからいぶかしげに眺める。

 赤煉瓦の大通りで、千鳥足のタップダンス。

 たったらた、あれ左に行き過ぎた、たったらた、今度は右だ――なんてぶつぶつ呟きながら。

 明らかにおかしい。朝から人の通りが激しい大通りでそんな自殺行為をしながら警戒に人を避けていくシグの謎技量もそうだが。

 ――まるで昨晩、一睡もしていなかったように見える。いや、一般人だったら、わりと普通なことかもしれないが、シグの場合、例外中の例外だ。


 だって彼女は――――――、寝ることがしごt

 どづっ。脛に、鈍痛。シグの右脚が、俺の脛にクリーンヒット。効果てきめん。俺は、膝から崩れ落ちた。まなじりから、涙。

「なんか、悪いこと言ってそうな顔してたから蹴っちゃったー」

「なんなの? 心でも読んd」

 二発目は、腿へ。勢いよく蹴り上げられた。人ごみの中で、膝から崩れ落ち、俯せに倒れた男子学院生。

 周りに白い目で見られているのだろう、と思うと、心が灰になって空気に消えてしまいたい。

 まあ、完全に倒れる前にシグが前から支えてくれて、俯せに倒れることは間一髪免れたが。

 真正面、シグは隈が取れず疲れが見える顔でにぃ、と頬を吊り上げた。深夜テンションのそれだ。 

「シグ……、大丈夫か?」


「絶賛大丈夫だよ、気にしないで……」

 大丈夫? って聞かれて大丈夫って応えるやつって大体大丈夫じゃないんだよな。

 全体的に気だるげな雰囲気を醸し出すシグ。

 いつも全体的に大々的にやる気に満ち溢れていて、かえってウザったい(検閲対象)くらいのシグが、だ。

 新鮮味に溢れているが、これはこれで、いやむしろこっちの方が性に合わない。


「って、目の下にすごい隈ができてるぞ。足取りもおかしいし」


「わたし勉強熱心だからねえ、一徹して勉強してたんだー」


 しらばっくれたな――、起き上がりながら、瞬時に察する。

 あまり幼馴染を舐めないでほしい。俺は、制服についた埃をはたきながら、こう、異議を唱えた。

「毎日授業は睡眠学習のお前が勉強熱心なわけがない」


「うっ」

「授業効かないのに予習も復習もあるかよ」

「うっ、うっ」

 痛いところを真正面から二発、ガツンと。

 シグの動きは固まったのは当然の結果といえる。全ては、授業を聞かないのが悪い。

 ――図星だったことは、反応から見て明確だった。

 雑踏が鳴りやまない聖樹帝国の市街にて、俺と、シグの間だけ時が止まっているような気がした。

 人々の声、歯車が回る音、馬車馬が蹄で地を叩く音――ありとあらゆる音が、ものの動きが低速になっていく。

 固まっていた彼女が動き出すことで、時の流れは再開した。

「図星だよ、図星に決まっているじゃないか」

 シグは肩を落とし、うなだれた。若干、赤面しながら、もじもじと恥じらいを見せている。

「どうしたんだ、シグらしくない」

「僕の命が狙われているっていう宣告が出ているんだよ? うかうかと、眠れないじゃない、か……」

 とす、と、胸にもたれかかってくる、シグ。うつら、うつらしながら、腰に手を回す。

「だけど、少し寝たい……、ロキくんの前だったら、安心だよね……?」

「構わねえが、少し冷静になろう」

「え?」

 どうやら、この少女、まだ状況把握が済んでいないらしい。

 自分がどこで、なにをしようとして、どういう目で見られていて――、

 寝ぼけ眼を擦り、シグは周囲をぐるり、見回す。

 観衆の視線を強く感じた。冷やかしの視線、羨望のまなざしを向けられていることに気付いたシグの顔が見る見るうちに朱色に染まる。

「な、理解したか?」

「ば、ばばばば場所を移動することを強く望むよ、ロキ君」

 ――こうして、授業の出席を代償に、睡眠を希望したシグの膝枕係になることが決定した。

 ちなみに繰り上がった事件の捜索は、午後の授業の出席を代償にする。公欠扱いになってほしいところだが。


※ ※ ※


※ ※ ※


[Side:Aria]

 背中が、地面に叩きつけられた――、そこでアリアの意識は再び覚醒した。

 自分の体が、起伏の激しい坂を下っていく感覚。皮膚に断続的な痛覚が感じられる。

「痛い、痛い痛いっ」

 ドガシャ! 坂を下りきり、シグの体は何かにぶつかってようやく止まった。

 埃が舞い、周囲にガラクタが散乱している。――ガラクタ?

「痛っ……、まったくまったくまったく、ここは一体、ど、こ…………?」

 周囲を見回す。

 例えば、――上を見る。

「おそらとおい……、一番上にぽっかり穴が開いてる。その奥は何があるんだろう」

 天高いところにある天井には、ちょうど、一ドル硬貨ほどの穴が開いていた。

 穴から薄い橙の光が差してくる。

 周囲を激しく舞う砂埃が光を反射しているのだろう、光の道筋が金箔で塗りたくられたように輝いていた。

 また例えば、振り向く。地面に広がる世界に目を向ける。

「ガラクタの、山。あれは、壊れた馬車……、あっちの電灯は蜘蛛の巣張っているし」

 壊れた瓦礫の隙間から虫を追うネズミが飛び出す。ネズミは、虫を追いながら、アリアに近づく。

 ちょうどアリアの手前に突き刺さっていた、用途不明の巨大な歯車に登ってきた虫を素早く捕らえたネズミは、アリアの姿に気付くと歯車の奥に姿を隠した。

 ガラクタの世界は無限に続いているわけではない。絡み合った蔦が、この空間を作っていた。蔦は上空に開いた一つの穴に収束している。

「蔦……、ってことはここはさっきまでわたしが眠っていた場所に近い……?」

 さっき眠っていた場所すら、アリアの中には夢と同じようにおぼろげな記憶でしか残っていないが。

 それでもさっきまで彼女が眠っていた空間は少なくとも、絡まる蔦で覆われていた。

「――ええと、そもそもなんでわたしあの場所で寝ていたんだろう」

 理由すら、忘れてしまった。誰かが『何か大事なこと』を教えてくれた。

 そして、『約束』をし、それを果たすために今のアリアは『起動した』。

「起動した、そう、起動したんだ……、夢の中で、ローザが教えてくれた、わたしはもう、生身の魔族じゃないって」

 非現実的なので、あくまで、夢の話だと思っているが。

 一度死亡した生命体を蘇生させる技術なんて、魔族は持っていなかった。

 魔法は、奇跡を起こすもの、という側面よりも、文明の利器、という側面の方が強かった。

 超常的な現象たる『魔法』を駆使できたところで『死』を軽視することはできなかった。

 だけど――、死んだはずの、アリアの体は動いている。

 死んだはず? 確かに死んだと宣告されたが、それもまた『夢』の話だ、ローザが見せた『夢物語』の切れ端かもしれない。

「本当にわたしは死んだのかな」

 生死の区別すら曖昧だった。ああ、全部夢のせいだ。

 思考を混乱させたまま、アリアは下を向き――、自分がボロ布一枚しか羽織っていないことに気付く。

「このボロ布、どこから……、ああ、そうだ……、わたしが起きたときに体にかかってたやつだ」

 アリアにかかっていたというのはいささか語弊があろう。アリアの横に積まれていた人型の『灰』にかかっていたものだ。

 ともかく、布一枚ではどうも涼しすぎたようだ。周囲にサイズが合いそうな衣服が落ちているか探してみようと、アリアは起き上がって、

 ――目の前にちょうど立てかけられていた化粧鏡に目が映る。

 そして、

「頭……、あれ……、金属、え、えでも、そんな」

 鏡に映った光景は、アリアからすると非常識、いわば――奇跡。

 アリアの右こめかみに三つ、穴が開いていた。ちなみに貫通はしていないし、流血もなし。

 代わりに―――――――-、アリアのこめかみ部分の肌が剥がれる。

 その奥に銀色の金属、『SPECIAL-INDIVIDUAL DOUBLE-0 TWO』――『特別検体〇〇二』を表す文字列。

「本当に、本当に、――機械。『機械、人形』……」

 やはり、夢の中でローザに告げられたことは全て真実だった。

 だったが、簡単に現実は追い付いてくれない。

「だけど、一応信じないことには話が先に進まないよね……」

 ゆえに、アリアは自分が生き返ったという事実を『とりあえず』認めることにした。

 さて、まずはこのガラクタの山から出ていくことだけを考えないと……。

 羽織っていた布をきゅっと握り、アリアは歩みだす。歩きながら、思考を回転させる。

 今までに起きた出来事についてまとめてみる。


※ ※ ※


 まず、わたしは夢を見た。

 その夢にはローザがいた。

 一番最初にローザはわたしに死亡宣告をした。

 ローザはわたしが機械人形になっていることを知っていた。

『何か大事なこと』についてをわたしに教えた。

 彼女は動けない状態にあり、私は動ける状態。

 だから、ローザはわたしに『何か大事なこと』に関する仕事を頼んだ。

 間髪入れずにわたしは受諾。 

 受諾と同時に夢は崩れて、起きたら蔦に囲まれた空間で横になっていた。

 今自分が身に纏っている、このボロ布はその時にわたしにかけられていたものだ。

 わたしの周りには、そういえば白い灰? のようなものが散乱していてちょうどそれがベッド代わりになっていた。

 蔦の世界には、星降る夜のような光が散乱していたけど、その光は、『あの男』が現れることで外界へ逃げていった。

『あの男』っていうのはグスタフ・ロムニエルっていう男だ。

 始祖神教の五賢司祭とかいう胡散臭い称号を誇張している、髪は黒のオールバック、獰猛な目をした猛獣のイメージに神父服は似合わなかった。

 わたしは、その男に対抗しようとした。身体は動かし辛かったけど、魔法は生前――生前っていうことにしておこう――の七割弱の威力で使えていた。

 だけど、そんな力ではグスタフに対抗できず、わたしはボロボロになって完全に壊される寸前で、意識を失う。

 意識を失ったわたしを、『壊れ物』扱いしたのか、始祖神教はわたしの体をこのガラクタの山へと廃棄した。

 そして、意識を取り戻した今。自分が機械として動いていることを再確認。頭を打ちぬかれていることも確認。

 自分が、生き返った存在だと、推測し、今に至る。



 さて、ここで自問自答の時間だよ。

 ――――――――――――――――『何か大事なこと』ってなんだ?


 ちょうど、その部分だけ記憶がごっそり抜け落ちている。綺麗さっぱりに、だ。

 頭を打ちぬかれた後遺症で、記憶が断片的に失われているのだろうか。

 何にせよ、鍵となるだろうフレーズだけが欠落している。

 つまり、わたしは行動に理由付けをすることができず、それはまさに『どうしてわたしは意味もなく生き返ったんだ』と言わざるを得ない事態だった。 

「ああああああやらかしたローザごめんね……」

 だが、狼狽し、懺悔する時間は、必要ない。わたしの前にいられずに今もなお幽閉されているであろうローザのことを考えると、いてもたってもいられなかった。

『あと三日で『何か大事なこと』を終えないと、私はもう、帰ってこない。私は文字通り命を懸けて、私とアリア、二人で一緒に生還したい』

 どうにかしないと、ではなくどうにかしろ。三日後が死刑宣告日。――そう考えると、

「速くしないと、速く、早くしないと…シグが、シグがっ!」

 起伏の激しいガラクタの山谷。わたしは、四肢を暴れさせるようにして駆け出した。

 ああ…………、『大事なもの』って本当に何なの………………?

 存在理由が薄すぎて、途方に暮れながら、アリアは外へ出る手段を探し続けた。


※ ※ ※


 [Side:Loki]

 

「午前中の講義をサボった挙句、学院監視を怠ったのは重罪に当たりますよねよねよねよね?」

「その節に関してはどうもすいませんでしうぜえ!」

 生徒会室の会長机から前のめりで迫ってくるアンセル。目と鼻の先で煽ってくるスタイル。

 嫌いじゃないが、鬱陶しい。上司にはしたくないタイプだ。

 昼休み。ちょうどいつも通り、俺は、学内アナウンスで呼び出された。

 学院の校舎に囲まれた中央広場は芝で埋め尽くされていて、その真ん中には一本の大木が植えられている。

 その木陰でシグの膝枕係をやっていたわけだが、彼女は二限終了の鐘がなると、昼飯を食うためにふらりと、どこかへ行ってしまった。

 なんというか、珍しかった。昼飯を一人で食うのとか、一人で生徒会室へ行くのとか。

 新鮮だったけど、無味乾燥としていた。一人ぼっちで飯を食おうとしたが、結局食い物は喉を通らなかった。

 だから、二人分。――アンセルの飯も買っておいた。彼女は、購買部のクリームパンがお気に入りだったから、出来立てのやつをもっていった。

 毎日仕事に追われているアンセルは、書類の山を裁きながら栄養ドリンク(魔法薬学部が販売している滋養強壮剤。いわば副作用のない麻薬)を片手に作業していた。

 案の定、飯は食ってなかったらしい。話を聞けば、昨晩から何も食っていないとのこと。クリームパンは一口で食われた。

 何なら自分用で買ったメロンパンとピザ・トーストも奪われたまである。

 そして、ご飯を美味しそうに頬張るアンセルに向かって、本日の報告(笑)をしたらこの通り、完膚なきまで煽られたのだ。

「シグが休みたいって言っていたんだ仕方ねえだろ」

「シグルーンさんを自宅まで送るという選択肢は?」

「もともとつきっきりで護衛しろって言ったのは誰だよ」

「もちろん私ですが、シグルーンさんの親御さんってあれですよね……魔法師協会の副理事の」

「ドールグ・ファレンハイトだな。ちなみに俺の師匠でもある」

「余分な情報は要りませんよ????」

「いちいち煽るのやめて」

 そういえば、新学期入ってから師匠――ドールグのところへ行っていない。これでは剣の腕が鈍る。

 昼休みの生徒会活動が終われば、今日は授業がない。久々に訪れることにしよう。

「で、今日の報告は終わり! で、いつもの『観察』をするんだよな?」

「もう一週間が経ちましたか……、そうでしたね。最近時が経つのが早い……」

「なんか年増のようなセリフだn」

 氷の針が顔を掠めた。肌が切れて、鮮やかな流血。

「もう一度言ったら命がないと思え、ですよ?」

「キャラじゃないからマジでやめて」

 冷や汗を掻いたどころじゃない。空気そのものが凍てついて、冷や汗すら凍ってしまいそうだった。

 反省しなさい、とアンセルは、会長専用のリクライニング・シートで足を組む。

「ともかく、上の服を脱ぎなさい、ロキ君」

「――――――――――ああ、了解した」

 俺は学院指定の制服を脱いだ。ブレザー・コートを近くにあったオフィス・チェアにかける。

 ネクタイをほどき、ワイシャツのボタンを外していく。生身の上半身が露わになる。

 その一部始終を書類の山の奥でまじまじと見つめてくるアンセル。微妙に顔を赤面させている。……正直やりづらい。

 ちなみにこうしている間にも、アンセルは無意識に手元の書類の処理をしている。

 ただ判子を押しているわけではなく、要件別に分別し、要相談のものは省いている。彼女はきっと脳が二つ内蔵されているのだろう。

「よし、準備が終わったようですね」

 上半身裸になった俺を見て、アンセルは、書類を片付ける手を止めて、机から立ち上がる。

 両手をわきわき蠢かせている。この女、何をする気だ。

「手短に済ませろよ?」

「済ませられるようにじっとしていただけると幸いですが、駄目だった場合は……それなりの処置を」

「じっとしない理由なんてないんだよなあ」

 無駄話が過ぎる。さっさと『実験』を終わらせてもらおう。俺は、アンセルに背中を向けた。

 俺の背中には、奇妙な痣が残っている。綺麗な円形を描き、いたる箇所が古代文字で装飾された、いわば――魔法陣のような痣だ。

 アンセルはこの痣のことを『魔王の痣』と命名した。

 背中、痣の部分にアンセルが触れる。冷たい指先は、微弱な魔力を放ち、痣へと魔力を送っている。

 痣というと、怪我としての痣を思い浮かべがちだが、この場合、痣というのは魔力を魔法に変換するための回路――魔法回路に値する。

 通常の魔法師は脳が魔法回路の役割をする。ごく稀に現れる『痣持ち』の人間でさえ、元々脳が魔法回路の役割をしていることがほとんどだ。

 だが、俺――ロキ・ディケイオという例外が存在した。魔法が全く使えない俺は、何故か『痣』だけは持っていた。

「さて、魔王の痣を動かすための魔力は注入しました。今日は、炎系の初期魔法を操ってみてください」

「了解した、アンセル」

 胸の前で、両掌で水をすくう形を作る。完成された器へと意識を集中させる。

 チッ、と。両手の器の上で火花が散ることを視認。あともう少しで、拳ほどの火種ができるはずだ。

 だが。――器に集まった魔力の量が一定を超えると、

「う、うわっ」

 ボシュッッ!! と、器の上で光を放っていた火種が暴発する。

 俺はすかさず護身のために、両手の器を解く。魔法は解除された。

「実験結果はいつも通りっていうところかしら」

 アンセルはいつの間にか手元で記録の記入をしている。

 さして、変化が見られない実験に、どうしても意味を見いだせない。

「なあ、アンセル」

「なんですか、ロキ君。――やめたい、っていう願いは聞けませんよ?」

「お前は心でも読んでるのか……?」

 結果記入を追え、用紙を机の端の空いたスペースに置いたアンセルは、背中を向けろと指示してきた。

 指示通りに動くと、アンセルはすぐさま俺の背中全体に、何かを張り付けた。

「『投影紙片』っていって触れたものの影とか形とかを映して紙に収めるものです。昔風に言えば、『写真』ですかね」

「で、それをなんでわざわざ背中に張り付ける? 『投影紙片』って割と値が張る気がするのだが」

「そうですね、一枚一〇〇ドルといったところでしょうか。まあ、研究費だから学院から支給されるので貰っておくだけ貰っておけって感じですね」

 会長特権なので☆ と腰に手を当てウインクしてくるアンセルのあざとさ。何というかいちいち言動で敵を作りそうな女だ。

「で、『投影紙片』は何を映したんだ?」

「まあ、見てみてください――――それ!」

 ぺら、背中から『投影紙片』が剝がされる。肌が若干ひりひりと痛んだ。

 床には既に『投影紙片』が広げられていた。そこに大きく映し出された結果とやらに、アンセルはにやけ顔を止めることが出来ていない。

「完璧です。ちゃんと、目に見える成長がありますよ、ロキさん」

 広げられた『投影紙片』には、ロキの背中にこびりついた『魔王の痣』が映し出されていた。

 映し出された『魔王の痣』にも大幅なる変化が。――痣をかたどる古代文字列が明瞭になってきたのだ。

「この痣の文字列、最初は全く読めないくらいにぼやけていたんです。だけど、実験で回を重ねていくごとに文字列がくっきりと映るようになりました」

 気が付けば、実験という名目で、『痣』の観察を行っていたくらいだという。

 もちろん、おおもとにある実験は怠っていない。芳しい結果が出ないが。

「……あと、多くて三回で実験は終了のはずです。そうしたら、データは正確になります」

 だから、あと少しだけ頑張ってくれますか? 上目遣いのアンセルの瞳は、(わざとかもしれないが)潤んでいた。 

 別にその顔をしなくたって、断る理由は潰されているのだが。そう答えると、さっきまでの必死そうな顔から打って変わって、

「それじゃあ、よろしくお願いしますね! たとえ地の底までロキさんが堕ちたとしても、絶対に実験はしてもらいますからね!」

「化けの皮が剥がれ過ぎだ少しは後輩を配慮してくれ!」


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